2018年12月10日

遺跡情報,高野山/景教碑

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高野山/景教碑

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高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文





景教碑の謎  
高野山/一の橋から 奥の院参道に入ってすぐに2手に分かれている道を右の方にまっすぐ進むと青い
「弘法大師夢のお告歌碑」
が見えてきます。
この歌碑を左に進むと見えてくる漢文の碑が 
景教碑
と呼ばれる石碑です。
現在中国、西安市の博物館に保存されている
「大秦景教流行中国碑」 
のレプリカ(複製品)です。
オリジナルは西暦781年、唐の都・長安の大秦寺に建立され、1623年西安で土中より発掘されました。
碑には何が書かれているのか?
中国に伝わったキリスト教の 一派 景教の歴史が刻まれています。
約1900字の漢字と一部シリア語で、
旧約聖書にある天地創造、
アダムとイブ、
キリスト誕生
など
景教の教義と唐のへの伝来、
太宗の時代から147年間におよぶ景教の中国での発展の歴史、
60余人の宣教師名
などが書いてあります。

もっと高野山
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http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyou-2.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/mottto.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/index.htm
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大秦景教流行中国碑全訳 
高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文

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景教とは
一般的には 西暦431年の宗教会議において異端の烙印を押された
キリスト教、ネストリウスの一派
がローマを追われた後、シリア、ペルシャを経て、シルクロードの各地にその教えを広め、
635年中国まで伝わった時に景教と呼ばれたと考えられています。
中国景教はその後、皇帝による保護と圧迫を繰り返し、玄宗皇帝の時代には再度盛んになり、唐末に衰退、モンゴルの興隆と共に発展。
そして元とともに衰退しました。
高野山の景教碑
高野山に景教碑のレプリカを建てたのはE.A.ゴルドン夫人という女性です。
1851年イングランドに生れ、日本の文化を愛し、様々な日本を援助する活動を行いました。 
また日本に長期間滞在し、仏教の研究をしました。 
仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えが夫人の研究テーマでした。
「大秦景教流行中国碑」の複製を高野山に建てたのも、その研究の一環で、夫人は唐で学んだ弘法大師が景教にも関係を持っていたと信じていたようです。
京都で亡くなった夫人の葬儀は京都東寺で仏式によって行なわれ、その墓は高野山、景教碑の隣に建てられました。
弘法大師と景教の関係についてインターネットをさ迷い歩き調べてみたのですが、はっきりした事実や証拠は見つかりませんでした。
しかし 背景から推測すると
大師が留学していた当時の唐の都、長安では西方から伝わった
マニ教 
ユダヤ教 
ゾロアスター教
などさなざまな宗教が伝わっていました。 
大師の滞在した寺は大泰寺にも近く、好奇心旺盛かつ求道の人、空海の事だから当然、景教を始め他宗教も研究したはずだ。 
とも想像できます。 
また 景教碑の文を起草した 
ペルシャ僧、景浄
という人物は,大師が唐でサンスクリットを学んだインド僧 
般若三蔵
が胡語で書かれた仏典の漢訳を行った時協力したことがあり,三蔵から景教について聞いていたとしても不思議ではありません。
(ただし 景浄と三蔵は翻訳をめぐって意見が合わず仲が悪かったそうですが)
大文字五山の送り火 
は景教徒の習慣を弘法大師が伝えたと主張するサイトがありました。
調べてみると確かに大文字の起源の一つに弘法大師説がありましたが景教との関係は不明です。  
京都新発見 大文字五山の送り火のナゾ 
景教碑について調べていると次々に新しい謎が生まれてきます
高野山の話題とは離れますので景教に興味のある方だけご覧下さい
続 景教碑の謎

