2018年12月20日

ミトラ教

比較宗教学
2013/01/15
第6回
第7章 キリスト教
第1部 イエスとキリスト教信仰の成立
1 キリスト教の定義
「キリスト教とは、イエスは神の子であると信じる宗教である」
――もう少し正確に言えば、
「キリスト教とは、イエスという歴史上の人物は、(人類に救いをもたらす)神の子キリスト(人類の王)であると信じる宗教である[1]」。
この定義は、キリスト教の根本的教義であり、その他の教えは、このイエス・キリストの言行に基づいている。
この言行は、キリスト教の正典の一つである『新約聖書[2]』に記されている。
「イエスが神の子である」
ということは、イエスがキリスト教にとって単に歴史的に実在した人間(人の子)であるばかりでなく、
同時にそれ以上のもの(神の子)であることも意味する。
もともと世界の諸宗教においては、教祖の神格化という現象は決して珍しいものではない。
仏教のように、原理的には神を立てない宗教においてさえ、時が経つにつれ、教祖の理想化・神格化が行われた。
しかし、キリスト教ほど、この教祖の神格化に中心的な重要性を与えた宗教は、おそらく他にないだろう。
この
「イエスは神の子である」
という告白(信仰内容)が、同じ聖典(神の啓示)から出発したユダヤ教や、同じ神を崇拝するイスラームと 袂 たもと を分かつ原因にもなった。
単なる人間イエスを神の子と見なす信仰は、キリスト教の聖典の一部である『新約聖書』を強く 彩 いろど っている。
したがって我々は、イエスの言行を記したとされる『新約聖書』を通して、歴史的人物としてのイエスの生涯と彼の教えを正確に得ることはできない。『新約聖書』は、イエスに関する歴史的事実を忠実に伝える文書ではなく、イエスについて聖書記者が抱いた信仰内容の記述である。それゆえ、実際のイエスの教えと、後の人たちが記したイエスの教え(教義)とが一致しない可能性がある。しかしそれでも『聖書』が、歴史上のイエスを知る上で第一級の資料であることにかわりはない。

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http://www.geocities.jp/studia_patristica/comp0506.htm












6 クリスマスの日時と由来(再論)
キリストの誕生日は、一般に12月25日とされている。
しかしそれは、聖書のどこにも書かれておらず、教会(宗派)ごとに異なっていた[7]。
前回も述べたとおり、キリストの誕生日とされる12月25日は、キリスト教そのものに由来するのではなく、
キリスト教が広まる以前にローマ帝国内で盛んであった太陽崇拝(アニミズム)に由来している。
@ ローマ帝国では、サトゥルナリア(農耕神サトゥルヌスの祭[8])が
12月21〜31日もしくは
12月17日から一週間、
行われていた。
この期間中でも特に、冬至の日(12月22日前後)は、
「太陽が甦る日」
として盛大に祝われた。
A さらに、ローマ帝国では、古代ペルシアが起源のミトラ教が広がっていた。
ミトラ教の主神ミトラは,ギリシア神話のアポロンのように,光と真理を司り,すべての悪を圧倒的な力で排除する善の神で、ローマ人兵士の間で信仰されていた。
このミトラ神(太陽神)が、ローマ帝国の皇帝崇拝と結び付けられ、
237年にローマ皇帝アウレリアヌスによって、12月25日が
「不滅の太陽の誕生日」
として、ローマ帝国の正式な祭日と定められた。
こうして、それらの冬至にまつわる二つの祭日と、ときに「太陽」や「昇る朝日」にたとえられるイエス・キリストとが習合し、(西ヨーロッパでは)12月25日がキリストの誕生日となったのである。

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■■■第5章:ミトラ教と日本のつながり
●「ミトラ教」は、
「ミトラス教」(古代ローマ帝国)、
「明教」(中国)、
「マニ教」(摩尼教/中央アジア・中国)、
「ズルワーン教」(ペルシア)、
「ボゴミール派」(東欧)、
「カタリ派」(フランス)
などとも呼ばれる。
ボゴミール派やカタリ派をキリスト教の一部とみなし、その異端とする考え方は古い見方で、最近の宗教学では修正され、
もともと思想も系譜も異なる東方オリエント系の宗教のキリスト教世界への伝播と考えられるようになってきている。
●「ミトラ神」は、キリスト教徒にとっては「キリスト」そのもので、ユダヤ教徒にとっては「大天使メタトロン」であり、
イスラム教徒によっては「イマム・マーディ」、ヒンドゥー教徒によっては
「カルキ神」、または
「クリシャナ」
の再臨とされている。
神智学では、ミトラ神のことを「ブラフマー」あるいは「ロゴス」と呼び、その地球上での姿を「世界教師」と呼んでいる。
「ミトラ」という名前は、サンスクリット語で「マイトレーヤ」と転訛し、インドやチベットなどではマイトレーヤと呼ばれている。
一方、イラン系ミトラ=ミスラがミフルと転訛。続いて
ミクル→ミルクル→ミルク
となり、最終的に
「ミロク」
と呼ばれる。
このミロクが漢字に翻訳されて
「弥勒」
となり、マイトレーヤの訳語となる。
これが「弥勒菩薩」である。弥勒菩薩は仏教におけるメシアである。
このように、世界中の主要な宗教の中にミトラ神の像が組み込まれている。
●ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。
日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。
当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。
彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。
なかでも、最大の力を誇っていたのが
「漢氏(あやし)」
なる一族だった。
漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。
それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。
この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
●12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び
「朱子学」
を興した(12世紀)。
さらに王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。
東方ミトラ教は別名を
「明教」
というが、中国では明(1368〜1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。
日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが
「古学」
を起こし、荻生徂徠が
「徂徠学」
を起こし、本居宣長らが
「国学」
を起こした。
●「神智学」はマダム・ブラバッキーやルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。
東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。
国学=日本版神智学
と考えたほうが正解である。
なお、20世紀初頭、インドの巨星タゴールの詩集をいち早く翻訳した功労でも知られる三浦関造氏が、ブラバッキーの
『霊智学解説』
を翻訳出版したが、この本が日本における神智学資料の草分け的存在になり、現在、三浦関造氏は日本神智学の祖とされている。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html














 

 

■■■おまけ情報:キリスト教とミトラ教の共通点
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。
そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。
これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。
これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。
ミトラは12星座に囲まれる。
ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に
「ミトラの友」
であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのが
イエスの肉=パンと
イエスの血=ワイン
であるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。
説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミ
トラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。
ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。
『ヨハネの黙示録』
によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。
ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。
『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は
「パテル・パトルム」(父の中の父)
と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行われた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行った。
●イエスは創造主なる御父がいる。
『アヴェスタ』
においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。
ミトラは光明神であり、太陽神でもある。
このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。
結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? 
これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。
なお、「ミトラ神学」についてはまだ研究中なので、まとまり次第、テキストを追加していきたい。
(1998年3月)

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民族移動する以前の古代アーリア人宗教「原始ミトラ教」
ゾロアスター教>バラモン教
V   V   V               
ユダヤ教  仏教 ヒンドゥー教
V         
キリスト教      
V   
イスラム教

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J古代アーリア人の「ミトラ教」〜中国まで〜
2015-07-06 13:17:19
【ミトラ教】
ミスラ(Miθra)とはイラン神話に登場し、英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。
インド神話の神ミトラ(मित्र [mitra])と起源を同じくする、
インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。
その名は本来「契約」を意味する。
ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。
●ミトラ教研究の東條真人氏によると、ミトラ教は時代によって5つに区分することができるといいます。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

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☞古代アーリア人の共通祭式儀礼は
民族移動する以前の古代アーリア人の共通祭式儀礼
紀元前2500年から紀元前九世紀頃までの古代のアーリア人が古くから信仰してきた自然崇拝の宗教は、
祈禱、
拝火、
犠牲獣祭
でした。
最上位の神官階級は、特定の神格に聖なる祈禱マンスラを唱えて犠牲を捧げることによって、その神格から応分の果報を得る能力をもっていた。
1まず神官は依頼人から渡された犠牲の獣(牛)を屠って、神々に捧げる。
2次にハマオ(薬草の樹液)という一種の幻覚剤を調整して服用し、神託を得る。
3神託を依頼人に告げ、神々に捧げたはずの犠牲獣(牛)の大部分を神官の取り分として祭式を終わる。
神官階級が祈りを捧げる神格は、大分すると
◉アフラ神群右矢印ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
◉ダエーヴァ神群右矢印インドラ、ナーサティヤなど
「古代アーリア人」
イラン高原のアーリア人により支持されていたゾロアスター教。
紀元前1世紀以降のヘレニズム時代になると、古代アーリア民族の宗教で最も活発だったのは、ゾロアスター教ではなくミトラ信仰であった。
ミトラ崇拝は、アケメネス朝時代からイラン高原西部に浸透して紀元前1世紀以降は、メソポタミアから小アジアまで拡大して行きます。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの「太陽神ヘリオス」と同一視した新たな信仰が生み出されます。
1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
ミスラ信仰はペルシャ帝国期、マギ神官 によって小アジア、シリア、メソポタミアに伝道され、ギリシアやローマにも取り入れられた。
ギリシャ語形・ラテン語形でミトラースと呼ばれ、太陽神、英雄神として崇められた。
その信仰はミトラス教と呼ばれる密儀宗教となって、1世紀後半から4世紀半ばまでのローマ帝政期、ローマとその属州で広く信奉され、
善悪二元論と終末思想
が説かれた。
最大のミトラス祭儀は冬至の後で太陽の復活を祝う12月25日の祭で、キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
のちに新プラトン主義と結合し、キリスト教と争ったが、圧迫されて衰退した。


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【ポントス王国のミトラ信仰】
ヘレニズム時代より、トルコ北部とクリミア半島には「ポントス王国」ができた。
歴代君主には、「ミトリダテス」という名が並んでいる。
小アジア以東のオリエント世界に見られる男性名。
ミトラダテスとも。
「ミトラス神に与えられた者」
を意味するペルシア語名ミフルダートのギリシャ語形である。
おなじ「ミトリダテス」という名は、パルティア王国の君主の中にもこの名を見出すことが出来る。
ポントス王国はクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めた。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝するミトラ教国家
「バクトリア」
が誕生した。
バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から
「西方ミトラ教」
が生まれ、それが更に発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。
イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていく。

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【アルメニアのミトラ信仰】
アルメニアは、「紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした」ことで有名です。
アルメニアは、パルティア王国が224年にサーサーン王朝に滅ぼされたあともサーサーン家宗主権。
のもとで428年までアルメニアを支配した。
そのため古代アーリア人の信仰した神々の影響を受けた。特にミトラ神を好んだ。
ザラスシュトラの宗教改革の結果、ゾロアスター教の中では六大天使にも入らなかったミトラ神だが、ゾロアスター教の影響が及ばないアルメニアや小アジアなどの西方では、ミトラ神は崇拝を集めた。
ミトラ神殿
(オリエント世界で現在確認される唯一のガルニミトラ神殿遺跡(再建されたもの))
アルメニア王国のアルシャク王朝初代のティリダテス一世が、ローマ帝国の承認を受けるために3000人のパルティア騎士に警護されてネロ皇帝の前にひざまずいた際、彼はギリシア語のスピーチで
「自分はネロ皇帝の僕であり、ミフル神を崇めるようにローマ帝国を崇める」と宣言したことは有名である。
ガルニミトラ神殿もティリダテス一世が造営したとされている。
ミトラ信仰は、この地を訪れたローマ軍兵士や海賊などを通じて地中海世界へ流入して行く。
ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは、ミスラ神は
「光の君」、
「真実の神」、
「死から救う者」、
「浄福を与える者」、
「勝利者」、
「戦士」、
「広い牧場の君」
などの称号が与えられており、その軍神としての性質、及び、現世利益的な性質から、
海賊、商人、奴隷、軍人
を媒介として流布し、ローマ世界へと流入したとされます。

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【ローマ帝国のミトラ信仰】
ミトラ教はキリスト教が普及するまでローマ帝国内で広く流行した。
ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇り、各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者もいた。
ミトラの密儀は、バビロン又はカルディアの占星術と融合してできたもの。
特異な密議宗教として地下に密室を掘って男だけで集まり、短剣で牛を屠って再生を経験するという儀式を行う。
ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
しかし、キリスト教による世界独占の方向に進んでいき、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。
392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行なわれていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。
そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立された。

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【牛を屠る神】
ミトラス神は
「牛を屠るミトラス神」
という図像で描かれることが多く、その標準的な構成は、中央に牛を捕えて短剣で屠るミトラス神を配し、左右に一対の松明保持者、牛の下方に蛇、さそり、犬などの動物、上方または周囲に擬人化された太陽や月、天の12宮が描かれます。
ミトラの主要な概念は、
ミトラに体現される善の勢力とアフリマンに体現される悪の勢力の不断の戦いである。
神話によれば、ミトラは洞窟で、手にナイフとたいまつを持ち、フリギアの帽子を被った聖人の姿で生まれたという。
この時近くにいて最初の証人となった牧夫は、彼に彼らの家畜の生んだ最初の仔と木の実を送った。時を経て、ミトラは彼に定められた運命に従って悪の体現であり、世の邪悪な暗黒の勢力である猛牛に戦いを挑んだ。
両者の激しい戦いで、ミトラはナイフで猛牛を傷つけ勝利した。
ミトラと猛牛の戦いは終わらず、ミトラは太陽の使者カラスを通じて猛牛を殺害せよと命令を受け、犬の助けによってその命令を遂行する。
その後大きな奇跡が起き、猛牛の死によって善の自然力が生き返り、ミトラは人類の一切の善なるものの源泉となる。
猛牛の体と尾から有用植物と薬草が生え、血液からブドウが生えた。
タウラクトンの猛牛に打ち勝つミトラ像は、ミトラ教の基本的なシンボルとなり、あらゆるミトラ神殿に置かれた。
この像にはしばしばミトラの主要な同伴者、すなわち猛牛の血を飲み、大地を体現する蛇、猛獣に噛みつく犬、猛牛の睾丸に食らいつくサソリがついている。ミトラは、猛牛という自らの宥和的な供儀によって、宇宙的悪から人間を救う。
ミトラはこの偉業の後、彼を崇拝する人たちを最後の晩餐に招くが、ここで妥当された猛牛の血を象徴するワインによる秘儀が行われる。
この後、ミトラは天に昇る。
これをもって、地上に置けるミトラの使命を完結する。
その後、悪の力がアフリマンの姿をとって、人間に世の終わりを告知する多くの災難と不幸をもたらす。
ミトラは人間を救うべきして到来して、世の浄化と新生を象徴する世界火によって悪を根絶するまで一連の偉業を行う。
ミトラの言葉によって全ての死者は蘇りミトラの前に集まる。
そこで正義の神であるミトラは善者と悪者を選別し、猛牛の聖なる血によって善者を聖別し、永遠の不死をあたえる。
▶儀礼
彼らは、魂を浄化するための特別の儀礼があり、また相互に「親愛なる兄弟」と呼び、
小さな十字形に切れ目を付けたパンを食べ、ワインと水を飲んだ。
ミトラ教の宗教的秘儀には、音楽、太陽への祈り、祭壇での拝火などがあり、ミトラ神の誕生日である
12月25日
は主要な祝日であった。
*キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
こういった儀礼より芸術的遺産には
 猛牛に勝つミトラ
 岩から生まれたミトラ
 ライオン狩りのミトラ
などがある。
(岩から生まれるミトラス神(アテネ国立考古学博物館))

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レジナルド・フェセンデン氏はこうした「アトランティス伝説」についてのきわめて入念な研究をしているが,
それによるとかれはアトランティスは大西洋のなかの失われた陸地ではなくて,おそらくかつてコーカサス地方にあった,
極めて重要な文明をもっていたところのことらしい,と結論づけているのである。
モーゼは実に手がつけられないほど厄介な人物です。
これはエジプのパピルスの巻物からの「死者の書」ですが,
モーゼの十戒は100%ここからの盗作である。
エジプトではMISESが神から与えられた法の石刻版を授かった。
この「死者の書」にあるフレーズ”盗みはしない”が「なんじ盗むべからず」,
”人を殺してはいけない”が「なんじ殺すべからず」,
”嘘をつぃてはならない”が「なんじ偽証すべからず」になっただけである。
小学生でも知っているマタイによる福音書第2章で「占星術の学者たちが東の方からエルサレムにやって来た......」とある通り
これは人類の太陽崇拝を意味している。
いわゆる天体という12星座である。
太陽が天体の12黄道を回ることは春分点歳差運動でありこの記事は書いたので省略する。
「東の方から」とは東方の星で最も輝く犬座のSIRIUS(シリウス)を指している。
この星は12月24日にオリオン座の三つの星と直線(これが十字架)に並び,
この三つの星は「三人の王」あるいは「三人の賢者」と呼ばれている。
三人の王とシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している。
だから三人の王が東方の輝く星に誘導され太陽の誕生(日の出)を訪れる。
つまり太陽の南下は12月22,23,24日止まり(三日間の死を意味する),
12月25日太陽は日の出とともに復活する(三日の死の後の復活)。
太陽崇拝のミトラでは太陽王の誕生日をだから12月25日としキリスト教も迎合した。
いやむしろ,12月25日ミトラは聖母から生まれ,12人の弟子を持ち,奇跡を起こし,死亡して三日後に復活した。
それがマイナス20度の馬小屋でイエスが生まれた日になってしまった。
イエスの物語はホロス神話と100%同じである。
つまり12人の使徒,奇跡を起こしたこと,三人の王,三日後に生き返った(復活)こと,みな同じである。
ではホロスの神話はどこから来たのか?
シモーヌ・ベイユは人生の後半バビロニアの宗教詩「ギルガメシュ叙事詩」とインドの「バガバッド・ギーダ」にめぐり合った。
カルタゴの時代から怖ろしい蛮族であるチュートン族の国際金融資本家はいた。
彼らにとって(アングロ・サクソンにとって)この宗教神話を使って社会を操作し宗教戦争を起こし(キリスト教の開祖が主張しているように)人類を支配している。
魚座の時代(紀元1年〜2160年)の間に一体どれだけ戦争が引き起こされ
神の名の正義のもとどれだけの人間が殺され富の偏在が生まれたか歴史をひも解けば明らかである。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/6.html






