2018年12月18日

エルサレム・アララト山・ピラミッド,その地理的連関,北緯30度線の謎


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詩篇第29篇ではシオンの神の声が届く地球上の場所の一部が列挙されている。
そこにはシナイ半島中央の「神々の地」の入り口の都市カデシュも,「レバノン杉の地(バールベック)」も入っている。
ウガリト文献には,バールがバールベックに
「光輝の石(通信装置)」
を設置することで獲得した能力を,一方の唇は地へ,他方は天へつけつけることができる力だと記述されている。
エルサレムが飛行管制センターの務めを果たすためには,ニップル同様に,着陸用のフライトパスを二等分する長い中央線上に位置しなければならない。
ユダヤの伝承によると,この聖地は「地のへそ」とされていた。
預言者エゼキエルはヘブライ人のことを
「地のへその上に住む者」
と呼んだ。この表現は,エルサレムこそが中心となる通信センターであって,聖岩が正確な測地中心点の印であることを意味している。
「聖岩」をヘブライ語で「エベン・シュテーガー(世界を紡ぎ出す石)」というのもだから偶然ではないのである。
しかしこうした表現や伝説がいくら暗示的であっても,問題はこのエルサレムがギゼーのピラミッド群とウム・シュマール山の両地点と,起点のアララト山とを結んでできる着陸用フライトパスを二等分する中央線上に存在するかどうかということである。
答えはまさにその通り。
エルサレムはぴったり正確にその線上にある。
しかも,エルサレムは,バールベックと聖カタリナ山を結んだ線が,ちょうどその中央線と交差する地点にも位置しているのである。
またエルサレムからヘリオポリスまでの距離と,エルサレムからウム・シュマール山までの距離はぴったり同じで,
両線の開いた角度は正確に45°
である。
エルサレムとバールベックとギゼー/メンフィスとの相互関係は聖書時代にも知られていて,こうと讃えられたものである。
「偉大なるかなヤーヴェ天主の都で崇められ聖なる山でも讃えられメンフィスでは敬われる歓喜は全地に満ちて」
シオンの山にザボンの山に溢れる聖書外伝の一つ「ヨベル記(別名モーセ黙示録)」ではエルサレムは地上に4箇所ある「天主の場所」の一つとされた。
他の三ヵ所は「レバノン杉の山」の中の「永遠の楽園」,「東の山」つまりアララト山,それにシナイ山である。
とすると,このアララト山から伸びる中央線ー「エルサレム線」上のどこかに,新宇宙港そのものも存在していたに違いない。
最後のビーコンもやはりそこに置かれていたはずである。
つまり砂漠の中心にあるシナイ山として。ここで重大な役割を演じるのが,現在北緯30°線と呼ばれている分割線であるが,
そのためにはシュメール神話の世界を振り返る必要がある。
既に見たように,兄妹神エンリルとエアは異母兄弟のライバル同士で,大洪水以前の世界は,「アヌの道」という幅の広い領域を挟んで,北方の地域がエンリルの「道」として,南方の地域がエアの「道」として分割支配されていた。
ノアの大洪水の後もこの対立関係は続いていて,両者の子孫神まで持ち越された。
世界の運命を決める彼らの討議については,様々なシュメール文献に記録されている。
その一つ「エタナ叙事詩」にはこう記録されている。
「運命を決める偉大なアヌンナキは,地上世界について意見をたたかわせた。
彼らは地上を四つの領域に分け,居住地を設けて監督に当たったが,人間から見ればそれはあまりにも恐れ多いことであった」。
この四領域のどれを誰が統治するかについて,エンリル家とエア家の間でくじ引きが行われた。
その結果,アジアとヨーロッパはエンリルとその子孫に,アフリカはエアとその子孫に与えられることになった。
「第一領域」はメソポタミアと周辺地域で,
山地(エラム,アッシリア,ペルシア)エンリルの息子ニヌルタに,
