2018年11月08日

洪水伝説と鳩・燕・烏の三つ鳥居

洪水伝説と鳩・燕・烏の三つ鳥居
ノアの洪水伝説の原型であるシュメール・アッカドの
『ギルガメシュ叙事詩』
は、アッシリア語版・古バビロニア語版・ヒッタイト語版・フルリ語版なども発見されている。
『ギルガメシュ叙事詩』の〔第十一の書板〕で、ギルガメシュは永遠の生命を得たというウトナピシュテムに出会い、
ウトナピシュテムの口から大洪水の物語が語られる。
ウトナピシュテムはシュメールの都市国家のシュルバックに住んでいたが、シュメールの神々は洪水によって町を滅ぼすことを決定した。
エア神(エンキ神)はウトナピシュテムに方舟を造って一族や動物たちとともに乗り込むように命じ、その通りに事は運ばれる。大洪水は六日六晩荒れ狂い、方舟はニシル山に漂着した。ウトナピシュテムは鳩・燕・大烏を順に放して、大烏が帰ってこなかったことから、水が引いたことを知って、方舟から出て神々に感謝した。神々の間でエア神がウトナピシュテム一族を助けたことについて、言い争いがあったが、
結局ウトナピシュテム一族に永遠の生命が与えられて、遠方の河口に住むことが許された。
ウトナピシュテム伝説は、
シュメール語版のジウスドラ、
アッカド語版のアトラハーシス(最高の賢者)、
『旧約聖書』のノア、
ギリシャ神話のデウカリオン、
インド神話のマヌ
などの伝説と同一のものである。 
ノアの伝説では、アララト山に漂着してから最初に烏を放ち、後で鳩を放しているが、
ウトナピシュテム伝説ではニシル山に漂着して、最初に鳩を放ち、次に燕を放ち、最後に放した大烏が戻ってこなかったことになっている。
この三羽の鳥が、秦氏の根拠地の一つである京都の太秦の
木嶋坐天照御祖神社の三つ鳥居
の由来でもある。
秦族は『旧約聖書』の手本となったウトナピシュテム伝説を知っていたのだ。
秦氏は八幡神の象徴として鳩を、賀茂大社の象徴として八咫烏(大烏)を伝説としたのは、ノア伝説の鳩と烏を示すためであったが、
三つ鳥居は元糺の池に立っていて、三つ鳥居の中央の真下にニシル山を模した石積みの山があって、大洪水で辺り一面水没した所に、
ニシル山
だけが姿を表していることを示唆していて、
木嶋坐(コノシマニマス)=此の嶋
におわすのことで、元糺の池の石積みの山を示し「嶋」の漢字で三角形の鳥居を示している。
さらに、ウトナピシュテム伝説の
鳩・燕・大烏
の三羽の鳥は、それぞれシュメールに関係した民族を象徴する暗号であったからたまらない。
烏は中国の夏王朝の禹王の一族のことで、
ウトナピシュテム=禹王
のことである。禹王も洪水を治めて荒廃した土地に人間が住めるようにした人物である。
ウトナピシュテムの名の
ウト
はシュメールの太陽神のウトゥのことで、世界的にも烏は太陽に住む三本足の烏とされて、太陽神の象徴であり、
禹王の一族とは
烏桓族・烏孫族・契丹族・扶余族
などがいた。
烏・燕・鳩を象徴する民族
禹王の一族の契丹族は、後章で説明する『契丹古伝』を残している。
さらに契丹族が遼国を建てて『遼史』を編纂して残しているが、契丹族の祖王のことを
葛禹図可汗(遼史では葛烏兎可汗)
と記していて、禹王=烏王であることがわかる。
そして契丹はキタイと読み、イスラエル十部族をアッシリアから救出したスキタイ騎馬民族の末裔であることを匂わしている。
また烏桓族・ウイグル族の末裔が平家となった。
ウトナピシュテム伝説の燕は、夏王朝の後を継いだ殷王朝の祖の契(セツ)の出生譚の燕のタマゴを母親が飲み込んで生まれたことに関連している。
五帝の一人のコクの子であり、母は有戎氏の娘であるが、契は帝舜の時代に治水を命じられた夏の禹王を助けて、黄河の修理に成功した人物であり、
契も洪水伝説に関係している。
契丹や殷の祖の契の名の「契」は契約の櫃の

であり、この漢字は神々の主の
マルドゥークの魔力ある怪剣(大刀)
を示すものであり、契丹族の祖王の名の葛禹図可汗の「可汗」は鏡の意味であると同時に、契約の櫃を担ぐ資格のあるアロンの直系のレビの尊称だった。
契を祖とする殷族は周王朝に取って代わられるが、殷族は烏を象徴する契丹族や烏桓族や扶余族などに逃込んで、烏を象徴する部族に吸収されてしまう。
殷の後に建った周王朝の祖の后稷(棄)は、母の姜原が巨人の足跡に感じて身ごもり、生まれてすぐに棄てられたが、
馬や牛が踏まないでよけて通ったので、氷の上に棄てたところ、鳥が飛んできて暖めたという伝説がある。
巨人の足跡とは磐古巨人の足跡のことを示している。
夏王朝は姜姓であり、殷王朝は子姓であり、周王朝は姫姓である。
姜姓は炎帝の子孫で、姫姓は黄帝の子孫とされている。
もともと姜氏と姫氏は婚姻関係を結ぶ親族関係の氏族であったが、周王朝の植民国家の杞は夏王朝の子孫、宋は殷王朝の子孫に建てさせているし、
太公望呂尚も夏王朝の姜姓であり、イスラエル風の斉国を建てている。
しかも周王朝の祖の母の姓が、夏王朝の姜姓であることは、周王朝もウトナピシュテム(禹王)の子孫にあたることを示している。
問題は周王朝の文王の子の召公に「燕」を建てさせたことである。
明らかに殷王室の祖の契の燕のタマゴの出生譚と関係しているものだ。
文王と殷王室の娘との子が召公だった可能性があるが、燕を象徴する民族は、明らかに殷王朝であったと言える。
そして、鳩を象徴する民族は八幡宮を氏神としていたヒッタイト騎馬民族の秦氏(秦帝国の部族)とその子孫の源氏や、
大和漢直(阿知使主を祖とする)となった。
宇佐氏系図と三輪氏系図の符合とカラクリ
宇佐八幡宮の宇佐氏の系図は、
タカミムスビ神の子の天三降命の子の宇佐津彦(玉依彦)と宇佐津姫(玉依姫)
が宇佐氏の祖であり、大中臣氏の祖である天種子命と玉依姫の子が宇佐津臣命で、玉依彦の子孫が宇佐公を賜った武雄(法蓮)だった。
下賀茂大社の祭神の建角身の子にも玉依彦と玉依姫がいた。
こちらはカミムスビ神の子の天神玉命の子の建角身命の子が玉依彦と玉依姫であり、
玉依姫が賀茂川で川遊びをしていた時に流れて来た丹塗り矢を持ち帰り、床近くに置いていたところ、身籠もり、上賀茂大社の祭神の別雷神を生む。
そう『古事記』の神武記の三輪山の大物主神が丹塗り矢に化して、セヤダタラ姫が床近くに置いていて、神武天皇の皇后となった
イスケヨリ姫
を生んだという『古事記』の神武記の記述に似ていて、明らかに賀茂の伝説は三輪とつながる。
別雷神の父親は火雷神とも日枝の山王(大山咋神)とも言われているが、宇佐氏系図の玉依姫の夫の天種子が本当である。
建角身は天三降命のことで、天種子は建御雷神(天児屋命)の子である。
三輪山の大物主神の子の天日方奇日方命の子の飯肩巣見命の子が建甕槌命であり、建甕槌命の子が大田多根子である。
大田多根子から大田を取ると「多根子」となり
「種子=タネコ=多根子」
となる。ようするに天尾羽張神の子の建御雷神の子の天種子は、飯肩巣見命の子の建甕槌命の子の大田多根子のことになる。
天尾羽張神は飯肩巣見命の別名であった。
肩から羽根が生えていた天使を形容して言(飯)ったわけだ。 
このことから、賀茂建角身の娘の玉依姫の夫は建御雷神(建甕槌命)の子の中臣氏の祖の
天種子(三輪氏の祖の大田多根子)
と言うことになる。賀茂大社を大二目命が創建したのも、大姓が三輪族の大田多根子の大氏を名乗ったことにも起因していて、
中臣氏を大中臣と呼んだのも大姓を示し、中臣の「臣」は出雲系の「富氏」の「富」の漢字転換であった。
『古事記』では大田多根子は、「意富多多泥古」と書かれ、
「大氏=太氏」と「富氏=臣氏」
が出雲系民族(三輪系民族)であることを示し、中臣氏が出雲系民族だったことを物語っている。
さて、宇佐氏系図によると、天種子命と玉依姫の子の名は宇佐津臣命しか書かれていない。
宇佐津臣命の祖父は建御雷神(建甕槌命)と天三降命(建角身命)であるから、建御雷神(建甕槌命)の名を取って、賀茂大社で
別雷神
と呼ばれたことになる。
また、大田多根子が神君鴨の祖と言われた理由もわかる。
さらに、三輪山の大物主神の「物」は物部氏の「物」であり、大和大物主奇甕玉命の「奇甕玉命」と物部氏の氏神の石上神宮の天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命が同一神を示していることから、物部氏も出雲系民族であったことを物語っている。
当然、天火明命を祖とする海部氏も出雲系民族だったことになる。
宇佐八幡宮につながる豪族
宇佐神宮を氏神とする宇佐氏は、三輪氏(大神氏、大氏、太氏)や中臣氏や物部氏につながっていたし、
宇佐氏の祖は賀茂大社の祭神の建角身命でもあった。
娘の玉依姫の夫が三輪山の大物主神の子孫の大田多根子であったことから、大神比義が宇佐八幡宮に関係して来ることになった。
大田多根子は神君鴨の祖とされ、賀茂別雷神の実の父親であった。
宇佐氏と賀茂氏は同族であったから、八幡宮が鳩を象徴し、賀茂大社が八咫烏を象徴したのは、ノアの洪水伝説を両社で示すためだった。
不思議なのは辛嶋氏が何故宇佐八幡宮に関連したのか?である。
辛嶋氏はスサノオの子の五十猛命を祖とする海人族で、元来は鉱業技術者であった。
『新撰姓氏録』では百済人の後裔とされ、秦氏の支配下にあったとされている。
宇佐地方は秦氏が多く居住していて、秦氏と姻戚関係が深い大神氏も豊後地方に居住していた。
宇佐郡の郡司の家柄であった辛嶋氏が、秦氏の支配下にあったとされているのは曲解で、秦氏の中でも支配層の氏族であったと思われるのだ。
宇佐八幡宮の初期の頃の宮司や禰宜の名に辛嶋勝某が多いのは、勝(スグリ)姓を持つことが許された秦族の特別な支配者であったことを物語っている。村主と書いてスグリと読むように、支配される者の姓名には使われない。辛嶋の姓は明らかに新羅と加羅を示していた。
辛嶋氏は高度の文明と文化を所有し、大陸の先進文明を伝えた。銅の精錬・海運・暦法・呪術のプロ集団でもあったから、東大寺の大仏建立の立役者でもあった。辛嶋氏は五十猛を祖神としていたが、木(紀)氏も同じであった。
竹内宿禰の子に波多宿禰と木角宿禰があったが、
波多宿禰の子孫が辛嶋氏であり、
木角宿禰の子孫が木氏(紀氏)であり、
木氏は百済八大姓の一つ
でもあった。木氏は宇佐地方から瀬戸内海全域と紀伊半島までの海域の航行権を掌握していた海洋民族であり、造船技術のプロ集団だった。
木氏も宇佐津彦・宇佐津姫と同じように、名草彦・名草姫を氏神としていた。
木氏の神職者が
「在常」・「有宇」・「有何」
などの「在」・「有」を名乗ったのは、出雲の神魂神社の神紋の亀甲紋の中に「有」の漢字が書かれていることと同じで
「有りて、在るもの」
と名乗ったイスラエルの神のヤハウエ神を物語っているのだ。
木氏も八幡信仰をした氏族で、辛嶋氏と結びついていたし、木氏は百済の木羅斤資を祖とする新羅系帰化人だった。
百済の政治家の木羅斤資の「木斤羅」が「新羅」になり、子の満致は蘇我満智だ。
宇佐地方に隣接する筑紫地方では、宗像氏がスサノオ神の娘の三女神を祀り、宇佐八幡宮の比売大神は
三女神(タキツ姫・イチキシマ姫・タキリ姫)
を祀っている。
比売大神は本来は玉依姫と豊玉姫とされるが、比売許曽神社のアカル姫とも言われていて、天日矛やツヌガアラシト伝説につながっている。
さらに宗像は、出雲から諏訪に出た建御名方富命の名に通じ、八幡神が建御名方だという説もある。
建南方とすれば金山彦を祀る南宮大社につながり、金属精錬の神の八幡神にもつながることになる。
さらに八幡信仰には、海洋民族の安曇族も関係し、騎馬民族の王仁氏(和邇氏)も応神天皇との関係でかかわっている。
飛騨の位山八幡宮の創始は和邇氏の将軍の建振熊命によってなされた。
秦氏と小野氏の密約
小野妹子は遣隋使として隋に赴き、隋国では蘇因高の名を名乗った。
小野氏は猿田彦とウズメの子孫の猿女の君の家系であり、京都の
祇園社(八坂神社)
を氏神とする氏族である。
隋国から無事に帰った妹子は、京都の岩倉地区に三宅八幡宮を創建した。
三宅八幡宮の建てられた地と、上賀茂大社と下鴨大社の建っている地を結ぶと、見事に測ったように正三角形になっている。 
祇園社は牛頭天王スサノオを祀り、小野氏はスサノオを祖神とする氏族であり、スサノオの子の五十猛を祖神とした辛嶋氏と同族ということになる。
妹子が隋からの無事の帰還を感謝して、三宅八幡宮を創建したとされている背景には、スサノオの子のウガの
御魂(八坂神)
を氏神として伏見稲荷大社に祀った秦氏の影響があったと思われるのだ。 
秦氏の京都の本拠地の太秦にある木嶋坐天照御祖神社の三つ鳥居の正三角形に符合するように、
上下賀茂大社の二羽の鴨と
三宅八幡宮の狛犬
となっている鳩で、三つ鳥居を示している。
妹子が遣隋使として赴いた時代は、聖徳太子のブレーンであった秦河勝の権力の最盛期でもあった。
河勝の後ろ楯があって、妹子は遣隋使となり、河勝や賀茂大社の神官などから秘密を教えられ、三つ鳥居に符合する三宅八幡宮を建立することになった。それは妹子一人の財力では出来なかったはずで、秦族と賀茂族とが協力したのである。
何故なら、下賀茂大社の祭神の八咫烏と三宅八幡宮の変わった狛犬の鳩で、ノアの洪水伝説の烏と鳩を示す目論見があったし、三つ鳥居が見取り図であって、三つ鳥居の中央真下にある石積みの山が、三社の中央に位置する西山であることを示すためにも、必要不可欠なことだった。
小野氏が氏神とした祇園社は、蘇民将来の護符で有名な神社だ。妹子が隋国で蘇因高と名乗ったのは、小野氏が元々蘇民であったことを物語っていて、
蘇民とはシュメール系イスラエル人であることを示しているし、
因高の「因」はインドラ神桓因を示し
「高」は高句麗王姓の太陽
を示す漢字であった。
ようするに小野妹子はシュメール系イスラエル人で、祇園精舎のあったインドと扶余族の建てた高句麗を経由して帰化した氏族であったことを、
蘇因高の名で象徴していたことになる。
古代の姓氏名は、出自を物語っていた。
木氏の神官が「有」・「在」を名乗ったのも同様である。
高句麗も百済も扶余族の建国した国であり、百済から加羅、新羅を経由して帰化した辛嶋氏・木氏・蘇我氏も扶余族であり、小野氏と同族であった。
そうでなくては、わざわざ『日本書紀』に小野妹子が隋で蘇因高と名乗ったことを書く必要がない。 
さて、山幸彦伝説に見える龍宮信仰は、新羅の人々の信仰でもあった。
元々東海にある海の女神の国に対する沃沮のオロチ族の伝承から来たもので、
オロチ族が金属精錬技術を持っていて、扶余族の一員となったことも関係しているが、このことは後章で述べよう。
秦氏と安倍氏の密命
秦氏は京都の太秦を本拠地にしていた。秦氏は氏神として広隆寺境内に大酒神社(大辟神社)を祀った。
中国の景教徒は、イスラエル王国のダビデ王のことを
「大辟」
と記したし、中国ではローマ帝国のことを
「大秦」
と呼んだ。
中国で、大秦はウズマサとは呼ばず、日本で太秦をウズマサと読ませたのは、
「織物をウズ高くマサるほど積んで、天皇に献上した」
ことが語源となっていることが、『日本書紀』の雄略記で秦酒公が各種多数の秦族の村主(スグリ・勝)を雄略天皇から賜ったことの御礼として、絹織物を沢山献上したことで、天皇から太秦の名を酒公が賜ることになったことが書かれている。
太秦の「太」は、出雲族の太氏の姓氏名であり、秦氏の「秦」は出雲では波多郷と呼ばれる地があって「波多」のことだ。ようするに出雲の太氏と波多氏の合体名が太秦になったことになる。
秦河勝は三輪山を水源とする川に瓶に乗って流されて来たという伝説があって、出雲系氏族の三輪氏や大神氏や大氏とも関係が深かった。
太秦の語源が出雲や三輪山にも関係があることは見て取れる。
大酒神社(大辟神社)の「大」も大氏を示し、
「大」
が五芒星ペンタグラム☆を示していて、大辟の
「辟」
がヘキサグラムの「ヘキ」と発音する漢字であることも重要になっている。
大酒神社のあった広隆寺の太子殿では、太子講の人々が掲げた五芒星☆の額が有って、
大辟神社の「大」が五芒星☆を示していることを物語っている。
また賀茂保憲の弟子であった安倍晴明も
セーマン(五芒星☆)
を用いていた。
セーマンは黒色で描く五芒星と赤色で描く五芒星があって、赤色のセーマンは逆さまに用いていたから、
二つのセーマンを合体させると十芒星デカグラムとなることを示している。 
安倍氏の祖は孝元天皇の子の大彦で、その名の
「大」
が五芒星を示している。
大彦の腹違いの弟は彦太忍信命で、竹内宿禰の祖父であり、竹内宿禰の子が
波多宿禰・木角宿禰・蘇我石川宿禰・葛城襲津彦
などであったが、彦太忍信命の名の「太信」の逆の「信太」は、安倍晴明の母の葛の葉の信太の森につながる。
彦太忍信命を祖とするのが、秦氏・木氏・蘇我氏・葛城氏・平群氏・許勢氏であり、古代名族を輩出しているが、
すべて帰化人なのだ。
当然のことだが、大彦を祖とする安倍氏も帰化人だったわけだ。
安倍晴明のライバルとされた芦屋道満も秦氏であり、晴明も道満も陰陽道という名に隠れて、ユダヤの秘儀を継承していた。
晴明の目指したものは
『金烏玉兎集』
という虎の巻の実体を知ることであり、彼はその奥義をつかみ、黒色の五芒星と赤色の五芒星を目印にして、後世に残した。
さらに平安京で、
大文字山・左大文字山・妙法・船形・鳥居形
の五山の送り火をすることによって、ユダヤ民族の宝が大文字の描かれた二つの山の和に関係していることを示し、
それが妙法蓮華鏡であることを暗示したのである。
大文字焼きの縁起帳に、最初は人型の五芒星で執り行ったことが書かれている。
太秦の語源とニッポンの言霊の語源
古バビロニア(紀元前1,900−1,700)の神話に、人間の創造に関する粘土板がある。
天には天神アン、
大気の神エンリル、
太陽神ウトゥ、
大地と水神エンキ
がおり、神々の会議であるアヌンナキで議論が続いた。
大気の神エンリルが
「天と地が造られ、チグリス川とユーフラテス川の堤防も作られた。次は何を造ろうか」
アヌンナキに集まった神々は、それに答えて言った
「ウズムア(ニップールの聖堂)で二柱のラムガ神から人間を造ることにしましょう。
神々の下働きとして、いろいろな労働をしてくれるように。
神々の住まいを建て、運河を作り、畑を耕し、国土を豊かにしてくれるように。
女神アルルがその計画を完成させるであろう」
というものだ。
アヌンナキは七人の神々の会議のことである。
『古事記』の最初に書かれる独り神は、天御中主神から豊雲野神までの七神であり、アヌンナキの七神に相当する。
イザナギ、イザナミの二神の国生みは、天神の助言で成功する。
天神とは天御中主神から豊雲野神までの七神のことだ。
ニップールの聖堂に祀られていたのはエンリルであり、聖堂の中心はエ・クル(山の住まい)と呼ばれていた。
ニップールの聖堂はウズムアと呼ばれ、このウズムアが秦氏の根拠地や頭領の名の太秦=ウズムァサになった。
先述した宇佐八幡宮の「ウサ」は「ウシャ」のことで、ヒッタイトの神殿(社)の意味であり、
ウズムァサの「サ」も「シャ」であり、「社」のことであるから、
ウズムァサは
聖堂社
の意味になり、ウズムァサの頭文字と後尾文字が「ウサ」であることも、ウズムァサである太秦が、神を祀る聖堂の社であることを物語っている。
神が山に住むという観念が我が国にあるのは、ウズムアの中心がエ・クルと言われ、神の住む山の意味の須弥山思想が深く係わっていることになる。
さらに、日本という漢字を「ニッポン」と呼ばせる由縁は、
シュメールの都市国家のニップール
にある。
ニップールを何度も唱えると、ニッポンと聞こえて来る。
ニップールは別名をヤマトバァルと呼ばれていた。もうこうなると疑う余地もない。
源氏の名門氏族に宇都宮氏がいた。
ウズ(宇都)ムア(宮)
である。さらに宇都宮の宇都は、出雲の大国主神の別名の宇都志国玉につながり、ウズムアがイズモに変化した。
ヘブル語は母音の発音は無いに等しく、あいまいであったから、ウズムアからイズモに変化してもおかしくない。
「ウズムァタイシャ」と言うと「出雲大社」
と聞こえるのである。
ウズムアとは聖堂(大社)のことだから、出雲と言う言霊自体が大社を意味していたことになる。
ニップールの別名のヤマトバァルの「バァル」は、エンリルの変化のバァル神のことで、数字記号は五十で、
五十鈴宮(伊勢神宮)
につながり、神紋は六芒星と十六菊花紋だった。
謎 の 契 丹 古 伝
『契丹古伝』の平(タイラ)と平家
日露戦争中、鴨緑江軍兵として従軍して『契丹古伝』を入手した浜名寛佑が『日韓正宗遡源』という名で、大正十五年に出版したのが『契丹古伝』が知られる始めとなった。契丹族の太祖の耶律阿保機(紀元876−926)の重臣の耶律羽之が撰した史書で、契丹はキタイと読み、古代のスキタイ騎馬民族の流れを匂わしている。 
四世紀末から九世紀にかけて栄えていたウイグル人が、キルギス人の侵入によって亡命して来たのを迎え入れ、それまでいた契丹諸部族とウイグル人を統合したのが阿保機である。彼はウイグル族の名門の肅氏から妃を娶った。妃の姓は平(タイラ)名は月理奈と言う。
タイラ(平)は古代インドでも族長を示す言葉であり、古代インドとウイグル族の言葉が同じであったことが伺える。我が国の桓武天皇を祖とする平家のタイラにもつながり、桓武天皇の「桓」は帝釈天インドラの桓因につながり、古代中国の遼西地方の北方に住んでいた烏桓族を示している。
桓武天皇が造らせた平安京の内裏の近くに烏丸(カラスマ)通りがある。烏桓は烏丸とも書かれ、平家にも烏丸姓があった。明らかに桓武天皇は烏桓族の族長タイラ(平)だったことになる。
そして平安京には、烏桓(烏丸)の名につながる八咫烏(建角身命)を祀る下鴨大社が中央に陣取っていた。
鴨大社の「鴨」は、『契丹古伝』を入手した鴨緑江の「鴨」につながっている。
このことから『契丹古伝』が我が国に関連している古伝であることがわかる。
浜名寛佑は難解な『契丹古伝』を解読して、日本と朝鮮が同祖であることに気がつき、
『日韓正宗遡源』
という名で発表したわけで、当時としては画期的なものだったが、原本は無く、八幡書店刊の『契丹古伝』だけが現存する唯一のものになる。
本書では以後『契丹古伝』のことを『古伝』と略記する。
さて、契丹族は3世紀頃にモンゴル東部で栄えていた東胡の一種で、烏桓族・鮮卑族・扶余族(貊族)・女真族などが東胡である。
『古伝』によると、契丹族は東大神族(シウカラ族)の一部族で、東大神族には
阿芸(日本)・央委(朝鮮の祖民)・陽委・漢委・伯弭(貊)・潘弭(貊=扶余)・淮委(殷代の大候国)
の七族がいたとされている。
また貊夷・犬戎・姜戎・驪戎も同族であり、貊(伯弭・潘弭・貊夷)から秦に入った者と匈奴になった者がいたとされ、
異種の沃沮のヤオロチ族がスサナミコに帰順したとされている。