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ジェラルド・セレンテ:2019年,世界システム崩壊に備えよ-アメリカンドリームの死

By Michael Moore
Gerald Celente Red Alert: Prepare for the Worst Global Systemic Collapse 2019 – The Death of the American Dream
Friday, December 14, 2018 10:56

Before It's News
http://www.prepperfortress.com/gerald-celente-red-alert-prepare-for-the-worst-for-global-systemic-collapse-2019-the-death-of-the-american-dream/








ジェラルド・セレンテ:2019年,世界システム崩壊に備えよ-アメリカンドリームの死
2018年12月14日金曜日10:56
Michael Moore
トレンド・リサーチの分析専門家、未来派、基調講演者、研究所のディレクターであるGerald Celente(ジェラルド・セレンテ)氏)は,
トレンドの予測・研究・分析の顧問として多くの大企業に情報を提供している。世界の唯一のアナリストであり,300の多様なトレンド分野を網羅している。
「 Trends 2000」の著者であり「TrendsJournalR」の経営者でもある。
氏の警告記事を紹介する。
*************************************************************
■米国経済の実態
(紙幣のプリントアウトを無限に続けている)連邦準備銀行と他政府機関の情報によると,
米国の平均的世帯がかかえるクレジットカードの債務高7,000〜15,112ドル。
平均住宅ローン債務は146,215ドルで,学生ローンは31,240ドル。
米国全体が中国から借りている債務の総額は17兆ドルで,連邦準備銀行が自国の米国債買取に伴い増加している。
IRS,税金,連邦準備制度,富、自由,金,退職,債務,債務削減,ティーパーティー,保守,未来,幸福,project1776....
Peter Joseph(ピーターヨセフ)の時代精神補遺(Zeitgeist Addendum,ツァイトガイスト)の動画は以下の13章からなる:
1)現在のシステム&貧困(10 '26 ")
2)金融スキーム(6' 38")
3)破損,利益
5)石油,エネルギー,崩壊(7'56 ")
6)消費とインセンティブ(3'50")
7)労働と教育
8)貧困と貧困(11月15日)
4)帝国主義とベネズエラ「32」)
8)自然の再設計(14 '43 ")
9)ビーナスプロジェクト・テクノロジー(12' 25")
10)資源ベースの経済(12 '59 ")
11)代替エネルギー(6' 21")
12)被害者文化(4'16 ")
13)共生(13'20")
経済危機を生き延びることは目的の一つではあるが,繁栄し富を確保するのはそれとはまったく別のゲームだ。
幸いにも私はその事にについての研究をずっと行ってきた。
そこで私たちはその知識を結集し,サバイバルと富の両方を保護すべく,一般家族のための経済災害サバイバルの青写真を作成した。
そしてそれを米国民と共有する。これが「最後のバブルを生き残る」青写真を作った経緯だ。
来るべき大手銀行デリバティブの崩壊。
その環境下で生き残り繁栄するための青写真だ。
グローバリゼーション増加の指標はない。
近年,国境を越えたグローバルなインタラクティブ化とシステムの相互依存はすすみ,「システミックリスク」が指数関数的に増加している。
エネルギー探査,生産,送電,コンピュータネットワーク,医療,食料,水道,交通ネットワーク,商取引,金融
など,様々なシステムでリスクが増加している。
つまり,各国市民を支える世界的な政治・経済・金融システムでリスクが増加している事になる。
すなわち,「リスク研究」は重要な学術・政策分野になる可能性がある。
グローバル・システミック・リスク(Global Systemic Risk)は,グローバルな人工組織システムの堅牢性と脆弱性に焦点を当て,
短期/中期的なリスクの危険性とその結果を伴うリスクを意味する。
インタラクティブ・システムがリスクにつながった過去の例は,2007年〜2008年の金融危機。
金融危機以降にさらにすすんだ金融機関のインタラクティブ化・相互依存性を反映して,米国郊外の不動産ポケットの価値は低下,経済的に最大の課題となっていまった。
他のグローバルシステムにもこれと同じリスクを秘めていると研究期間は警告している。
グローバル・システミック・リスク(Global Systemic Risk)は,単一の部分の特性ではなく,構成する多数の自律的なエージェントの相互作用から生じる。
エネルギーシステム,情報ネットワーク,航空・海上輸送のグローバル化は,生産と流通の効率を高めるかもしれないが、一部のトラブルが全体へ影響を波及させてしまう危険性を秘めている。
単純に個々の合計と考えるのではなく,システム全体にもっと注意を払うことによって,食糧や疫学面での安全保障は改善されるかもしれない。
米政府のコメントによれば,現在米国の銀行システムの預金のうちで引出可能な預金は10兆ドルあるという。
市場を循環するリアル・マネー(ドルとコイン,real money in circulation)は1兆4000億ドル存在するというが,その半分以上が米国外に存在する。
そして他国に借りている10億ドル以上の負債が別に存在する。
もしも米国の債権者が一度に来て「借金返せ」と言ってきたら,米国内には一銭も残らない。
そして世界経済が崩壊する。
どの偉大な帝国も,このようにして終わった。。
米連邦準備理事会(FRB)が米国市民ではなく,腐敗した銀行家を救済することを決めた。病気だ。
もしもその金額で米国のすべての消費者債務を救済したなら,消費者には何十億ドルもの資金を解放することができたのに。
しかし現実はその代わりに,その金額を銀行のエリートのポケットを詰めたという訳だ。。
そして株式市場を史上最高値に追いやる事ができれば,危機とは縁が切れる。
今,彼らは最後の歴史的なキャッシュ・グラブに挑んでいるようだ。
トランプがもし暗殺されずに生きていたら,この動きを嗅ぎつけるだろう。
■おきうるリスク
もしも1929年大恐慌クラスの危機がおきた場合,世界は大きく変わる。
失業率が現在の5%から25%の5倍になり,4人に1人が仕事を失う。
経済生産は25%低下する。
そうなれば,米国の国内総生産(Gross Domestic Product,GDP)は現在の18兆ドルから13.5兆ドルに減少する。
多くのエコノミストは,史上最大の経済危機はまだ進行中だと考えているようだ。
この「アカデミー賞受賞映画・1929年大恐慌」は,世界的の現実的財務状況を知る上で重要だ。
1929年大恐慌の後に大不況がおき,米国の銀行の半分は倒産した。
倒産件数は,1930年の最初の10カ月だけで744件に及んだ。
これは1920年の倒産件数と比較すると,年率で1,000パーセント上回る件数だった。
1933年までに破綻した銀行は4000行に及んだ。
結果,預金者は失った金額は1,400億ドルに及んだ。
市民は銀行が預金を使って株式市場に投資していたことを知り驚き,慌てて預金を引き出そうとした。
銀行の「取付騒ぎ」がおこり,大手銀行でさえも倒産に及んだ。
大恐慌により多くの農家は農場を失った。
大恐慌と同時に,過度の耕作と干ばつによる不作がおきて米国中西部は「ダストボウル(Dust Bowl)」になった。
以前は肥沃だった地域が放棄された。。
こういった農をはじめとする何千人もの失業者がカリフォルニアに流れ込み仕事を探した。
彼らの多くはカリフォルニアでホームレスの「ホボス(hobos)」になった。
当時のハーバート・フーバー大統領の名を冠した街「フーヴァヴィル(Hoovervilles)」と呼ばれるシャンティタウンに流れた人も多かった。
しかし,今の世界では,幸いにもそういう事態はおきない。
ニューディール政策で連邦預金保険公社(Federal Deposit Insurance Corporation)が創立され,そういった事態がおきても預金者は保護される事になった。
■崩壊への備え
米国経済が崩壊すればどうなるか?
米国経済が崩壊すれば,資金にアクセスすることはできない。
米国の経済破綻から身を守ることは困難だ。
警告なしで起こる可能性がある。
まるでネズミ捕りの罠のように経済崩壊は瞬時に起き,そこから逃げられない。
過去の多くの大惨事では,人々は知識,知恵,互助によって生き残ってきた。
基本的な経済概念を理解し,不安定性の警告兆候を察知できるようになってほしい。
第二,できるだけ多くの資産を流動資産で保つ事。
1週間以内に回収できる流動資産で保つ事。
普段の仕事に加え,農業,料理,修理など伝統的な経済に必要なスキルを持つ事。
すぐに国を離れる必要がある場合に備え,パスポートが最新のものであることを確認し,逃亡先を調べておく。
来るアメリカの黙示録について,エリート主義者たちは十分に備えている一方で,一般市民の多くは全く無関心。
体調を万全にしておく事。
自衛・狩猟・火おこしなどの基本的な生存スキルを知る事。
キャンプ旅行の実践。
可能であれば,絶滅の危機に瀕している野生動物の保護区の近くへ引っ越す事。
そうすれば経済倒壊が発生した場合,比較的人口のすくない地域に住むことができる。
現金に関しては,その価値がなくなる可能性があるため,持っていても経済的崩壊の際には役に立たないかもしれない。
金塊の備蓄があっても,移動の際に重い金塊を持っていく訳にいかない。
しかし,もしかしたら,20ドル紙幣と金貨は役立つかもしれない。
過去にあった多くの危機状況で,これらは一般的に受け入れられた。
書籍は最良の崩壊前投資になりうる。
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posted by datasea at 15:07| Comment(0) | △ ジェラルド・セレンテ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月18日