平地(メソポタミア南部からシナイ半島まで)は次子ナンナル(アッカド名シン)に,
北西部地方と小アジア,地中海諸島は末子イシュクル(アッカド名・アダド)に
それぞれ割り当てられた。
この領域からはシュメールから始まるメソポタミア文明,地中海文明,さらにはギリシャ文明が興隆した。
「第二領域」はアフリカ大陸で,ここを与えられたエアはやはり細分して息子たちに割り当てた。
この領域の中心文明をナイル河流域に起こしたラーというエジプト名の神はおそらくその一人である。
「第三領域」はインド・アジア大陸で,ここにもシュメールに約1000年遅れてインダス文明が栄えていたことが,50年ほど前に発見された。
その中心地ハラッパでは男神ではなく女神が崇拝されていた証拠があるが,この文明の残したインダス文字がまだ解読できないので,
何という名前の女神だったのかはわからない。
しかし私の結論ではおそらく,シン神の娘でシュメール人がイルニニ(強く甘い香りの婦人)と呼んだ女神,つまりアッカド名を
「イシュタル」
という女神こそその人であろう。
なぜならシュメール文献ではこの女神の支配地は「アラッタ」と呼ばれる遠い地域で,そこは穀物の豊かな穀倉地帯だったとされるが,「ハラッパ」もその通りの土地であったからである。
「第四領域」は人間の為ではなく神々専用の特別地帯として設けられた。
許可がない限り立ち入りできない神聖な地域とされるその一帯を,シュメール人は「ティムル・シン」と呼んだ。
その最も重要な施設の管理責任はやはりシンの息子のウトゥ(アッカド名シャマシュ)に任された。
つまり新宇宙港のことである。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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古代中東都市の地理的意味アヌンナキが地上を分けた四つの領域。
それらの領域の中で発展した各文明にあって,最も神聖視され続けた信仰上の聖地を地図上で見てみる。
シュメールの聖都エリドゥ,エジプトのヘリオポリス,インダスのハラッパ,何も地形の許す限り,いずれも
北緯30°線
に接して建設されているのはただの偶然なのだろうか?この
「北緯30°線の法則」
は1000年後まで続いたものと思える。
紀元600年頃にペルシャの王たちはその王都を拡大して,全ての国家にとって神聖な都を建設した。
都市の建設地として選ばれたのは遠い無人の地で,文字通り何もないところに広大な石造りの床を敷き詰めて,宮殿を建てた。
すべては有翼円盤の神を祀るための都市であった。
その場所をギリシャ人たちはペルセポリ(ペルシャ人の都)と呼んだが,住民は一人も住んでおらず,ただただ春分の日に新年を祝うために王が家来を連れて訪れるだけの場所であった。
このペルセポリスがやはり北緯30°線上にあるのだ。
面白いことにこの緯度線をさらに延長させるとチベットの古い都市ラサにぶつかる。
この仏教の都市がいつ建設されたのかは定かではないが,やはり北緯30°線上にあることは事実なのである。
この北緯30°線の神聖性の起源は,おそらく聖なる測定者がこの戦場にギゼー三大ピラミッドの位置を定めた神聖なるグリッド,すなわち着陸用フライトパスにまで遡れるに違いない。
そうであるとするならば,彼らにとって最も重要な宇宙港ーシナイ半島のどこかにあった第4領域を決める時だけ,この神聖なる緯度線が無視されたはずはないであろう。
最後の手がかりはギゼーに残されたもう一つの謎・大スフィンクスに秘められている。
全長24フィート高さ65フィート,王冠を戴く人頭獅子身の巨大な怪物は,いつ誰に建設されたのであろうか?
その目的は何だったのであろうか?誰の姿に似せたのだろうか?なぜ他の場所ではなくわざわざここにこれ一つだけ建てられたのだろうか?