瑞草会
http://www.geocities.jp/zuisoukai/kimonsintou.html
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妙法蓮華とマナの壺の正体
漢字の楷書の正字のことを真字(マナ)と言うが、鑑真の名に字を加えると
「鑑真字」
となり「真字鑑(マナカガミ)=真字鏡」となる。
マナと言えばユダヤの三種の神器の一つであり、出エジプト後のモーセ一行の飢餓を救った食べ物を入れた壺のことだが、
マナの壺のマナは「何だろう?」という謎かけの意味の言葉とされているのだ。
古代インドでは、黄金の単位がマナであったし、日本では漢字の楷書の正字をマナと呼んだ。ユダヤではマナの壺の食べ物のマナ(何だろう)は、大勢の人々が食べても翌日には供給されているという不思議な食べ物だった。
日本でも真魚鰹の「真魚(マナ)」は食べ物である魚を示している。
日本のまな板の「マナ」も食べ物に関する名であり「学(マナ)ぶ」は「真字(マナ)ぶ」のことで、漢字の楷書の字を学ぶことが語源であり「字」の漢字から「学(學)」の漢字が出来ている。
さらに物部氏の祖の海部氏の祀る丹後一宮の籠神社の奥宮には真名井神社があり、「真名(マナ)」という言葉が神に関係している。真名井の「真」は鑑真の「真」であり、真字(マナ)の「真」でもあって「真名=真字」である可能性が高い。
さらにだ、日本語にはマナコ(眼)という言葉があって、ユダヤのマナの壺の「マナ」に符合する言葉が真魚・俎板・真字・学・真名・眼と六つもあるということは尋常ではない。
「学」は「真字」が語源であったから除外すると、
真魚・俎板・真字・真名・眼
の漢字に共通するのが「目」となる。
「目」は天照大神と月読神がイザナギ神の目から生まれたことに関係し、
観音の原名の金星神イナンナの象徴の六芒星は籠目と言われ、
籠神社の「籠」と真名井神社の真の漢字の中の「目」の合体も籠目であった「目」の漢字もマナコと読み、
真魚・俎板・真字・真名・眼
のマナに関係する言葉が、すべて天照大神と月読神がイザナギ神の「目(マナコ)」から生まれた神話に関連していることがわかる。
妙法蓮華の妙は、明けの明星の金星の「明」のことであって
「明」
は天照大神と月読神の「日・月」を示している。
天照大神と月読神は「目(マナコ)=眼」から生まれた。
マナの壺の「壺」は「コ」と音読みする。
マナの壺は契約の櫃に納められていた。
「櫃」に納められた「匚」の中身の「貴」の漢字も、中央に「目」が隠されていた。
マナ壺は日本では「眼(マナコ)」という暗号となって、封印された。
「眼」の漢字は天照大神の生まれた左目(籠目)を示すように左に目があり、右には艮の金神を示す「艮」の漢字がある。
真実の艮の金神とはマルドゥークが授けられた神々の支配のシンボルのシムトゥのことであり、月神シンと太陽神ウトゥを象徴する鏡であった。
これが真字鑑(マナカガミ)であり、漢字の楷書を生む亀鑑と呼ばれる物で、天照大神を象徴する八咫の鏡であったし、釈迦の説いた妙法蓮華鏡でもあった。
八幡神の正体と太秦の語源
八幡神信仰と弥勒信仰
八幡信仰の総本山の宇佐八幡宮(宇佐神宮)の一之御殿の八幡大神が祀られたのは、紀元725年(神亀2年)であり、二之御殿の比売大神が祀られたのは八年後の天平5年であった。
八幡信仰は御許山を神奈備山とし、御許山には奥宮の大元神社がある。八幡神は紀元571年に大神比義が、菱形池ほとりの笹の上で光りを発する三才の童子を観得したことに始まるとされているが、
元来は下賀茂神社の祭神の
建角身命
の子の
玉依彦(宇佐津彦)と玉依姫(宇佐津姫)
を祖とする宇佐氏の石信仰が始まりであった。
御許山の三つの巨石を聖石として崇拝していた宇佐氏の信仰と新羅系帰化人の辛嶋氏の鉱業神を主神としていた信仰の融合によって始まった。 
比義伝説の、三才の童子が
「我は誉田天皇(応神天皇)、広幡八幡麻呂なり」
と告げ、金色の鷹となったり、金色の鳩になったりして止まった地に、鷹居瀬社を建てられたのが708年(和銅元年)で、現在地に遷座されたのが、一之御殿の創建の時になる。
宇佐八幡宮の現在地への創建は、宇佐氏一族の僧の法蓮によってなされ、法蓮は八幡宮の神宮寺となった弥勒寺の別当職ともなった。
弥勒寺の創立は虚空蔵寺と法鏡寺とが合体したことに始まり、金堂は大神氏、講堂は宇佐氏が統括した。
天平9年(727年)弥勒寺は神宮寺となり、翌年には国分寺となった。
三輪山の三輪氏の出身の大神比義が、八幡神と応神天皇を同一神としたことで、奈良朝中期からは
八幡神=応神天皇
の説が一般化することになるが、それ以前の八幡神は宇佐氏の崇拝する
神奈備山(御許山=馬城峰)
の石神崇拝であり、辛嶋氏の鉱業神の崇拝が主力であったし、辛嶋の「辛」は「加羅」を示していた。
宇佐地方は仏教の伝来が早く、神仏混合も奈良朝以前に始まっていたと言われている。
『法華経』の妙法蓮華から法蓮の僧侶名が作られ、八幡神の菩薩名の護国霊験威力神通大自在王菩薩も、『法華経」の一節の「神通自在」から取ったものだった。
弥勒寺の前身であった虚空蔵寺の名は、『古事記』の山幸彦の別名の虚空津彦の由縁となり、
法鏡寺の名が『妙法蓮華経』の「法経」を「法鏡」であることを示唆していた。
ようするに『妙法蓮華経』とは
「明法蓮華鏡」
であり「明宝蓮華鏡」という太陽と月を象徴する花模様の鏡のことになる。
弥勒寺の名の弥勒はアッカド・バビロニア神話の主神マルドゥークのことであり、
マルドゥークの持っていた神々の支配のシンボルのシムトゥが明宝蓮華鏡であった。
虚空蔵菩薩は摩尼宝珠(如意宝珠)を仏格化した仏であり、如意宝珠とは妙法蓮華鏡のことである。
山幸彦は海神ワタツミから塩盈珠と塩乾珠を授けられた。
これが如意宝珠であり、妙法蓮華鏡だったことになる。
シュメールとヒッタイトの八幡神
著者の住む飛騨宮村に位山と呼ばれる聖山がある。
万葉集でむらさき山と歌われ、標高1,500mほどの秀麗な山である。
山の容姿がピラミッド型をしていることもあって、日本のピラミッドの一つとも言われている。
頂上には天の石戸と呼ばれる巨石があり、飛騨一宮の水無神社の奥宮となっている。
頂上まで続く登山道には多くの巨石群が連立していて、シュメールやケルトの遺物と考えられていて
『竹内文献』の富山の
皇祖皇太神宮
の大元宮があった所とも言われている。
位山の麓にあたる渡瀬地区に大森神社というひなびた神社がある。
元一宮である。大森神社という名称は出雲の神奈備山の麓に必ずある神社の名称で、出雲では王守神社・王森神社とも書いている。
位山は出雲系民族が富山の神通川沿いに上って来て、神通川の源流である位山を神奈備山としたものと考えられる。
その証拠に水無神社の祭神は出雲のスサノオ神の子の大歳神の娘の御歳神となっている。
位山の巨石群から「 」と「井」と「 」のペトログラフが発見され、「 」と「井」はシュメールの太陽神を象徴する図形文字で、
「井」は齊部(忌部)文字記号で数字の五を表す図形でもあり、
「 」は牛神(牛頭天王)を象徴するとともに、やはり太陽神を表す図形文字であり、
「井」は真名井の井である。
位山の南20kmほどの所に位山八幡宮(岐阜県益田郡萩原町山之口)がある。
ここも神体山がピラミッド型をしていて、巨石群が連立している。
古代ではおそらくピラミッド型の山容の山を位山と名づけ、神奈備山としたのだろう。
この近くの郷土史家に聞いたところ、山之口の住民の言い伝えでは、位山八幡神社の「八幡」の語源は「ハティム・アン」であると言う。
「ハティム」の「ハティ」は「ハッティ」と言われたシュメール時代にシュメールの都市国家群の西北に隣接して国家を構えていたヒッタイト王国の民族の原名である。
ハティの英語読みがヒッタイトで、ヒッタイト王国は鉄の発明と騎馬民族で有名であり、『旧約聖書』の「ヘテ人」の国であり、エジプトでは「ヘタ人」と呼ばれた。
古代イスラエル王国のソロモン王の母がヘテ人のバテ・シヴァであったから、ソロモン王にはヒッタイト騎馬民族の血が流れていたことになる。
ソロモンの名がモンゴル語では「ツォロモン」となって、明けの明星の金星を指す言葉に転用されている。
ソロモン王は金星と太陽を象徴する六芒星をソロモンの封印として使用していた。
このことが騎馬民族によって、モンゴル地方に伝わった。
さらにハティム・アンの「ム」はアッカドのナラム・シン王の「ム」と同じで「の」「と」の意味の接尾語であり「ナラ」は光り輝く太陽を示し、日本の奈良になった。
ヒッタイト人とフルリ人
ユダヤ教やキリスト教の神(全能者=シャダイ)は、シュメールの天空神アンの別名の山に住むエル(エル・ハル・シャダイ)のことである。
この「アン」が、安倍氏や平安京や天の安河の「安」になるが、イスラエルとエルサレムの「エル」がエル神(アン神)のことで、エルサレムが平安の意味であることにもつながるのだ。
天空神アンはアンシャル(天霊)とキシャル(地霊)から生まれている。天霊と地霊はアプスー(真水)とティアマト(塩水)から生まれている。
このティアマトはアッカド神話のエヌマ・エリシュ(神々の戦争)で子孫であるマルドゥークに捕らえられ、魔力ある怪剣で身体を二つに切られ、一方は天空になり、一方は下界の水に被せて大地にされた。これが天地開闢である。
ところが、ヒッタイト神話のクマルビ神話では、ヒッタイトの先住民のフルリ人の神のクマルビの精子を受けて、石から生まれた怪物のウルリクムミがどんどん大きくなり、背丈が天上界まで達し、イシュタル女神が誘惑したが成功しなかったが、
智恵の神のエア(エンキ)がマルドゥークの怪剣で、ウルリクムミの巨大な足を切って打ち倒したという。
この二つの神話のティアマトとウルリクムミが合体して、インドのプルシャ神話・中国道教の磐古神話・北欧のユミル神話になった。
ヒッタイト王国の先住民族のフルリ人は、『旧約聖書』でホリ人と記されている。
フルリ人はノアの方舟がアララト山に漂着したとされるアララト山麓のウラルトゥ地方(アルメニア地方)に住んでいた。
アララトがウラルトゥの語源である。
アララト(ウラルトゥ)は高地(高いところ)の意味で、
位山の一位の木(アララギ)から作った笏を応神天皇以来代々の天皇の即位に献上する習わしがあるのは、
天皇家がアララト山に漂着したノアの子孫のイスラエル王家であることを記憶するためである。
アララト(高い山)とアララギ(高い木)のアララの符合がこれを的確に物語っている。
ヒッタイト神話の石の怪物のウルリクムミは、万物が生まれたとされるエルサレムの地下にある聖なる岩と重なり、
ゲルマンの巨人ユミル・インドの巨人プルシャ・中国の巨人磐古となって、あげくの果てに我が国の神道の一大勢力であった物部氏の氏神の石上神宮の石神となった。 
石上神宮の楼門上に掲げられた額の
「萬古猷新」
の文字は「萬古名を新たましむ」と読むが、これは
「磐古猷(猶)神」
のことで
「磐古は猶太(ユダヤ)の神」
であることを「萬古」という新しい名に変えたことを示しているのである。
「猷」の漢字の意味は「はかりごと」がしてあることを示し「猷」の同音漢字の「猶」を充てれば、猶太(ユダヤ)となることを想定して書かれていたのだ。
フルリ人とホリ人
フルリ人の石の怪物ウルリクムミがフルの御魂を祀る石上神宮の萬古神(磐古神)になった。
饒速日命の別名のフルはフルリ人を示していることになる。
丹後一宮の籠神社の宮司を務める海部氏の系図によれば、天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命の別名が
ホホデミノミコト
でもあるから、山幸彦のホオリノミコトと同一神となる。
ホオリがフルリ人を『旧約聖書』でホリ人と記した民族名を示し、アララト山麓の高地に住んでいたホリ人のことを山幸彦としたわけだ。
フルの御魂と大物主神は同一神であったし、饒速日命の正式名に天照が充てられていることから、
饒速日命=フルの御魂=大物主=天照大神
という等式になり、天照大神を象徴する八咫鏡はフルの御魂の別名の天下万物聚類化生大元乃神宝に相当することになり、
その正体は大和大物主奇甕玉命と呼ばれる物で、大和大物とは、
「大+大」=「☆十☆」=十芒星
デカグラムの図形の描かれた物であり、奇甕玉と呼ぶ玉であった。
これは大大和国玉命(大倭国魂命)と呼ばれる物とも同じ物で、十芒星の描かれた玉であったが、
大大和=大和大=大山和(山和大)=☆
の描かれた三角形△の和を示し、
△+▽=六芒星
となり、六芒星の中に十芒星が描かれた玉が
大和大物主奇甕玉命(大大和国玉命)
であり、天下万物聚類化生大元神宝だった。
マルドゥークは神々の支配のシンボルのシムトゥと魔力ある怪剣を持っていた。
そして日本神道の最高の祭主である天皇家では、支配のシンボルの八咫の鏡と草薙の剣を三種の神器の二種としているし、
日本神道の大元である物部氏の祀る石上神宮には天下万物聚類化生大元乃神宝があり、霊力ある神剣フツの御魂があった。
シムトゥと神道は同じであり、シムトゥが
八咫鏡(天下万物聚類化生大元乃神宝)
であり、魔力ある怪剣が草薙の剣や神剣フツに相当することになる。
フツの御魂とフツシ御魂という石上神宮の剣神は、スサノオ神の父の名のフツとスサノオの別名のフツシを示し、
フツシとはフツの子の意味になる。
フルリ人の都市国家のヌーズーの近くにスーサという都市国家があったが、スーサの王をスサノオと呼んだことが定説になっているのも、当然のことなのだ。
マルドゥークは国土の中心に聖殿を造りバビロンと名づけた。これは
バーブ・エル(イル)
のことで、
天神アン(エル)の門
の意味であり、バビロンのイシュタル門には、天神エルと風神のエンリル(ハル神・バァル神)の紋章の十六菊花紋があった。
アッカドのナラム・シン王の戦勝碑(フランスのルーブル博物館蔵)にも太陽を象徴する十六菊花紋が彫り込まれていた。日本の皇室の紋章はシュメールのアッシュールナシルバル二世像の腕輪の紋章とアッカドのナラム・シン王の戦勝碑の紋章の十六菊花紋につながっていて、日本の皇室がシュメール・アッカド・バビロニアと確実につながりがあることを示している。
そして物部氏は『源平盛衰記』や『新撰姓氏録』では古代のインドのマガダ国から来たことになっている。
これはイスラエル王国の滅亡とともにシュメールの王族がインドに亡命したことを物語っている。
ヒッタイト王国の首都 ハットウサ
紀元前2000,年頃黒海の南、チグリス・ユーフラテス河の北西部のアララト山の南西部のアナトリア地方にヒッタイト民族が侵入して、
ルウィ人やバラ人というインド・ゲルマン民族語系の原語を話す先住民族を征服して、ヒッタイト古王国を建てて、
王都をハットウサに定めたのが紀元前1750年頃であった。
紀元前1400年頃にはヒッタイト帝国と言われるまでの隆盛を極めたのだが、
紀元前700年頃にはアッシリアの侵攻によって歴史の表舞台から姿を消した。
丁度イスラエル十部族の北王国もこの頃アッシリアによって滅亡し、イスラエル十部族がスキタイ騎馬民族によって忽然と姿をくらました時代に相当するから、スキタイ騎馬民族の中にヒッタイト騎馬民族が吸収されていた可能性もある。
ハットウサ(現在のボガズキョィ)で発見されたボガズキョィ文書版(一万枚の粘土板は、シュメール語・アッカド語・ヒッタイト語・ルウィ語・バラ語・ハッティ語・フルリ語の七種の言語が書かれていたことから、ヒッタイト帝国は七種類の言語を話す民族の居住する複合国家であったことが判明した。
しかし、ヒッタイト語とハッティ語という二つの言語が発見された以上、ヒッタイト人とハッティ人が同一民族ではないという危惧も抱くが、ヒッタイトはハッティの英語読みで、『旧約聖書』のヘテ人のことで、エジプトではヘタ人と呼ばれた民族のことだから、アナトリア地方に侵入したヒッタイト民族も先住のハッティ人も同一民族だったと言える。
おそらくアナトリア地方に侵入したヒッタイト民族は、先発のハッティ人の誘導のもとで進出が行われた可能性が高く、それまでルウィ人やバラ人やフルリ人などと長年過ごした先住のハッティ人の言語は、後に侵入して来るハッティ人の言語と違っていても、なんら不思議はない。
同一民族でも、住む所が離れていて、他民族と共存していれば、言語に違いが生ずるからだ。
さて、ヒッタイト王国の都のハットウサには、ヒッタイト王国の神を祀る神殿があった。
現在でも神殿の遺構が残っているが、ハットウサの「ハット」は「ハッティ」のことで、「ウサ」は「ウシャ」のことで「神殿(社)」の意味だった。
このことから、我が国の秦族の本拠地の宇佐八幡宮の語源がウシャ・ハティム・アンであり、
その意味はヒッタイトの天神アンの社であったことがわかる。
さらに秦氏の「秦」を「シン」と読むのは、月神シンの信奉民族であったことを示し「ハタ」と読むのは、ヒッタイトの原名のハッティが「ハティ・ハット・ヘテ・ヘタ」と呼ばれ、これが「ハタ」に変化したと考えられ、韓国語のパタ(海)を語源とするより自然である。
秦氏は八幡神の象徴として鳩を、賀茂大社の象徴として八咫烏を伝説にしているが、鳩も烏もノアの方舟から飛び立った鳥だった。