もっと高野山
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続 景教碑の謎   
景教碑は不思議な謎の世界に我々を誘い込んでゆく。 
まるで異次元への扉のようです 
インターネットでは  様々なサイトで 興味深い話題 が提供されています。
いくつかのサイトで提供される 話題には いわゆる トンデモ説、あるいはファンタジーと思われるものも多く注意が必要です。 
しかしこれらは本当の真実を探す一つのヒントなのかもしれません。
景教を巡る謎の世界あまりにも広く 深く 遠く 素人である管理人には何が真実なのか判定するだけの知識はありません。
ここでは、出来るだけ話題を整理して紹介すること。 
(殆ど景教リンク集になっています)
そして自分なりの 感想や空想 (妄想?) を提供できればと思っています。
景教博士と呼ばれた佐伯好朗博士が1908年に発表した
[太秦を論ず」
において 世間を驚かせる説を唱えました。  
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
です。
秦氏一族は 4〜5世紀ごろ朝鮮半島からやってきた渡来人 
5世紀半ばごろには京都に定住するようになり、平安京遷都に尽力しました。 
一説には平安京は秦氏の資金と技術によって造営されたとも言われています。
彼らは養蚕を伝え、高度な金属鋳造や土木技術を持っており 巨大墳墓の造営や治水に力を発揮したと言われています。
しかし 歴史の表舞台にはほとんど登場せず謎の一族となっています。
佐伯博士は 京都にある秦氏の寺、太秦(うずまさ)寺をめぐる ユダヤとの関連を思わせる数々の事実から 
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
を唱えました。  
さて古代の日本にユダヤ人が来ていたとするとどういう人たちなのか?
ということから登場するのが 旧約聖書にある 消えたイスラエルの十部族です
ユダヤ人の王国はダビデの息子ソロモンの時頂点を極めましたが、その後分裂し
サマリアを首都した「北イスラエル王国」
とエルサレムを首都にする「南ユダ王国」
を建国します。
北王国は、前722年アッシリア帝国により、滅亡し十部族はアッシリアに連行され捕囚されます。
南王国も前587年新バビロニア帝国によって滅亡し、バビロン捕囚となります。前538年ペルシャ帝国により新バビロニアは滅亡、
バビロンにいた南王国の二部族は解放され、こぞって帰還しました。 
しかし既にアッシリア帝国は滅亡していたにもかかわらず北王国の十部族は帰還せず、歴史の表舞台から消えたのでした 。 
さて この十部族のゆくえについて世界中でさまざまな探求がなされましたが、十部族の一部がシル
クロードを経由し日本に到達し日本人の先祖の一つとなったという説が  
「日ユ同祖論」
です。
しかし このようにキリスト生誕の500年も前に姿を消した十部族が4〜5世紀になって登場するという説にはかなり無理があると思います。
フィクション仕立てのストーリーで読みやすく、比較的客観的に秦氏や十部族の謎を整理しているサイトです。
秦氏のルーツについては 色々な説があります。
中央アジアの弓月国から来たとか 、
朝鮮半島の百済または新羅,
泰の始皇帝の子孫 
であるとか様々です。 
弓月(クンユエ)という国は
現在のカザフスタン南部、
アルマトイを含むバルハシ湖より南,
キルギスのあたり,
あるいはホータン
と言われています。