謎はあまりに多く,答えはあまりに少ない。
しかし確かなことがひとつだけある。
スフィンクスは北緯30°線に沿って,正確に東方向を見つめている
ことである。このことをさらに強調するように,スフィンクスの前方には正確に東西の軸線に沿って一連の建造物が建てられている。
19世紀の初頭までは肩のあたりまで砂漠の砂に埋まっていたのであるが,学者たちが掘り出したところ,
長い石段,踊り場,講壇,さらに2本の柱を立てた上り階段の廃墟
が出てきたのである。
その高さはスフィンクスの頭と揃えてあり,視線の先がちょうど2本の柱の間を通るように置かれてあった。
考古学上はローマ時代の遺跡とされているが,バールベックの例で見たように太鼓から同じ場所に記念構造物が繰り返し再建されてきたようだ。
ギリシャやローマの征服者達がファラオのスフィンクス信仰の伝統をそのまま忠実に受け継いたことは,現在ではすっかり証明されている。
大スフィンクスそのものは第2ピラミッドに通じる堤のそばにあるために,
カフラー王が自分の墓の守護神として自然の巨岩を利用して作らせたものだというのが定説であるが,これは全く事実の基盤を書いている。
スフィンクスが先史時代からそこにあったのではないかと疑う学者がいることである。
明細目録の石碑が証明するように,スフィンクスはクフ王の時代にはもうそこに存在していた。
明細目録の石碑の銘文で,クフ王はスフィンクスを
「その視線で風を導く大気の守護神」
と呼んだ。そして「神の姿をかたどったもの,その顔を東に向けたまま永遠に存在するだろう」と記している。
彼はまたその側に生えていたエジプトイチジクの木がこの
ホル=エム=アクヘト(地平線の鷹の神)
の場所へ天の大神が降り立った時に倒れたとも述べた。
これこそがファラオたちが最も頻繁に使った
「スフィンクスの神の名前」
なのである。ファラオ時代にスフィンクスの復元工事を監督したバラエンヘブという人物の立てた石碑には,
計測用の測量網,
地底世界の秘密,
天空船の上昇,
空中の横断,
聖なる砂漠にある保護地帯
のことが歌われていた。
この銘文の中では「隠れたシェムの場所」のことだとしてして,
「シェティ=タ」
という言葉が使われているが,ヘブライ人の預言者にとっては,「シェティ」とは
「聖なる線」
「ヤーヴェが聖なるシナイからやってくる」のを見守る方向
のことであった。
その「シェティ=タ」が聖なる砂漠にあったという。
聖書用語では「カディシュの砂漠」がぴったりそれを意味している。
そこへスフィンクスから「計測用の測量網」が伸ばされ,「天空の船が上昇して」,「空中を横断した」。
この描写は,ギルガメッシュがマシュ山に到着して,シェムが昇り降りするのを目撃したと証言とほとんどそっくりである。
つまり「聖なる線」,つまりエルサレムを貫く神聖グリッドの中央線と,スフィンクスの視線,すなわち聖なる北緯三十度線とが交差する保護地帯。
そこにこそ天と地と地の門がある神々の宇宙港があったのに違いない。
この二つの線の交差する交点はシナイ半島の中央平原の中に位置している。
死者の書で描かれているデュアトそのままに,中央平原は山々に円形に囲まれた広い谷間である。
そのなだらかで広い平地の天然の形表はディンギルたちの宇宙船の滑走路にまさにうってつけだったのであろう。
「旧宇宙基地」の飛行管制センター・ニップルと全く同じことが,この新宇宙基地のエルサレムについても発見できるのは当然といえば当然のことだ。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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ゼカリア・シッチン:大洪水前の社会と惑星ニビル
古代人は第10番惑星の周期的な到来を予期していただけではなく,その軌道の取り方も記録した。
イザヤ書,アモス書,ヨブ記等の聖書のあちらこちらで「主」の運行が様々な星座の位置と関係づけられて語られている。
「主はただ一人で諸々の天を前進し,最も高遠なる深淵を踏破する」
「彼はおおぐま座に,オリオン座に,シリウスに,そして南の星座群にも到達する」
「彼は牡牛座と牡羊座に笑顔を向けて,牡牛座から射手座へと進むだろう」
これらの文章はこの惑星の運行が全天に渡るだけではなく,すでにメソポタミア文献から割り出したように,太陽系を時計回りの方向に動いていることを示している。
この点について極めて明快に記述したメソポタミア文献がある。