瑞草会
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紀元前10500年のノアの大洪水の後に何が起きたのか〜古代タイムラインの中でみる大洪水

BEFORE IT'S NEWS
By Jeffery Pritchett
The Big Secret of What Happened After The Great Flood of 10500 BC Finally Revealed (Video)
Monday, October 22, 2018 4:54
Did something happen to Earth long ago that lifted the human race out of the ashes of a great global catastrophe around 10,500 BC?
Were the science and secrets that they taught the ancients intended to be a guide for all humanity to the present era of change and upheaval we are experiencing?
Was this crucial information about our future and our true past usurped by secretive, small cabals, some with bad intent and some with altruistic designs, who have held these secrets over the millennia to the present day?
The influence of these secret societies and their extraterrestrial ties are said to be the stuff of myth, but Bara will show readers that this influence is all too real and the origins far stranger than they might have imagined.
Final Photos Taken Seconds Before Tragedy Struck
In the end, Bara speculates on the possibility that these ETs – whom the ancients knew as gods – may be returning within our lifetime.

BEFORE IT'S NEWS
https://beforeitsnews.com/v3/paranormal/2018/2536711.html







The Big Secret of What Happened After The Great Flood of 10500 BC Finally Revealed
ZEG TV HIDDEN FROM THE PUBLIC
チャンネル登録19万,55,377回視聴

Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=W1iAMICQ_Hs










(要約)
紀元前10500年のノアの大洪水の後に何が起きたのか〜古代タイムラインの中でみる大洪水
ZEG TV HIDDEN FROM THE PUBLIC
■方舟の遺跡
紀元前10500年におきたとされる大洪水。
当時の世界で古代宇宙人,人類の上流社会の人々はいかに生きたのかについて話をしたい。
James George Frazer著「旧約聖書の民俗誌(folklore in the Old Testament)」の内容を織り交ぜて話をしたい。
一般に,大洪水は,当時進行していた文化的汚染の浄化のためであり,また大洪水の後,ほぼ人類のすべてが滅亡した後の世界で,文明の再生がはじまったのは高地からであったとされる。
しかし真相はどうであったのか。
世界各地にのこる洪水の神話は,どれも非常に似ている。
それらの神話は多くの場合,数千年にわたり口伝によって伝えられてきた。
という事は,洪水の原因が,現代的文化的汚染現象の浄化であったとは考えづらい。
そこで,私は私なりに大洪水の原因について考えた。
アトランティス文明のような先進的な文明。
そういった文明をコントロールしていたのはETであった。
Sitchin氏によれば,そのETとはアナンナキだった。
私は問うた。
ヤンガードレアス期(the Younger Dryas freeze)のような氷河期のあとにどういった事がおきたのか。
氷河期の時代,ヨーロッパ・北米のほぼ全域は寒冷地で,カリフォルニア州のほとんどは氷河におおわれていた。
温帯は地球上でごくごく限られた地域だった。
そして12,000〜13,000年前,ヤンガードレアス期のあと,1200年つづいた氷河期が終わり,寒い世界が突然に暖かくなった。
逆に考えれば,ヤンガードレアス期は現在の更新世の夜明けの時期であった。
私を魅了したのは現在も残る「Deunapar/de una par」の地名だった。
その地名の由来は,この土地の上空を最初に飛んだトルコの軍のパイロットの名前だった。
このトルコのDeunapar地域を撮影した写真がある。
舟の形をしている。
多くの皆さんには舟の形に見えると思う。
強制する気はないが。
この地域では1950年代後半に調査が行なわれている。
Google Mapsの画像でDeunapar地域を見てみるとやはり舟の形がはっきりと映っている。
ちなみにこのDeunapar地域はアララト山(Mount Ararat)ではない。
アララト山近くのアララト山系内の標高6500ftの地域だ。
60年代に撮影された別のショットにもこのエリアの全体像がクッキリ映っている。
2017年頃に撮影されたDeunapar地域の写真には船尾部分からみた船の側面が映っている。
船尾部分も側面も化石化しているが地面に対して垂直な舟の側面が見える。
しかし,このような巨大な舟が標高6500フィートの山中に打ち上げられた状況を説明できる人はいない。
Life誌1967年記事の写真とほぼ同じアングルだ。
1960年代にはDeunapar地域に科学者と軍のチームが入って調査が行なわれた。
しかし岩ばかりで,舟の跡とみられる木片は見つからず,舟の形は偶然にできた地形に過ぎないという結論がなされた。
その後,この地域を調査に訪れる人年々増加した。
考古学者David Fassold氏はこの地域のDrogueと呼ばれるエリアで方舟のものと見られる巨岩を発見,
以後その岩は「Drogue Stones」と呼ばれている。
この「Drogue Stones」の鉱質はこの地域には見られない鉱質であるという。
「Drogue Stones」は方舟の碇だとする説が有力だ。
この舟型の元の形は,巨大な舟。
その舟の寸法の比率は聖書の記録と一致する。
エジプト人の測定によると,舟形の長さはちょうど555キュビト。
これも聖書の記述「555キュビト」とピッタリ一致する。
現在残っているのは舟の側面の侵食された部分のみ。
だから分析には地中レーダーが必要だった。
そして地面に地中レーダーを突込み,舟を発見した。
そしてわかった事は,この石化した船には
クロスするキール・ビーム
垂直に立つスパー
デッキ
があった事。
言い換えれば,舟には,現在の船のもつすべての機能があったという事だ。
地下に埋まった化石化した木材群。
現時点では石化はしているが,当時は木材だったのだろう。。
地中レーダーが現す形状は明らかに人工的な建設物だ。
実際に使われたであろう碇石(the drug stones)も見つかった。
金属製のリベットが見つかった。
おそらく舟のリベットだろう。
リベットの金属の材質は,非常に珍しい鉄鉱石の混合物のようなもの。
それが現在のものではなく,聖書の時代のものであると考えると,何か奇妙な気分になる。
この時代にToball Cainという名の男がいた。
おそらくこの時代の金属加工のマスター/名人で,ノアの方舟の建造に協力した人物。
この歴史的記録が伝えるところは,当時の世界に金属加工のマスター/名人がいた事。
遺跡からはリベットのほか,
動物の組織片。
犬や猫などの毛。
■古代文献からみる大洪水当時の世界
Russell Crowe主演の映画「Noah」を観る。
今やすっかり映画スターが板についたRussell Crowe。
実際のNoahがここまでイケてるハンサムかどうか。。
金属加工の技術で方舟の建造に貢献した人物Toball Cainは映画では悪役に描かれている。。
いろいろ引っかかる部分はあるが。。
映画にはいろいろ細かな描写がある。
観られた方はご存知だろうが,大洪水の前の世界では,日中の空に星が輝いていた。
大気中に水蒸気がないので星が見えるという設定だろうか?
太古の地球の大気の組成は現在のそれとは異なる。
聖書の記録によれば当時の世界では,地上のどこであれ,暖かい霧の作用によって温暖な気候であった。
大気は霧の作用によって蒸気を蓄えたままで,降雨の必要はなかった。
洪水の前の地球では,火星から飛来した偵察者が姿を見せ始めていた。
聖書の中での偵察者の記述はごくわずかだが,外教徒の本にはいくらか詳細な記録がある。
当時の火星は,地球とニビルの間の中継ステーションだった。
彼らは火星での重労働に疲れ病気に倒れていった。
火星に住む女性も次々と病気で死んでいった。
火星には女性の数が減り状況は深刻になった。女性が必要になった。
不幸な彼らは主神Yahweh Elohim(ヤハウェ・エロヒム)の背後で,地球の女性を誘拐しようと画策した。
そして,人間の女性を誘拐し,火星に連れ去り妻にしようと決めた。
火星から地球に飛来した偵察者の数は,聖書は200人と記録されている。
シュメールのタブレットの記録にも,この偵察者の記録はある。
映画「Noah」の中にも,この偵察者は登場する。
偵察者 は街の民衆からNoahを守る働きをする。
映画では,アヌンナキの一味Ajitが偵察者のひとりとして登場する。
偵察者の数は200人。これは聖書からの引用だろうか。
偵察者とAjusshiの二者には2つのパラレルストーリーが展開する。
実際にはGG(GG revolt)のリーダーは反乱者だ。
サタン(SATA,Satan)という名前の反乱者だ。
■古代のタイムラインの中の大洪水
地球の支配者・EnkiとEnlilを描いたシュメールの筒印。
そこにはEnki,Enlilらが第12惑星ニビルから来たことが描かれている。
そして,地球のルーツである惑星ティアマト(Tiamat)の記録も描かれている。
かつて太陽系では天体の衝突がおきた。
惑星ティアマト(Tiamat)は二ビルと衝突して砕け,その破片のひとつが地球になった。
この解釈には議論が多いが,しかしSitchin氏はこれは実際におきた事だと言う。
Neil deGrasse Tysonのような人々はこのような歴史を否定するが。。
しかし,実際に海を除いて地球を見れば,それは惑星にはみえない。
あたかもトウモロコシでできた網のように見える。
この太陽系にはあらゆるサイズの球状の天体があるにもかかわらず,地球のサイズの天体は他にはない。
地球はこのサイズの唯一の天体だ。
水は揮発性物質だ。
太陽フレアによって揮発してしまうはず。
その揮発性物質が太古の昔から残っている。
不思議な事だ。
そしてその事について,決定的な科学的根拠はいまだに見いだされてはいない。
月について。
月の天体を構成する物質は基本的には地球と同じであるとされている。
科学的論拠はいまだにないが,想像するに,天体の生成期において,原始地球の自転エネルギーによって地球から剥離した部分が月になったのではないか。
そして小惑星帯(the asteroid belt)にあるセレス(Ceres)をはじめとする小惑星もまた,構成する物質は基本的には地球と同じだ。
この太陽系には,地球のサイズの天体は他にはない。
この事実から想像できる事は,地球も,月も,小惑星帯にある小惑星も,ひとつのより大きな天体から分かれてできたという事だ。
数千年前のシュメール文献に記録があるが,かつて太陽系では天体の衝突がおきた。
惑星ティアマト(Tiamat)は二ビルと衝突して砕け,その破片のひとつが地球になった
やがて,惑星ティアマト(Tiamat)の破片のひとつの地球には生命が宿り,進化してゆく。
そしてその星にAnunnaki(アヌンナキ)が飛来する。
Anunnaki(アヌンナキ)やNephilim(ネフィリム)やイギギ(IGG)は身長13フィートの巨人であったとされる。
巨大な足跡の化石が残っているのだから,地球にかつて巨人がいた事は確かだろうが,
それがアヌンナキやネフィリムであったとは断定できないと思う。
私自身はアヌンナキやネフィリムが巨人であったとは考えていない。
最初の人類がいかにして創られたのか。
EnkiとNimahが人類を創った歴史について,Sitchin文献には記録がある。
人類は金鉱採掘をする奴隷として創られた。
最悪の奴隷人種。
アヌンナキの資産。。
しかし,地球の金鉱採掘に際しての奴隷製造の可否については,真剣な議論が重ねられたのだとSitchin氏は語る。
そしてアヌンナキ達は決断に至る。
「我々は人間である」とは「我々は魂と意識をもつ生物だ」という事を意味する。
奴隷として作った人間ではある。
しかし人格と魂をもった尊厳ある存在としてこれからは扱っていこう。
それは彼らアヌンナキ達が私たちに与えなければならないという意味ではない。
しかしアヌンナキ達は人類に何よりも大きな宝を与えた。
彼らが持つ遺伝学の技術を駆使して,我々人間の遺伝子に「感情」や「意思」といった遺伝子を組み込んでいったのだった。
このプロセスを最初にはじめたのがEnkiとNimahらであった。
そうなると,EnkiとNimahらの存在は,古代エジプトの神Isisにあたる存在にあたる事になる。
人間と創造主。
最初の男性Adamと神Isisの関係。。
Isis,Osiris,Horusと人間の関係だ。
神と,神によって作られた小さな者(人間)の関係 。
古代エジプトの神の記録。
それは大洪水の後に新たに作られた古代エジプト文明において,かつての歴史の記録を描きなおしたものではないのか。
私には,Stitchinと交流があった友達がいる。
彼からStitchinの話はよく聞く。
Stitchin博士は,シュメール文明,二ビル,アヌンナキに関して多くの発見をした。
友人が語るところによれば,
Stitchin氏は研究を進めていくにつれ,Anunnaki(アヌンナキ)たちの当初描いていた人物像が誤りであったと考えるようになったという。
Anunnaki(アヌンナキ)は実際は道徳的な人々であったという。
彼らは道徳的存在であって,地球に及ぼす影響を非常に長く非常に懸命に考えていたようだ。
そして最終的に地球でおきた事態について心を痛めていた。
古代エジプト文明において崇められていた,
Isis,Osiris,Horus,Seth
は古代エジプトの神と女神であった。
そして,現代の世界で,NASAの宇宙計画のマークに繰り返し描かれる像は,この古代エジプトの神と女神,
Isis,Osiris,Horus,Seth
である。Isis,nimahは基本的に同じ意味だ。
Anunnaki(アヌンナキ)は長く地球にとどまった。
Anunnaki(アヌンナキ)は人間をこしらえて労働者にして働かせた。
アヌンナキたちの中には人間を好む者もいたし,嫌う者もいた。
そして,アヌンナキたちは,金を採掘し終えた先の事を議論した。
そしてアヌンナキの王Anu(アヌ)は,最終的に地球を去る決断をした。
そもそも,地球に来た目的が,二ビルの大気環境の修復のための金の採掘なのだから,採掘が終わったら去るのが当然といえば当然だ。
「この地球で我々アヌンナキが為した事は良い事ではなく,結果として混乱を作ってしまった。
だから,我々はこの地球を去らねばならない」。
アヌンナキたちは思った。
アヌンナキは地球から去って二ビルに戻った。
しかし全員が去ったのではなく,地球に残ったアヌンナキもいた。
聖書の黙示録にもその記録はある。
黙示録によれば,1割のアヌンナキはアジアでNephilim(ネフィリム)として生きたという事だ。
ネフィリムたちは,文明の再建を始めた。
地球に残ったごく少数のアヌンナキたち。
ネフィリムたちが何を考えたのか。
私が想像するに,地獄のような地上を支配するよりも,天で王に仕える方が良いと考えたのではないか。
アヌンナキの最後の王はGoliath(ゴリアテ)であった。
アヌンナキの王に替わって,最初の人間の王になったのがダビデ王。
ダビデ王が,アヌンナキに替わる王の血筋となった。
ダビデ王の家系をたどっていくと,Angie(アンジー)の息子と娘,そしてEnlilに至る。
聖書に記録されたCain(カイン)とAbel(アベル)の物語。
そのもとになったのは,この当時の世界を描いたシュメールの物語だった。
アヌンナキの子供たちの物語だ。
アヌンナキの子供。
アヌンナキの男子の名前はKane(カイン>>Cain)といった。
アヌンナキの女子の名前はAbel(アベル)といった。
Kane(カイン)はAbel(アベル)を殺した。
そしてさらにKane(カイン)はAbel(アベル)を殺し,さらに殺し,
争いは深まり,ヘブライ語の聖書の記録によれば,当時の戦争は最終的に核戦争に至った。
(アトランティス国とムー国の戦争??)
それから時代は過ぎ,大洪水がおきて地上の世界は消えた。
そして洪水から120年後,地上にNephilimが現れた。
新しい世界で,神人(the divine beings)は生き残りの子孫たちとともに生きたという。
Lowellが地球の王の王位を継承する中,Anunnaki・Enlilの子供MardukはAnunnakiに対して何度か反乱を起こした。
Mardukの叔父Enlilが地球上で続けていたAnunnakiの王位継承に異を唱えての反乱であった。
危険にさらして地球に来,最初に基地を建設し,街を作ったのはEnlilだった。
Enlilの子供Mardukは意に介さなかった。
Enlilらがやろうとしていた事は公正だった。
EnlilらはMardukを火星のLAMU(Marduk赴任の後に改名)に送った。
Mardukの暗殺計画も何度かあった。
しかし実行には至らなかった。
Marduk率いる人類とAnunnakiとの対立は深まった。
そして最終的にMardukが地球の王位を勝ち得た。
そしてそれ以降,人類世界に秘密結社(シークレット・ソサエティ)が生まれた。
Mardukはいわば秘密結社の太祖である。
日本の沖縄諸島の南端・与那国島沖の深さ30〜40フィートの海底には与那国海底遺跡がある。
遺跡については様々な議論がなされた。
自然の造形だという人もいるし,人工物だという人もいる。
私は与那国海底遺跡は明らかに人口の遺跡だと思う。
海底遺跡がかつて陸上にあった事を考えると,遺跡は1万年以上前のものだという事になる。
2000年代初頭に米History Channelは現地にダイバーを送って映像を撮った。
映像には中南米にある遺跡と類似する装飾が多数確認できた。
これはノアの洪水を示す跡だと考えている。
トルコの標高5000mには塩湖がある。
普通,高地にある湖の水は淡水だ。
山に降った雨や雪が窪みに溜まればそれは淡水湖となるはずだ。
しかし,ここの湖は海水のような塩水でできた湖だ。
これもこれはノアの大洪水を示す跡だろう。
この塩湖は先ほどノアの方舟の遺跡の話をした,アララト山系のDe Rounapar付近にある。
古代シュメール文明が発祥したシュメール砂漠はこのアララト山系の麓にある。
さらにそこからアフリカのほうに進むと,古代エジプトのナイルデルタ地域がある。
非常にわかりやすい経路が見えてくる。
アッシリア文明・メソポタミア文明・フェニキア文明。
メソポタミアの肥沃な三月地帯(the Fertile Crescent)で発祥した異なる3つの文明と,さらにその南方におきた古代エジプト文明。
それら文明が,ほぼ同時期に生まれている。
誰も本当の正確なタイムラインは知らないが,
おそらく,これらの文明が生まれた時は,
ノアの大洪水がおきた1万2千年前(BC10000)の後だろう。
これらの文明において,Anunnaki(アヌンナキ)がやったことは,これらの異なる文明を再構築する事だった。
しかし災害の前と同様,世界の指導者は,人類の事はあまり考えない,Anunnaki(アヌンナキ),Enki,Nimahに仕える者たちであった。
Enki,Nimahは今や夫婦であった。
EnkiはAnuの息子だったので,Enkiが所有する家畜・人類もまたAnuの法的配偶者の権利を持つ。
それがEnki,Nimahが夫婦になった背景だ。
だから正統な血統からは大きく外れてはいた。

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歴史情報,Chris H. Hardy博士のインタビュー 
‎2017‎年‎8‎月‎6‎日‎ ‎2‎:‎25‎:‎24
By Jeffery Pritchett
The Anunnaki Creation Of Eve – The God That Created Us Not Same God Who Expelled Us From Eden
Saturday, April 26, 2014 10:43
(Before It's News)
by Jeffery Pritchett of www.churchofmabusradio.com
Before It's News
http://beforeitsnews.com/paranormal/2014/04/the-anunnaki-creation-of-eve-the-god-that-created-us-not-same-god-who-expelled-us-from-eden-2467930.html
Chris H. Hardy博士(以下CHH):
5.まるでリドリー・スコットの映画「Prometheus」のエイリアンみたいですね。私達を作った神は、実はエゴに満ちたサイコパスであると?
人間の成長を本当に喜ぶ神っていないんでしょうか??
CHH:人間のゲノムの約90%はアヌンナキの操作を受けていると考えています。
ただ、幸運にも人間の事を思ったアヌンナキ−二メア(Ninmah)、エンキ(Enki)、ヘルメス(Ningishzidda/Hermes)が、我々に考える余地を与えてくれた。
シュメールのタブレットには、最初の人間たちが学んだ、聖職・管理など、科学・社会的ノウハウが記録されている。
そして、非常に早い時代(前洪積期)に、二メアは彼女の都市シュルパク(Shuruppak)にAdam/Adapa、Noah/Ziusudraなど10人の地球人に王位(女王,家来)を与えて統治させている。
6.ノア伝説をどう考えますか?地上から人類を一掃した神、ネフィリムについて、どうお考えですか?
CHH:人類の増加、イギーギ/ネピリム(the Igigi/Nephilim、火星・宇宙ステーションで働くアヌンナキ宇宙飛行士)、
地球司令官エンリルのビジョンのない計画。。いまだ奴隷労働者として働く者たちのストレスは高まっていった。
エンキの息子・マルドゥック(エンキの息子/相続人、人間の大祭司の娘に恋をし、彼女と結婚するために両親の同意を取った)は人間も配偶者と家族を持つ権利を要求した。
アトラ-ハシス叙事詩(The Atra-Hasis Epic)には、エンリルが試みた人間から人間性を取り除く2つの試み、生物学兵器による疫病、干ばつと飢餓のの記録がある。
しかしどちらもエンキの介入により失敗した。
エンリルは、二ビルの次回の地球接近の時期に再度その試みを行う事を計画した。
二ビルの科学者が、二ビルの地球接近時に、2つの天体の間にできる大きな引力ができる事を計算した。
地球の全生物を死滅させる事のできる世界的地球規模の津波・大洪水。
エンリルは王室の部下を集め、次回の地球接近時に、地球におきうる大変動の事実を人間に明らかにしないよう命じた。
一方、エンキは、命じられたが、人間の種を保存する意思を固くした。
エンキは、彼の愛する弟子/息子/王・ジウスドラ/ノア(Ziusudra/Noah)に警告した。
そして潜水艦(ノアの箱舟,a submersible−the Ark−)を建設するよう教育した。
二メアは動物と植物のゲノムのデータバンクを集めた。
二ビルが地球に接近した。未来におきうる事実は、大変動の前、地上のアヌンナキの純血種は二ビルへの帰還を命じられた。
アヌンナキの純血種であるマルドゥックは未来におきうる事実を知らされていたが、地上に残り、彼の友人や家族を救うよう要請した。
シュメールの記録にのこる、人間性を消すための方法としての疫病と大洪水。
エンリルの最大の目的、「道徳的」意義は唯、二ビル人の血統を守ることであったことは明らかだ。
7.こういった惨状を産んだ原因が何であったとお考えですか??
CHH:創世記の編纂者がシュメールの古代のテキストを書き換えたのは、歴史の過去のイベントを一神教信者の教義につじつまがあうように納得させるためだった。
ここに必然の原因がある。つまり、歴史の記録の書き換えが生むゆがみ。
イブと女性への非難は、全般的にみて人間性に非常に有益であった。
同時に神性の次元、宇宙の意識からの女性を消去するのにも有益であった。
そして数千年の間、私達女性はそれと組み合っている。
8.あなたは「黙示録、最終戦争」的未来はおきず、人類の意識から二元性は消えないと考えておられるようですが。
CHH:これは人類の集合意識の飛躍において重要な問題。
なぜ重要なのかといえば、二元性は、影の力、一神教が人類の意識にに植え、精神と心理に強く形成した意識。
そういった世界で、集合意識が飛躍できれば、よりグローバルで、複雑な視野を手に入れる事ができる。
タブレットを勉強することによって、私達は「敵」(他の都市の王室)と「悪」の意味のオーバーラップが理解できる。
これは、現代の「罪の都市」パレスチナとイスラエルではっきりと説明される、
エンリルの一族が核攻撃したソドムは、エンリルの敵甥マルドゥックが住む予定だった都市。
科学や哲学を通じて、
(1) 真実と善の相関を知る
(2) 「私対他」の意識から解放する
A世界であれ、non-A世界であれ、二元性的・独善的視野を超えてものを見るようになると、複雑で逆説的な現実も受け入れられるようになる。
このいわゆる「善と悪の黙示録、最終戦争」は、人類が自ら生んだ恐れの意識の投影としての未来に過ぎない。
東方の宗派・ベーダーンタ哲学の古代文献によれば、意識の旅のゴールは、二元性を越え、二元性的意識を超えて内的調和・宇宙の意識に至る事だとある。
それこそが人類が目指すべき意識なのでしょう。