いずれにせよ 最終的には弓月君に率いられた120県(あがた)の泰氏が朝鮮半島から日本に渡って来た訳ですが、その背景には半島の複雑な勢力関係が有るようです
宗教に関して、
八幡神社 
稲荷神社 
など 多くの神社信仰は秦氏が持ち込んだものと言われています。
その上 多くの仏教寺の創建にも関わり、景教徒説も有るとなると,秦氏はさながら宗教の総合商社の観があります。
さて景教とはいったい何だったのか? 
一般的には 景教といえは 一般には ローマ教会から異端とされたネストリウス派がシルクロードを経由して中国まで伝道の足跡を残したと言われます。
しかし景教がネストリウス派という1つのグループの教義が中国まで伝えられたとするには多くの疑問があるようです。
シルクロードの遺跡から発見された漢訳の景教経典でも景教碑の碑文にも見られるのはかなり,本来のキリスト教とはかなり違った教義だと言われています。
景教碑には漢字と共にシリア文字が刻まれています。
シリア語とはアラム語の一方言でした
アラム語とは 古代の西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉です。
イエスもこの言葉を話していましたし、ガンダーラ地域、現在のパキスタンやインドにもアラム語の石碑が残っています。
また シリアとは 広くは現在のシリアだけではなくレバノン、ヨルダン イスラエルを含む地域です。 
それに加え,イラクイランを含むペルシャ帝国の版図でもアラム語は広く使われました。
シリア教会はイエスの死後まもなく、12使徒の時代に設立されその歴史はローマ教会より古く長い歴史の荒波を生き抜いて現在もシリア正教会として存在しています。
そして今も典礼にアラム語を使っているのです。
エフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派は シリアに逃れシリア教会と合流しました。
その後シリア教会もローマから追われ分裂や拡散の複雑な歴史をたどります。
分裂した一方の西シリア教会の拠点はアンティオキアから近東の各地を転々とし、現在のシリア正教として存続しています。
ネストリウス派の合流した東シリア教会はペルシャ領内に逃れ、ここを拠点に東への布教を継続して行っていたようです。
『大秦景教流行中国碑』
によれば,景教の宣教師 阿羅本は635年中国に到着、宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った、とあります。  
初めて訪れた異国の宣教師が国賓並みに迎えられる事は普通考えられない事です。
景教を支持する人々がすでに多数中国に存在し、中国側の支配層に、よほど周到な根回しをしていたと推測されます。 
このような事が出来るのはだれかを考えると、胡人と呼ばれていたソグド商人達が思い浮かびます。 
景教とは 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派であった。  
というのが管理人の想像です。
しかし 755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された後も 唐で盛んに活動を続けている事から考えるとこれは的外れかも知れません。
いずれにせよ 異端となってまで自分達の考えをに守ろうとしたネストリウス派の行動から考えると教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教とが 同一であるとは思えません。
景教碑が建立された後 中国においては景教は衰退しましたが、その後モンゴル帝国において再び盛んになった事が知られています。