エルサレム・アララト山・ピラミッド,その地理的連関,北緯30度線の謎


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詩篇第29篇ではシオンの神の声が届く地球上の場所の一部が列挙されている。
そこにはシナイ半島中央の「神々の地」の入り口の都市カデシュも,「レバノン杉の地(バールベック)」も入っている。
ウガリト文献には,バールがバールベックに
「光輝の石(通信装置)」
を設置することで獲得した能力を,一方の唇は地へ,他方は天へつけつけることができる力だと記述されている。
エルサレムが飛行管制センターの務めを果たすためには,ニップル同様に,着陸用のフライトパスを二等分する長い中央線上に位置しなければならない。
ユダヤの伝承によると,この聖地は「地のへそ」とされていた。
預言者エゼキエルはヘブライ人のことを
「地のへその上に住む者」
と呼んだ。この表現は,エルサレムこそが中心となる通信センターであって,聖岩が正確な測地中心点の印であることを意味している。
「聖岩」をヘブライ語で「エベン・シュテーガー(世界を紡ぎ出す石)」というのもだから偶然ではないのである。
しかしこうした表現や伝説がいくら暗示的であっても,問題はこのエルサレムがギゼーのピラミッド群とウム・シュマール山の両地点と,起点のアララト山とを結んでできる着陸用フライトパスを二等分する中央線上に存在するかどうかということである。
答えはまさにその通り。
エルサレムはぴったり正確にその線上にある。
しかも,エルサレムは,バールベックと聖カタリナ山を結んだ線が,ちょうどその中央線と交差する地点にも位置しているのである。
またエルサレムからヘリオポリスまでの距離と,エルサレムからウム・シュマール山までの距離はぴったり同じで,
両線の開いた角度は正確に45°
である。
エルサレムとバールベックとギゼー/メンフィスとの相互関係は聖書時代にも知られていて,こうと讃えられたものである。
「偉大なるかなヤーヴェ天主の都で崇められ聖なる山でも讃えられメンフィスでは敬われる歓喜は全地に満ちて」
シオンの山にザボンの山に溢れる聖書外伝の一つ「ヨベル記(別名モーセ黙示録)」ではエルサレムは地上に4箇所ある「天主の場所」の一つとされた。
他の三ヵ所は「レバノン杉の山」の中の「永遠の楽園」,「東の山」つまりアララト山,それにシナイ山である。
とすると,このアララト山から伸びる中央線ー「エルサレム線」上のどこかに,新宇宙港そのものも存在していたに違いない。
最後のビーコンもやはりそこに置かれていたはずである。
つまり砂漠の中心にあるシナイ山として。ここで重大な役割を演じるのが,現在北緯30°線と呼ばれている分割線であるが,
そのためにはシュメール神話の世界を振り返る必要がある。
既に見たように,兄妹神エンリルとエアは異母兄弟のライバル同士で,大洪水以前の世界は,「アヌの道」という幅の広い領域を挟んで,北方の地域がエンリルの「道」として,南方の地域がエアの「道」として分割支配されていた。
ノアの大洪水の後もこの対立関係は続いていて,両者の子孫神まで持ち越された。
世界の運命を決める彼らの討議については,様々なシュメール文献に記録されている。
その一つ「エタナ叙事詩」にはこう記録されている。
「運命を決める偉大なアヌンナキは,地上世界について意見をたたかわせた。
彼らは地上を四つの領域に分け,居住地を設けて監督に当たったが,人間から見ればそれはあまりにも恐れ多いことであった」。
この四領域のどれを誰が統治するかについて,エンリル家とエア家の間でくじ引きが行われた。
その結果,アジアとヨーロッパはエンリルとその子孫に,アフリカはエアとその子孫に与えられることになった。
「第一領域」はメソポタミアと周辺地域で,
山地(エラム,アッシリア,ペルシア)エンリルの息子ニヌルタに,
平地(メソポタミア南部からシナイ半島まで)は次子ナンナル(アッカド名シン)に,
北西部地方と小アジア,地中海諸島は末子イシュクル(アッカド名・アダド)に
それぞれ割り当てられた。
この領域からはシュメールから始まるメソポタミア文明,地中海文明,さらにはギリシャ文明が興隆した。
「第二領域」はアフリカ大陸で,ここを与えられたエアはやはり細分して息子たちに割り当てた。
この領域の中心文明をナイル河流域に起こしたラーというエジプト名の神はおそらくその一人である。
「第三領域」はインド・アジア大陸で,ここにもシュメールに約1000年遅れてインダス文明が栄えていたことが,50年ほど前に発見された。
その中心地ハラッパでは男神ではなく女神が崇拝されていた証拠があるが,この文明の残したインダス文字がまだ解読できないので,
何という名前の女神だったのかはわからない。
しかし私の結論ではおそらく,シン神の娘でシュメール人がイルニニ(強く甘い香りの婦人)と呼んだ女神,つまりアッカド名を
「イシュタル」
という女神こそその人であろう。
なぜならシュメール文献ではこの女神の支配地は「アラッタ」と呼ばれる遠い地域で,そこは穀物の豊かな穀倉地帯だったとされるが,「ハラッパ」もその通りの土地であったからである。
「第四領域」は人間の為ではなく神々専用の特別地帯として設けられた。
許可がない限り立ち入りできない神聖な地域とされるその一帯を,シュメール人は「ティムル・シン」と呼んだ。
その最も重要な施設の管理責任はやはりシンの息子のウトゥ(アッカド名シャマシュ)に任された。
つまり新宇宙港のことである。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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古代中東都市の地理的意味アヌンナキが地上を分けた四つの領域。
それらの領域の中で発展した各文明にあって,最も神聖視され続けた信仰上の聖地を地図上で見てみる。
シュメールの聖都エリドゥ,エジプトのヘリオポリス,インダスのハラッパ,何も地形の許す限り,いずれも
北緯30°線
に接して建設されているのはただの偶然なのだろうか?この
「北緯30°線の法則」
は1000年後まで続いたものと思える。
紀元600年頃にペルシャの王たちはその王都を拡大して,全ての国家にとって神聖な都を建設した。
都市の建設地として選ばれたのは遠い無人の地で,文字通り何もないところに広大な石造りの床を敷き詰めて,宮殿を建てた。
すべては有翼円盤の神を祀るための都市であった。
その場所をギリシャ人たちはペルセポリ(ペルシャ人の都)と呼んだが,住民は一人も住んでおらず,ただただ春分の日に新年を祝うために王が家来を連れて訪れるだけの場所であった。
このペルセポリスがやはり北緯30°線上にあるのだ。
面白いことにこの緯度線をさらに延長させるとチベットの古い都市ラサにぶつかる。
この仏教の都市がいつ建設されたのかは定かではないが,やはり北緯30°線上にあることは事実なのである。
この北緯30°線の神聖性の起源は,おそらく聖なる測定者がこの戦場にギゼー三大ピラミッドの位置を定めた神聖なるグリッド,すなわち着陸用フライトパスにまで遡れるに違いない。
そうであるとするならば,彼らにとって最も重要な宇宙港ーシナイ半島のどこかにあった第4領域を決める時だけ,この神聖なる緯度線が無視されたはずはないであろう。
最後の手がかりはギゼーに残されたもう一つの謎・大スフィンクスに秘められている。
全長24フィート高さ65フィート,王冠を戴く人頭獅子身の巨大な怪物は,いつ誰に建設されたのであろうか?
その目的は何だったのであろうか?誰の姿に似せたのだろうか?なぜ他の場所ではなくわざわざここにこれ一つだけ建てられたのだろうか?
謎はあまりに多く,答えはあまりに少ない。
しかし確かなことがひとつだけある。
スフィンクスは北緯30°線に沿って,正確に東方向を見つめている
ことである。このことをさらに強調するように,スフィンクスの前方には正確に東西の軸線に沿って一連の建造物が建てられている。
19世紀の初頭までは肩のあたりまで砂漠の砂に埋まっていたのであるが,学者たちが掘り出したところ,
長い石段,踊り場,講壇,さらに2本の柱を立てた上り階段の廃墟
が出てきたのである。
その高さはスフィンクスの頭と揃えてあり,視線の先がちょうど2本の柱の間を通るように置かれてあった。
考古学上はローマ時代の遺跡とされているが,バールベックの例で見たように太鼓から同じ場所に記念構造物が繰り返し再建されてきたようだ。
ギリシャやローマの征服者達がファラオのスフィンクス信仰の伝統をそのまま忠実に受け継いたことは,現在ではすっかり証明されている。
大スフィンクスそのものは第2ピラミッドに通じる堤のそばにあるために,
カフラー王が自分の墓の守護神として自然の巨岩を利用して作らせたものだというのが定説であるが,これは全く事実の基盤を書いている。
スフィンクスが先史時代からそこにあったのではないかと疑う学者がいることである。
明細目録の石碑が証明するように,スフィンクスはクフ王の時代にはもうそこに存在していた。
明細目録の石碑の銘文で,クフ王はスフィンクスを
「その視線で風を導く大気の守護神」
と呼んだ。そして「神の姿をかたどったもの,その顔を東に向けたまま永遠に存在するだろう」と記している。
彼はまたその側に生えていたエジプトイチジクの木がこの
ホル=エム=アクヘト(地平線の鷹の神)
の場所へ天の大神が降り立った時に倒れたとも述べた。
これこそがファラオたちが最も頻繁に使った
「スフィンクスの神の名前」
なのである。ファラオ時代にスフィンクスの復元工事を監督したバラエンヘブという人物の立てた石碑には,
計測用の測量網,
地底世界の秘密,
天空船の上昇,
空中の横断,
聖なる砂漠にある保護地帯
のことが歌われていた。
この銘文の中では「隠れたシェムの場所」のことだとしてして,
「シェティ=タ」
という言葉が使われているが,ヘブライ人の預言者にとっては,「シェティ」とは
「聖なる線」
「ヤーヴェが聖なるシナイからやってくる」のを見守る方向
のことであった。
その「シェティ=タ」が聖なる砂漠にあったという。
聖書用語では「カディシュの砂漠」がぴったりそれを意味している。
そこへスフィンクスから「計測用の測量網」が伸ばされ,「天空の船が上昇して」,「空中を横断した」。
この描写は,ギルガメッシュがマシュ山に到着して,シェムが昇り降りするのを目撃したと証言とほとんどそっくりである。
つまり「聖なる線」,つまりエルサレムを貫く神聖グリッドの中央線と,スフィンクスの視線,すなわち聖なる北緯三十度線とが交差する保護地帯。
そこにこそ天と地と地の門がある神々の宇宙港があったのに違いない。
この二つの線の交差する交点はシナイ半島の中央平原の中に位置している。
死者の書で描かれているデュアトそのままに,中央平原は山々に円形に囲まれた広い谷間である。
そのなだらかで広い平地の天然の形表はディンギルたちの宇宙船の滑走路にまさにうってつけだったのであろう。
「旧宇宙基地」の飛行管制センター・ニップルと全く同じことが,この新宇宙基地のエルサレムについても発見できるのは当然といえば当然のことだ。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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ゼカリア・シッチン:大洪水前の社会と惑星ニビル
古代人は第10番惑星の周期的な到来を予期していただけではなく,その軌道の取り方も記録した。
イザヤ書,アモス書,ヨブ記等の聖書のあちらこちらで「主」の運行が様々な星座の位置と関係づけられて語られている。
「主はただ一人で諸々の天を前進し,最も高遠なる深淵を踏破する」
「彼はおおぐま座に,オリオン座に,シリウスに,そして南の星座群にも到達する」
「彼は牡牛座と牡羊座に笑顔を向けて,牡牛座から射手座へと進むだろう」
これらの文章はこの惑星の運行が全天に渡るだけではなく,すでにメソポタミア文献から割り出したように,太陽系を時計回りの方向に動いていることを示している。
この点について極めて明快に記述したメソポタミア文献がある。
マルドゥク神の星その出現の際は水星天弧を30度上昇して木星天上の戦いの場に立つ時にはニビルこの記述は,学者たちの説のように,ただ単純に一つの星を異なる名前で呼んでいるのではない。
第10番惑星の運行を観察できる3大ポイントがあったことを暗示しているのである。
この惑星が当時地球の近くに戻ってきたときの軌道上,最初に観察するチャンスがあったのはそれが水星と並んで見えた時であった(図のA点)。
私の計算では,太陽=地球最接近時の仮定軸から30°離れた方向だ。
最も地球に近づいて,地表からさらに上昇して見えるようになった時,木星の軌道を横断した(B点)。
最後に天上の戦いの場(かつてティアマトと衝突した場所)である近日点,すなわち「横断の場所」に到達するとこの惑星はニビルとなったということなのである(C点)。
地球にも最接近したこの近日点を過ぎると,マルドゥクは再び遠い宇宙空間の深淵に向かってその長大な楕円軌道上を帰っていったのである。
古代メソポタミアとヘブライの文献の中に見られる「主の日」への期待はこのように「神々の星」の周期的な回帰現象を目撃した地球人類の実体験に根ざしたものなのである。
この周期的に出現と消滅を繰り返すのも,この惑星が多くの彗星と似たような長い楕円軌道を持っているからである。
例えばハレー彗星は75年ごとに地球に接近する時だけ見れるので,天文学者は同じ彗星であると納得するのにも苦労したものである。
人類史上で目撃された記録が一度しかない彗星も多いが,これは公転周期が何千年もの長さになるからである。
例えば1973年に発見されたコホーテク彗星は,翌年にはもう太陽の反対側に隠れてしまった。
天文学者の計算ではこの次に現れるのは7500年後から75000年後だという。
これに比べると第10惑星はもっと何度も出現したように記録されているから,公転周期ももっと短いであろう。
それでも天文学者がその存在にまだ気づかないのは,たとえコホーテクの最短推定周期の半分ほどでも,冥王星よりも6倍も遠くに行ってしまう計算になり,これでは地球からは到底見えないからである。
事実,土星よりも遠い惑星はすべてまず視覚ではなく数学的計算によって発見された。
既知の諸天体の軌道に微妙な狂いを生じさせる引力の放射源として,その位置を突き止められたのである。
ことによると第10番惑星もこの方法で天文学者たちに発見されることになるかもしれない。
すでにいくつかの彗星軌道のかすかな狂いからそのような道の惑星 X が存在するのではないかという仮説も出されている。
1972年,カリフォルニア大学ローレンスリバモア研究所のジョセフ=L=ブラディはハレー彗星の軌道の擦れから木星ほどの大きさの未知の惑星が1800年の周期で太陽を公転している可能性があることを発見したのである。
推定距離は60億マイルであるが,今のところ数学的に探知されたにすぎない存在である。
しかしメソポタミア文献と聖書文献をよく検討すると,第10番惑星の公転周期がちょうど3600年だという強力な証拠を見つけることができる。この
「3600」
という数字はシュメールでは大きな円で表現された。
「神々の星」の別名は「シャル(至高の統治者)」というがこれはまた「完全な円」「完成された円」の意味でもあってさらに数字の
「3600」
をも意味していた。この三つの言葉
「星」「軌道」「3600」
の一致は単なる偶然では済まされないだろう。
バビロニアの学社神官で天文学に長じていたベロッソスは紀元前3世紀頃,大洪水以前の地上を治めていたという10人の支配者について書き残した。
要約すれば
「これらカルデアの10人の王の統治期間は合わせて120シャル,すなわち432000年に達して,大洪水の時まで続いた」
とあったという。
1シャルは確かに3600に相当する。
アリストテレスの弟子アビデノスも大洪水以前の10人の王について,ベロッソスの記述を引用し,全統治期間は120シャルに及んだとした。
彼はさらにこれらの王とその都は古代メソポタミアにあったと明言している。
シュメール学が始まるとともに,ベロッソスが根拠にあげた古文書そのものも発掘されて解読された。
それはシュメールの列王表で,明らかに王権が天から下された時から,大洪水が地上を一掃するまで統治した10人の大洪水以前の王にまつわる伝承を記録したものであったのである。
そのひとつテキストW-B144の番号で知られる列王表には5箇所の定住地,つまり都市での神権政治が記録されている。
まず最初のエリドゥには二人の統治者がいたとあり,両者の名前には「開祖」を意味する接頭語「ア」がついている。
王権が天より下された時王政はエリドゥで始められたエリドゥが王になって28800年納め...
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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「99年ぶりのアメリカの皆既日食」と「北緯 33度線」がクロスする唯一の都市へいざなっ てくれた使者たち
チェックマーク1 2016/11/18
次々とやってくる「33度線からの使者」
最近……とはいっても、すでに1カ月以上前ですが、
・悪魔顔のハリケーン、米国Yahooの情報スキャン懸念へのスノーデ ンさんの言葉に思うこと、そして、北緯33度線から私のもとにやって きた静かな使者、などのエトセトラ 2016/10/06
という記事の後半の「アトランタからの使者の意味」というセクショ ンで、個人的で、かつ、やや無意味なことにふれました。
それは、全然使ってはいないのですが、私のツイッターのアカウント がありまして、それがどなたか知らない方にログインされていたので すね。
不正ログインそのものは、今では SNS から銀行口座に至るまで、今 の社会の当たり前の日常ですので、それはいいのですが、ログインさ れた方が、表面上ですが、アメリカのジョージア州アトランタからア クセスされていることに、やや興味を持ったのでした。
どなたかによるログインの通知
どういう興味かといいますと、このアトランタは、「アメリカの北緯 33度線上での代表的な都市のひとつ」だからです。
「なるほど、北緯 33度線のことなどを記事にしていると、ちゃんと 33度線から、使者がやってきよる」と納得しながら、そのアトランタ の文字を眺めていたのですが、その続報といっていいのかどうかわか らなのですが、最近また「やや似たような」ことに遭遇しましたの で、ものの流れとして、そちらのことも書いておこうと思います。
ちなみに、先ほどのツイッターのアカウントに関しましては、パス ワードを変更しまして、英語と数字の混合の意味のない 12桁のパス ワードという強固なものに変更しましたら、3日ほどして、またも別 の方にログインされました(だめじゃん)。だめな時は防御は効かな いものなのかもしれません。
今度は、東京の皇居周辺からのアクセスということで、一気に気高い 空気が流れる不正ログインでしたが、そのあたりについては、
・アメリカの北緯37度線を巡るエイリアンの実相。そして「北緯33度 線上の唯一の火山」が日本にあるという意味 2016/10/08
という記事に書いています。
さて、続きというのは、そのツイッターの続きの話ではないです。
私は、この In Deep などのブログを運営というか、しているのです が、
今はレンタルブログを使用していないですので、自分である程度 メンテナンスというか、チェックしたりということをします。
それで、まあこれは不正なアクセスという意味ではないですが、
セ キュリティ関係のいろいろなプログラムがありまして、そこには、い ろいろ「アクセスの痕跡」が残ったりしまして、
その数は多いときに は結構なものなんですが、そういうセキュリティ関係でチェックして いた時でした。
もしかすると不正アクセス(のようなもの)をしようとされていたか もしれない方々のアクセス先を見ていた時に、各国の都市名がズラッ と並ぶ中に、聞いたことのないアメリカの都市の名前がありました。
それは「スコッツデール」という名前の都市名でした。
通常は、こういうところには、ある程度代表的な都市名しか出てこな いですので、アメリカで聞いたことのない街が表示されているという ことは、
「これは、もしや」
ということで調べてみましたら、ビンゴ! で、スコッツデールはアリ ゾナ州にある都市で、下のように北緯 33度線上にある街なのでした。
ジョージア州アトランタに続いて、アメリカの北緯 33度線上からイン ターネットを通じた友情のアクセスが(友情じゃねーだろ)実を結ん だ感じがいたします。
まあ、これまでアリゾナ州のスコッツデールという街を知らなかった のを知ったのはいいことだと思います。
そして、私には、
「次は……」
と考える「場所」があるのです
実は、私がこれからのアメリカで注目している都市がありまして、ま あ今年はもうそろそろ終わりですので、来年でもその先でもいいので すが、
それは、サウスカロライナ州にあるチャールストンという街で す。
チャールストンが迎える2017年8月21日に向かって
チャールストンは、北緯 33度線上でアメリカの東側の入り口に位置す る都市なのですが、
そのチャールストンが、来年、「アメリカの北緯 33度線上で最も、象徴的な位置となる」出来事があります。
それは、
・「感染する幻覚」と「北緯33度線」を結ぶ、アメリカ合衆国で「99 年ぶり」に観測される皆既日食が描くライン 2016/10/18
という記事に書きましたが、アメリカでは、2017年8月21日に、アメ リカ本土では「 99年ぶりとなる皆既日食」が見られるのですけれ ど、それと関係しています。
まず、この 2017年8月の皆既日食は、
「全世界でアメリカ合衆国だけで観測される」
のです。
2017年8月21日に皆既日食が観測されるライン
しかも、
「アメリカの北緯 33度線上でこの皆既月食が通過するのはチャールス トンだけ」
なのです。
なので、
「 99年ぶりの皆既日食が、33度線とクロスする場所がチャールスト ン」
ということになるのです。
2017年の皆既日食のラインと北緯33度線のライン
まあ、こういうことは、一般的にはどうでもいいことなのですが、何 しろ、非常にぶっちゃけて書けば、このブログ Un Deel で(綴り間 違ってるぞ)、In Deep で、これまでの記事で知り得た、いろいろな 伝承や伝説から、「この世の中での不吉であり悪魔的な現象と概念の ビッグスリー」は、
・虹
・日食(月食含む / 皆既になればなるほど強い)
・33
となっていて、これらについては何度も書いたことがあるような気が します。
それらの過去記事のリンクをすべて示すのは難しいですが、リンクと して、
・虹関係の記事のリンク
・日食関係の記事のリンク
・33関係の記事のリンク
を示させていただきます。
そんなわけで、そのビッグスリーの中の「皆既日食と 33度線が 2017 年の夏にシンクロ」するチャールストンは、示唆的だと思います。
アメリカでの皆既日食は 99年ぶりですが、この 99も「 33 × 3 」とい うことでもあり、いろいろとバッチリな感じもありまして、来年の夏 に向けて注目している次第です。
なんといっても、来年のアメリカ合衆国はすでに、第45代大統領の虎 无婦(無理に漢字で書くなよ)、トランプ大統領の支配下のアメリカ になっているわけですしね。
ちなみに、最近、その「チャールストン」のキーワードでニュースを 検索したりすることがあるのですけれど、このチャールストンでは、 今から 130年前の 1886年に、「大地震が起きた6日後に、小石が雨 あられと降り注いだ不可解な事象が公文書に記録されている」という ことを最近のニュースで知りました。
2016年11月17日の米国メディアより
・postandcourier.com
サウスカロライナ州で大地震が起きたということがあったということ も初めて知りました。
このあたりは、ふだんは「まったく」地震がな い場所です。
今現在も基本的に、ほぼまったく地震はありません。
1886年の地震は、英語版 Wikipedia によれば、マグニチュード 7.0 の 地震だったそうですが、その6日後に、「空から小石が降り出した」 のだとか。後年、科学者などが研究した結論としては「悪質な冗談」 ということで落ち着いたようですが、来年のチャールストンなら、空 から石が降ってきても不思議ではないのかもしれません。
どうも最近は、そんなことを思ってしまうほどに 33度線の「示唆」が 激しくなってきているようには思います。
ちなみに、第 35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディさんが 1963年11月22日に暗殺されたダラスも北緯 33度線上でした。
私はこ の時、まだ3カ月の赤ちゃんでしたので、詳細は覚えていないです。
そして、私のもとへの様々な、あるいは不正かもしれないアクセスも また新たな知識を私にもたらしてくれるという意味で有用なのだと実 感します。