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詩人の予言・宇宙生命への挑戦
自由詩人!松尾多聞のブログ
いま、愛を信じる全ての人々へ人間の存在と未来を告げよう!
詩人の予言
写真(考古学者 ロン・ワイアット氏のHPより)
自由詩人!松尾多聞のブログ
トルコのアララテ山の山中で発見されたこの構造物からは地中レーダーによって
竜骨(船首から船尾まで貫通する船の背骨)、
柱、
リベット、

などが確認されている。場所もサイズも聖書の記述通り。
これは驚くことに「ノアの箱舟」なんだそうだ。
(宇宙船からロシアの宇宙飛行士が最初に発見した)
自由詩人!松尾多聞のブログ
このアララト山は富士山そっくりの山で5137メートルの標高。
その南へ30キロ地点のクレパスで箱舟は眠っていた。
聖書にもはっきり記述があり、場所もわかっていたものがなぜ?
最近になって発見されたかというと、それは「地球の温暖化が原因。
万年氷河が近年に溶け出して宇宙船により発見されたのだ。
自由詩人!松尾多聞のブログ
そして、考古学者を含む調査隊により現実に発見された。
長さはおおよそ150メートル。幅は約40メートル。
航海型の船ではなく、避難型の浮揚を目的に建造された箱のような船。
材質は糸杉でイギリスのもの。
エジプトのカイロ博物館にその黒ずんだ木片を持ち込んで鑑定した結果、いまから5000〜6000年前に建造されたことが判明した。
(構造は細かな部屋に区切られたものだ)
(↓驚くことにリベットはチタン合金だった)
無宗教の僕が調べたのですが、汗
ノアは、旧約聖書・『創世記』5章〜10章に登場するノアの方舟(箱船)で有名な人物。
だそうだ。そして要約してみた。
***
ヤハウェは地上に増え始めた人々が悪を行っているのを見た。
そこで天使アルスヤラルユル(ウリエル)を呼び、大洪水で地上の全てが滅びるが
「ヤハウェに従う無垢な人」
であったノアとその家族のみは生き延びさせるよう指示するようにいった。
アルスヤラルユルはノアに箱舟の建設を命じた。
ノアは500歳で息子セム、ハム、ヤペテ(ヤフェト)をもうけた。
ノアがヤハウェに箱舟を作るように命じられたのは恐らくこの頃で、箱舟の建造には数10年から100年の歳月がかかったと考えられる。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、3階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。
ノア(当時六百歳)は箱舟を完成させると、
自分の妻と息子とその妻たち(計8人)と、
すべての動物のつがい(清い動物「家畜」は7つがいずつ)
を箱舟に乗せた。
大洪水は40日40夜続き、地上に生きていたもの全てを滅ぼしつくした。
水は150日の間増え続け、その後箱舟はアララト山の上にとまった。
***
ということで、箱舟は発見された。
それも富士山とまったくといっていいほどソックリな山で。
しかもその事実はマスコミや国等により隠匿された。
そう、旧約聖書のこの記述が真実であったとして、その記述通りに船が発見された。
このことを前提に語り部としの僕の物語ははじまります。
僕の知っていること。思い出したことを勇気を出して書きます。真剣に。
このことを書ける状況になったから。そのことが僕はとてもうれしいのです。
まず聖書のこの記述を説明する事から僕ははじめようと想う。
ただ、ここからの僕の語りは、あくまでも詩人の「ひとりごと」としてくださいね。
ヤハウェは地上に増え始めた人々が悪を行っているのを見た。
日本語では神と訳されている「ヤハウェ」とは誰か?そして人々の悪行とはなにか?
今から6000年ほど昔に悪行は行われた。
それはちょうどそのころに滅んだ文明であり、人間が行う最大で一番残忍な行為は戦争である。
海底に科学技術が今と同等以上でなければ建設が不可能な遺跡が数多く発見されている。
しかもその事実が故意的に隠されてきた。
その戦争とは今のアフリカ大陸東岸に栄えたアトランティスと、大西洋に栄えたムーの文明との衝突だ。
彼らは巨大なアンドロイドや生物兵器、あるいは無数のレーザービーム船で戦争をはじめた。
もう、その憎悪の連鎖はとまる事を知らず増幅して無差別で狂気に満ちた殺戮を繰り返すようになった。
戦況はレーザーシップを多く所有したムーが勝利したが、アトランティスは小型惑星爆弾をひそかに準備して敗戦にあわせてそのスイッチを押す。
勝利に酔ったムーの人々の頭上にその爆弾は炸裂することになる。
その衝撃はすさまじく、この世界を大津波が襲い、一部の高地を省いて生命を全滅へと追いやるに足りるものであった。
津波が去った後も舞い上がった水蒸気は数十日におよび地球全体を包み込み雨を降らせた。
この大洪水と雨は世界各地の生き残った人々により伝説や神話として残る事になる。
ノアは遠く文明から離れた人であったが、それでも科学を知る聡明な人だった。
科学に精通する研究者でもあり、遺伝子科学にも造詣があった。
その彼が私たちより聡明な生命体に予言を聞いた。
彼はそのとき500歳。
100年の年月をかけて生き残る方法を模索することになる。それもたくさんの生命を共にして。
蛇足になるがノアの身長は3・5メートルとされている。
また、世界をはじめて征服したというアレキサンダー大王は、侵略した国の学者を伴い歩いた。
そして石碑を刻ませたのだが、その石碑にもまた彼の身長が3・5メートルであったことが刻まれている。

詩人の予言・宇宙生命への挑戦
http://sky.geocities.jp/icb44912/ee3sijinnoyogen.htm






隠匿された巨人の痕跡
過去に巨人族が存在したなどということは一般には認められていません。
しかしながら巨人の骨やミイラが発見されたという報告例がいくつか存在します。
◆1833年、アメリカのカリフォルニア州ランポック・ランチョンでれき岩層の中から巨大な骸骨が発見された。推定身長は3m60cm。絵の描いてある貝殻や、文字の刻まれている石のかけら、大きな石斧も掘り出された。
◆1869年10月、アメリカのニューヨーク州カーディフのある農場で井戸掘りの最中に3m16cmの巨人ミイラが発見された。
◆1891年、アリゾナ州で巨人の墓が見つかった。長さ4m近い花崗岩製の棺で、中に3m60cmの巨人ミイラが収められていた。
◆1986年、メキシコのプエブラ州とベラクルス州の境に位置するシトラルテペトル火山のふもとで、高さ約50cmの頭蓋骨と頸骨と見られる骨が発見された。推定身長は3m50〜60cm。
例えば 1986年に中央メキシコの「プエブラ州」と「ベラクルス州」の「堺」に 「シトラルテペトル」という火山があって 今迄にも先史時代の石器等がしばしば発見されている場所。そこで発掘された人骨は正に巨人のものだった。
その頭蓋骨の高さは「50センチ」で幅は「25センチ」。その頭蓋骨と一緒に発見された頚椎(けいつい)と見られる「背骨」を元に計算したところ体系は普通の人間であり身長は「3.5メートル!」と推測された。
また、ノアが500歳の時に建設をはじめて100年かかり製作。。。ではいったい彼らの寿命はいったい?となるが、今現在の科学では人間のあらゆるストレスをある程度省くと、人は115歳まで生きられるという。
しかし、この最近になってDNA科学が進み、ミトコンドリアとたんぱく質を研究する事により10倍の寿命が得られることが判明した。
参照:「普通のネズミより10倍長寿」のハダカデバネズミ:その理由は?
もし私たちがそのようなちょっとした遺伝子をいまでも存続させていたならば、きっと1000歳以上の寿命をもつことだろう。実際に寿命が10倍に延びた動物は、ほとんど食べ物を食べない。
そう、中国に実在したという1000歳を超える人間。霞を食べて生きたという仙人のように。
この巨人の骨や伝説は、やはり津波の影響を受けていない高地に存在して広がる事になり、やがて神話を構築することになった。
どん!
生き残った人々はこの事実を語りついでいった。
そこでヤハウェー(神)の伝説が作り上げられていった。
世界に残る神話は日本のものも全部含めて
「神には家族があり」
また、喧嘩もするし遊びもする。
ことに成っている。きわめて人間くさいのである。
しかし、空を舞い、いかずちを作るすごい力を持っている。
国土や自然までも構築する超人なのだ。だから神と呼ばれたのだろう。
この大洪水のあとに神話が作られて残ってゆく。
北海道やサハリンは、やはり火山地帯。そこにもアイヌの人々は生き残っていた。
彼らの伝説を調べて僕は驚愕することになる。そのカムイの伝説を要約して見ることにする。
コロポックルは何処に住み、どこから来たかは誰も知らなかった。
しかし、アイヌを襲った恐ろしい洪水の後に現れて、食べ物も火も失ってしまったアイヌを助けてくれる優しい友人だった。
彼らは夜に美しく輝き森の中を自由に飛び回った。
そして川を森を大地を創っていた。身長は60センチくらいだったので我々は「蕗の下の人」コロポックルと呼んだ。
ある日、いつものように夜が来てコロポックルが食料を届けてくれたときのことだ。
若いアイヌが姿を見せようとしないコロポックルが食料を差し出した手を引き、姿を見た。それはこの世にないほど美しい女性だった。
コロポックルは怒り去っていったが、悪いことをしたのはアイヌだ。
なぜならアイヌはコロポックルに何もできなかったが、彼らは一方的にアイヌを助け、生きることができる土地を作り出してくれた。
このころから世界各地に「小人」伝説が芽生える。
その伝説は欧州にも日本にもアジアにも山岳地帯を中心として広がっていった。
どの伝説も小人には不思議な力があり、優しい友人ではあるがどんな生活をしてどこから来たかは語られていない。
アイヌの人たちの窮地を救ったコロポックルはヤハウェとは身長も違い、出身も違うと僕は推測するのでヤハウェか、もしくはその所属する連合(ヒューマノイド宇宙連合)の命をうけて地球に到着した「地球救援再生隊」であった。
彼らは一代、約300年で地球生態系の再生作業に従事して任務を完了した。
人々は原始の生活に逆もどりしていたが、いままで二度もしてきた破壊と再生の歴史を再び繰り返すことになる。
ムーやアトランティスの過ちの道を再び歩み出したのだ。この大いなる人間進化の実験は今度で3回目になった。
人は空を飛び、生命を作り出し、宇宙に羽ばたくとき、この実験の最終段階に到着する。その実験の目的は壊滅か飛躍か。その二つの岐路に立つことである。聡明なヤハウェやその連合の仲間たちはこの実験を乗り越えて天空人となった。そして過去の人々には「神」とあがめられたのだ。
この銀河系で生きる兄弟たち5000億人はいま、僕たちの星を息を呑んで見つめ祈り、この困難は実験を地球が自らの愛で乗り越えることを願っている。
そう、この実験を終了しない限り、人はどこにいっても同じことを繰り返すからだ。
この実験を乗り越える事。人が人を愛し、愛で世界を包む事。
憎まず助け合い人を自分だと想い、自分が人々となること。本当にそうなれば武器も貧困もなくなる。
そうなった時には連合の仲間がこの空を覆い、友人として、天空人として私たちを迎えてくれる。
伝説。そして予言。たくさんの偉人は今世紀に救世主は現れて私たちを救うと語っている。
その救世主は、私たちにも存在する愛だったのだ。この星の失敗と成長の歴史はたくさんのことを僕に語りかけてくれる。
そして僕は彼らのことを知り、話もしてきたんだ。
最後まで読んでくれてありがとう。時間が許すとき、もっと詳しく話せるようにするからね。
※この記事を書きながら窓を仰いだ僕に、遠くから彼らが乗り物にのって見ていてくれた。涙
もしも、少しでも僕を信じていただけるなら、お願いです。この記事をたくさんの人に読んでくれるように紹介してください。
自由詩人・松尾多聞
いま、愛を信じる全ての人々へ
人間の存在と未来を告げよう!
詩人の予言・愛の世界

詩人の予言・宇宙生命への挑戦
http://sky.geocities.jp/icb44912/ee3sijinnoyogen.htm













https://youtu.be/W1iAMICQ_Hs
Unknown (///)
2011-02-20 09:28:58
13000年前あたり(ピラミッドが建設された時代)に、
高度な航海技術を持って日本→北米→南米→インド→中東を繋げていた環太平洋文明の民族が、
ヤンガードレアス期の寒冷化(北半球の半凍結)により南下してメソポタミアへ移動、やがて寒冷化が終わり、
今度は温暖化で南下していた文明が北上を始め、アジア、北米に拡散していった・・・・。
その後(約6500年前)に地球規模の大災害(ノアの大洪水)で低地の環太平洋文明都市は崩壊してしまい、
偶然、高地に住んでいた極少数の民族だけが生き残り、約1000年後にまた低地に文明社会を築いた(←世界四大文明の勃興)!
という文明周期説も参考になります。

始まりに向かって
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/639ae0033705c33515cb4b1fa2ac2a02








歴史情報 農業の起源
農業の起源
農業の起源は近代考古学においてもっとも難題とされてきた分野である。
紀元前9600年頃に起きた気候の大変化の直後、世界各地で突如として農業が始まったという事実を説明するため、これまでにたくさんの学説が浮かんでは消えてきた。
1886年、アルフォンス・デ・カンドル(1806〜1893)が植物学的見地からこの問題に取り組んだ。
「栽培植物の地理的起源を知るための最も直接的な方法は、その植物はどこの国で人の手を借りることなく自生しているかということを調べれば良い。」
ソビエトの著名な植物学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフ(1887〜1941)は、
カンドルの方法論に可能性を見出していた。
バビロフは長い間かけて世界中から5万種類以上の野草を集め、この作業を通じて主な栽培植物の発生源として8つの場所を特定することに成功した。
なんと、これらの全ての場所には地球上で最も高い山脈との直接的な相関関係がはっきり認められたのだ。
今日不可欠とされている栽培植物が最初に生えていた場所は、ヒマラヤ、ヒンドゥークシ、中近東、バルカン半島、アペニン山脈など、
世界に冠たる山脈が集まる、北緯20度から45度の地域に集中している。
ヨーロッパ、アジア、アフリカにおいてはこれらの地域は緯度に沿って伸び、南北アメリカにおいては経度に沿って伸びている。
どちらの場合も、大きな山脈がある地域と一致しているのだ。
バビロフは、また、今日世界中で栽培されている植物が元々は海面よりはるかに高い位置にある山岳部に生えていた植物を源としていることを証明した。
アトランティスの伝説をエジプトの文献で知ったプラトンは、地球上を大洪水が襲った直後からの復興の最初の日々について、
その最後の著作「法律」の中で記している。
アテネ人「大昔の話には真実が少しでも含まれていると思いますか?」
クリニア人「何の話に?」
アテネ人「人類がしばしば大洪水や疫病、その他の災害によって滅亡させられた結果、僅かの生存者しか残らなかったという話です。」
クリニア人「みんなが真実であると信じていることでしょう。」
アテネ人「それでは多くの災害を思い描いてみましょう。特にノアの洪水の時に起こった災害のことです。」
クリニア人「それについて何を思い描くのでしょうか?」
アテネ人「破滅を逃れた人々の多くは丘の上に住んでいた牧夫であり、人類のほんのわずかな生き残りがどこかの山の上に落ち着いたということです。」
クリニア人「明らかに」
アテネ人「平野や海の近くにあった街はその時全て壊滅してしまったと仮定しましょうか?」
クリニア人「いや、こう仮定しましょう」
アテネ人「それでは破壊が起こった時に、人類はどのような状態にあったとしましょう。陸地には無人地帯が広範囲にわたって存在していて、動物はほとんど死滅してしまった。ほんの少しだけ生き残った牛や山羊が、牧夫の手に渡っていったとしたら?」
プラトンのこうした記述は、家畜の出現に関して初めて理にかなう説明をつけたものである。
彼の理論は、農業の起源や動物の家畜化の始まりが、アトランティス文明でかなり昔から実践されていた手段を再現したものだということを仮定している。
史上最古の農業的実験が行われた時代は、アトランティスの滅亡した時代とぴったり一致するのである。
−MU BOOKS/アトランティスは南極大陸だった!! 1996年刊