もっと高野山
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景教碑のかたわらに建てられたゴルドン夫人の墓 

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「イエゴードン夫人の墓」と読める 







■思想,ミトラ教,
アラム語:シリア語とはアラム語の一方言でした
[景教(ミトラ教)] AD635年,中国まで伝わった時に景教と呼ばれた
[景教(ミトラ教)] AD8C,景教,中国景教として定着
[景教(ミトラ教)] AD9C,シリア教会分裂>>西シリア教会は近東各地転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教>>現在のシリア正教として存続
シリア教会:イエスの死後まもなく設立>>長い歴史の荒波を生き抜く>>現在もシリア正教会として存在
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
アラム語:アラム語とは古代西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉
アラム語:イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
シリア教会:イエスの死後まもなく,12使徒の時代にシリア教会設立
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
[景教(ミトラ教)] AD3C,景教(ミトラ教):ローマ帝国下,イスラエルの月暦>>>太陽暦(エジプト太陽神崇拝,ミトラ崇拝,バベルの塔を建てたニコデモを起源)
[景教(ミトラ教)] AD325,ニカイア信条,キリスト教会は神と主イエスの教えに従わずローマ皇帝の命令に従う道を選択した
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は異端となってまで自分達の考えをに守ろうとした
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>アジア各地で宣教
[景教(ミトラ教)] AD431, キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>シリアに逃れシリア教会と合流>>
[景教(ミトラ教)] AD431年のエフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派はローマ追放
[景教(ミトラ教)] AD6C,ネストリウス一派はシリアに逃れシリア教会と合流>>シリア教会もローマから追われ分裂
[景教(ミトラ教)] AD4〜5C,景教(ネストリウス派)に改宗したユダヤ人のグループ秦氏一族が2万人も大挙して日本にやってきた
[景教(ミトラ教)] AD4〜6世紀にかけて中央アジアの弓月国からきた原始キリスト教徒の秦氏による古代イスラエル,キリスト教文明
[景教(ミトラ教)] AD6C,シリア教会分裂>>分裂した一方の西シリア教会は近東各地を転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教の宣教師阿羅本は635年中国到着,宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った 大秦景教流行中国碑
[景教(ミトラ教)] 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派 SilkRoad2215   
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:景教支持者がすでに多数中国に存在し根回しをしていた SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:胡人/ソグド商人達が根回し?? SilkRoad2215 
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:初めて訪れた異国の宣教師が国賓並に迎えられる事は普通ない SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された
[景教(ミトラ教)] AD9C,玄宗皇帝の時代には再度盛ん
[景教(ミトラ教)] AD9C,ソグド人安録山の反乱(安史の乱)後も景教は唐で盛んに活動
[景教(ミトラ教)] AD9C,教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海が留学していた当時の唐の都,長安では西方から伝わったマニ教,ユダヤ教,ゾロアスター教などさなざまな宗教が伝わっていた。 
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海の滞在した寺は大泰寺にも近く,好奇心旺盛の人だから当然景教を始め他宗教も研究したはず
[景教(ミトラ教)] AD9C,唐末に衰退,モンゴルの興隆と共に発展。
[景教(ミトラ教)] AD11C,その後モンゴル帝国において再び盛んになった
[景教(ミトラ教)] AD11C,中国においては景教は衰退
[景教(ミトラ教)] AD13C,元とともに衰退
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考え
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,様々な日本を援助する活動
[中国景教(ミトラ教)] AD1851時代,E.A.ゴルドン夫人という女性が高野山に景教碑のレプリカ「大秦景教流行中国碑」を建てた
[中国景教(ミトラ教)] 唐で学んだ空海が景教にも関係を持っていた E.A.ゴルドン夫人
シリア教会:その歴史はローマ教会より古い
シリア教会:今も典礼にアラム語を使う,イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn

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遺跡情報,高野山/景教碑



文明の融合
キリスト教が誕生したのは 西洋とアジアの狭間、現在のイスラエルを中心とする土地です。
我々は現在の姿から かなり西洋的なイメージを抱いていますが、その誕生の土地の文化背景からするとかなり中東的な雰囲気を持つ宗教であったはずです。 
ギリシャ語によってローマに布教されたことにより、キリスト教はその後ヨーロッパ諸国に広がり現在に至っていますが、その間もともと持っていたオリエンタルな部分を切り捨ててきたのではないでしょうか? 
西方への広がりの他に シリア(ペルシャ)を起点とする アラム語により東アジアに広められたもう一つの布教の流れがありました。 
景教はその流れの下流として中国まで到達したのです
ギリシャ、ローマとペルシャ、西洋と東洋の2つの文明の出発点からキリスト教は広まっていったのですが,東洋には他にインド、中国と異なる大文明がありました。
これら異質の文明との衝突と交流の中で宗教も徐々に変容していったのでしょう。
キリスト教に限らず仏教もゾロアスター教も西アジアを経由して広まった宗教はシルクロードの交易を担った 
ペルシャ人 
ソグド人 
インド人 
など多くの商業活動従事者の支持を基盤としていましたが、多くの民族により支持される一方で、 多くの文化的背景の影響を受けました。
景教の教義は元のキリスト教とは かなり変化していると言われています。
仏教においても ガンダーラにおける仏像の誕生、大乗仏教の発展もこの流れによる文明の融合から生まれたものでしょうし、ミトラ神は弥勒信仰として仏教の中に取り込まれました。
シリアから現在のアフガニスタンパキスタンにいたるインド中国に隣接する地域は 古来 人と物が常に行き来する場所でした。 
700年に渡りシルクロード交易を 影で支配したといわれるソグド人もこの地域から現れました。
また この地域の多くの民族がアラム語をベースとした、あるいは関連する文字や言語を使用していました。 
激しい支配民族の変動にも影響され、この地域は宗教と文明の融合炉の役割を果たしていたのです。
  