In Deep
http://indeep.jp/33-degrees-and-2017-total-solar-eclipse-in-charleston/




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聖書列王記の年代表

聖書列王記の年代表
[BC] [D]
1000 000 + ダビデ (30) 40年
999 001 |
998 002 |
997 003 |
996 004 |
995 005 |
994 006 |
993 007 |
992 008 |
991 009 |
990 010 |
989 011 |
988 012 |
987 013 |
986 014 |
985 015 ダ
984 016 ビ
983 017 デ
982 018 |
981 019 |
980 020 |
979 021 |
978 022 |
977 023 |
976 024 |
975 025 |
974 026 |
973 027 |
972 028 |
971 029 |
970 030 |
969 031 |
968 032 |
967 033 |
966 034 |
965 035 |
964 036 |
963 037 |
962 038 |
961 039 + ソロモン即位 在位40年(列上 11:42)@
960 040 |
959 041 | ? ダビデ没
958 042 |
957 043 |
956 044 |
955 045 |
954 046 |
953 047 |
952 048 |
951 049 |
950 050 |
949 051 |
948 052 |
947 053 |
946 054 |
945 055 |
944 056 |
943 057 |
942 058 ソ
941 059 ロ
940 060 モ
939 061 ン
938 062 |
937 063 |
936 064 |
935 065 |
934 066 |
933 067 |
932 068 |
931 069 |
930 070 |
929 071 |
928 072 |
927 073 |
926 074 |
925 075 |
924 076 |
923 077 南 北
922 078 [1] [2] @
921 079 | | 1; 南 ソロモンの子レハブアム (41)17年
920 080 | | 2; 北 ネバトの子ヤロブアム 22年
919 081 | |
918 082 | |
917 083 レ ヤ
916 084 ハ ロ
915 085 ブ ブ
914 086 ア ア
913 087 ム ム
912 088 | |
911 089 | |
910 090 | |
909 091 | |
908 092 | |
907 093 | |
906 094 [1] | (ヤロブアムの治世 第 18年)@
905 095 | |
904 096 [2] | (ヤロブアムの治世 第 20年)@
903 097 | [3] (アサの治世 第 2年) @
902 098 | [4] (アサの治世 第 3年) @
901 099 | |
900 100 | |
899 101 | | 1; 南 レハブアムの子アビヤム(アビヤ)3年
898 102 | | 2; 南 アビヤムの子アサ 41年
897 103 | |
896 104 | | 3; 北 ヤロブアムの子ナダブ 2年
895 105 ア バ 4; 北 アヒヤの子バシャ 24年
894 106 サ シ
893 107 | ャ
892 108 | |
891 109 | |
890 110 | |
889 111 | |
888 112 | |
887 113 | |
886 114 | |
885 115 | |
884 116 | |
883 117 | |
882 118 | |
881 119 | |
880 120 | |
879 121 | [1] (アサの治世 第 26年)@
878 122 | [2] (アサの治世 第 27年)@
877 123 | |
876 124 | |
875 125 | |
874 126 | [3] (アサの治世 第 31年)@
873 127 | |
872 128 | オ 1; 北 バシャの子エラ 2年
871 129 | ム 2; 北 ジムリ 7日
870 130 | リ 3; 北 オムリ 12年 (*a)
869 131 | | *a; ジムリ没より計算すると合う
868 132 ア |
867 133 サ [4] (アサの治世 第 38年)@
866 134 | |
865 135 | |
864 136 [5] | (アハブの治世 第 4年)@
863 137 | |
862 138 | | 4; 北 オムリの子アハブ 22年
861 139 | | 5; 南 アサの子ヨシャファト (35) 25年 (*b)
860 140 | |
859 141 | | *b; ヨシャファトの治世 25年を 22年に短縮した
858 142 ヨ ア
857 143 シ ハ
856 144 ャ ブ
855 145 フ |
854 146 ァ | [預言者エリヤの活躍]
853 147 ト | [預言者ミカヤ]
852 148 | |
851 149 | |
850 150 | |
849 151 | |
848 152 | [1] (ヨシャファトの治世 第 17年)@
847 153 | [2] (ヨシャファトの治世 第 18年)@ (*c)
846 154 | |
845 155 | | *c; 1章には南ヨラムの治世第 2年ともある
844 156 | |
843 157 [3] | (北ヨラム(アハブの子ヨラム)の治世 第 5年)@ (*b)
842 158 | |
841 159 南 北
840 160 ヨ ヨ
839 161 ラ ラ
838 162 ム ム [エリヤの昇天]
837 163 | |
836 164 [4] | (北ヨラム(アハブの子ヨラム)の治世 第 12年)@ (*d)
835 165 [6] [5]
834 166 | | *d; 9:29 には北ヨラムの治世第 11年ともある
833 167 | |
832 168 | イ
831 169 | エ
830 170 | フ
829 171 [7] | (イエフの治世 第7年)@
828 172 | |
827 173 | | 1; 北 アハブの子アハズヤ 2年
826 174 ヨ | 2; 北 アハブの子ヨラム 12年 (北ヨラム)
825 175 ア | 3; 南 ヨシャファトの子ヨラム (32) 8年 (南ヨラム)
824 176 シ | 4; 南 ヨラムの子アハズヤ (22) 1年
823 177 ュ | 5; 北 イエフ 28年
822 178 | | 6; 南 アハズヤの母アタルヤ 6年
821 179 | | 7; 南 アハズヤの子ヨアシュ (7) 40年(*e)
820 180 | |
819 181 | | *e; 南 ヨアシュの治世 40年を 38年に短縮した
818 182 | |
817 183 | |
816 184 | |
815 185 | |
814 186 | |
813 187 | |
812 188 | イ
811 189 | エ
810 190 | フ
809 191 | |
808 192 | |
807 193 | [1] (南 ヨアシュの治世 第 23年)@
806 194 | |
805 195 | | 1; 北 イエフの子ヨアハズ 17年(*f)
804 196 | |
803 197 | | *f; 北 ヨアハズの治世17年を15年に短縮した
802 198 | |
801 199 | |
800 200 ヨ ヨ
799 201 ア ア
798 202 シ ハ
797 203 ュ ズ
796 204 | |
795 205 | |
794 206 | |
793 207 | [1] (南 ヨアシュの治世 第 37年)@
792 208 [2] | (北 ヨアシュの治世 第 2年)@
791 209 | |
790 210 | | 1; 北 ヨアハズの子ヨアシュ 16年
789 211 ア | 2; 南 ヨアシュの子アマツヤ (25) 29年
788 212 マ |
787 213 ツ |
786 214 ヤ |
785 215 | ヨ
784 216 | ア [預言者エリシャの死]
783 217 | シ
782 218 | ュ
781 219 | |
780 220 | |
779 221 | |
778 222 | [1] (アマツヤの治世 第 15年)@
777 223 | |
776 224 | | 1; 北 ヨアシュの子ヤロプアム 41年
775 225 | |
774 226 | ヤ
773 227 | ロ
772 228 | ブ
771 229 | ア
770 230 ア ム
769 231 マ U
768 232 ツ |
767 233 ヤ |
766 234 | |
765 235 | |
764 236 [1] | (ヤロプアムUの治世 第15年) (*g)
763 237 | |
762 238 | | 1; 南 アマツヤの子アザルヤ (16) 52年 (*m)
761 239 ア |
760 240 ザ | *g; アマツヤの在位年数 29年 (14:2) と、北ヨアシュの
759 241 ル | 死後15年生きた (14:17) との記述を採用し、
758 242 ヤ | アザルヤの即位年、ヤロプアムUの第 27年(15:1) を
757 243 | | 第 15年に変更した
756 244 | |
755 245 | |
754 246 | |
753 247 | |
752 248 | |
751 249 | |
750 250 | |
749 251 | |
748 252 | ヤ
747 253 | ロ
746 254 | ブ
745 255 ア ア
744 256 ザ ム
743 257 ル U
742 258 ヤ |
741 259 | |
740 260 | |
739 261 | |
738 262 | [1] (アザルヤの治世 第 27年)(*i)
737 263 | [2,3](アザルヤの治世 第 28年)(*j)
736 264 | |
735 265 | | 1; 北 ヤロプアムの子ゼカルヤ 6ヵ月
734 266 ア | 2; 北 ヤベシュの子シャルム 1ヵ月
733 267 ザ メ 3; 北 ガディの子メナヘム 10年
732 268 ル ナ
731 269 ヤ ヘ *i; ヤロプアムUの在位年数 41年を採用した。
730 270 / ム 15章によるとアザルヤの治世第 38年。
729 271 ウ | *j; 15章によるとアザルヤの治世第 39年。
728 272 ジ |
727 273 ヤ [4] (アザルヤの治世 第 38年)(*k)
726 274 | |
725 275 | [5] (アザルヤの治世 第 40年)(*l)
724 276 [6] | (ペカの治世 第 2年)(*m)
723 277 | |
722 278 | | 4; 北 メナヘムの子ペカフヤ 2年
721 279 | | 5; 北 レマルヤの子ペカ 20年
720 280 | | 6; 南 ウジヤの子ヨタム (25)16年
719 281 | |
718 282 ヨ ペ *k; メナヘムの在位年数 10年 (+1) を採用
717 283 タ カ 15章によるとアザルヤの治世第 50年。
716 284 ム | *l; 15章によるとアザルヤの治世第 52年。
715 285 | | *m; 北王の在位年数から計算すると、アザルヤ(ウジヤ)
714 286 | | の在位年数は 39-40年となる。 15章では 52年。
713 287 | |
712 288 | | [アッシリアによる第一次捕囚]
711 289 | |
710 290 | |
709 291 [7] | (ペカの治世 第17年)(*n)
708 292 | |
707 293 ア | 7; 南 ヨタムの子アハズ (20) 16年
706 294 ハ |
705 295 ズ [8] (アハズの治世 第 5年) (*o) (*p)
704 296 | |
703 297 [10] ホ 8; 北 エラの子ホシェア 9年
702 298 | シ
701 299 | ェ *n; 15章によるとヨタムは20年以上在位したことになる。
700 300 | ア
699 301 | | 17章によれば アハズの治世 第 12年。
698 302 ヒ |
697 303 ゼ [9] (北 エラの子ホシェアの治世 第 9年)(*q)
696 304 キ
695 305 ヤ 9; サマリヤ陥落
694 306 |
693 307 | *p;15章によると、エラの子ホシェアがペカを倒したのは
692 308 | ウジヤの子ヨタムの治世第 20年とありヨタムの子アハズ
691 309 | の時代にくいこんでしまう。しかしウジヤの子ヨタム
690 310 | が継続して在位していたとすれば、この年のことになる。
689 311 |
688 312 | *q; 別の資料によると、サマリヤ陥落 BC722-721 とある。
687 313 |
686 314 | [10] (ホシェアの治世 第 3年)
685 315 |
684 316 | 10; アハズの子ヒゼキヤ (25) 29年
683 317 |
682 318 |
681 319 |
680 320 |
679 321 |
678 322 |
677 323 |
676 324 |
675 325 |
674 326 |
673 327 |
672 328 |
671 329 |
670 330 |
669 331 |
668 332 |
667 333 |
666 334 |
665 335 |
664 336 |
663 337 |
662 338 |
661 339 |
660 340 |
659 341 |
658 342 |
657 343 |
656 344
655 345
654 346
653 347
652 348
651 349
650 350
649 351
648 352
647 353
646 354
645 355
644 356
643 357
642 358
641 359
640 360
639 361
638 362
637 363
636 364
635 365
634 366
633 367
632 368
631 369
630 370
629 371
628 372
627 373
626 374
625 375
624 376
623 377
622 378
621 379
620 380
619 381
618 382
617 383
616 384
615 385
614 386
613 387
612 388
611 389
610 390
609 391
608 392
607 393
606 394
605 395
604 396
603 397
602 398
601 399
600 400
599 401
598 402
597 403
596 404
595 405
594 406
593 407
592 408
591 409
590 410
589 411
588 412
587 413
586 414
585 415
584 416
583 417
582 418
581 419
580 420
579 421
578 422
577 423
576 424
575 425
574 426
573 427
572 428
571 429
570 430
569 431
568 432
567 433
566 434
565 435
564 436
563 437
562 438
561 439
560 440
559 441
558 442
557 443
556 444
555 445
554 446
553 447
552 448
551 449

笑顔 (shohgan)のページ
http://www.geocities.jp/shohgan301/bible/resource/kings02.txt
http://www.geocities.jp/shohgan301/bible/kings_table.html





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2018年12月17日

エドガー・ケイシーによるバミューダ・トライアングルの霊視

エドガー・ケイシーによるバミューダ・トライアングルの霊視
アトランティスは長い歳月の経つうちに,世界中のまちまちの場所に位置づけられてきた。
大西洋を始めとして,
エーゲ海,カスピ海,北海,西アフリカ,スペイン,チュニジア,ドイツ,
スウェーデン,サハラ砂漠,アラビア,メキシコ,ユカタン,ベネズエラ,
アドレス諸島,カナリア諸島,マデイラ諸島間寺諸島,ブラジル,
アイルランド,
果てはインド洋に至るまでしばしばその視聴者や研究者の国籍と世界観に左右されながら決められたのである。
バミューダ・トライアングルの西の部分がアトランティスの実在地として名乗りを上げたことが一汎に知れ渡ったのは1968年の遺跡発見以来であるが,これは実に異常なある事態が発見年そのものとともに絡んでいる。
事情と言うのは「眠れる予言者」と呼ばれた心理治療師エドガー・ケイシーのアトランティスに関する予言のことである。
彼は1945年にバージニア州で亡くなったが,そのリーディングは何万と言う信者たちに影響を与え続けている。
生前彼はリーディングを通じて8000人以上の人々に,最初は健康問題から,他の様々な事柄について忠告や助言を与えた。その驚くべき治療方法や心霊力についてはここで述べる必要もないが,ただ例外は彼が行った直接アトランティスとビミニに関する極めて異常な考古学上の予言と思われるものである。
1923年から1944年の間に,弟子はアトランティスに関して何百ものトランス診断を行った。それを与えられたのは,彼の意見とその仕事を引き継いで続けてきた「研究啓発協会(ARE)」の人々の見解によると,前世をアトランティスで送った人たちだった。
トランス状態でないときのケーシーはアトランティスについては何も知らず,無関心で,時折自分がそんなに多くのリーディングの中でそれを言及したことにははっきりと戸惑いさえ示した。しかし1940年6月,彼はアトランティスがビミニ島付近(ケーシーはポセイデイアと呼んだ)に存在していたことをそれまで何度も主張してきたついでに,次のような思いがけない診断を行ったのである。
「ポセイデイアは再隆起するアトランティスの最初の部分になるだろう。それは1968年と1969年,それほど遠い将来のことではない」。
この奇妙な考古学的予言はほとんどそのまま,バハマのおびただしい発見,潮流による構造物の露出,特定地域の海底の隆起の事実によって,的中したわけである。
しかしそれでもわれわれはこれらの発見がケーシーの予言通りに行われたのか,それとも予言されたからそうなったのか,つまりケーシーの予言を読んだ連中が探しに出かけたからではないのか,という疑問に駆られる。事実,最初に水中の構造物ないしは構築物を発見したパイロットたちの中にそういう人もいたのである。
当然予想されるように28年前の予言通り, 1968年に海底に発見されたことでたくさんの連中がアトランティスとその地域についてケーシーに行った他の言及に新しい興味を振り向けるようになった。
もしケーシーのリーディングや古代の伝説が,実際の出来事の記憶に基づいているのならば,科学的に進歩していたその文明の開発になるある種の力が,かつてそれが集中していた地域で今も部分的に働いている可能性を思い描くことができる。
またバミューダ・トライアングルの電磁的・重力的異常は何の痕跡もないほど遥か昔の文明,我々が具体的ではなくただ本能的に記憶をしてるだけの文明からの遺産なのかもしれないと言う可能性を考えることができるのだろう。
数人のバミューダ・トライアングル・ミステリーの研究者は,人類の核兵器開発がかつてこの地球や他の惑星に存在した多くの文明がそうであったように,人類自身の文明の存在を脅かしているのではないか,という可能性に宇宙の知的生命体たちが注目し,あるいは憂慮しているのかもしれない,と主張している。
この惑星上に理性的な人間ー現代人の理性に匹敵するような理性ポテンシャルーが出現してからの時間距離は40000年〜50000年,あるいはそれ以上,過去にさかのぼることができるかもしれない。
したがってもし仮に我々のような文明が, 科学とテクノロジーの点で自分自身の破滅をもたらすポテンシャルを獲得する段階まで進歩するのに要する時間を約10000年とした場合に,我々自身の文明に先立つ文明がもう1つかそれ以上,存在しうるだけの時間はたっぷりあったことになる。
おそらく技術文明の進歩は結果的に偶然にせよ故意にせよ,核分裂に匹敵する力を開発し,この時点でその文明は力の開発のコントロール手段を学ぶか,それとも自らの破滅を招き寄せるか,決断しなければならなくなるであろう。
もしそのような世界文明が存在し自らの破滅を招いて消滅したとしたら,その記録はおそらく,伝説の中に残されたり,制作年代の定かでない時代錯誤的人工物に暗示されたり,あるいはまた確認も解釈も受け付けない巨大な遺跡によって思い起こされたりすることになりそうだ。
そしてそれらの要素が「バミューダトライアングル」海域に沈んでいるそのような番目の遺跡を突き止める手助けとなるのである。
エドガー・ケイシーはアトランティスに関する口述のリーディングの中で,繰り返し我々自身の原子力動力源,
レーザー,
メーザー
等は今日我々が享受しているのと同じ目的で使われていた,と指摘していたようにみえる。そうしたものの利用に関する彼の口述とその乱用の危険に対する彼の主張は,今日ならごく標準的な事実の報告としても新聞の社説として通用しそうなものである。
一体エドガー・ケイシーはどうして35年以上も前にそんなことを知っていたのか?
エドガー・ケイシーはこれらの動力源はかなりかなり詳しく描いた。
それは空中や水中の乗り物を推進する力を産む偉大な発電機であった。それは照明と熱と通信を生み出すことができた。それはラジオ,テレビを動かして,長距離写真撮影に使われた。それはまた,脳を含む組織の改良と若返りに役立つ力を産んで,この点で全社会階級を統制するためにも利用された。
だが自ら開発した自然の力の濫用と,内外の戦争を通じて,アトランティス人はとうとう制御不可能の自然力を解放してしまい,自分自身の破滅をもたらした。
エドガー・ケイシーと世界中の古い文明の伝説とは,この信念の点で一致している。
彼自身の言葉で言えばこうだ。
「人間は破壊的な力を持ち込んだ。
それはあらゆるガスの源,自然の中で作られ,自然のあるがままの存在する力の自然の源が結合し,最悪の噴火がゆっくり冷却する地球の深みから目覚め,後にサルガッソー海と名付けられるものに近いアトランティスのその部分は海中に沈んだ」。
その有史以前の古代の歴史の中で,ケーシーは当時1942年から数年先までその存在を知られていなかったレザーとメーザーをわざわざ予言したように見える。
彼は巨大な水晶動力源を次のように描写した。
「そこに無限と有限を結ぶ連絡手段として,あるいは外部からくる力との連絡をつける手段としてその光は現れた。
後にこれはエネルギーを放射する源を意味するようになって,アトランティス人の活動期間を通じて,放射される活動力の根元として様々な形の移動と力を導いた。
それは水晶として設置されたが,最初そこで使用された時は全く異なる方式で使われた。
これら2つを混同してはならない。なぜならそこには何世代もの隔たりがあるからである。飛行機すなわち旅行機関が導かれるようになったのは,その時期であった。もっとも当時のそれは空も海も海の下も全く同じように旅行したものであるが。しかしそれが導かれる力は,中央の動力ステーションにあった。すなわちツアオイ石のことである。そしてそれが行動するときに乗る光線も」。
別のリビングでは彼は個性で家のある地点,言い換えれば当時が水面上になったバハマ地域についてこう述べた。
そこが光と形と活動力を凝縮した偉大な水晶石の出す原動的な力の貯蔵所で,その力は海上の船だけではなく,空中のそれを導くために使われた。また今日人類に知られる文明の力の多くにも使われた。例えば肉体の伝達に,声の伝達に,例えばテレビジョンと今日呼ばれる振動を作り出すものへの活動の記録に(注:ここで今日と言われるのは1935年のことである)」。
ー謎のバミューダ海域完全版,チャールスバーリッツ著,徳間文庫