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気象情報:約12,240年の地球温暖化は急速にすすんだ

2013年12月5日
The Extinction Protocol

Volcanic ash reveals rapid Ice Age climate change
Posted on December 5, 2013
by The Extinction Protocol
December 5, 2013

Climate Science
http://www.reportingclimatescience.com/news-stories/article/volcanic-ash-reveals-abrupt-climate-change-during-last-ice-age.html

The Extinction Protocol
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/2013/12/05/volcanic-ash-reveals-rapid-ice-age-climate-change/



オックスフォード大学/クリスティーン・レーン (Christine Lane、Oxford University)
とGFZ独地質調査センター(the GFZ German Research Centre for Geosciences) /アキム・ブラウア (Achim Brauer) による独英合同地質学研究チームの調査によれば、氷河期の気候変動は地域により約120年の時間差はあるものの、地球の各地方で訪れる。気候変動ははやいスピードでおこりうるという。

約12,240年におきた前回の氷河期の終わり、氷河期終期に約1100年続いた寒冷期/ヤンガードレアス期(the younger Dryas)のおわり、アイスランドのカトラ火山(the Katla volcano)で大噴火がおき、
火山灰は偏西風にのって北ヨーロッパ、中央ヨーロッパの大部分のエリアにおちたが、

独英合同地質学研究チームの最新の研究書/「Geology」の記事によれば、西ドイツ/アイフェル地域(the West German Eifel region)/マーフェルダーマール湖(the Meerfelder Maar lake)の沈殿物の堆積パターンと南ノルウェーのクラケネス湖(Lake Krakenes)のそれには約120年の時間のずれがみられた。
つまり、アイフェル地域で最初に温暖化が起き、その約120年後にノルウェー南部で温暖化が起きたが、両エリアで起きた温暖化はどちらも等しく急速だった。
Achim Brauer
「湖底に沈んだ火山灰沈殿物から正確に火山灰の年齢を測定することが出来る。
これにより時間を正確に特定できる。」。

local pc








2010.12.4
宇宙的な厄災は過去に何度もあったのにも関わらず、それは単なる作り話だと思ってきた。
そのツケが回ってくるかのようだ。
こうして「宇宙的な災厄」が再び巡ってくるのである。
「ノアの大洪水」を地球上の起こした巨大彗星ヤハウェは、水星にも接近したことで水星が収縮させた。
その上、ヤハウェに破壊された惑星フェイトンの残骸を水星にも叩きつけたので、水星も月と同様なクレーターが多数ある。
一般的に、天体に落下しなかった小惑星や隕石が惑星の重力圏に捕まったときに、その惑星にリングが出来ることがある。数が少ないと火星の衛星のような存在となるが、形が小さいもので数が多いとリングになる。これらは全て巨大彗星だったヤハウェが引力で引き連れていたフェイトンの残骸で、これらを木星や土星、それに天王星や海王星にあるリングの一部は小惑星の残骸によって形成された可能性が高い。その他にも特に土星のリングはその大きさから、土星の衛星が破壊された残骸も混じっているのではないかと思われる。その中で天王星は巨大彗星ヤハウェとニアミスしているようで、地軸が97.9度という横倒し以上の角度で自転するようになっている。
土星の衛星イアペタスは赤道をなぞるように高さが19キロもある突起構造があり、他の天体と接触したときに出来たと思われる表面に削られた跡がある。これはデススターに似た形状で、もしかするとスターウォーズの製作者は、公表されていなかった宇宙情報を予め知る立場にあったのだろうか。それに人工構造物も存在しているという。
天王星の衛星であるミランダも表面のアチコチに引っかき傷のようなものが存在していることから、巨大彗星ヤハウェとの接触で出来た可能性もある。そして海王星にも多数の衛星があるがその中のトリトンも海王星の他の衛星とは異なり公転方向が逆になっているばかりか公転角度が大きく傾斜している。その表面の様子は北半球と南半球とでは全く異なっているのだ。北半球は起伏が無いのに何故か南半球は地表が変化するほどの引っかき傷がありデコボコして荒れている。特に最下部近くはデコボコが酷い。これも巨大彗星ヤハウェとの接触によって出来たものだと思われ、そのままビリヤードのように弾き飛ばされ現在のような異様な公転方向と公転角度になってしまったのだろう。そして、このときに海王星の衛星が弾き飛ばされたのが冥王星と、その同一軌道上を冥王星を追いかける形で太陽を公転しているヘメラである。それに冥王星の衛星であるカロンを含めて3つとも海王星の他の衛星と似ていることから、おそらく海王星の衛星だった可能性が高いだろう。
冥王星にはカロンの他にもニクスとヒドラという衛星があるが、これは火星の衛星であるフォボスとダイモスのようにフェイトンの残骸のような歪な形をしている。
実は冥王星の大きさは直径が約2300キロで月よりも小さいことがわかったことと、冥王星の外側を公転する惑星エリスが発見され、そのエリスは冥王星よりも大きかったために冥王星は矮惑星に降格した。冥王星の軌道は異質で楕円軌道である。
太陽系の惑星は正確には真円軌道ではなく楕円軌道なのであるが、その誤差が極めて少なく地球の離心率は0.02であるが、冥王星は0.25であり楕円軌道を描いている。その影響で海王星の軌道と一部で交差しており、1999年までは海王星の方が冥王星よりも外側を公転していた。
他の惑星は地軸の傾きは様々だが公転面は横道面とほぼ同じである。しかし冥王星の軌道は約17度も傾いており、海王星の公転面と比較しても約15.4度傾斜している。このことは全く斉一論では説明がつかない。これは明らかに太陽系の調和が乱されて宇宙規模の大激変があったと思われるのである。現在、海王星にもリングが存在することがわかっている。これも他の大きな惑星と同様に巨大惑星ヤハウェが引き連れていた破壊された惑星フェイトンの残骸が海王星の引力に捕まったからだと思われるが、その他にも衛星が破壊された可能性も高い。どうやら、現在では小惑星帯になっている破壊された惑星フェイトンの他にも木星・土星・天王星・海王星の衛星も幾つか破壊されているようだ。それに小惑星帯の中に1つの球体をした惑星が発見された。他の小惑星帯にあるような小さく歪な形とは明らかに異なることから、破壊された惑星フェイトンの衛星だった可能性が指摘されている。その他にも太陽を公転している小惑星は12個存在していることがわかっている。そうなると大小あわせて合計する20以上の惑星が公転していることになる。だから月よりも小さな惑星である冥王星が降格したのだ。それにマダ正式には公表されていない「惑星X」と呼ばれる惑星の存在も明らかになっている。
これは惑星ヤハウェと同様に大衆に知られては困る惑星である。ナント他の惑星と比較しても異常とも思えるような垂直に公転しているのである。
横道面から87.2度の角度で、冥王星よりも比べ物にならないので、斉一論による
「ガス円盤が回転して太陽系が形成された」
という説明では全く解明できない現実であり、太陽系に大激変が起ったことを物語っている。
この惑星の公転周期は冥王星の248年よりも遥かに長いことは確かなようだが、弾き飛ばされた影響なのか、
冥王星の外側から土星の内側を通る公転軌道なのである。
太陽系の中でも異質な存在である、この「惑星ノクス」は今のところはハッキリと公転周期がつかめていない。
それもエハン・デラヴィ氏が主張しているような約3600年周期で公転している太陽の伴星ではなく、キチンとした惑星であり大気も存在しており、
主成分は窒素で少量だが酸素も存在しているようで地球に似ている惑星ということだったのだ。
だが、太陽から遠いためか全域が氷で覆われている。
しかし、その氷はメタンではなく普通の水が凍ったものだという。
衛星の数は7個で全てが火星の衛星と似た小惑星のような歪な形をしている。
一方で、ある天体が必要以上に接近したとき、その天体が地球の大きさに近いほど重力による「潮汐作用」を大きく受けることになり、
地球に世界規模の地殻変動をもたらし地球上は大変な状態に陥る。
ノアの時代に、エノクのいた町が人々を乗せたまま空中高く浮遊して何処かへ消え去ったという伝承があるが、
これを牧師だったスウィフトに「ラピュタ」物語の構想を思いつかせたのである。
そして「聖書外典」にはエノク自身が空中を浮遊したという記述もあり、これもプラズマ領域が関与したことが十分に考えられる。
地上から消えたエノクの町は太陽に向かったとする伝承が残されている。
その直後に「ノアの大洪水」が起きていることから、この現象も天体の超接近によって重力が変化してプラズマ領域が至る所で引き起こされたことだろう。
当時、世界各地で様々な温度の自然プラズマが発生していたことは、インド北部とパキスタン南部のモヘンジョダロ一帯に散在しているガラス状地形は、摂氏数千度の超高熱プラズマで大地が焼かれたことを意味していと思う。イギリスの考古学者であるジョン・マーシャルは、古代に大規模な自然災害が発生したと考えた。だが、それをに異を唱える古代史研究家のデーヴッド・ダヴェンポートとE・ヴェンセンティは、その大災害こそが古代文明同士で核兵器による戦争が起きた跡であると発表して世界中で驚きと共に支持された。確かに既存の核兵器の爆発による高熱現象はプラズマによるものであるが、古代においての核戦争は突飛過ぎるのである。核兵器を製造するような文明は長い歴史的積み重ねによって出来るものなのである。それを造る設備や工場や人材と様々な化学的環境が無ければならないので、イキナリ核兵器を造れるような文明が発生したとは思えない。世界中探しても原子炉施設があった形跡すら存在していないのである。
だから、古代に核戦争が起きたことことは極めて無理がある。
要するに、これだけの超高熱を生むようなことは科学的兵器でなければ出来ないという前提の下で考え出されたものであり、超高熱を生むことは自然現象では起きるはずがないというのも現代科学が抱える傲慢さである。こうした現象が自然に発生するということを大衆に知られたくないという思惑も一部には存在したのだろう。実はモヘンジョダロが位置する緯度と近い場所に多くの天変地異が集中して起きていたのである。それは北緯28度近辺であり、世界各地で天変地異が頻発していたころに、インド北部で大発展していたモヘンジョダロが一夜にして廃墟となった。果たして、古代の地球に超高熱を発するような自然災害が起きていたのだろうか。
続く・・・

徒然ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/60583081.html















2004/08/07(土)
祇園祭の大いなる秘密
読書
『祇園祭の大いなる秘密−日本神仏祭祀の謎を読み解く』(久慈力、批評社、1,890)、読了。
前から読みたいと思っていたが、ブックオフでたまたま見つけて買った。
いわゆる日猶同祖論的な説で、祇園はシオンの転訛だという主張がある。
これだけだったらゴロ合わせで終わってしまっていて、まともな人ならば誰も見向きはしないだろうが、
この本では祇園祭とシオン祭を徹底的に比較・検証している。
シオン祭とは何か?
紀元前1000年頃、古代イスラエル統一王国のソロモン王の時代に神殿があった場所がシオンの丘と呼ばれた。
そのソロモンが王として即位したことを祝う祭が、シオンの祭だった。
京都の八坂神社の祭礼である祇園祭は、その古代イスラエルのシオンの祭を模倣したものだというのが著者の主張だ。
いわゆるイスラエルの失われた十部族が古代の日本を訪れていたという説があり、そのような主張をよく知らない人にとっては、
祇園祭=シオン祭
説は、「トンデモ」以外の何物でもないと考えても無理はないだろう。
だが、著者は祇園祭の神事の内容を詳細に調べ上げ、古代イスラエルの神事との類似点を、さまざまな視点からとらえている。
特に私が説得力があると感じた部分は以下のとおりだ。
1. 仮庵祭と祇園祭の神幸祭は七日間行われる。
2. どちらも七月中旬に行われる。
3. どちらも水と火と光の祭であり、神霊が降臨し、宮清めが行われる。
4. 仮庵や山鉾を花、木の枝、植物の房、幕などで飾り立てる。
5. どちらも水を汲み、水を注ぐ儀式が行われる。
6. 榊とヒソプ(ユダヤ教の清めの儀式で使用する植物)は同じ役割を果たす。
7. 祇園祭は、ノアの箱舟がアララテ山の山頂に達した日である7月17日にピークを迎える
以上は著者の主張するところのごく一部にすぎない。
これだけのことが一致するとなると、これは偶然とするのは
無理があるだろう。
この本では、重要な事実をあっさりと書きすぎている部分があるのと、後半ちょっと論旨が強引な部分があるのが残念だ。
だが、これまでの類似の本では書かれていなかったことが多く、それなりの価値がある本だろう。

●探求三昧 by N.Momose● 何でも探求するブログ
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20040807/1396008494





祇園祭とイスラエルの祭との類似
日本では毎年、7月17日に、「夏祭」と称する「祇園祭」、別名「天王祭」が全国一斉に行なわれます。
とくに総社である京都・祇園神社の祭は、大規模に7月17日から1週間にわたって行なわれます。
じつはこの7月17日という日は、イスラエルにおいても、非常に重要な日でした。かつてノアの箱舟がアララテ山に着いたのが、まさにこの日なのです。
「箱舟は第7の月の17日に、アララテの山の上にとどまった」 (創世8:4)
と聖書に記されています。
そのため古代ヘブル人は、この日に謝恩祭を行なっていたようです。
しかしモーセ以後は、ちょうどこの時期に収穫祭 (仮庵の祭ともいう)が行なわれるようになりました (第7の月の15日から1週間)。
京都で行なわれている祇園祭は、こうしたノアの箱舟の記憶や、イスラエルの収穫祭を思い起こさせるものがあります。
祇園祭では、「舟車」といって舟の形をした山車が、町内をめぐります。
また神輿には、鳩に似た小鳥の彫刻や、榊の小枝をくわえた鳥の模型がついています。
これらのことは、ノアの箱舟や、箱舟にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた鳩の話を、思い起こさせるものであるわけです(創世8:11) 。
明治維新の頃、日本に来た商人で、N.マクレオドという人がいます。
彼も京都で祇園祭を見たとき、ひじょうに強い印象を受けました。
たとえば祇園祭の中で、人々は木の枝を持ち歩いていました。
古代イスラエルの収穫祭でも、人々はたくさんの木の枝を持ち、また農業の収穫物を持って行列に参加しました。
またマクレオドは、祇園祭で使われる香炉が、イスラエル神殿で用いられていた香炉に非常によく似ている、と観察しました。
さらに祇園祭の行列の中に、「7つの腕のある道具」を持ち歩いている人たちを見ました。
これはイスラエル神殿で用いられていた7つの腕を持つ燭台(メノラ)に非常によく似ている、と彼は考えたのです
また日本文化において12という数字が、いろいろな場面において用いられていることをも、発見しました。
天皇は12人のお妃を持ち、京都の御所には12の門がありました。
宮城には12の飾り付けがあり、神社の祭では12本の棒がゆわえつけられていました。
こうしたことは、イスラエルで神の民や神殿に関するものに12という数字がよく用いられていたことを、ただちに連想させるものでした。
祇園祭について、ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はこう言っています。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たときに感じることは、「ギオン」という名前はエルサレムの別名である「シオン」ではないか、ということである。 
・・・その祭自体が、古代イスラエルの歴史を、ドラマ化したものであるように感じるのである」。
このように、イスラエルの習慣に精通している人々にとって京都の祇園祭は、イスラエルの祭を連想させるものであるようです。
しかしこれはイスラエルの正統的な宗教行事の場合ですが、そうでない場合もあります。
たとえば、日本の神社の中には、牛を祭神としているところが多くあります。
さきに、神道は基本的には偶像崇拝ではないと述べましたが、一部には偶像崇拝も事実入っているわけです。
この風習は、古代イスラエル民族が行なった異教の偶像崇拝の名残りではないか、とマクレオドは考えました
聖書にも、古代イスラエル人は唯一の神を信じながらも、しばしば「子牛礼拝」などの偶像崇拝に陥ったことが記されています。
とくに失われた10部族は、そうした偶像崇拝に陥っていましたから、偶像崇拝が一緒に日本に持ち込まれたと、考えられるわけです。
また、「山伏」に関する様々のことが、古代イスラエルの習慣に非常に良く似ていると、指摘されています。
山伏――頭につけているのが兜巾。
たとえば山伏は、額に「兜巾」(ときん)と呼ばれる黒いものをつけます。
これは古代イスラエルの祭司が額につけた黒い聖なる箱「ヒラクティリー」にそっくりだ、と指摘されているのです。
今日もユダヤ教徒は、祈りのとき、ヒラクティリーを額につけます。こうした習慣は、ユダヤ教徒と日本の山伏にだけ見られるものです。
山伏が吹く「法螺貝」も、イスラエル人が祭のときに吹く「ショーファー」という笛に、よく似ていると言われています。 
イスラエル人のショーファーは、ふつう雄羊の角で作られますが、必ずしも雄羊の角である必要はありません。
実際には、手に入る材料で作ってかまわないのです。
日本は羊は少なく、海洋国家なので、法螺貝が用いられたのではないかと言われています。
両方とも同じような音をたてるのです。そのほかにも、山伏の習慣には古代イスラエルの習慣を思わせるものが多々あり、両者には、
「偶然とは言えないほどの一致点が存在している」
と、トケィヤー氏は述べています。