マルドゥク神の星その出現の際は水星天弧を30度上昇して木星天上の戦いの場に立つ時にはニビルこの記述は,学者たちの説のように,ただ単純に一つの星を異なる名前で呼んでいるのではない。
第10番惑星の運行を観察できる3大ポイントがあったことを暗示しているのである。
この惑星が当時地球の近くに戻ってきたときの軌道上,最初に観察するチャンスがあったのはそれが水星と並んで見えた時であった(図のA点)。
私の計算では,太陽=地球最接近時の仮定軸から30°離れた方向だ。
最も地球に近づいて,地表からさらに上昇して見えるようになった時,木星の軌道を横断した(B点)。
最後に天上の戦いの場(かつてティアマトと衝突した場所)である近日点,すなわち「横断の場所」に到達するとこの惑星はニビルとなったということなのである(C点)。
地球にも最接近したこの近日点を過ぎると,マルドゥクは再び遠い宇宙空間の深淵に向かってその長大な楕円軌道上を帰っていったのである。
古代メソポタミアとヘブライの文献の中に見られる「主の日」への期待はこのように「神々の星」の周期的な回帰現象を目撃した地球人類の実体験に根ざしたものなのである。
この周期的に出現と消滅を繰り返すのも,この惑星が多くの彗星と似たような長い楕円軌道を持っているからである。
例えばハレー彗星は75年ごとに地球に接近する時だけ見れるので,天文学者は同じ彗星であると納得するのにも苦労したものである。
人類史上で目撃された記録が一度しかない彗星も多いが,これは公転周期が何千年もの長さになるからである。
例えば1973年に発見されたコホーテク彗星は,翌年にはもう太陽の反対側に隠れてしまった。
天文学者の計算ではこの次に現れるのは7500年後から75000年後だという。
これに比べると第10惑星はもっと何度も出現したように記録されているから,公転周期ももっと短いであろう。
それでも天文学者がその存在にまだ気づかないのは,たとえコホーテクの最短推定周期の半分ほどでも,冥王星よりも6倍も遠くに行ってしまう計算になり,これでは地球からは到底見えないからである。
事実,土星よりも遠い惑星はすべてまず視覚ではなく数学的計算によって発見された。
既知の諸天体の軌道に微妙な狂いを生じさせる引力の放射源として,その位置を突き止められたのである。
ことによると第10番惑星もこの方法で天文学者たちに発見されることになるかもしれない。
すでにいくつかの彗星軌道のかすかな狂いからそのような道の惑星 X が存在するのではないかという仮説も出されている。
1972年,カリフォルニア大学ローレンスリバモア研究所のジョセフ=L=ブラディはハレー彗星の軌道の擦れから木星ほどの大きさの未知の惑星が1800年の周期で太陽を公転している可能性があることを発見したのである。
推定距離は60億マイルであるが,今のところ数学的に探知されたにすぎない存在である。
しかしメソポタミア文献と聖書文献をよく検討すると,第10番惑星の公転周期がちょうど3600年だという強力な証拠を見つけることができる。この
「3600」
という数字はシュメールでは大きな円で表現された。
「神々の星」の別名は「シャル(至高の統治者)」というがこれはまた「完全な円」「完成された円」の意味でもあってさらに数字の
「3600」
をも意味していた。この三つの言葉
「星」「軌道」「3600」
の一致は単なる偶然では済まされないだろう。
バビロニアの学社神官で天文学に長じていたベロッソスは紀元前3世紀頃,大洪水以前の地上を治めていたという10人の支配者について書き残した。
要約すれば
「これらカルデアの10人の王の統治期間は合わせて120シャル,すなわち432000年に達して,大洪水の時まで続いた」
とあったという。
1シャルは確かに3600に相当する。
アリストテレスの弟子アビデノスも大洪水以前の10人の王について,ベロッソスの記述を引用し,全統治期間は120シャルに及んだとした。
彼はさらにこれらの王とその都は古代メソポタミアにあったと明言している。
シュメール学が始まるとともに,ベロッソスが根拠にあげた古文書そのものも発掘されて解読された。
それはシュメールの列王表で,明らかに王権が天から下された時から,大洪水が地上を一掃するまで統治した10人の大洪水以前の王にまつわる伝承を記録したものであったのである。
そのひとつテキストW-B144の番号で知られる列王表には5箇所の定住地,つまり都市での神権政治が記録されている。
まず最初のエリドゥには二人の統治者がいたとあり,両者の名前には「開祖」を意味する接頭語「ア」がついている。
王権が天より下された時王政はエリドゥで始められたエリドゥが王になって28800年納め...