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2018年12月15日

バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機

バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機
バミューダ・トライアングルの名は1945年12月5日水曜日,6機の海軍航空機とその乗員が消滅した事件に由来する。
同時に消滅したらしい最初の5つの戦闘機は,その時三角のコースを取るように決めた飛行プランに従って,日課的な訓練飛行を行っていた。
それはフロリダのフォトローダーデール海軍航空基地を飛び立って,東へ160マイル,北へ40マイル飛んでから,南西進路をとって南西へ帰還するというプランであった。
これまで
「悪魔のトライアングル」
「災難の海」
「大西洋の墓場」
などとさまざまに呼ばれてきたものに,新たに
「バミューダ・トライアングル」
という名前が加わった大きな理由は,フォート・ローダーデールを起点とする三角形の飛行プランの頂点が,ぴったりバミューダと一致することが当時注目されたからである。
またバミューダはそれ以前も以後も極めて異常な状況下で船や航空機が消滅する海域の北限にあたるように見えたからでもある。
訓練中の飛行編隊が丸ごと14人しかもその救助に向かった巨大な救助機マーティン・マリナーまで,13人の乗員もろとも不可解な消滅を遂げたこの完全消滅事件ほど,世間の耳目をそばだてたものは後にも先にもない。
フライト19。
それが1945年12月5日の午後,フォトローダーデール基地を離陸したこの部隊の呼び名である。
搭乗員は士官パイロットが5人,下士官兵が9人。後者は各機2人ずつに分けられた。本来ならもう1人のはずなのだが当日その人物が不吉な予感を理由に航空機搭乗任務の免除を希望して,代替要員の派遣されなかったために欠員となったのである。訓練機はネイビーグラマンTBM3型アヴェンジャー爆撃機。各機とも1000マイル以上の飛行に耐えるだけの燃料を積んでいた。
気温は華氏65度。太陽が輝いて,雲はまばらで穏やかな北東の風が吹いていた。当日先に飛んだパイロットの報告では,理想的な飛行日和である。
この飛行の所要時間は2時間と算出された。
午後2時,離陸開始。10分後には全機が空中に舞い上がっていた。
飛行時間2500時間以上の指揮官チャールズ・テイラー中尉は隊機をビミニ北方のチキン浅瀬に誘導した。
そこでまず標的の爆撃訓練を行う予定であった。
パイロットも同乗員もベテランぞろいで,飛行中に異常な事態が発生しそうな気は微塵もなかった。
しかし起こったのである。それまでひどい形で。
午後3時15分,爆撃訓練を終え,隊が東に進んでいる頃,部隊からの帰還予定時刻報告と着陸指示を仰ぐ連絡を待ち受けていたフォート・ローダーデール管制塔の無電手は部隊の隊長からただならぬ報告を受けた。
隊長(チャールズテイラー) 管制塔へ。緊急事態だ。コースを外れたらしい。陸地が見えない。道が見えない。陸地が見えない。
管制塔 現在地はどこだ
隊長 ハッキリしない。どこにいるかもわからないんだ。迷ったらしい。
管制塔 真西を目指せ。
隊長 どっちなのかもわからない。何もかもおかしい。奇妙だ。。。方向がさっぱりわからない。海の様子もいつもと違う。
3時30分ごろ,フォト・ローダーデールの主席飛行教官は飛行実習生の1人パワーズを呼んでいる誰かの通信を傍受した。彼は羅針盤がどうなっているか聞いていたが,パワーズの返信はこうだった。
「どこにいるのかもわからない。。最後にターンして方向を見失ったらしい」。
フライト19の教官を呼ぶと応答があった。
「羅針盤が2つともいかれた。フォートローダーデールを探している。。
フロリダ小島の小島帯の中にいるのは確かであるが,どこにいるのかどの辺なのか全くわからない」。
そこで教官は太陽を左に見ながら北へ飛べば,ローダデールに出られると指示したが,相手は続けて言った。
「たった今小島帯の上を取りすぎた。他に陸地が見えない」。
これは教官の飛行機がフロリダ小島地帯にいるのではないことを示していた。
普通なら小島帯に続いて陸地があるはずなのに,それが見えないというからには,部隊全機が迷ってしまったのである。
フライト19からの連絡は空電のために,次第に聞き取りにくなった。
明らかに向こうではもう管制塔の声が聞き取れないらしいが,管制塔の方では部隊の飛行機同士の会話をかなり傍受できた。
「燃料切れーあと75マイル分しかない」とか,
「時速75マイルの風だ」とか,
「どの機も羅針儀が狂いをきたして,目盛りがまちまちだ」
というふうな会話もあった。その間,フォート・ローダーデールの強力な通信機をもってしても5機とも連絡を取ることができなかったものの,機間の会話だけはかすかに聞こえ続けていた。
その頃すでに基地ではフライト19が非常事態に遭遇したと言う知らせが広がって,てんやわんやの騒ぎになっていた。
敵の攻撃(とはいえ数ヶ月前に第二大戦世界大戦は終戦していたのであるが),あるいは新たな敵の攻撃などあらゆる可能性を考慮したうえで,ツインエンジンのマーティン・マリナー機が13人の乗員を乗せて,ハバナリバー海軍航空基地から救助に飛び立った。
午後4時,管制塔はテイラー中尉が上級海兵隊パイロットのスティーブ大尉に指揮を頼んでいるのを聞いた。
空電で聞き取りにくく,緊張に上ずってはいたが,ちゃんとした通信が彼から届いた。
「現在地がはっきりしない。北東225マイルの地点のはずであるが。。。
もうフロリダを通過してメキシコ湾に来ていなければおかしい。。」。
隊長はまもなくフロリダ上空へ戻れるのではないかと180度方向転換を決意したが,いざターンしみると無電は遠ざかるばかり。
その方向転換が誤りで彼らはフロリダ海岸から公海方面へ東へ飛び始めたようであった。。
報告によればフライト19日の最後の通信は
「我々のいる場所はどうやら。。。」。
だったという。
もっとも
「白い水に突入。。われわれは完全に迷った。」。
などと,もっと詳しく聞いたものもいるらしい。
一方その地点と遭遇する予想される海域に向かってマーティン・マリナーが機の乗員の1人コーム中尉から離陸数分後すぐに
「上空6000フィートは強風状態である」。
と言う連絡がはいった。救助機からの通信はこれが最後であった。
まもなく全捜索隊は遭難したのは5機ではなく6機であるとの緊急連絡を受け取った。救助機までが姿を消してしまったのである。
以後,フライト19からも救助機からも通信は来なかった。
しかし午後7時をまわった頃,マイアミの海軍航空基地は
「FT,FT,,」
というかすかな通信を傍受している。
これは発信者が本当に遭難機だったとすると,この部隊の燃料が切れたと推定される時刻から2時間もあとということになる。
失踪当日に始まった空からの捜索は日暮れとともに中断されたが,沿岸警備隊の部隊による捜索は夜を呈して続けられた。
翌木曜日,朝日のさすのと同時に大規模な捜査活動が開始された。
しかし
航空機249機,空母ソロモンから応援に駆けつけた67機,駆逐艦4隻,潜水艦数隻,沿岸警備隊18隻,
調査艇・救助艇多数,民間機,ボート数百隻,ハバナリバー海軍航空基地のPBM機数機,
バハマ諸島の英国空海軍
からの応援を含めた史上未増の大捜索陣が出動したにもかかわらず何一つ発見されなかったのである。
ー謎のバミューダ海域完全版,チャールスバーリッツ著,徳間文庫

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フライト19



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救助機マーティン・マリナー



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バミューダトライアングル









異次元への通路=魔の三角海域
2008/5/7(水) 午前 6:17
「魔の三角海域」で消えた米軍機、火星に出現?
【大紀元日本7月30日】
最近、インターネットサイトでは第二次世界大戦中にバミューダトライアングルで失踪した米軍の4機の爆撃機が火星の上空で飛行しているとの説が流れている。
米国「世界ニュース週刊」は、
「1995年、米国の天文学者コフント・ロディン博士は自分の発見を公表、火星を観察する際に、第二次世界大戦中に失踪した4機の米国爆撃機が火星上空で列を作って飛行しているのを発見したという」と報じた。
ロディン博士によると、彼はコンピューター制御の天体望遠鏡で火星を観察する際に、長年前に失踪した5機の米軍魚雷型爆撃機のうちの4機が、火星の数キロ高さの空域で列を作って飛行していたのを発見。コンピューター自動追跡機能で撮影した画像を分析した結果、これらの爆撃機の時速は4万キロだという。
同博士は、「飛行機は緊密な列を作って飛行している上、飛行状態は極めて良好。有人操縦の可能性が高い。機体にある米軍のマークもはっきりと見える。これを根拠に、1945年にバミューダで失踪した爆撃機であるのを判断した」と説明していた。
米国政府はこのことについて、コメントを拒否している。スウェーデンの科学者ウェルハム・グレード博士は、「ロディン博士が火星で観測した爆撃機は、旧ソ連が月で発見した飛行機と関連があり、「魔の三角海域」バミューダトライアングルとも関係がある」と見解を示している。
52年前に、第二次世界大戦が終戦直後の1945年12月5日、米国海軍第19爆撃機チームの5機の魚雷型爆撃機は、大西洋を巡回するためにフロリダ州のフォート・ローダーデール(Fort Lauderdale)空軍基地から発った。
この日は快晴だった。
しかし、爆撃機がマイアミ、プエルトリコとバミューダの三つの地点が構成する、いわゆる「魔の三角海域」バミューダトライアングル海域で忽然と消えた。
失踪する前にはまったく救援信号を発しておらず、失踪後もいかなる痕跡を残さなかった。
基地との連絡が中断したのは午後5時。現地の海域を調査するために派遣したPBM巨型水上飛行機も二度と戻らなかった。
失踪してから2時間後の19時4分、フロリダ州の空軍基地は微弱な救援信号「FT…FT…」を受信できた。
そのときには、爆撃機の燃料がすでに完全に使い果たしたはずで、居場所を確定できなかったため、捜索はできずに、5機の爆撃機と乗員が永久に軍の名簿から抹消された。
当時の現地メディアが報道したこの失踪事件
発見当時、ロディン博士は、「自分のこの発見は、旧ソ連が月で米国の爆撃機を見つけた以来の一大天文ニュース」と興奮気味に語った。
1987年3月、旧ソ連は、「衛星スキャン」で、月の上で第二次世界大戦中の米国旧式爆撃機を発見したと公表。
翌年の7月22日、旧ソ連の衛星が再び現地を経由、スキャンするときに、爆撃機の姿がなかった。
公表された衛星写真には機体の米軍マークが鮮明に写っていた。
また、ロディン博士の発見にも、コンピューター写真が証拠として残っている。
科学界からは、捏造ではないかと疑う声があがっているが、同博士は、「私は非難と障害に直面するのを予期していた。
しかし、私は迷わない。自分がなにを見たかははっきりと分かっている。
残念なのは、爆撃機はどうやって地球から宇宙に入り、宇宙でなにをしているのかを判明できないことだ」と話した。
2007年3月13日夜から14日の朝方にかけて、米国海軍のロサンゼルス級攻撃潜水艦San Juanは、この「魔の三角海域」で9時間失踪した。
艦内の乗員らはまったくこのことを知らなかったという。
魔の三角海域で9時間消えた米軍の潜水艦(米海軍サイト)
米国海軍の潜水艦指令センターは声明で、この一件は「空騒ぎ」だったと説明したが、外部からは疑問視する声が浮上。
この「魔の三角海域」では、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000人以上が消息不明となっているという。
その原因について、様々な説があるが、ある学者は、ここは人類と異なる空間に通じる通路と解釈している。
(07/07/30 08:23) http://jp.epochtimes.com/jp/2007/07/html/d26550.html

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/
















世見2016年12月10日
バハマ諸島沖
松原照子氏のスピリチュアル情報
<世見>
2016/12/10
バハマ諸島沖の海底は、実にロマンが広がります。
こんなことを書いたからといって、私自身すぐにはバハマ諸島がどこにあるのかわかりませんし、
冒頭に書いた言葉も自分でわかっているような、わからないような変な気分が残るものの、
興味津津で心の奥が動き始めます。
バハマ諸島沖にいったい何があるのか、心をくすぐるものに素直について行きたくなりました。
「未だに発見されていない寺院あり」こんな声も聞こえます。
「以前発見されたものより大きい」こんな声も聞こえます。
「えぇ! 発見されたんだ」私から出てしまった声。
「バミューダ島からイスパニョラ島の右沖にかけて真実が見える」
「四次元ミステリーゾーン」
いったい何のことなのだろうか?
フロリダ半島は、今日も美しい海とお日様とが仲良くしています
バミューダ海域と云えば“魔の三角地帯”。
私が今年にしたこととの関係はわからないものの、
マヤとの関わりのある何かが、今もあの海のどこかで眠っている気持ちがします。
ただ、多くの遺跡は固い花崗岩ではなく粘土のように軟らかな石だったので、
発見されにくいかもしれません。
もしも陸ならば空気と合体すると固くなるのですが、
海水に長い間浸かっていると細工された部分も消えているとも言われます。
玄武岩 花崗岩 それと粘土のように軟らかい石は、きっと大昔のことを覚えていることでしょう。
そういえば、随分と前に石を集めている方に見せてもらった“コンニャク石”を思い出しました。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/article/444754856.html
























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2018年12月14日

ローマ法王,枢機卿3人を中枢組織から外す

ローマ法王,枢機卿3人を中枢組織から外す
これがホントの「☆信じられないが、本当だ」・5493
2018/12/14(金) 午前 7:01
バチカンでも粛清の嵐が吹き荒れているようでして、ねえ・・( ̄▽ ̄)
ーーーーーーーーーーーーーー
ローマ法王、枢機卿3人を中枢組織から外す
ローマ(CNN) バチカン(ローマ法王庁)は12日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が高齢を理由に枢機卿3人を顧問評議会から外したと発表した。
ただ、3人のうちの2人は世界各地のカトリック教会で発覚した未成年者らへの性的虐待問題への関与もしくは隠蔽(いんぺい)疑惑を抱えている。
同評議会は、法王が2013年に就任した直後に発足させたもので枢機卿8人から構成。教会の組織改革などの方途を検討していた。
バチカンの声明によると、今回除外された3人は
ジョージ・ペル(77)、
ハビエル・エラスリス(85)と
ローラン・モンセングオ・パシンヤ(79)
の各枢機卿。
オーストラリアの警察によると、ペル枢機卿は今年6月、豪州内で過去30年の間に起きていた性的暴行事件で訴追された。
同枢機卿は豪州のカトリック教会で最高位にあるが、訴追を受けバチカンは休職処分に置いた。
枢機卿は身の潔白を唱え、事件は虚偽とも主張している。
カトリック教会のメディアによると、エラスリス枢機卿はチリの首都サンティアゴの大司教に在任時代、聖職者の虐待問題の報告を看過した容疑で地元の検察当局の調べを受けている。
同枢機卿はこの疑惑を否定し、先月には任期切れを理由に顧問評議会から離れると主張していた。
ペル、エラスリス両枢機卿は顧問評議会の創設時のメンバーとなっていた。 (CNNより抜粋)

歴史好きのダボラ吹き


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2018年12月13日

天体情報:ふたご座流星群



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天体情報:ふたご座流星群
1999.12
ついに20世紀最後の月がやってきた。師走である。
そうは言っても師走は本来陰暦12月の呼称であり、現在のグレゴリオ暦による12月とはおよそ1ヶ月のずれがある。
江戸時代泰平の世を騒がせた、赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年12月14日であるが、現行の暦に直すと
1703年1月30日
となる。とは言っても忠臣蔵のこのエピソードは年の終わりの月に起こったこととして定着してしまっている。
いまさら年明けに忠君の行為を偲ぶわけにも行くまい。
さて12月の天文現象といったら、何もさておきふたご座流星群であろう。
夏のペルセウス、正月のしぶんぎと並ぶ三大流星群にかぞえあげられている。
流星が最も見られる極大夜は、
13日夜から14日未明にかけて,及び
14日夜から15日未明にかけて
と予報されている。
ふたご座は冬の星座なので、日没後しばらくしてから放射点のあるふたご座が昇って来て、夜が明けてもふたご座は沈まない。
また冬至にも近く夜の長さが長いことから長時間にわたって流星群の観測をすることができる。
空の暗いところであれば、1時間辺り数十個の流れ星が見られるであろう。
ただ惜しいのは14,15日の夜とも満月後の明るい月が煌々と輝いていることだ。
暗い流れ星は月の明るさにかき消されてしまう。
しかしそれでも明るい流れ星が飛んでくれたら充分に肉眼でも見ることができる。
冬の星座を眺めながら、流れ星の飛ぶのを待つのもいいのではないだろうか。
ただし初冬の夜であるので、そうとう冷え込む。
長時間観測される方は防寒対策は充分行った方がいい。
今年は一昨年、昨年と話題になったしし座流星群も程々の活動が予報されていた。
しかし、極大夜となる11月17日夜から18日未明は天候が悪く、日本ではほとんど観測できなかった。
来年は日本でしし座流星群の大出現が起こると言う説もある。
その準備として今年のふたご座流星群を観測するのもいいと思う。
本格的な観測は、音声のでる時計とテープレコーダを用意し、流れ星が飛んだ時刻と場所、明るさなどを記録し、1時間辺りに飛んだ流れ星の数(HR)を求める。
一人で観測するのもいいが、グループを作って、記録係や観測係と分担を決めて観測するのもよいだろう。
(向井千秋記念子ども科学館 天文担当 栗田和実) 