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[LINK]
■日ユ同祖論
古都に隠された十字架
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/pdf/250Kyoto.pdf
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/pdf/252Kyoto2.pdf
聖地巡礼ファイル
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/index.html
探求三昧,日ユ同祖論への反論を展開するサイト
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/index.html
佐伯好朗博士と「日ユ同祖」論
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/jud.html
モナ丼
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun032.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/mona_home.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun059.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun043.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun041.htm
■秦氏
流木のWebサイト
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/index.html
木島坐天照御魂神社,
http://kamnavi.jp/mn/kinki/konosima.htm
神奈備にようこそ
http://www.kamnavi.net/index.htm
木島神社
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo40.htm
賀茂探求
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/index.htm
三柱鳥居の謎,三柱鳥居の謎全国の三柱鳥居の探求
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/pdf/3hasira.pdf
渡来人研究会,秦氏について
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/hata
モナ丼,日本にあった朝鮮王国,謎の秦王国
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/mona_home.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books120.htm
やほよろづ.COM,八幡信仰の源流
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatiman.htm
mansongeのニッポン民俗学,宇佐八幡神は新羅の神だった
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/index.html#bn
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-51.html
■大酒神社の摩多羅神について
hwbb
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_J.html
■秦王国=邪馬台国説など
秦氏の謎
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/hatashi.html
kitunoの空
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/index.html
三神たけるのお伽秦氏,秦氏原始キリスト教教徒説
http://www.kitombo.com/mikami/0618.html
http://www.kitombo.com/mikami/back.html
半月城通信,韓国と日本の関係について多方面からの情報
http://www.han.org/a/half-moon/index.html
http://www.han.org/a/half-moon/hm099.html
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html
小原克博ONLINE
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/sotsuron.nsf/0/4bf5bf6b5bf1b7c149256b290054fca7?OpenDocument
阿羅本
http://www.kohara.ac/
世界歴史事典データベース
http://www.tabiken.com/
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F222C100.HTM
http://www.tabiken.com/history/doc/A/A229L200.HTM
クロニクルズ,地図年表
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/index.htm
アラム語のページhtt
p://arabic.gooside.com/aramaic/
イエスは何語を話したか?
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/ch1059/manabi/m199908.htm
World Reader
http://world-reader.ne.jp/index.shtml
ソグド人
http://zarathustra-wins.net/sogdian1.html
コインの散歩道/ソグド人のコイン
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/E017.htm
コインの散歩道
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/
KOINONIA/日本とキリスト教との出会い
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koen/chap7.htm
■地図
世界歴史事典データベース
http://www.tabiken.com/
KOINONIA/新約聖書の地図
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/index.html
私の西遊記
http://www.din.or.jp/~hagi3/Literature/TheRoadToSilkroad/Images/TimeTable.gif
http://www.din.or.jp/~hagi3/Literature/TheRoadToSilkroad/Cover.htm
NCM
http://www.ncm-center.co.jp/sekai/toppage.htm
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/siria.htm
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/iran.htm
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/kazafusutan.htm
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/uzubekisutan.htm
http://www.ncm-center.co.jp/tizu/pakisutan.htm
http://www.ncm-center.co.jp/sekai/country-all.htm
パキスタン(ガンダーラ)
http://www.din.or.jp/~hagi3/Literature/TheRoadToSilkroad/Images/Map3-1.gif
World Reader
http://tanakanews.com/a1120Gandhara.htm
http://tanakanews.com/
松戸オリエント協会
http://www.orient-matsudo2.com/
http://www.orient-matsudo2.com/goannai.html
ハイパーリンク世界史辞典
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/gandhara.html
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/mahayana.html
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/
マニ教
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/繝阪せ繝医Μ繧ヲ繧ケ豢セ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99
■聖書研究
オンライン聖書講座
http://www.geocities.co.jp/Milano/2523/kouza.html
クロニクルズ 地図年表
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/index.htm
eバイブル
http://ebible.echurch-jp.com/
イエスはどんな人
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/
Q資料
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/q_jesus.htm
宗教のお話
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/jejus.htm
The Text of the Gospel
http://member.nifty.ne.jp/gospels/gospels.html
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聖書の呼ぶ声
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/hyosi.html
キリスト教とイスラム教
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/islam.htm
Outline of the Gnosticism
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/
グノーシ主義略説
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/gnosis0.html
Biblical Errors
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html
インターネットの世界を広げよう
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もっと高野山
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyou-2.htm