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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「99年ぶりのアメリカの皆既日食」と「北緯 33度線」がクロスする唯一の都市へいざなっ てくれた使者たち
チェックマーク1 2016/11/18
次々とやってくる「33度線からの使者」
最近……とはいっても、すでに1カ月以上前ですが、
・悪魔顔のハリケーン、米国Yahooの情報スキャン懸念へのスノーデ ンさんの言葉に思うこと、そして、北緯33度線から私のもとにやって きた静かな使者、などのエトセトラ 2016/10/06
という記事の後半の「アトランタからの使者の意味」というセクショ ンで、個人的で、かつ、やや無意味なことにふれました。
それは、全然使ってはいないのですが、私のツイッターのアカウント がありまして、それがどなたか知らない方にログインされていたので すね。
不正ログインそのものは、今では SNS から銀行口座に至るまで、今 の社会の当たり前の日常ですので、それはいいのですが、ログインさ れた方が、表面上ですが、アメリカのジョージア州アトランタからア クセスされていることに、やや興味を持ったのでした。
どなたかによるログインの通知
どういう興味かといいますと、このアトランタは、「アメリカの北緯 33度線上での代表的な都市のひとつ」だからです。
「なるほど、北緯 33度線のことなどを記事にしていると、ちゃんと 33度線から、使者がやってきよる」と納得しながら、そのアトランタ の文字を眺めていたのですが、その続報といっていいのかどうかわか らなのですが、最近また「やや似たような」ことに遭遇しましたの で、ものの流れとして、そちらのことも書いておこうと思います。
ちなみに、先ほどのツイッターのアカウントに関しましては、パス ワードを変更しまして、英語と数字の混合の意味のない 12桁のパス ワードという強固なものに変更しましたら、3日ほどして、またも別 の方にログインされました(だめじゃん)。だめな時は防御は効かな いものなのかもしれません。
今度は、東京の皇居周辺からのアクセスということで、一気に気高い 空気が流れる不正ログインでしたが、そのあたりについては、
・アメリカの北緯37度線を巡るエイリアンの実相。そして「北緯33度 線上の唯一の火山」が日本にあるという意味 2016/10/08
という記事に書いています。
さて、続きというのは、そのツイッターの続きの話ではないです。
私は、この In Deep などのブログを運営というか、しているのです が、
今はレンタルブログを使用していないですので、自分である程度 メンテナンスというか、チェックしたりということをします。
それで、まあこれは不正なアクセスという意味ではないですが、
セ キュリティ関係のいろいろなプログラムがありまして、そこには、い ろいろ「アクセスの痕跡」が残ったりしまして、
その数は多いときに は結構なものなんですが、そういうセキュリティ関係でチェックして いた時でした。
もしかすると不正アクセス(のようなもの)をしようとされていたか もしれない方々のアクセス先を見ていた時に、各国の都市名がズラッ と並ぶ中に、聞いたことのないアメリカの都市の名前がありました。
それは「スコッツデール」という名前の都市名でした。
通常は、こういうところには、ある程度代表的な都市名しか出てこな いですので、アメリカで聞いたことのない街が表示されているという ことは、
「これは、もしや」
ということで調べてみましたら、ビンゴ! で、スコッツデールはアリ ゾナ州にある都市で、下のように北緯 33度線上にある街なのでした。
ジョージア州アトランタに続いて、アメリカの北緯 33度線上からイン ターネットを通じた友情のアクセスが(友情じゃねーだろ)実を結ん だ感じがいたします。
まあ、これまでアリゾナ州のスコッツデールという街を知らなかった のを知ったのはいいことだと思います。
そして、私には、
「次は……」
と考える「場所」があるのです
実は、私がこれからのアメリカで注目している都市がありまして、ま あ今年はもうそろそろ終わりですので、来年でもその先でもいいので すが、
それは、サウスカロライナ州にあるチャールストンという街で す。
チャールストンが迎える2017年8月21日に向かって
チャールストンは、北緯 33度線上でアメリカの東側の入り口に位置す る都市なのですが、
そのチャールストンが、来年、「アメリカの北緯 33度線上で最も、象徴的な位置となる」出来事があります。
それは、
・「感染する幻覚」と「北緯33度線」を結ぶ、アメリカ合衆国で「99 年ぶり」に観測される皆既日食が描くライン 2016/10/18
という記事に書きましたが、アメリカでは、2017年8月21日に、アメ リカ本土では「 99年ぶりとなる皆既日食」が見られるのですけれ ど、それと関係しています。
まず、この 2017年8月の皆既日食は、
「全世界でアメリカ合衆国だけで観測される」
のです。
2017年8月21日に皆既日食が観測されるライン
しかも、
「アメリカの北緯 33度線上でこの皆既月食が通過するのはチャールス トンだけ」
なのです。
なので、
「 99年ぶりの皆既日食が、33度線とクロスする場所がチャールスト ン」
ということになるのです。
2017年の皆既日食のラインと北緯33度線のライン
まあ、こういうことは、一般的にはどうでもいいことなのですが、何 しろ、非常にぶっちゃけて書けば、このブログ Un Deel で(綴り間 違ってるぞ)、In Deep で、これまでの記事で知り得た、いろいろな 伝承や伝説から、「この世の中での不吉であり悪魔的な現象と概念の ビッグスリー」は、