麦星の部屋
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木枯らしが吹く季節になった。いよいよ冬本番である。
冬は晴天率が高く空気が澄み渡り、星空観察には絶好の季節である。
寒さが辛いのなら室内の灯りを消して窓辺で冬の星座を眺めるのもよい。
ところで冬の星座の一つとして有名なふたご座に放射点を持つ流星群が師走の夜空を彩る。
ふたご座流星群である。
ふたご座流星群の活動は12月5日頃から始まり12月20日頃まで続く。
その期間で一番活発な活動を見せるのが12月14日夜から15日にかけてである。
予報では14日20時頃がピークとされている。
この時間帯を中心に前後数時間、夜空を眺めれば1時間当たり数十個の流れ星を見ることができよう。
できれば外に出て地面にシートを敷き、シュラフニにくるまって天頂付近を眺めたい。
特にしし座流星群を見そこなった人には、是非この機会に流れ星の彩る師走の空を眺めていただきたい。
ところで、流れ星にはその素となる流星物質をばらまく母天体というものがある。
例えばしし座流星群はテンペル・タットル彗星が母天体であるように・・・。
そして大概の流星群の母天体は彗星である。
ところがふたご座流星群の母天体は小惑星のパエトンが母天体と考えられている。
実はこのパエトンはもともとは彗星であったのが、太陽に回帰するたびにチリや氷の粒子を吐き出しきってしまい、
枯れた彗星の核だけが残ったのではないだろうかとも考えられている。
また小惑星名パエトンというのはギリシア神話の太陽神ヘリオスの息子の名前に由来する。
パエトンは自分の父親が太陽神だということを知ると、父親に願い出て1日だけ太陽神の黄金作りの四頭立ての二輪馬車に乗ることを許された。
ところが、いつもとは違う御者に気づいた馬達は暴走を始め、炎をたなびかせながら大空や大地を駆け巡り、山や森や都市までの焼き尽くしていった。
みかねた大神ゼウスはパエトンめがけて雷電を投げ下ろした。
馬車は砕かれパエトンは髪を燃やしながら長い炎を引いて流れ星のようにエリダヌスの川に落ちて死んだという神話が伝わっている。
ふたご座流星群の流れ星はそんなパエトンの火の粉なのであろうか。
(向井千秋記念子ども科学館 天文担当 栗田和実) 

麦星の部屋
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ふたご座
Gemini
属格形 Geminorum
略符 Gem
発音 英語発音: [ˈdʒɛmɨnaɪ]、属格:/ˌdʒɛmɨˈnɒrəm/
象徴 the Twins, Castor & Pollux
概略位置:赤経 7
概略位置:赤緯 +20
正中 2月20日21時
広さ 514平方度 (30位)
主要恒星数 8, 17
バイエル符号/フラムスティード番号を持つ恒星数 80
系外惑星が確認されている恒星数 3
3.0等より明るい恒星数 5
10パーセク以内にある恒星数 1
最輝星 ポルックス(β Gem)(1.14等)
最も近い星 GJ 251;(18.2光年)
メシエ天体数 1
流星群 ふたご座流星群
Rho Geminids
隣接する星座 やまねこ座,ぎょしゃ座,おうし座,オリオン座
いっかくじゅう座,こいぬ座,かに座
ふたご座(双子座、Gemini)は、黄道十二星座の1つ。トレミーの48星座の1つでもある。
β星は、全天21の1等星の1つであり、ポルックスと呼ばれる。
α星カストルは、ポルックスに準じる明るさである。
ポルックスの近く(北西)に位置する。β星(ポルックス)とα星(カストル)と、それにγ星とμ星で、星座はほぼ長方形を形作る。
ふたご座と向かい合う極はいて座である。
冥王星は、δ星のそばで1930年に発見された。

ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%94%E5%BA%A7





1等星のβ星(ポルックス)以外に、α星(カストル)[1]、γ星[2]の2つの2等星がある。
以下の恒星には、国際天文学連合によって正式な固有名が定められている。
α星:カストル[3] (Castor[4]) は、ふたご座で2番目に明るい恒星。
カストルAとカストルB、カストルCの三重連星で、これら3つの星すべてが2つの星から成る連星である。
従って、カストルは6重連星ということになる。カストルBまでは簡易な望遠鏡で見ることができるが、3つめ以上の星を見分けるのは難しい。
通常は3つ(6つ)合わせて2等星として扱われる。
β星:ポルックス[3] (Pollux[4]) は、ふたご座で最も明るい恒星で、全天21の1等星の1つ[5]。
γ星:アルヘナ[3] (Alhena[4]) は、ふたご座で3番目に明るい恒星。
δ星:ワサト[3] (Wasat[4]) は、黄道からわずか0.2度に位置しており、黄道の位置を知る目安となる。
ε星:メブスタ[3] (Mebsuta[4])
ζ星:メクブダ[3] (Mekbuda[4])
η星:プロプス[3] (Propus[4])
μ星:Tejat[4]
ξ星:Alzirr[4]
ο星:積水 (Jishui[4])
星団・星雲・銀河[編集]
M35:散開星団。ふたご座で最も明るい星団・星雲類であり、全天で5番目の大きさの散開星団である。
地球からの距離2,800光年。この星団はふたご座の星座の西の端の近く、η星の北西に位置する。
その他[編集]
ゲミンガ:中性子星と考えられている地球に近いガンマ線源。
流星群[編集]
ふたご座流星群:三大流星群の一つ。カストル付近を放射点とする。
神話[編集]
Sidney Hall - Urania's Mirror - Gemini.jpg
「ディオスクーロイ」、「はくちょう座」、および「アルゴー船」も参照
ギリシア神話の双子ディオスクーロイ(Dioskouroi、ラテン語形:ディオスクリ Dioscuri)が星座になったといわれる。この双子はスパルタ王妃レーダーの息子で、兄のカストールの父はスパルタ王テュンダレオース、弟のポリュデウケース(ラテン語名ポルクス Pollux、一般に、ポルックス)の父は大神ゼウスであったとされる[6]。そのため、ポリュデウケースは不死であった[6]。メッセーネー王アパレウスの双子の息子イーダースとリュンケウスとの争いでカストールが死ぬと、ポリュデウケースはゼウスに二人で不死を分かち合いたいと願った[6]。ゼウスはその願いを受け入れ、二人を天に上げて星座とした[6]。
この2つの星は、ギリシャだけではなく、バビロニア、エジプト、フェニキア、日本でも兄弟として扱われている[7]。
呼称と方言[編集]
日本では、カストルとポルックスをアステリズムと捉える方言が伝わっている。
ガニノメ(蟹の目)のように、この2星を眼に見立てているものが多い。
「ふたご座の方言」も参照

ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%94%E5%BA%A7







冬の星座のラストバッター
ふたご座は冬の星座のラストバッターで、冬の星座としては最後に登場します。
ふたご座を見つけるには冬の星座が出そろった頃、明るい2つの星、カストルとポルックスを目標にすれば簡単に見つけることができます。
この2星を兄弟それぞれの頭とし、胴から足まで星をたどると、仲の良い双子の兄弟の姿がすぐに浮かび上がります。
ふたご座は古い星座で、紀元前1400年頃の古代バビロニア時代には、知恵の神ナブーと最高神マルドゥクの姿とされていました。
またローマ時代には船乗りたちの守り神と考えられていました。
ふたご座はもちろん、トレミーの48星座の一つで、黄道十二星座の一つです。

つるちゃんのプラネタリウム
http://turupura.com/season/winter/gem.htm





双子の兄弟
ふたご座は双子の兄弟、カストルとポルックスを描いたものです。
ふたりは大神ゼウスとスパルタ王妃レダとの間にできた卵から生まれました。
ある時ふたりはアルゴ船に乗り込んで、コルキスへ金毛の牡羊の皮(おひつじ座)を奪え返しに行き、活躍したと伝えられています。
最後には、別の冒険でカストルは弓矢に当たって殺されてしまいます。
仲の良かった兄弟だけに、不死身の体を持つ弟のポルックスは、大神ゼウスに頼んで2人を星座にしてもらったのだそうです。
カストルとポルックス
兄のカストルは2等星のα星です。そして弟のポルックスは1等星のβ星です。
しかし両者の光度差は0.4等ほどですから、さほど違いがあるわけではありません。
しかしよく見ると、カストルの方が少しだけ暗いようです。両星は冬のダイヤモンドを構成する一員となっています。
カストルへ天体望遠鏡を向けると、2.0等星と2.9等星がピッタリとひっついた2重星だとわかります。
ところが、これら2つの星もそれぞれが2重星であることがわかっています。
さらに少し離れたところには、これまた2重星があり、これが先の4重星のまわりを15000年の周期でまわっているそうです。
つまりカストルは6重星だということです。ややこしい星ですね。

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M35散開星団 M35
カストルの足元付近には大きな散開星団のM35があります。
双眼鏡でも星粒が見えるほど大型の散開星団です。
天体望遠鏡では100個くらいの星が見え、散開星団らしさが味わえて迫力満点です。
ふたご座流星群
12月中旬頃に極大をむかえるのはふたご座流星群です。
ふたご座流星群の後には、こぐま座流星群という流星群がありますが、一般の人が流星観測の楽しさを満喫できる流星群としては、
ふたご座流星群が年間を通して最後の流星群となりす。
ふたご座流星群は3大流星群のひとつで、ひと晩に数えることができる流星数ならこの群が一番でしょう。
出現数は1時間あたり50〜60個と多い上に、輻射点がひと晩中見えているので、観測できる流星数が多くなるのも当然です。
この流星群の流星は特徴がないのが特徴かもしれません。
流星が飛ぶ速さは普通ぐらいです。
明るさも平均的ですが、近年は明るい流星が増えているようです。
12月5日頃から活動を始め、12月14日または15日に極大となります。
そして12月20日頃に活動を終えます。
冥王星が発見された星座
1930年にふたご座δ星の近くでトンボーによって冥王星が発見されました。
当時は太陽系で第9番目の惑星発見となりましたが、2006年に冥王星は準惑星の分類に変更されています。

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■第5惑星
フェイトン、ティアマト
火星と木星の間には現在小惑星が無数に存在し、この空域を小惑星帯(アステロイドベルト)とよびます。
小惑星の発見にいたる過程にボーデの法則(法則については尽数関係をご覧下さい)があります。
ボーデの法則は正確にはチチウス・ボーデの法則といい、惑星の平均距離を経験的に示すものです。
ボーデの法則によると太陽系の惑星配置は
1水星、
2金星、
3地球、
4火星、
6木星、
7土星
となっていて、5に相当する位置に空白があります。
単なる数字合わせと考えられていた法則ですが8に相当する位置に天王星が発見され信憑性が高まりました。
1801年5に相当する位置に小惑星ケレスが発見され、さらに続々と小惑星が発見されるにつれ、火星と木星の間にはかつて惑星が存在しなんらかの原因で破壊されたものが破片となっているのだと考える学者があらわれました。この破壊された惑星を「フェイトン」あるいは「ティアマト」とよびます。
現在ある小惑星すべてを集めても月程度の質量しかなく、とても惑星とよべるようなものにはなりません。
小惑星のうち比較的大きなものはすべて発見されていて未発見のものの質量の最大値は予測できています。
本来惑星に成長するはずの微惑星が木星の重力によって惑星になりきれず現在にいたっていると考える学者が多いのですが別の見方も存在します。
地球で見つかる隕石の大部分は小惑星帯を起源にしますが、そのなかに隕鉄があります。
隕鉄は惑星級の天体が一旦溶けて中心部の鉄がゆっくり冷えて固まったものと考えられますが、現在の小惑星では最大のものでも全体が溶けるほどの発熱は考えられず、もっと大きな天体の破片だと考えられるのです。また小惑星ベスタは地球からの観測で表面が破壊されて内部の鉄部分が露出している天体だと考えられています。つまりもっと大きな天体であったものの中心部分である可能性が捨てきれないのです。過去には小惑星帯には複数の原始惑星があり、互いの衝突で破壊され大きな破片は太陽や木星に落ちた可能性は否定できないということになります。
ただし惑星が破壊されたとしても、それは数十億年前の太陽系誕生の頃で、インチキ科学者が指摘するような人類の歴史に影響するような最近の事件であったはずはありません。
■長円軌道惑星
惑星X、アクエリアス、ニビル、ラーメタル
高橋実氏が1975年に「灼熱の氷惑星」(原書房1975)という本を出版しました。
この本では地球には水が多すぎる、水は長円軌道を描く惑星Xからもたらされたと書かれています。
神話や伝説の出来事を惑星Xが地球に接近したことで説明しようとしています。この手の話は
「神話や伝説のなかには事実を記したものがある」
「科学の発達していない古代人は見たものを神や悪魔の仕業と考え子孫に伝承した」
という考えに基づいています。
19世紀ドイツのシュリーマンがギリシャ叙事詩の「イーリアス」や「オデッセイア」を事実と考えトロイ遺跡を発掘したことで、神話や伝承には真実が含まれることは確かになりましたが、逆に神話・伝承の都合の良い部分だけを事実と考え現代風に解釈しようとする人々が増えたのも事実です。
ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」、デニケンの「未来の記憶」、ハンコックの「神々の指紋」などがベストセラーになりましたが、SFとしては面白いのですがどれも科学的説得力はありません。ムーやアトランティスの超古代文明も同様ですし聖書やマハバーラタの記述を科学的?に解釈しようとするものなどこの手のネタには困りません。
惑星X(=アクエリアス(アニメ宇宙戦艦ヤマトに登場する水惑星))
は地球軌道まで侵入してくる長円軌道をもつ惑星で、ニビルは小惑星帯まで侵入する惑星とされていて、いずれも公転周期は数千年です。
あまり長いと歴史上の奇跡や災厄を説明できませんし、近未来に回帰すると言って不安をあおることもできません。
もちろんそのような惑星があれば太陽系を飛び出すボイジャーやパイオニアの軌道に影響し発見されているはずですが、そのような事実はありません。
■超冥王星
ケツァルコアトル、キュピッド、魔王星、霊王星、雷王星
どれも暗く陰気な名前の惑星ですがエセ天文学者やSF作家が勝手につけた名前です。冥王星の外側でほぼ円軌道を描いていると考えられる惑星です。存在するとして1個であるのか複数であるのかはわかりません。現在では超冥王星は存在しないと考える学者が大多数ですが、たった1個の発見がそれまでの常識をくつがえした例は過去に山ほどありますから、超冥王星が存在しないとは言い切れません。
超冥王星が存在するとすれば、エッジワース・カイパーベルト(略してカイパーベルト)とよばれる太陽系外周にある小惑星群に存在するはずです。
カイパーベルト天体はアステロイドベルト天体とは成因が異なり、水を主成分とする天体だと考えられています。
太陽に近づけば彗星になる天体です。
これらの小天体の軌道を調べることによって超冥王星が発見される可能性はありますが、たとえ発見されてもそれは天王星や海王星のようなガス惑星ではなく、氷の星であることでしょう。
1970年代から80年代にかけて軌道傾斜角が90°以上の逆行惑星が想定されたこともありましたが、現在ではパイオニアやボイジャーの軌道からそのような惑星の存在は否定されています。またそのような不安定軌道の惑星級天体があれば内部太陽系の惑星軌道に影響し太陽系が50億年近くも安定して存在できないことが証明されています。
2003年 フランスのグラッドマンらが、100天文単位あたりに火星程度の質量の惑星があると仮定すればカイパーベルト天体の軌道変化を説明できるという説を述べています。
また2008年2月 神戸大学のパトリック・リカフィカ(Patryk Lykawka)博士研究員と向井正教授が、カイパーベルト天体の軌道を説明するためには150億〜260億キロメートルの楕円(だえん)軌道を回る、質量が地球の3〜7割 軌道傾斜角20〜40度の惑星級天体が存在するはずだと発表しました。前述のグラッドマンの説に似ています。
■太陽の伴星
ネメシス
1980年 アメリカのアルヴァレス親子(父ルイスはノーベル賞学者)は、6500万年前の恐竜絶滅は、小惑星か彗星が地球に衝突した結果であるという考えを発表しました。当時は珍説の一つであっただけですが、6500万年前のK−T境界とよばれる地層から高濃度イリジウムが検出されるに及んで天体衝突は事実であることがわかってきました。また偶然、石油探査チームがユカタン半島に6500万年前の巨大クレータ(チチュルブクレーター)を発見しました。
さらに調査をするとK−T境界だけでなくおよそ2600万年周期で大絶滅がおこること、これらの原因が天体衝突によるものだという説が受け入れられるようになりました。2600万年周期を説明するために、考えられたのが太陽の伴星「ネメシス」です。ネメシスは長半径数光年で楕円軌道を描き、2600万年周期で太陽に近づくというものです。太陽に近づいたときでも1光年程度で地球からは観測できない暗さですが、彗星の巣であるオールト雲を乱し、内部太陽系に彗星が無数に飛来し惑星に衝突するというシナリオです。日本に紹介されたのはリチャード・ミューラーの「恐竜はネメシスを見たか」(集英社1987)です。
残念ながらネメシスは太陽から遠く、他の恒星の影響を受け力学的に長期間存在できないことが明らかになっていますので存在しないようです。
セプコフスキーはネメシスではなく、太陽系の銀河面横断周期を2600万年としていますが、彗星の爆撃という点では同様な説をとっています。
2600万年周期自体が存在するのか?(絶滅の記録が正確かどうか、統計上の見かけの周期ということは否定できない) 周期が存在したしても原因が彗星か? と問われれば苦しいのが現状です。
■占星術の惑星
ドラゴンヘッド(ラーフ・羅喉星) ドラゴンテイル(ケートゥ・計都星)
占星術では肉眼で見える5惑星と太陽、月を加えた7個の天体を惑星といいますが、これ以外に2個の惑星を加えて9惑星とするものがあります。
ドラゴンヘッドは黄道と白道(天球上の月の通り道)の交点のうち、白道が南から北へよぎる点、ドラゴンテイルは北から南へよぎる点のことで、両者は天球上の正反対に位置します。月の軌道面と黄道面は約19年周期で交点が東から西へ移動します。つまりドラゴンヘッドやドラゴンテイルは黄道上を移動するので見えない惑星と考えられたのです。
太陽と月がドラゴンヘッドやドラコンテイルを同時に通過すると日食がおこり、180度離れていると月食が起こります。
古代人は日食を月ではなくドラゴンヘッドという見えない惑星が太陽の前を通るのだと考えたのでしょう。
2003.11.20
2008.03.03追補

暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/hiddenplanet/hiddenplanet.html
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html