伊勢神宮の構造はイスラエルの神殿がモデルのようだ......
http://www.naritacity.com/journal/japan/pdf/summary.pdf
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第1章 日本列島に潜むユダヤの痕
伊勢神宮の謎に迫る!
今からおよそ十五年前、米国ロスアンジェルスで不動産事業を営んでいた際に、大勢のユダヤ系実業家の方々と出会う機会がありました。ベトナム戦争時はヘリコプターの技術士として現地で活躍し、米国に帰国後不動産のデベロッパーとして成功したゼブ氏とは特に親しくさせて頂き、時折夕食を共にしながらよく雑談をしたものです。そのゼブ氏がある日突然、「日本人のルーツにユダヤがあることを知っているか?ヨセフ・アイデルバーグという学者が『大和民族はユダヤ人だった』という本を書いたのだが読んでみたら?」と教えて下さったのです。日本とユダヤには本当に接点があるのだろうかと疑問に思いつつその時から歴史の街道をひたすら遡りながら、日本とユダヤのハーモニーを見出すロマンが始まったのです。
果たして日本人には神の選民と言われたユダヤの血が流れているのだろうか。そんな疑問を解明するために、1988 年東京から車で伊勢神宮にお参りに行くことにしました。以前から伊勢神宮には三種の神器が隠されているという噂や、天皇家とユダヤの関係に携わる様々な秘密が盛りだくさんあると聞いていた為、何としても訪ねてみたかったのです。まず度肝を抜かれたのが JR 伊勢駅のそばにある外宮から内宮につながる街道の両脇に立てられている無数の石灯篭に、ユダヤの紋章である「ダビデの星」が刻まれていることです(写真参照)。しかしながら何故、天皇家が参拝する伊勢神宮(管理人注:天皇家は参拝に来ません。行くのは下鴨神社です)にの街道沿いにユダヤの紋章が入っているのでしょうか?
この石灯篭は神宮奉讃会が寄贈したものであり、実際は木藤石材工業という兵庫の会社が製作にあたりました。そして依頼者側の代表として当時の神宮庁長官である故二荒氏と奉讃会会長の故森岡氏によって詳細の指定がなされたのです。しかし、何故この二人が執拗なまで台座にユダヤの紋章を彫りいれる事を望んだかは今をもってわからず、工事を請け負った木藤氏はただ言われるままに製作したそうです。このダビデの星は伊勢神宮の奥宮である「伊雑の宮」の正式な紋章でもありますが、
「イゾウ」という言葉の響きがヘブライ語で神の救いを意味する
「イザヤ」、「イズラエル」
に酷似しているため、ますますユダヤの影響を感じます
下鴨神社の関連BBS..........神社に潜む謎の勢力
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1043

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/













PS:古代日本とイスラエル10部族の謎というURLがあります。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm

その中で.......
『とはいえ、なぜイスラエル神殿に菊の紋が刻まれているのか――その理由や起源は、よくわかっていません。
ただこのデザインは、エジプトやペルシャ、その他の中東の諸地域において、宗教の中心地や、重要人物の棺の紋様として広く使用されていました。
菊の紋について、次の3つの考えがあげられています。
1つはイスラエルの菊の紋は、菊の花のデザインであろう、ということ。
2つ目は、それは太陽をデザインしたものかもしれないこと。
3つ目は、全く意味のない単なる美しいデザインかもしれない、
ということです。
いずれにしても菊の紋は、イスラエルにおいて、比較的広く使用されていたシンボルでした。
そこで、もし古代イスラエル人が日本に渡来したのだとすれば、
彼らが持ち込んだ菊の紋が皇室の紋として採用されたのではないか、
という考えが浮かんでくるわけです。
 