・虹
・日食(月食含む / 皆既になればなるほど強い)
・33
となっていて、これらについては何度も書いたことがあるような気が します。
それらの過去記事のリンクをすべて示すのは難しいですが、リンクと して、
・虹関係の記事のリンク
・日食関係の記事のリンク
・33関係の記事のリンク
を示させていただきます。
そんなわけで、そのビッグスリーの中の「皆既日食と 33度線が 2017 年の夏にシンクロ」するチャールストンは、示唆的だと思います。
アメリカでの皆既日食は 99年ぶりですが、この 99も「 33 × 3 」とい うことでもあり、いろいろとバッチリな感じもありまして、来年の夏 に向けて注目している次第です。
なんといっても、来年のアメリカ合衆国はすでに、第45代大統領の虎 无婦(無理に漢字で書くなよ)、トランプ大統領の支配下のアメリカ になっているわけですしね。
ちなみに、最近、その「チャールストン」のキーワードでニュースを 検索したりすることがあるのですけれど、このチャールストンでは、 今から 130年前の 1886年に、「大地震が起きた6日後に、小石が雨 あられと降り注いだ不可解な事象が公文書に記録されている」という ことを最近のニュースで知りました。
2016年11月17日の米国メディアより
・postandcourier.com
サウスカロライナ州で大地震が起きたということがあったということ も初めて知りました。
このあたりは、ふだんは「まったく」地震がな い場所です。
今現在も基本的に、ほぼまったく地震はありません。
1886年の地震は、英語版 Wikipedia によれば、マグニチュード 7.0 の 地震だったそうですが、その6日後に、「空から小石が降り出した」 のだとか。後年、科学者などが研究した結論としては「悪質な冗談」 ということで落ち着いたようですが、来年のチャールストンなら、空 から石が降ってきても不思議ではないのかもしれません。
どうも最近は、そんなことを思ってしまうほどに 33度線の「示唆」が 激しくなってきているようには思います。
ちなみに、第 35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディさんが 1963年11月22日に暗殺されたダラスも北緯 33度線上でした。
私はこ の時、まだ3カ月の赤ちゃんでしたので、詳細は覚えていないです。
そして、私のもとへの様々な、あるいは不正かもしれないアクセスも また新たな知識を私にもたらしてくれるという意味で有用なのだと実 感します。

In Deep
http://indeep.jp/33-degrees-and-2017-total-solar-eclipse-in-charleston/




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聖書列王記の年代表

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926 074 |
925 075 |
924 076 |
923 077 南 北
922 078 [1] [2] @
921 079 | | 1; 南 ソロモンの子レハブアム (41)17年
920 080 | | 2; 北 ネバトの子ヤロブアム 22年
919 081 | |
918 082 | |
917 083 レ ヤ
916 084 ハ ロ
915 085 ブ ブ
914 086 ア ア
913 087 ム ム
912 088 | |
911 089 | |
910 090 | |
909 091 | |
908 092 | |
907 093 | |
906 094 [1] | (ヤロブアムの治世 第 18年)@
905 095 | |
904 096 [2] | (ヤロブアムの治世 第 20年)@
903 097 | [3] (アサの治世 第 2年) @
902 098 | [4] (アサの治世 第 3年) @
901 099 | |
900 100 | |
899 101 | | 1; 南 レハブアムの子アビヤム(アビヤ)3年
898 102 | | 2; 南 アビヤムの子アサ 41年
897 103 | |
896 104 | | 3; 北 ヤロブアムの子ナダブ 2年
895 105 ア バ 4; 北 アヒヤの子バシャ 24年
894 106 サ シ
893 107 | ャ
892 108 | |
891 109 | |
890 110 | |
889 111 | |
888 112 | |
887 113 | |
886 114 | |
885 115 | |
884 116 | |
883 117 | |
882 118 | |
881 119 | |
880 120 | |
879 121 | [1] (アサの治世 第 26年)@
878 122 | [2] (アサの治世 第 27年)@
877 123 | |
876 124 | |
875 125 | |
874 126 | [3] (アサの治世 第 31年)@
873 127 | |
872 128 | オ 1; 北 バシャの子エラ 2年
871 129 | ム 2; 北 ジムリ 7日
870 130 | リ 3; 北 オムリ 12年 (*a)
869 131 | | *a; ジムリ没より計算すると合う
868 132 ア |
867 133 サ [4] (アサの治世 第 38年)@
866 134 | |
865 135 | |
864 136 [5] | (アハブの治世 第 4年)@
863 137 | |
862 138 | | 4; 北 オムリの子アハブ 22年
861 139 | | 5; 南 アサの子ヨシャファト (35) 25年 (*b)
860 140 | |