存在しない惑星
太陽系には惑星が9個あります。
しかしそのすべてが有史以前から知られていたわけではなく、天王星、海王星、冥王星は望遠鏡の発達によって発見されたものです。
また火星と木星の間には小惑星帯(アステロイドベルト)、土星以遠にはエッジワース・カイパーベルト天体が多数発見されるようになってきました。冥王星の地位も惑星とこれらの小天体の間で揺れ動いています。したがって今後も新しく惑星が発見される可能性は残されています。
太陽系の主なものは現在の観測技術でとうに発見されているので、未発見の天体は太陽に近いか太陽の裏側、あるいは超遠方にしかないということになります。
ここでは、過去において存在を仮定された惑星、擬似科学のネタや占星術で登場した惑星、現在もなお探査されている未発見の惑星について調べてみました。
水星より内側の惑星
バルカン
18世紀ハーシェルによって天王星が発見されました。
天王星はおよそ6等級ですから、夜空の暗いところでは肉眼でも存在を確認できるそうです。
その後天王星はガリレオらによって17世紀にも惑星と気づかず観測されていたことがわかり、その軌道が正確に分かりました。
19世紀になり、天王星はその外側に未知の新惑星を仮定しないと運動のズレを説明できなくなり、フランスのルヴェリエとイギリスのアダムズによって新惑星の位置が計算されました。
これが海王星の発見につながったのです。
このようにしてルヴェリエの名声は高まったのですが、彼は水星の近日点が惑星の摂動以上にズレることにも気づき、水星の内側にも未発見の惑星があると考えるようになりました。
この未知の惑星に「バルカン」と名前を付けたのです。
バルカンは太陽に近すぎるため夕方や明け方には観測できないため、内合を待って日面通過を観測しようとする者、皆既日食のとき太陽周辺を捜索しようとする者があとをたちませんでした。
1859年には日面通過、1878年には皆既日食中にバルカンを発見したという報告がありましたが、後に誤報だとわかったりしました。
しかし19世紀中には水星の内側には直径50km以上の天体は存在しないことが明らかになりましたが、水星の軌道変化については説明がついていませんでした。20世紀になりアインシュタインの相対性理論が近日点の移動を説明して一件落着となりました。
1859 レカルボーが日面通過観測
1862 ルミスが日面通過観測
1878 ワトソン、スウィフトが皆既日食中に発見
1880 ニューカムがバルカンの存在を否定
1904 アインシュタイン 相対性理論により水星の近日点移動を説明
反地球
クラリオン、ヤハウェ
惑星は太陽を公転していますが、似たような軌道を描くもう一つの惑星があれば、長い年月の間には両者は衝突するか、どちらもが大きく軌道を変えてしまうことがわかっています。
ところがラグランジュポイントとよばれる軌道は、その位置にある惑星を安定させることができます。
ラグランジュポイントは5個ありますが、そのうち地球と太陽を挟んで正反対のラグランジュポイント(L3)に位置するのが反地球というわけです。
飛鳥あきお氏の本「太陽系第12番惑星ヤハウェ」(学研1996)によれば、NASAは反地球の存在を知っていて隠しているのだそうです。
この惑星を「ヤハウェ」とか「クラリオン」と言うそうです。
NASAの金星探査機は金星探査にかこつけてこの惑星を探査したのだそうです。
飛鳥氏の本の表紙になっているヤハウェとされる写真は、1980年に出版されたカール・セーガン構成の
「コスモス」(TVシリーズ「コスモス」のあと発行された解説本)
で土星の衛星タイタンの模型とされる写真の色を変えたもので明らかに捏造されたものです。
いずれにせよ、反地球が存在すれば、たとえ太陽が邪魔で見えなくとも必ず観測することはできます。
地球軌道は楕円なので反地球が完全に太陽の正反対側に存在することはできませんから、皆既日食があれば見つかるはずです。
また地球近傍を通過する小惑星や彗星の軌道にも重力によって影響を与えますから、見えなくとも存在を知ることは可能で、
そのような観測や計算はアマチュアでもできます。もし反地球が存在すればしし座流星群の軌道も乱され流星は出現しないでしょう。
つまりNASAが存在を隠すようなことはできないのです。当然そのような惑星は存在しません。

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valcan.gif
第5惑星



planetx.gif
長円軌道惑星



nemesis.gif
太陽の伴星






2015/5/11(月) 午後 10:39
マルデクは木星と火星の間にあった大きい惑星でした。
今はセレスとヴェスタを含む小惑星帯になっています。
マルデクに対する核攻撃で、二つの都市がお互いに繰り返し攻撃され三日後に核爆発によってマルデクの中心核は破壊されました。
この大規模な破壊の中で反物質の力が風の神のように広がり、火星の表面を吹き飛ばしました。
火星の海と川の水は重力によって地球軌道に引き付けられ、地球に蓄えられました。
これが始まって終わるまで一年かかりました。
地球の第二の結晶性の月だった月は地球の重力圏から離脱しました。
サナンダ

徹底検索、堀進
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2018年12月12日

佐治芳彦:崑崙山はアララト山,高天原伝説考


高天原「地上」説は,高天原を現在の日本民族を構成した人々の原郷と考える限りにおいて,当然出てくるはずのものである。
だが,それは新井白石が
「神は人なり」
「天は海なり」
と見て,歴史を人間の営みの奇跡と考えるまで,長らく忘れられていた。
新井白石以降,高天原ー祖先の神々が住みたもうた所ーといえども,天空や仮空の存在ではなく,地上の実在であって,ただその位置だけが問題となったのである。
民族学者の丘正雄によると,日本神話は
北方系のタカミムスビ神話と
南方系のイザナギイザナミ神話,それに
土着のアマテラス神話
などの組み合わせによって構成されされているという。
したがって,私たち日本人の祖先の神々のいわば原郷である高天原の原イメージは三通りあることとなる。
まず,
朝鮮半島,
中国東北部(旧満州)
シベリア東方,
モンゴル草原
が北方系の高天原であって,後の高天原天上説もやはり,この系統の神々の子孫が作り上げたものでものである。
南方系つまりイザナギ・イザナミ神話的高天原は
東南アジアから
中央アジア,
西アジア
にいたる地域である。
そしてアマテラステラス神話でいう高天原はむしろ
高「海」原
と言うべきものであって,南海の諸島からマラッカ海峡,アラフラ海,チモール海などを経てベンガル湾,インド洋,アラビア海からペルシャ湾ないし紅海にわたる大海原である。つまり古代航海民の活躍舞台だ。
高天原に対してこの日本列島を
「葦原の中ツ国」
と言う。古代,日本列島の海岸一帯がまだ開拓されず,葦が繁茂していた光景からの名称であって,高天原人(神)のネーミングである。
この葦原の中ツ国は素戔嗚尊命の後継者大国主命が補佐神・少名昆古那神や子の事代主命の協力を得て経営していた。
古代の稲作は水辺や沼沢地,つまり葦などが茂っているところで行なわれていたのだから,葦原の中ツ国は高天原から見れば開拓極めて有望な地域であった。
そこで「記紀」神話でいう「国譲り」の交渉が始まった。
もちろん中ツ国側では譲らなければならない理由などなかったのだから,高天原側からの一方的な要求ということになる。だからその根拠と言えばはっきりしない。
天照大神が
「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂国は,我が御子,正勝吾勝速度日天忍穂耳命の知らず国ぞ」
と勅してアメノオシホミミを天降らせようとしたと古事記にあるだけなのである。つまり葦原の中ツ国は自分の子が治めるべき国だと言う,一方的な宣言だけなのである。
多分この葦原の中ツ国は自分の親・イザナギ・イザナミが生んだ国である。したがって自分の子がこの中ツ国を治めるのが正当なのかというのが根拠と言えば根拠だろう。
だが記紀この部分を読めば,葦原の中ツ国に対する高天原の野望はアマテラスと言うよりは高木神ことたカミムスビノカミが主導的だったことが,はっきりしている。
ともあれアメノホシホミミはアマテラスの勅を奉じて天降ろうとして「天の浮橋」に立ったものの,
「豊葦原の千秋長葦原五百秋の瑞穂の国いたく騒ぎてあり」
と述べ降臨を中止した。おそらくは葦原の中ツ国の抵抗を察知したのであろう。
三輪山信仰の祭祀であったオオタタネコが選んだとされる「秀真伝」という「古史古伝」がある。その15章に
「西の国玄圃積国」
という地名が出てくるが,これは中国の伝説の国で
「天帝のいるところ」
ということになっている。
ところが秀真伝では天祖クニトコタチノミコトの8人の子(トホカミエヒタメの8神)がそれぞれ8つの地域の王として降臨した際に,第三皇子が芝居したのが,この玄圃積国を含む赤県州となっている。
玄圃積国という名はその地には中国で最も貴重とされている「玉」が一面に散らばっている事からきたものである。それで崑崙山だともいわれている。そこには中国の伝説的女神「西王母」が住んでいたともされている。
歴史時代には,確かに現在の地図上の崑崙山ではあるが,西王母伝説自体が,さかのぼればさかのぼる程「西」の方になる。そして結局はコーカサス山脈の仙境の女王アルテミスと同一視されるに至る。コーカサス山脈のアララト山(ノアの方舟が漂着した山)が崑崙山というわけだ。
古代に赤県州を支配していたトヨクンヌの妃となったという西王母は,はるかアララト山から嫁いできたということになる。
これはまた,西王母という名前で中国で呼ばれている神仙の女王は,コーカサス山麓の高天原から中国大陸の中ツ国へ降臨したということになるが,これはやはり中ツ国移動の一駒であろう。
中国の伝説は崑崙の「玉」にウェイトを置いたために,彼女をいわゆる地図上の崑崙山脈の女王とみなしたのかもしれない。
さて「宮下文書」の真郡州以前の本拠(中ツ国)はおそらくこのコーカサスから下ったチグリス・ユーフラテス両河地方だろうが,もしかしたらエジプトであったかもしれない。
というのも天之御中世の神皇の五代以降の諱は四代を除き全て「農」がつくし,特に五代神皇は
「神農比古」
という。中国伝説の神農氏は
「牛首人神」
の神であってこれは古代エジプトの農業神を連想させるからである。
ー日本国成立の謎,佐治芳彦,ラクダブックス,1988年

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CHH:人間のゲノムの約90%はアヌンナキの操作を受けていると考えています。
ただ、幸運にも人間の事を思ったアヌンナキ−
二メア(Ninmah)、
エンキ(Enki)、
ヘルメス(Ningishzidda/Hermes)
が、我々に考える余地を与えてくれた。
シュメールのタブレットには、最初の人間たちが学んだ、聖職・管理など、科学・社会的ノウハウが記録されている。
そして、非常に早い時代(前洪積期)に、二メアは彼女の都市シュルパク(Shuruppak)にAdam/Adapa、Noah/Ziusudraなど10人の地球人に王位(女王,家来)を与えて統治させている

夢日記
http://datasea.seesaa.net/article/452472402.html






その一つ「エタナ叙事詩」にはこう記録されている。
「運命を決める偉大なアヌンナキは,地上世界について意見をたたかわせた。
彼らは地上を四つの領域に分け,居住地を設けて監督に当たったが,人間から見ればそれはあまりにも恐れ多いことであった」。
この四領域のどれを誰が統治するかについて,エンリル家とエア家の間でくじ引きが行われた。
その結果,アジアとヨーロッパはエンリルとその子孫に,アフリカはエアとその子孫に与えられることになった。
「第一領域」はメソポタミアと周辺地域で,
山地(エラム,アッシリア,ペルシア)エンリルの息子ニヌルタに,
平地(メソポタミア南部からシナイ半島まで)は次子ナンナル(アッカド名シン)に,
北西部地方と小アジア,地中海諸島は末子イシュクル(アッカド名・アダド)に
それぞれ割り当てられた。
この領域からはシュメールから始まるメソポタミア文明,地中海文明,さらにはギリシャ文明が興隆した。
「第二領域」はアフリカ大陸で,ここを与えられたエアはやはり細分して息子たちに割り当てた。
この領域の中心文明をナイル河流域に起こしたラーというエジプト名の神はおそらくその一人である。
「第三領域」はインド・アジア大陸で,ここにもシュメールに約1000年遅れてインダス文明が栄えていたことが,50年ほど前に発見された。
その中心地ハラッパでは男神ではなく女神が崇拝されていた証拠があるが,この文明の残したインダス文字がまだ解読できないので,
何という名前の女神だったのかはわからない。
しかし私の結論ではおそらく,シン神の娘でシュメール人がイルニニ(強く甘い香りの婦人)と呼んだ女神,つまりアッカド名を
「イシュタル」
という女神こそその人であろう。
なぜならシュメール文献ではこの女神の支配地は「アラッタ」と呼ばれる遠い地域で,そこは穀物の豊かな穀倉地帯だったとされるが,「ハラッパ」もその通りの土地であったからである。
「第四領域」は人間の為ではなく神々専用の特別地帯として設けられた。
許可がない限り立ち入りできない神聖な地域とされるその一帯を,シュメール人は「ティムル・シン」と呼んだ。
その最も重要な施設の管理責任はやはりシンの息子のウトゥ(アッカド名シャマシュ)に任された。
つまり新宇宙港のことである。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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<高天原はスバルである>
<太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきた>
・本書の「陰陽歴史論」とは、高天原の昴(スバル)系の氏族とアースガルトやアガルタの地底系氏族という
“陰と陽”の二系統の血脈の関わり、
抗争の中で歴史は動いてきたのであり、それが歴史の真相であったことからつけたものである。
・さらにこの“陰陽”の二系列は
地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られ、
後者はさらに親高天原と反高天原に分かれた。
<スバル、北極星、オリオンの三位一体>
・これまでわが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)や
キリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたり、
セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきた。
・なおヤペテ系氏族はスバルと同じ牡牛座のアルデバラン(ヒアデス星団の赤星)信仰と考えられる。
・この地底世界の実体は不明だが、
一部にはプラズマ亜空間説が出されている。
空間が歪曲して異空間へとつながっているという説明もあり地底世界というより、別次元の世界と考えられる。
・厳密にはアガルタとシャンバラを区別しなければならないようである。
つまり、ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである。
・藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、
物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。
・このヤペテ、ハム対セムの対立は天界で天の父なる神に反抗した堕天使に対して
ヤハウェ(またはミカエル)が天使の三分の二を率いて天の父なる神の側につき、
堕天使とそれに従った三分の一の天使を地底世界に落とした事に遡る。
セム系対ハム系、ヤペテ系の対立で、
後者がヤハウェ側と天使側の半分ずつに分かれたことで、三分の二対三分の一となる。
・セム系民族はエンキの北極星、北斗七星信仰、ハム系民族はエンリルのオリオン信仰であった。
・我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、
つまりバールやミトラを祭祀し、
その系列神を祭神とした物部氏の神社で、
オリオン信仰であり、ハム系の神々を祀ったものであった。
・イザナギの黄泉の国訪問譚はギリシア神話のオルペウスの話がモデルで、
途中で約束を破って振り返って見たため永久に妻を失ったエピソードなど同一のものである。
なお、イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)である。
・大伴氏と物部氏は天皇家をはさんで、
セム系とハム系の陰陽の関係にあり、
東日本を大伴氏、西日本を物部氏が支配したが、本来は対立関係にあった。
・ハムもセムもノアの子としてアースガルト、アガルタ、シャンバラという地底に起源をもつが、
北欧神話などを読むとセム系とハム系の住む領域も異なり(シャンバラはセム系の世界)、
元々は対立していたのが、セム系がハム系に服属して和解したことになっている。
・シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。
セム系は北極星、北斗七星信仰で、
ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされている。
・セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。
ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、
聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔として避難している。
・この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、
天皇家を間において対立・抗争してきたのが日本の歴史で、
しかもそれは国民の一割前後の民族の抗争であったとするのが本書である。
<天孫降臨の地は飛騨である>
・スワティカ(卍)は、もともと宇宙エネルギー発動の神聖な表現である。
・北欧神話のアースガルトがインド神話のアガルタという地底世界への信仰を有するトゥーレ協会という
一種の秘密結社で、ヒトラー自身が、その地底世界を求め探検隊をチベットに送ったり、
そこで知りえたものと思われる。
・ナチスとアガルタの結びつきについては多くの人が論じている。
有名なスウィフトの『ガリバー旅行記』もケルトによる地下世界探検譚を集めて書かれたものである。
『宇宙戦争』{ソリトンの鍵}
光悠・白峰     明窓出版   2006/5
<エイリアンが、地球で行う生体実験・・・それは、宇宙戦争の歴史のカルマの清算と修復である>
<源氏と平家―両極を動かす相似象とは>
・日本でもこれと相似象のことがけっこうあるのですよ。
その最もたるものが、源氏と平家の争いですが、
源氏はオリオンの系列で、平家はプレアデスの系列なのです。
源氏と平家の発祥は違いますが、
平家は西国が多いですね、
源氏は東国が多いでしょう。
広島の安芸の宮島には海底遺跡があったそうです。
あの辺は超古代にプレアデス星人の宇宙基地があったと言われています。
・そして、源氏の旗は白で、平家は赤。
日本の国旗は白と赤でしょう。
だから、日本民族の星の起源を遡ると、オリオン系とプレアデス系ということになります。
・この二大勢力は地球の古代の歴史上ではアトランティスとレムリアで、
日本では源氏と平家です。
神の世界でいえば、イザナギ、イザナミになるかもしれません。
すなわち、物を大事にする方、精神を大事にする方という、
両極のものが、歴史を動かしてきたのです。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1094.html