古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm













3800年くらい前(BC1800年ころ)、シナイ半島の遊牧民であったセム人、アブラハムの子孫が増えてユダヤ民族となった。
(当時のセム人はバスク人・パレスチナ人などに似た黒毛で、モンゴロイド要素の強い人種、地中海系人とは異なる)
3000年前(BC1000年ころ)、ダビデ王の下、ユダヤ民族国家イスラエルは黄金時代を迎えたが、
その後、南北に分裂し、北イスラエルが滅亡後、南ユダ国も2600年前(BC600年ころ)にバビロニアに征服され、人々は奴隷としてバビロンに連れ去られた。
これが「バビロン捕囚」である。
バビロン捕囚のときバビロンにあって石造建築を扱わされたことで石工組合のようなものが成立し、これがフリーメーソンの原形になったと思われる。
2500年前、バビロンを征服したペルシャ帝国によって、ユダヤはシオンの地に戻ることを許されイスラエルを再建する。
2000年前、ローマ帝国によって滅ぼされるまでの時代に、タルムードが発展し、明確なユダヤ教が成立した。
ユダヤ教の根幹教義は、旧約聖書モーゼ五書(トーラー)とタルムードである。
旧約聖書がいつの時代に編纂されたのか諸説あってはっきりしないが、ユダヤ教はこれをユダヤ人に教える教師をラビと呼び、
とりわけタルムードを元に生活規律を求める者を律法学者と呼んだ。
イエスが忌み嫌ったパリサイ人、律法学者は、バビロニア・タルムードの定めを人々に強要していた者たちのことである。
ユダヤ教徒という定義は、タルムード律法を守る者とされていた。

youtube.com
http://www.youtube.com/watch?v=zf9FdnlFKSY&hd=1 
http://www.youtube.com/watch?v=irKv6C_t1xA&playnext=1&list=PLADB418BA17E5C440&index=5

予知情報
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm






















2013年7月5日金曜日13:40

InLikeFlint

(Before It's News)

http://beforeitsnews.com/space/2013/07/the-universe-ancient-astronauts-and-atlantis-2-2462418.htm
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http://beforeitsnews.com/space/2013/07/the-universe-ancient-astronauts-and-atlantis-2-2462418.html?currentSplittedPage=2

ゴベクリテペ(Gobekli Tepe)は1990年代に発見された12,000年前の古代寺院。
保存のために完成後地中に埋められた。ギザ・スフィンクスの建設時期と同時期だったという説もある。

地質学的記録によれば、ギザピラミッドの建設時期は12,900年前でゴベクリテペ建設の前で、
多くの動物相が消えた世界的破滅イベント/ヤンガードレアス期イベント(the Younger Dryas Impact Event、YD)がおきたころ。

ヤンガードレアス期イベントがおきたのは、前回の氷河期のおわりで、地球の気温上昇がはじまったころ。至る所に森が出現したころのイベント。
原因は1994年7月に木星に落下したシューメイカー-レヴィ彗星(Comet Shoemaker-Levy 9)のような彗星の落下であるとされる。

ちりと氷からなるこの彗星は空中破裂爆発を引き起こし、現在の最大の水素爆弾より強力な爆発をおこした。
爆発をおこしたエリアは、米国48州クラスのエリアをおおうほどの大きさだった。

結果、ローレンタイド氷床は溶け、海面は300フィート上昇、メキシコ湾流をはじめとした海流循環は変化、
北半球の気温は下がるといったヤンガードレアス期イベントがおきた。
このイベントは、アトランティス大陸沈没の伝説と符号する。
そしてもともと赤道直下エリアにあった古代文明王国はポールシフトにより極地へ移動、
そして地球は1000年ごとにおきるとされる氷河時代にはいっていった。
スフィンクス、ギザピラミッド、ゴベクリテペ(Gobekli Tepe)などを造った古代文明諸国は、大洪水の生き残りで、
子孫たちが文明をまたゼロから作る必要がないよう、極地の氷の下に消失した古代文明王国にあった記録をこれらの遺跡に記録したのだろう。

我々の先祖に宇宙の働き、次の大災害から記録を護る方法の知識があり、
その記録を残したとするなら、彗星落下といったイベントを生き残る方法を知る事も可能なはず。
大災害に周期があるなら、その大災害の警告であるかもしれない。



local pc







By Jeffery Pritchett
The Big Secret of What Happened After The Great Flood of 10500 BC Finally Revealed (Video)
Monday, October 22, 2018 4:54
BEFORE IT'S NEWS
https://beforeitsnews.com/v3/paranormal/2018/2536711.html
YouTube
https://youtu.be/W1iAMICQ_Hs
紀元前10500年のノアの大洪水の後に起こった出来事
2018年10月22日(月曜日)4:54
紀元前10,500頃におきた大災害・ノアの大洪水。その後の世界で人類はいかに復興を目指したのか。
今我々が経験している変化と激動の時代。
その参考となる情報は古代文献にないか。
人類のための指針を意図した古代人文献には何が書かれているのか?
我々の未来,我々の真の過去,
悪意のある人たちによって隠蔽されてきた秘密の情報。
秘密結社とその外在的リーダーの物語は神話であるとされるが,
Baraによるこの投稿動画は,その物語は現実であり,その起源は想像以上に遠いことを伝えている。

fcvggv pc












遺跡情報:ギーザの大ピラミッドとアトランティス大陸(南極大陸) ― ピラミッドの暗号から考える1万年前の地球
Truthwalker
2017年9月23日土曜日4時56分
2年前、我々はピラミッドに秘められた地球の地図、大災害の記録のメッセージを明らかにした。
ピラミッド内部の小部屋の位置は、ハウスを意味するシンボルであり、大災害の前と後の相関関係を示す。
このハウスとは、すなわち氷床の下に埋まったアトランティス大陸(南極大陸)だ。
そして、NASAレーダーマップの位置情報によって、プラトンの文献にあった記録どおり、
アトランティス大陸(南極大陸)にある2つの都市を正確に特定する事に成功した。
また、グリニッジの子午線が指すのがアトランティスの現在の位置である事も解明した。
ピラミッドの子午線(ピラミッドを通る緯線)は当時のアトランティス大陸の位置を示す。
1684年、Isaac Newtonが万有引力の法則に従って,地球の扁平率を加味した地球の計算値を算出した。
(地球の扁平化要素:自転活動の遠心力によって,赤道面が膨らむ作用,地球は完全な球ではない)
扁平化要素(平坦化要素,the flattening factor of our planet)の作用によって、
北極・南極をとおる極面の円周は、赤道面の円周よりも約11km短い。
Newtonの扁平率は0.004347(1/230)、
ギーザのピラミッドは地球の極めて精密な表現であり、Newtonの扁平率と一致する。
一方、世界測地システム(W.G.S,the World Geodetic System)の扁平率は0.003355(1/298)と、
双方の間にはわずかではあるが誤差があるが、極面および赤道面のほんの3kmの違いで、
半径6300km超のスケールから考えれば微々たるものだ。
ちなみにNewtonが計算した、地球の円周の扁平率(Rate flattening of Newton,A scale)は921.72 m 。
ピラミッドの底辺4つの合計距離は921.45m。
現行の扁平率は1196m。
惑星の扁平率は時とともに変化する。大陸棚、海洋、マグマなどの要素によって変わる。
そして、大局的には、惑星の扁平率は時とともに増えていく。
当時の南極大陸は今とちがう場所にあった
youtube動画情報から
南極で当時の泥炭苔が発見された。低温の環境という事もあり、冷凍植物標本として完ぺきな標本だった。
泥炭苔はシャベル2堀りで採取可能な非常に浅い地表にあった。
冷凍状態にあるという事は、当時南極大陸で急速な凍結がおきた事を意味する。
つまり、大陸の位置が急に変わったという事ではないか。
さらに、この泥炭苔を覆っていたのは火山灰層だった。
つまり地球に大変動がおきた事の形跡だ。
南ブナ(Southern Beech wood,Nothofagus antarctica)の破片もある。
南ブナの分布域は南緯36度〜南緯56度、現在のティエラデルフエゴ付近の熱帯だ。
南ブナの破片が見つかったのは南極点付近の地表の浅い層、地球で最も寒いエリア。
科学者の分析では、南ブナの破片の年代は比較的新しいもので、寒冷な気候が原因で化石化せずに石化したという事。
火をつければ燃えるだろうという。
Newtonの扁平要素からわかる事
ピラミッドの周囲長が伝える当時の(北極ではなく南極の)極半径が、今日の極半径よりも3kmより小さかったという事実。
南極大陸の面積は1400万平方kmを超える。ヨーロッパ(1000万平方km)よりもっと広い。
また標高でも、南極大陸の平均高度は4000mで、世界の平均高度2300mに比べると、世界で最も高い大陸といえる。
東の高原は約1000万平方kmの氷床におおわれる。
南極点の標高は2830m(2.83km,約3km)の高度…
南極大陸が移動して海面になれば,極半径は約3km短くなる。
Newtonの扁平率(ギーザのピラミッドの扁平率も同じ)0.004347(1/230)、
世界測地システム(W.G.S,the World Geodetic System)の扁平率は0.003355(1/298)。。
この違いは誤差なのか、あるいは地球の変化による扁平率自体の変化によるものなのか。
南極大陸が南極点に移動した事で極半径が約3km伸びた、扁平率が変わったという事はかなりの可能性で考えうる。
12000年前に海面であった南極点にアトランティス大陸(南極大陸)が移動した事で極半径が約3km伸びたという事はかなりの可能性で考えうる。
南極点の標高を加えれば、地球の扁平率は扁平率は0.003355(1/298)となる。
ギーザのピラミッドの偉大なる建築家がその程度の計算はできただろう。
しかし、地球の大異変を後世に伝えるために、あえて当時の扁平率0.004347(1/230)を採用したと考える事はできないか。
この推測を証明するためには、数学的演繹を発展させる必要がある。
ピラミッドの偉大なる建築家が真の扁平率を知っていたのかどうか。
地球が完全な球であったなら、半径は平均的容積測定半径に一致する。
ある意味、平均的容積測定半径は地球の真実の寸法だ。
全く外的影響のない環境であったなら、地球の半径は平均的容積測定半径になるはず。
しかし、その計算は複雑で、地球上の任意の2点の半径の平均は、平均的容積測定半径とは正確には一致しない。
WGSの平均的容積測定半径値:6371km(3958mile)、
赤道半径=6378kmを平均的容積測定半径値で割って比を求める。
赤道半径/平均的容積測定半径値=
6378.137km/6371.008km=1.0011189
この比は地球独自の形状を表す値で、地球の正確な形を表している。
非常識に感じられるかもしれないが、建築家が建築物の基準標準に選んだのは時間だ。。
地球の自転周期24時間=86,400秒。
自転周期は地球の円周と間接的に連関する。
扁平化(時間>スピード>遠心力>扁平化)
現在86400秒の標準スケールを1000万で割る(これはメートル法における公式なスケールでもある)と、
8.64%のパーセンテージが得られる。
このパーセンテージを係数に変換する。
わかりやすく例をしめすと、
400+2%=408、それは400x1.02=408
という感じ。
係数は「1.0864」となる。
さきほど書いた
赤道半径/平均的容積測定半径値=6378.137km/6371.008km=1.0011189
1.0011189をメートル法の標準値「1.0864」で割る。
1.0011189/1.0864=0.921501197
ここでさきほど書いた数値が現れる!
ピラミッドの底辺4つの合計距離は921.45m。
1kmあたり8cmの誤差しかない正確な値だ。
この現代世界の測量の基礎となる値は、メートル法の標準値「1.0864m」。
ここから何が推論できるか?つまり:
1. ピラミッドの建築家は、地球の扁平率「1/298(0.0033528…)」、または地球の世界測地システムが計算したその平均的容積測定半径の扁平化要素を完全に知っていた。
2. ピラミッドの建築家は1日・24時間の86400秒を使った。
これまでの計算を振り返ってみよう。
Newtonの扁平化要素(1/230,Newton’s flattening factor,)から始めた計算は、結果同じ値になった。
つまり、メートル法の標準値「1.0864」はNewtonの扁平化要素と理論上一致しているにちがいない…
Newtonの扁平化要素:1/230(0.004347)
に1000を乗算すると
0.004347x1000=4.3447
係数「4.3447」とメートル法の標準値「1.0864m」とは関係があるか?
「4.3447」を4で割ってみる:
4.3447/4=1.08617(1/230)
ピラミッドの建築家の基準値:1.0864(1/230.117)
86400秒とNewtonの扁平化要素係数の間には数学的なリンクがある
(南極点の標高は2830m(2.83km,約3km)の高度…「230.117」の「0.117」がさきほど述べた3mの誤差に相当する値だ…)
つまり、ピラミッドの建築家は地球の正確な寸法を次元を知っていた。
さらには、地球の環境変動によりおきた寸法の変化まで読み取っていたという事になる。。
メートル法の標準値「1.0864」
引力による地球の動的扁平率0.00010826に1000を乗じた値は「1.0826」
この2つの値は非常にちかい。しかし科学界では無視されている。
この計算を終わるにあたり、はじめの仮説を数学的に確認するためのもう一つの方法を示す:
赤道部分の周囲長=40075,017km
南の周囲長=40007,864km
地球の平均周囲長=40041440m
地球の平均周囲長「40041440m」を、地球の幾何学扁平率「0.0043456(1/230.117 )」で割ると、
40041440/0.0043456=9214248895
9214248895/10000000(メートル法のスケール) = 921.42 m!
Kheopsの大ピラミッドの底辺4辺の合計:921.42m!
ピラミッドの建築家は、地球の半径を「6372.7km」とし、これから導かれる平均周囲長を使った。
この値「6372.7km」は、容積測定半径(the volumetric radius、地球を半径の完全な球として算出した半径)「6371km」よりも約2km短い。
ここがこの話の要点だが、
ピラミッドの高さは230m。これは地球の扁平率「1/230」の表現だろう。
私は2年前、大ピラミッドが人類に向けたメッセージであると理解した。
しかし当時、このメッセージが何かに役に立つなどとは想像すらしなかった。
しかし大災害前のこのメッセージをとりあえず保存はしておいた。
Kheopsの大ピラミッド(the pyramid of Cheops)が地球の寸法の表現であるあるなら、南極大陸が赤道付近にあった当時の地球の寸法がピラミッドからわかるはず。
ピラミッドの建築家の目的は、彼らの技術や知性を後世の我々に誇示する事ではなかった。
そうではなく、約11,000年前に起きたことをを後世の我々に伝える事であった。
ピラミッドは無数の数学的な証拠、風雨に打ち勝つ、人の嘘に打ち勝つ石で作られた記録だ。
もし地球に約11,000年前におきた悲劇が、扁平率「1/230.1」によって数学的に書き換えられたとするなら、
そしてその、扁平率「1/230.1」が、地球の1日/24時間/86400秒と連関するという事実をどうとらえれば良いのか??
「1/230.1」が意味するところは、約11,000年前におきた 大災害だ。
そして扁平率と、地球の1日/24時間/86400秒との数学的なリンク。。
大災害の後、石器時代に後退した世界。
ピラミッドの偉大な建築家の後継者は、人類の復活のため、科学と知恵を吹き込んだ者を地球の4つの地に送った。
吹き込まれた科学と知恵には、暦と日付、1日を24時間・1時間・60分・60秒に分割する知識も含まれていた。
ピラミッドには地球の正確な寸法を使われた。
その寸法は、地球をが完全な球として算出された値であった。
地球は完全な球体に戻るために、自転を止めなければならない。。
その事がわかったのは2015年だった。
今日の世界のあらゆる時計の基準である子午線…
現代の日常生活は、グリニッジの子午線を基準にしたアトランティスのリズムにより形成される。
いかに歴史が隠されようとも、いかに歴史が消え失せようとも、
時がアトランティスの歴史を記憶する。。
自転周期は地球の円周と間接的に連関する。
扁平化(時間>スピード>遠心力>扁平化)
現在86400秒の標準スケールを1000万で割る(これはメートル法における公式なスケールでもある)と、
8.64%のパーセンテージが得られる。
このパーセンテージを係数に変換する。
わかりやすく例をしめすと、
400+2%=408、それは400x1.02=408
という感じ。
係数は「1.0864」となる。
さきほど書いた
赤道半径/平均的容積測定半径値=6378.137km/6371.008km=1.0011189
1.0011189をメートル法の標準値「1.0864」で割る。
1.0011189/1.0864=0.921501197
ここでさきほど書いた数値が現れる!
ピラミッドの底辺4つの合計距離は921.45m。
1kmあたり8cmの誤差しかない正確な値だ。
この現代世界の測量の基礎となる値は、メートル法の標準値「1.0864m」。
ここから何が推論できるか?つまり:
1. ピラミッドの建築家は、地球の扁平率「1/298(0.0033528…)」、または地球の世界測地システムが計算したその平均的容積測定半径の扁平化要素を完全に知っていた。
2. ピラミッドの建築家は1日・24時間の86400秒を使った。
これまでの計算を振り返ってみよう。
Newtonの扁平化要素(1/230,Newton’s flattening factor,)から始めた計算は、結果同じ値になった。
つまり、メートル法の標準値「1.0864」はNewtonの扁平化要素と理論上一致しているにちがいない…
Newtonの扁平化要素:1/230(0.004347)
に1000を乗算すると
0.004347x1000=4.3447
係数「4.3447」とメートル法の標準値「1.0864m」とは関係があるか?
「4.3447」を4で割ってみる:
4.3447/4=1.08617(1/230)
ピラミッドの建築家の基準値:1.0864(1/230.117)
86400秒とNewtonの扁平化要素係数の間には数学的なリンクがある
(南極点の標高は2830m(2.83km,約3km)の高度…「230.117」の「0.117」がさきほど述べた3mの誤差に相当する値だ…)
つまり、ピラミッドの建築家は地球の正確な寸法を次元を知っていた。
さらには、地球の環境変動によりおきた寸法の変化まで読み取っていたという事になる。。
メートル法の標準値「1.0864」
引力による地球の動的扁平率0.00010826に1000を乗じた値は「1.0826」
この2つの値は非常にちかい。しかし科学界では無視されている。
この計算を終わるにあたり、はじめの仮説を数学的に確認するためのもう一つの方法を示す:
赤道部分の周囲長=40075,017km
南の周囲長=40007,864km
地球の平均周囲長=40041440m
地球の平均周囲長「40041440m」を、地球の幾何学扁平率「0.0043456(1/230.117 )」で割ると、
40041440/0.0043456=9214248895
9214248895/10000000(メートル法のスケール) = 921.42 m!
Kheopsの大ピラミッドの底辺4辺の合計:921.42m!
要約:
星の到着があったけれども、日付はもっと最近だったにちがいない…
以前述べたが、BC8900年は地球で大災害がおきた年。
2016年ごろは、大洪水は惑星二ビルの通過直後ではなく通過の数年後に起きたものと理解していた。
BC8900年に惑星二ビルが通過、大災害の日付のタイムラグを解釈するために、私は聖書の記録に基づき40年のタイムラグを考えた。
そして気候変動などを考慮し、2世紀のタイムラグを考えた。
そうなると、大洪水はBC8640年だという事になる。
ピラミッドの基準値「86400」だ。
イエス・キリストと、現代の暦の時間的マーカーがピラミッドの基準値「86400」とつながっている事を証明する必要がある。
イエス・キリストを意味する数は何か?
それはもちろん33だ。
33… キリストの磔刑にあった年齢には深い意味があり、それは神の意志であった…
33… フリーメーソンが「知識の究極の角度」として定めた「33」…
ようやっと、そこに答えを見つけた…
まず第一に思い出してほしい:
2016年6月21日の記事で私は、聖書にある有名なフレーズ
「父、息子、および聖霊(The Father, The Son and the Holy Spirit)」の意味を書いた。
三角形=聖霊
円=父
四角形=息子
(2016年6月に投稿した動画、2016年6月29日に米国で出版した雑誌記事にも写真がある)
大ピラミッドの偉大なる建築家が選んだ建築の基準・大ピラミッドの作業者数「86400人」を現代のカレンダーの時間的マーカー「33」(キリストの33)で割ると、
86.400/33=2.618
黄金率(The Golden squared)だ…
聖霊を持つ神の子…。
BC8640年は大洪水がおきた年。
アトランティスの先人が古代の知恵を時間に刻み付けたとするなら、同じように空間・座標にも同様に古代の知恵を刻み付けた可能性はある。。
私達の祖先が考えたこのスペースは、まさにそれらの家のペースで驚かし、また、天国がそれらを見ると知っていた。
もし我々がその記憶を失っても、空間・座標がその家を記憶している…
BC8640年、大洪水がおきる前の南極大陸。そこには現代のグリニッジ子午線にあたる、世界の基準があった:
・南緯37,東経31'7'48”
・空の太陽の位置
・正確な春分の日
・日の出の正確な時刻
・キリスト誕生前8640年