859 141 | | *b; ヨシャファトの治世 25年を 22年に短縮した
858 142 ヨ ア
857 143 シ ハ
856 144 ャ ブ
855 145 フ |
854 146 ァ | [預言者エリヤの活躍]
853 147 ト | [預言者ミカヤ]
852 148 | |
851 149 | |
850 150 | |
849 151 | |
848 152 | [1] (ヨシャファトの治世 第 17年)@
847 153 | [2] (ヨシャファトの治世 第 18年)@ (*c)
846 154 | |
845 155 | | *c; 1章には南ヨラムの治世第 2年ともある
844 156 | |
843 157 [3] | (北ヨラム(アハブの子ヨラム)の治世 第 5年)@ (*b)
842 158 | |
841 159 南 北
840 160 ヨ ヨ
839 161 ラ ラ
838 162 ム ム [エリヤの昇天]
837 163 | |
836 164 [4] | (北ヨラム(アハブの子ヨラム)の治世 第 12年)@ (*d)
835 165 [6] [5]
834 166 | | *d; 9:29 には北ヨラムの治世第 11年ともある
833 167 | |
832 168 | イ
831 169 | エ
830 170 | フ
829 171 [7] | (イエフの治世 第7年)@
828 172 | |
827 173 | | 1; 北 アハブの子アハズヤ 2年
826 174 ヨ | 2; 北 アハブの子ヨラム 12年 (北ヨラム)
825 175 ア | 3; 南 ヨシャファトの子ヨラム (32) 8年 (南ヨラム)
824 176 シ | 4; 南 ヨラムの子アハズヤ (22) 1年
823 177 ュ | 5; 北 イエフ 28年
822 178 | | 6; 南 アハズヤの母アタルヤ 6年
821 179 | | 7; 南 アハズヤの子ヨアシュ (7) 40年(*e)
820 180 | |
819 181 | | *e; 南 ヨアシュの治世 40年を 38年に短縮した
818 182 | |
817 183 | |
816 184 | |
815 185 | |
814 186 | |
813 187 | |
812 188 | イ
811 189 | エ
810 190 | フ
809 191 | |
808 192 | |
807 193 | [1] (南 ヨアシュの治世 第 23年)@
806 194 | |
805 195 | | 1; 北 イエフの子ヨアハズ 17年(*f)
804 196 | |
803 197 | | *f; 北 ヨアハズの治世17年を15年に短縮した
802 198 | |
801 199 | |
800 200 ヨ ヨ
799 201 ア ア
798 202 シ ハ
797 203 ュ ズ
796 204 | |
795 205 | |
794 206 | |
793 207 | [1] (南 ヨアシュの治世 第 37年)@
792 208 [2] | (北 ヨアシュの治世 第 2年)@
791 209 | |
790 210 | | 1; 北 ヨアハズの子ヨアシュ 16年
789 211 ア | 2; 南 ヨアシュの子アマツヤ (25) 29年
788 212 マ |
787 213 ツ |
786 214 ヤ |
785 215 | ヨ
784 216 | ア [預言者エリシャの死]
783 217 | シ
782 218 | ュ
781 219 | |
780 220 | |
779 221 | |
778 222 | [1] (アマツヤの治世 第 15年)@
777 223 | |
776 224 | | 1; 北 ヨアシュの子ヤロプアム 41年
775 225 | |
774 226 | ヤ
773 227 | ロ
772 228 | ブ
771 229 | ア
770 230 ア ム
769 231 マ U
768 232 ツ |
767 233 ヤ |
766 234 | |
765 235 | |
764 236 [1] | (ヤロプアムUの治世 第15年) (*g)
763 237 | |
762 238 | | 1; 南 アマツヤの子アザルヤ (16) 52年 (*m)
761 239 ア |
760 240 ザ | *g; アマツヤの在位年数 29年 (14:2) と、北ヨアシュの
759 241 ル | 死後15年生きた (14:17) との記述を採用し、
758 242 ヤ | アザルヤの即位年、ヤロプアムUの第 27年(15:1) を
757 243 | | 第 15年に変更した
756 244 | |
755 245 | |
754 246 | |
753 247 | |
752 248 | |
751 249 | |
750 250 | |
749 251 | |
748 252 | ヤ
747 253 | ロ
746 254 | ブ
745 255 ア ア
744 256 ザ ム
743 257 ル U
742 258 ヤ |
741 259 | |
740 260 | |
739 261 | |
738 262 | [1] (アザルヤの治世 第 27年)(*i)
737 263 | [2,3](アザルヤの治世 第 28年)(*j)
736 264 | |
735 265 | | 1; 北 ヤロプアムの子ゼカルヤ 6ヵ月
734 266 ア | 2; 北 ヤベシュの子シャルム 1ヵ月
733 267 ザ メ 3; 北 ガディの子メナヘム 10年
732 268 ル ナ
731 269 ヤ ヘ *i; ヤロプアムUの在位年数 41年を採用した。
730 270 / ム 15章によるとアザルヤの治世第 38年。