歴史情報
シュメール神話の大洪水!
2016/3/23(水) 午前 6:38 ♡古代史・神話♡ 練習用
シュメール神話の大洪水!
シュメール神話を一躍有名にしたのは、ゼカリア・シッチンの「宇宙人アヌンナキ」説だけではない。
それ以前にも、一大センセーションを巻き起こしている。それは、「ギルガメシュ叙事詩」が発掘されたときだ。ギルガメシュというのは、シュメール神話で大活躍する、世界最初の英雄のこと (後に日本では、Hな深夜番組のタイトルとして有名になったが・・・)。この叙事詩の中に、かの有名な「賢人ウトナピシュティム」のエピソードが登場する。
「人は、いつか死ぬ。当分の間、自分の番ではないとは言うものの・・・」
と考え込んでしまった、無敵の英雄・ギルガメシュ。悩んだあげく、「不死の人」という評判の賢人ウトナピシュティムを訪ね、教えを乞うことにした。遠路はるばる訪れた英雄に、賢人は「大洪水」の思い出を語る。
>神々が大洪水を起こすことを企むが、エア神(註:人類創造者のエンキ神と同一の存在)は、大洪水がやってくる機密を葦屋に向かって、壁に向かって漏洩した。ことの次第を悟ったウトナピシュティムは、船をつくって家族・親族や動物などを乗り込ませた。
>嵐がやってきて、大洪水が起こり、あまりの凄まじさに神々さえも恐れおののいた。七日目にようやく大洪水が引いた。船はニムシュの山に漂着する。最初はハト、次にはツバメを放つが戻ってきた。最後にカラスを放つが、戻ってこなかった。
>ウトナピシュティムは神々に犠牲をささげた。犠牲の匂いによって、エンリル神は大洪水を逃れた人間がいたことを知って立腹するも、エア神のとりなしが功を奏した。エンリル神は、ウトナピシュティムとその妻を神々の如くし、はるか遠くの河口に住むよう命じた。
何から何まで、旧約聖書でおなじみの「ノアの箱船」のストーリーとほぼ同じ。粘土板に刻み込まれたシュメール神話は、旧約聖書よりも、はるかに古い。こちらがオリジナル・ストーリーなのは明らかで、欧米人の聖書観に大きな変更を迫ることになった。
旧約聖書の場合は、唯一神ヤハウェが、人類を創造してみたり、その人類を大洪水で滅ぼそうとしてみたり、その一方ではノアに箱船を作らせて生き残らせてみたり・・・と、矛盾する行動をとって、解けないナゾを残している。
でも、オリジナル・ストーリーであるシュメール神話を見れば、その疑問は氷解する。いわく、人類を創造したのは、エンキ神だ。でも、最高神エンリルは、騒がしい人類を快く思わず、大洪水を起こして滅ぼそうとした。エンキ神は、「神々の会議」で決定された大洪水に、表立っては異論を唱えなかったが、カゲで賢人ウトナピシュティムに箱船を作らせ、ひっそりと生き残らせた。エンリル神はそれを知って激怒したが、時すでに遅し・・・。
これを見れば、旧約聖書における神様の矛盾した行動は、「エンリルとエンキ」という、2柱の神様の対立した言動を、むりやり「唯一神ヤハウェ」にまとめたことから生じたものであるということが理解できる。
この「大洪水」のストーリーは、シッチン氏に言わせれば、「氷河期が終わって、南極の氷が溶けたときの話」ということになる。人類はほとんど絶滅したが、一部の人類が生き残って、新しい時代を作った。それが、現代のわれわれにつながっている。このとき、「人類を創成した宇宙人」たちは、大洪水でメチャメチャになった地球を見捨てて、彼らの母星・ニビルへと帰っていった・・・。
その真偽は、誰にも分からない。もっとも、シュメールが、わざわざ「南極の氷」が溶けるまでもなく、もともと洪水が多い地域なのは確かだ。シッチン説に水を差すつもりはないのだが・・・(笑)
ゼカリア・シッチンの「宇宙人アヌンナキ」説に、突っ込みどころが満載なのは事実だ。でも、だからといって否定したり、無視したりできるものではない。実際のところ、世界的に多くのチャネラーやスピリチュアリスト達から、この説は、(条件つきながら)支持されている。ダリル・アンカ氏がチャネリングする「バシャール」も、シッチン説をおおむね肯定している。ただし、バシャールによれば、「惑星ニビル」は、天然の惑星ではなく、人工物なのだ・・・ということだ。あの坂本政道氏も、高次の知的存在から、「シッチンの説は、当たらずと言えども遠からずだ」と告げられたという。
確かに、なんらかの存在が、人類に遺伝子操作して進化を促進したという可能性は、大いにありうる。それも、人類を彼らの奴隷として、コキ使うために・・・(?)。
なんといっても、人類最古の文明の発祥地が残した、世界最初の神話・伝説。それだけに、なんらかの意味で、人類誕生の秘密を伝えている可能性は否定できない。それこそ、かつて「プリズム・オブ・リラ」の編著者が述べたように、「これを事実と受け取るのも、なんらかの象徴的なストーリーと見るのも、読者の自由である」ということだろう。
船井幸雄氏は、「この遺伝子操作により、地球人類はエゴが強くなり、エゴの文明が始まった」と言っている。もっとも、どちらにしても、現代のわれわれにとっては、いまさらどうしようもないことではあるのだが・・・(笑)。
(引用部分は、中公新書『シュメル神話の世界』より)
真実かどうかは解らないけど、興味深い神話のエピソードですね♪

麗奈の日だまりVol-1 Dream and Vision
http://blogs.yahoo.co.jp/ayanoreina/13493913.html



posted by datasea at 01:46| Comment(0) | ◉ シュメール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

遺跡情報,高野山/景教碑

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高野山/景教碑

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高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文





景教碑の謎  
高野山/一の橋から 奥の院参道に入ってすぐに2手に分かれている道を右の方にまっすぐ進むと青い
「弘法大師夢のお告歌碑」
が見えてきます。
この歌碑を左に進むと見えてくる漢文の碑が 
景教碑
と呼ばれる石碑です。
現在中国、西安市の博物館に保存されている
「大秦景教流行中国碑」 
のレプリカ(複製品)です。
オリジナルは西暦781年、唐の都・長安の大秦寺に建立され、1623年西安で土中より発掘されました。
碑には何が書かれているのか?
中国に伝わったキリスト教の 一派 景教の歴史が刻まれています。
約1900字の漢字と一部シリア語で、
旧約聖書にある天地創造、
アダムとイブ、
キリスト誕生
など
景教の教義と唐のへの伝来、
太宗の時代から147年間におよぶ景教の中国での発展の歴史、
60余人の宣教師名
などが書いてあります。

もっと高野山
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyou-2.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/mottto.htm
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大秦景教流行中国碑全訳 
高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文

もっと高野山
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景教とは
一般的には 西暦431年の宗教会議において異端の烙印を押された
キリスト教、ネストリウスの一派
がローマを追われた後、シリア、ペルシャを経て、シルクロードの各地にその教えを広め、
635年中国まで伝わった時に景教と呼ばれたと考えられています。
中国景教はその後、皇帝による保護と圧迫を繰り返し、玄宗皇帝の時代には再度盛んになり、唐末に衰退、モンゴルの興隆と共に発展。
そして元とともに衰退しました。
高野山の景教碑
高野山に景教碑のレプリカを建てたのはE.A.ゴルドン夫人という女性です。
1851年イングランドに生れ、日本の文化を愛し、様々な日本を援助する活動を行いました。 
また日本に長期間滞在し、仏教の研究をしました。 
仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えが夫人の研究テーマでした。
「大秦景教流行中国碑」の複製を高野山に建てたのも、その研究の一環で、夫人は唐で学んだ弘法大師が景教にも関係を持っていたと信じていたようです。
京都で亡くなった夫人の葬儀は京都東寺で仏式によって行なわれ、その墓は高野山、景教碑の隣に建てられました。
弘法大師と景教の関係についてインターネットをさ迷い歩き調べてみたのですが、はっきりした事実や証拠は見つかりませんでした。
しかし 背景から推測すると
大師が留学していた当時の唐の都、長安では西方から伝わった
マニ教 
ユダヤ教 
ゾロアスター教
などさなざまな宗教が伝わっていました。 
大師の滞在した寺は大泰寺にも近く、好奇心旺盛かつ求道の人、空海の事だから当然、景教を始め他宗教も研究したはずだ。 
とも想像できます。 
また 景教碑の文を起草した 
ペルシャ僧、景浄
という人物は,大師が唐でサンスクリットを学んだインド僧 
般若三蔵
が胡語で書かれた仏典の漢訳を行った時協力したことがあり,三蔵から景教について聞いていたとしても不思議ではありません。
(ただし 景浄と三蔵は翻訳をめぐって意見が合わず仲が悪かったそうですが)
大文字五山の送り火 
は景教徒の習慣を弘法大師が伝えたと主張するサイトがありました。
調べてみると確かに大文字の起源の一つに弘法大師説がありましたが景教との関係は不明です。  
京都新発見 大文字五山の送り火のナゾ 
景教碑について調べていると次々に新しい謎が生まれてきます
高野山の話題とは離れますので景教に興味のある方だけご覧下さい
続 景教碑の謎

もっと高野山
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続 景教碑の謎   
景教碑は不思議な謎の世界に我々を誘い込んでゆく。 
まるで異次元への扉のようです 
インターネットでは  様々なサイトで 興味深い話題 が提供されています。
いくつかのサイトで提供される 話題には いわゆる トンデモ説、あるいはファンタジーと思われるものも多く注意が必要です。 
しかしこれらは本当の真実を探す一つのヒントなのかもしれません。
景教を巡る謎の世界あまりにも広く 深く 遠く 素人である管理人には何が真実なのか判定するだけの知識はありません。
ここでは、出来るだけ話題を整理して紹介すること。 
(殆ど景教リンク集になっています)
そして自分なりの 感想や空想 (妄想?) を提供できればと思っています。
景教博士と呼ばれた佐伯好朗博士が1908年に発表した
[太秦を論ず」
において 世間を驚かせる説を唱えました。  
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
です。
秦氏一族は 4〜5世紀ごろ朝鮮半島からやってきた渡来人 
5世紀半ばごろには京都に定住するようになり、平安京遷都に尽力しました。 
一説には平安京は秦氏の資金と技術によって造営されたとも言われています。
彼らは養蚕を伝え、高度な金属鋳造や土木技術を持っており 巨大墳墓の造営や治水に力を発揮したと言われています。
しかし 歴史の表舞台にはほとんど登場せず謎の一族となっています。
佐伯博士は 京都にある秦氏の寺、太秦(うずまさ)寺をめぐる ユダヤとの関連を思わせる数々の事実から 
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
を唱えました。  
さて古代の日本にユダヤ人が来ていたとするとどういう人たちなのか?
ということから登場するのが 旧約聖書にある 消えたイスラエルの十部族です
ユダヤ人の王国はダビデの息子ソロモンの時頂点を極めましたが、その後分裂し
サマリアを首都した「北イスラエル王国」
とエルサレムを首都にする「南ユダ王国」
を建国します。
北王国は、前722年アッシリア帝国により、滅亡し十部族はアッシリアに連行され捕囚されます。
南王国も前587年新バビロニア帝国によって滅亡し、バビロン捕囚となります。前538年ペルシャ帝国により新バビロニアは滅亡、
バビロンにいた南王国の二部族は解放され、こぞって帰還しました。 
しかし既にアッシリア帝国は滅亡していたにもかかわらず北王国の十部族は帰還せず、歴史の表舞台から消えたのでした 。 
さて この十部族のゆくえについて世界中でさまざまな探求がなされましたが、十部族の一部がシル
クロードを経由し日本に到達し日本人の先祖の一つとなったという説が  
「日ユ同祖論」
です。
しかし このようにキリスト生誕の500年も前に姿を消した十部族が4〜5世紀になって登場するという説にはかなり無理があると思います。
フィクション仕立てのストーリーで読みやすく、比較的客観的に秦氏や十部族の謎を整理しているサイトです。
秦氏のルーツについては 色々な説があります。
中央アジアの弓月国から来たとか 、
朝鮮半島の百済または新羅,
泰の始皇帝の子孫 
であるとか様々です。 
弓月(クンユエ)という国は
現在のカザフスタン南部、
アルマトイを含むバルハシ湖より南,
キルギスのあたり,
あるいはホータン
と言われています。
いずれにせよ 最終的には弓月君に率いられた120県(あがた)の泰氏が朝鮮半島から日本に渡って来た訳ですが、その背景には半島の複雑な勢力関係が有るようです
宗教に関して、
八幡神社 
稲荷神社 
など 多くの神社信仰は秦氏が持ち込んだものと言われています。
その上 多くの仏教寺の創建にも関わり、景教徒説も有るとなると,秦氏はさながら宗教の総合商社の観があります。
さて景教とはいったい何だったのか? 
一般的には 景教といえは 一般には ローマ教会から異端とされたネストリウス派がシルクロードを経由して中国まで伝道の足跡を残したと言われます。
しかし景教がネストリウス派という1つのグループの教義が中国まで伝えられたとするには多くの疑問があるようです。
シルクロードの遺跡から発見された漢訳の景教経典でも景教碑の碑文にも見られるのはかなり,本来のキリスト教とはかなり違った教義だと言われています。
景教碑には漢字と共にシリア文字が刻まれています。
シリア語とはアラム語の一方言でした
アラム語とは 古代の西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉です。
イエスもこの言葉を話していましたし、ガンダーラ地域、現在のパキスタンやインドにもアラム語の石碑が残っています。
また シリアとは 広くは現在のシリアだけではなくレバノン、ヨルダン イスラエルを含む地域です。 
それに加え,イラクイランを含むペルシャ帝国の版図でもアラム語は広く使われました。
シリア教会はイエスの死後まもなく、12使徒の時代に設立されその歴史はローマ教会より古く長い歴史の荒波を生き抜いて現在もシリア正教会として存在しています。
そして今も典礼にアラム語を使っているのです。
エフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派は シリアに逃れシリア教会と合流しました。
その後シリア教会もローマから追われ分裂や拡散の複雑な歴史をたどります。
分裂した一方の西シリア教会の拠点はアンティオキアから近東の各地を転々とし、現在のシリア正教として存続しています。
ネストリウス派の合流した東シリア教会はペルシャ領内に逃れ、ここを拠点に東への布教を継続して行っていたようです。
『大秦景教流行中国碑』
によれば,景教の宣教師 阿羅本は635年中国に到着、宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った、とあります。  
初めて訪れた異国の宣教師が国賓並みに迎えられる事は普通考えられない事です。
景教を支持する人々がすでに多数中国に存在し、中国側の支配層に、よほど周到な根回しをしていたと推測されます。 
このような事が出来るのはだれかを考えると、胡人と呼ばれていたソグド商人達が思い浮かびます。 
景教とは 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派であった。  
というのが管理人の想像です。
しかし 755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された後も 唐で盛んに活動を続けている事から考えるとこれは的外れかも知れません。
いずれにせよ 異端となってまで自分達の考えをに守ろうとしたネストリウス派の行動から考えると教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教とが 同一であるとは思えません。
景教碑が建立された後 中国においては景教は衰退しましたが、その後モンゴル帝国において再び盛んになった事が知られています。

もっと高野山
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景教碑のかたわらに建てられたゴルドン夫人の墓 

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「イエゴードン夫人の墓」と読める 







■思想,ミトラ教,
アラム語:シリア語とはアラム語の一方言でした
[景教(ミトラ教)] AD635年,中国まで伝わった時に景教と呼ばれた
[景教(ミトラ教)] AD8C,景教,中国景教として定着
[景教(ミトラ教)] AD9C,シリア教会分裂>>西シリア教会は近東各地転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教>>現在のシリア正教として存続
シリア教会:イエスの死後まもなく設立>>長い歴史の荒波を生き抜く>>現在もシリア正教会として存在
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
アラム語:アラム語とは古代西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉
アラム語:イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
シリア教会:イエスの死後まもなく,12使徒の時代にシリア教会設立
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
[景教(ミトラ教)] AD3C,景教(ミトラ教):ローマ帝国下,イスラエルの月暦>>>太陽暦(エジプト太陽神崇拝,ミトラ崇拝,バベルの塔を建てたニコデモを起源)
[景教(ミトラ教)] AD325,ニカイア信条,キリスト教会は神と主イエスの教えに従わずローマ皇帝の命令に従う道を選択した
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は異端となってまで自分達の考えをに守ろうとした
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>アジア各地で宣教
[景教(ミトラ教)] AD431, キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>シリアに逃れシリア教会と合流>>
[景教(ミトラ教)] AD431年のエフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派はローマ追放
[景教(ミトラ教)] AD6C,ネストリウス一派はシリアに逃れシリア教会と合流>>シリア教会もローマから追われ分裂
[景教(ミトラ教)] AD4〜5C,景教(ネストリウス派)に改宗したユダヤ人のグループ秦氏一族が2万人も大挙して日本にやってきた
[景教(ミトラ教)] AD4〜6世紀にかけて中央アジアの弓月国からきた原始キリスト教徒の秦氏による古代イスラエル,キリスト教文明
[景教(ミトラ教)] AD6C,シリア教会分裂>>分裂した一方の西シリア教会は近東各地を転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教の宣教師阿羅本は635年中国到着,宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った 大秦景教流行中国碑
[景教(ミトラ教)] 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派 SilkRoad2215   
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:景教支持者がすでに多数中国に存在し根回しをしていた SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:胡人/ソグド商人達が根回し?? SilkRoad2215 
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:初めて訪れた異国の宣教師が国賓並に迎えられる事は普通ない SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された
[景教(ミトラ教)] AD9C,玄宗皇帝の時代には再度盛ん
[景教(ミトラ教)] AD9C,ソグド人安録山の反乱(安史の乱)後も景教は唐で盛んに活動
[景教(ミトラ教)] AD9C,教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海が留学していた当時の唐の都,長安では西方から伝わったマニ教,ユダヤ教,ゾロアスター教などさなざまな宗教が伝わっていた。 
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海の滞在した寺は大泰寺にも近く,好奇心旺盛の人だから当然景教を始め他宗教も研究したはず
[景教(ミトラ教)] AD9C,唐末に衰退,モンゴルの興隆と共に発展。
[景教(ミトラ教)] AD11C,その後モンゴル帝国において再び盛んになった
[景教(ミトラ教)] AD11C,中国においては景教は衰退
[景教(ミトラ教)] AD13C,元とともに衰退
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考え
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,様々な日本を援助する活動
[中国景教(ミトラ教)] AD1851時代,E.A.ゴルドン夫人という女性が高野山に景教碑のレプリカ「大秦景教流行中国碑」を建てた
[中国景教(ミトラ教)] 唐で学んだ空海が景教にも関係を持っていた E.A.ゴルドン夫人
シリア教会:その歴史はローマ教会より古い
シリア教会:今も典礼にアラム語を使う,イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn

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