一方、日本の伊勢神宮の灯籠に、私たちは
「ダビデの星」
を見ることができます。
「ダビデの星」とそっくりのマーク(カゴメ紋)が、皇太神宮の参道わきの石灯籠に刻まれているのです
(ダビデの星は、奥宮の「伊雑の宮」の紋でもあり、古代からのものであるという)。
「ダビデの星」とは、言うまでもなく、古代イスラエルの王ダビデの紋です。
それは現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとしても使用されており、ユダヤ人の印なのです。』
上の説明,つまり任意団体の
「伊勢三宮奉賛献灯会」
が、1955年当時、献灯目的で、これらの六芒星の石灯篭を設置されたことを知らないと大変な誤解を招くことになります。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/66543147.html

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鳥居の聖人
2013-12-03 10:35:54
写真は、伊勢神宮の伊雑宮(イザワのみや)の鳥居の写真です。
入り口の大鳥居を内側の神域から写したものです。
私は約30年間も毎年のように伊雑宮への参拝をしておりますが、鳥居にスポットライトのような光が当たり、
木材の染みがコマ送りの動画のように訴え掛ける現象に出会ったのは初めてです。
太陽の位置からして、まだ西日の時間でも無いにも関わらず、木漏れ日が当たっていたのでしょうが、
コマ送りの動画の物語を私が認識して写真に撮影し終えますと、このスポットライトは消えてしまいました。
まさに見せられました。
同行者も鳥居に太陽光が反射しているのは目視が出来ました。
この時の鳥居の発光現象は、時間帯により誰でも見られるのでしょうが、私の脳裏にはハッキリとした動画でした。
まるで西洋の教会の壁画に在りますフレスコ画や、(壁に漆喰を下地に顔料で描きます)ステンドグラス画を思わせるような図柄でした。
私は、写真の鳥居の右側から2つめの染みが、
紀元前8世紀の古代ユダヤの大預言者・イザヤ
だと感得しました。
まるで天を仰ぎ見るように、左斜め上を見上げています。
そして、その視線の先の更に左側には、ユダヤ民族の起源となる大聖人・モーゼの横顔が、右側のイザヤの方に向かって話しかけています。
モーゼの染みの部分だけが、ひときわ大きく発光していました。
預言者イザヤは、旧約聖書にありますイザヤ書66章の預言を残しています。
その預言の中には、東方に存在する「海の島々」(伊勢志摩のこと)と、聖なる山々が存在することが記述されており、
そこに人類の救いが存在することが示唆されているでしょう。
旧約聖書のイザヤ書を解読することで、日本の大いなる秘密が解き明かされると思います。
伊雑宮の神紋は、籠目紋(かごめもん)です。
これはユダヤの象徴であるダビテの紋章と同じです。
そして、伊雑宮(イザワのみや)の名称の起源は古過ぎてハッキリしませんが、私には
「イザヤの御宮」
だと響きます。
イザワのみや=イザヤの御宮、
だと感じます。
旧約聖書のイザヤ書に、
東方の「海の中の島々」
の記述を読み取れますので、大預言者イザヤは伊雑宮に来たと夢想します。
以上の話は、伊勢神宮の正式な歴史とは一切関係がありません。
あくまでも、私の想像の物語です。
言えますことは、伊雑宮は本当に聖なる場所だということでした。
信じるか、信じないかは自己判断です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢白山道 
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/ea049a8773c5420a67bc9e5a0ecc6d84

かごめかごめを研究する会
http://kagome.biz/

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