729 271 ウ | *j; 15章によるとアザルヤの治世第 39年。
728 272 ジ |
727 273 ヤ [4] (アザルヤの治世 第 38年)(*k)
726 274 | |
725 275 | [5] (アザルヤの治世 第 40年)(*l)
724 276 [6] | (ペカの治世 第 2年)(*m)
723 277 | |
722 278 | | 4; 北 メナヘムの子ペカフヤ 2年
721 279 | | 5; 北 レマルヤの子ペカ 20年
720 280 | | 6; 南 ウジヤの子ヨタム (25)16年
719 281 | |
718 282 ヨ ペ *k; メナヘムの在位年数 10年 (+1) を採用
717 283 タ カ 15章によるとアザルヤの治世第 50年。
716 284 ム | *l; 15章によるとアザルヤの治世第 52年。
715 285 | | *m; 北王の在位年数から計算すると、アザルヤ(ウジヤ)
714 286 | | の在位年数は 39-40年となる。 15章では 52年。
713 287 | |
712 288 | | [アッシリアによる第一次捕囚]
711 289 | |
710 290 | |
709 291 [7] | (ペカの治世 第17年)(*n)
708 292 | |
707 293 ア | 7; 南 ヨタムの子アハズ (20) 16年
706 294 ハ |
705 295 ズ [8] (アハズの治世 第 5年) (*o) (*p)
704 296 | |
703 297 [10] ホ 8; 北 エラの子ホシェア 9年
702 298 | シ
701 299 | ェ *n; 15章によるとヨタムは20年以上在位したことになる。
700 300 | ア
699 301 | | 17章によれば アハズの治世 第 12年。
698 302 ヒ |
697 303 ゼ [9] (北 エラの子ホシェアの治世 第 9年)(*q)
696 304 キ
695 305 ヤ 9; サマリヤ陥落
694 306 |
693 307 | *p;15章によると、エラの子ホシェアがペカを倒したのは
692 308 | ウジヤの子ヨタムの治世第 20年とありヨタムの子アハズ
691 309 | の時代にくいこんでしまう。しかしウジヤの子ヨタム
690 310 | が継続して在位していたとすれば、この年のことになる。
689 311 |
688 312 | *q; 別の資料によると、サマリヤ陥落 BC722-721 とある。
687 313 |
686 314 | [10] (ホシェアの治世 第 3年)
685 315 |
684 316 | 10; アハズの子ヒゼキヤ (25) 29年
683 317 |
682 318 |
681 319 |
680 320 |
679 321 |
678 322 |
677 323 |
676 324 |
675 325 |
674 326 |
673 327 |
672 328 |
671 329 |
670 330 |
669 331 |
668 332 |
667 333 |
666 334 |
665 335 |
664 336 |
663 337 |
662 338 |
661 339 |
660 340 |
659 341 |
658 342 |
657 343 |
656 344
655 345
654 346
653 347
652 348
651 349
650 350
649 351
648 352
647 353
646 354
645 355
644 356
643 357
642 358
641 359
640 360
639 361
638 362
637 363
636 364
635 365
634 366
633 367
632 368
631 369
630 370
629 371
628 372
627 373
626 374
625 375
624 376
623 377
622 378
621 379
620 380
619 381
618 382
617 383
616 384
615 385
614 386
613 387
612 388
611 389
610 390
609 391
608 392
607 393
606 394
605 395
604 396
603 397
602 398
601 399
600 400
599 401
598 402
597 403
596 404
595 405
594 406
593 407
592 408
591 409
590 410
589 411
588 412
587 413
586 414
585 415
584 416
583 417
582 418
581 419
580 420
579 421
578 422
577 423
576 424
575 425
574 426
573 427
572 428
571 429
570 430
569 431
568 432
567 433
566 434
565 435
564 436
563 437
562 438
561 439
560 440
559 441
558 442
557 443
556 444
555 445
554 446
553 447
552 448
551 449

笑顔 (shohgan)のページ
http://www.geocities.jp/shohgan301/bible/resource/kings02.txt
http://www.geocities.jp/shohgan301/bible/kings_table.html





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