fgtrehgyrth pc








<世見>
2018/8/12 ノアの洪水
神様方は長寿が多い。
最高級のご長寿はインドのジャイナ教の神話に登場する神様で、84億歳だと言われているのですって。
ところがです。アマテラスオオヒノ神の皇子は、260億2万1080歳だったというのですから驚きです。
あの方舟で有名なノアは、500歳の時にセム、ハム、ヤペテという3人の息子を産んだと言われるのですから凄過ぎます。
神様と人間の混血が神々の寿命を縮めたのかもしれませんが、神々の寿命も短くなっていったようです。
夢で見たのか、不思議な世界の方に教わったのかは覚えていないのですが、心のどこかに忘れずに残っている話が、
「日神 月神が降臨して住まわれたのは飛騨地方でこの地にはクロヒトと呼ばれる人もいたので地名が黒石とついた」
というものです。
黒石の由来は、まさか人から来ていると思いませんが、クロヒト(黒人)が我国に住んでいたとしたら、益々、地球はひとつの家族です。
気が遠くなる大昔、日本列島は亜熱帯気候だったのかもしれません。
伊豆七島だって陸続きだったかもしれませんし、朝鮮半島だって九州からはポイと加速すると渡れた気さえします。
誰が言ったのか、長野県の皆神山は地球のお臍だとも言われています。
こうして、昔どなたかが伝えたかったことが文書として残っているとしたら、やはり興味が湧いて来ます。
そもそも、
「ノアの洪水のお話はバビロニアの神話です」
と、不思議な世界の方は言われますが、バビロニアとはどこなのかさえわかりません。
ただ、世界規模の大洪水が起きたのは事実に思えて来るのです。
北極の氷が溶けてしまった後、ノアの洪水は現実になるかもしれません。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.あほうどりのひとりごと.com/article/461054572.html
http://www.あほうどりのひとりごと.com/



想定シナリオ
2012.12.21の太陽系銀河系直列による引力で太陽に近付いた地球表面では火山噴火が頻発して大気中に広がった火山灰が太陽光を遮り日射量は減少、太陽活動低下の作用が加わり、結果として地球寒冷化がおきて、氷河期のはじまりになる。
食糧難が予想されるので備蓄/栽培など対策が必要。

local pc






惑星フェトン(Phoeton、Deya)
5−4章.太陽系種族の物語
太陽系創造神話[エヌマエリッシュ]によれば、
太陽系における生命の母はティアマトです。
太陽系内惑星の創造に関しては、必ず双子で創造されます。
そして、生まれたての惑星は、親惑星の火山成分とほぼ同じで、熱く燃えながら飛び出し、まだ大気も海も無く、
火山の噴火する岩石惑星です。
ティアマトは噴火により大気と少しの海が形成された。
おそらく、この海に原始生命体が発生したのでしょう。
ティアマトとほぼ同時に創造されたフェイトン、次に創造された火星、当然地球もまた生命の種子をティアマトから受け継いでいます。
この生命の種子は、地球・火星・フェイトンと比較すれば、木星クラスの強い重力のもとでティアマトに誕生した。
それ故、地球・火星・フェイトンの重力下では、ティアマト由来の生命体は弱い重力の基で巨大化してしまうのです。
ティアマト星系に最初に、次に火星とフェイトンに生命が誕生した。
ニビルによりティアマトとフェイトンが粉砕された時、すでにフェイトンには恐竜が生息していた。
古代太陽系での生命の進化の度合いが全惑星で同程度だとすれば、
火星はフェイトンと同じく爬虫類が生息していたと考えても間違いはない。
そしてフェイトンに住む知的生命体は、ニビル災禍を逃れ生命が生存できる一番近い惑星=古代火星に避難したとするのが常識的でしょう。
古代火星に文明を築いた後、火星の老化に伴い、
新天地への移住を計画した。
第一のグループはニビル星系への移住を計画し、外宇宙へと旅立った
(おそらく、紀元前1万2千年以上前のことでしょう?)。
ニビル星系に移住した古代火星人は、二ビル星での南北王朝の過酷な戦いを繰り返した。
別のグループは、戦乱の続くニビル星から離れ地球に移住した。
地球に移住したグループは、平和を愛するものたちで、地球の猿人の遺伝子を自らに取り込み、地球への適応を図った。
一方でニビル星系での永遠とも思える戦乱から逃れ、ニビル星から古代火星を経由し、地球への移住計画が練られていた。
このことを知り、地球の遺伝子を持つニビル星人は、ニビル星での戦乱の解決を図るべく、ニビル星系へと移住した。
ついに、ニビル星系での戦乱は終わり、南北王朝の王と女王の婚姻によって統一された(神武東征時の平和裏の統合、出雲王朝や吉備王朝との統一と同じです。)。
第十代アヌの時代に、ニビル星の大気の崩壊を食い止めるべく、地球に金を求めて飛来。
地球での安定した文明基盤のための労働力として、二種類の地球人類を創造する。
一つはネアンデルタール人=イギギである。
イギギも人類として火星並びに地球に移住、定着したと聞いています。
もう一つは、ニビル星人とネアンデルタール人のハイブリッドである現生人類である。
さて、異星人を名乗る種族と、上記に説明した太陽系種族との関係を推断してみましょう。
最初に知っておくこととして、地球に飛来している異星人(琴座星人、ニビル星人、プレアデス星人、オリオン星人、シリウス星人、火星人)の母星は、
各異星人の呼び名の星々ではではありません。
あくまでも、同じ生命哲学を共有する者達のグループ名として、琴座、プレアデス、シリウス、オリオン、プレアデス、火星と名乗っているのです。
つまり自民党、民主党などと同じ意味合いでなのです。呼び名=星座と勘違いすることで、異星人に対する大変な誤解が生じています。

太陽系種族の物語
http://bewithgods.ddo.jp/hope/doc/5-4.html









遊星ルシファーとルシファー人、惑星フェトン(Phoeton、Deya)
キリスト/サナンダ
「今から2000年ほど前、私がゴルゴダの丘で磔になった当時、ルシファーは役人が皆恐れたローマの王でした。
私を槍で刺し貫いた兵士はルシファーの弟で、クノマルシャーという男に生まれていました。」
ルシファーは、オリオンとともにこの宇宙で"悪なる働き"をする存在である。しかし彼らはもともとそのような働きをする存在ではなく、
それどころか、神から重要な役目を授かった召使、即ち天使だったのだ。
オリオンが本来神から授かった役目は物質(陰)によって神の愛と潤いを人類に与える使命であった。
一方、ルシファーが授かった使命は、無(陽、物質に対する無、形なきもの、心、精神)によって神の愛と潤いを人類に与える使命であった。
オリオンは、神の創造と進化の試練の過程で、のんきに神を信じて神からの霊感をうける事をわすれた。
神の解決の場を信じてのんきに神からの霊感を待っているだけで良いのだろうかと考えるようになった。
ただ霊感を待つだけではだめだ、何かしなければという考えを持つようになった。
そうして、神からの霊感を失い、そこに自我の愛がうまれた。
自我の愛は神からの霊感とは異なり、我からでたものである。
オリオンは神の霊感のままに物質を語らず、自我欲のままに語り、悪に堕ちていく。
かつて太陽系にルシファーという遊星があった。
それは太陽系の遊星のなかで物質的に最も希薄な遊星で、その軌道は火星と木星の間にあった。
天使たちの間では「暁の明星」と呼ばれていた。
この輝く遊星の王子もまた「ルシファー」と呼ばれていて、神の愛する息子だった。
ルシファーとその軍勢に関する地球の伝説は真実。
虚栄と傲慢がルシファーと多くの住人たちの中で大きくなっていった。
彼らは物質の秘密のすべてを発見した。
創造神の秘密のすべてを発見した。
そしてこの全能なる神の力を自分たちの利己心のために使い、その力を兄弟に向けようとした。
さらには宇宙を支配する野望を達成するため、父なる神、生命の源に反逆を企てた。
当時、物質の最も希薄な状態で肉体表現をとっていたるルシファー人たちは、
最も重要な物質的進化のひとつの中の肉体表現に堕ちたのだった。
ルシファー達はその戦い(原水爆の大崩壊)の中で遊星ルシファーを粉砕した。
ルシファーに与しなかった者たちは光のより高度なエーテル状の非物質世界にはいった。
全部ではないが、地球人の多くはルシファー人の転生。
ルシファーの地球での名前は、いずれも小学生でさえ知っている名前で、そのいくつかはあなたを驚かせるだろう。
いずれにせよ、オリオンやルシファーは、イエス(金星の大長老サナンダ)を地球から除き得る「磔」のほどに強いものである。
-徳間五次元文庫,オイカイワタチとは何か

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2010.12.4
宇宙的な厄災は過去に何度もあったのにも関わらず、それは単なる作り話だと思ってきた。そのツケが回ってくるかのようだ。こうして「宇宙的な災厄」が再び巡ってくるのである。
「ノアの大洪水」を地球上の起こした巨大彗星ヤハウェは、水星にも接近したことで水星が収縮させた。その上、ヤハウェに破壊された惑星フェイトンの残骸を水星にも叩きつけたので、水星も月と同様なクレーターが多数ある。
一般的に、天体に落下しなかった小惑星や隕石が惑星の重力圏に捕まったときに、その惑星にリングが出来ることがある。数が少ないと火星の衛星のような存在となるが、形が小さいもので数が多いとリングになる。
これらは全て巨大彗星だったヤハウェが引力で引き連れていたフェイトンの残骸で、これらを木星や土星、それに天王星や海王星にあるリングの一部は小惑星の残骸によって形成された可能性が高い。その他にも特に土星のリングはその大きさから、土星の衛星が破壊された残骸も混じっているのではないかと思われる。その中で天王星は巨大彗星ヤハウェとニアミスしているようで、地軸が97.9度という横倒し以上の角度で自転するようになっている。
土星の衛星イアペタスは赤道をなぞるように高さが19キロもある突起構造があり、他の天体と接触したときに出来たと思われる表面に削られた跡がある。これはデススターに似た形状で、もしかするとスターウォーズの製作者は、公表されていなかった宇宙情報を予め知る立場にあったのだろうか。それに人工構造物も存在しているという。
天王星の衛星であるミランダも表面のアチコチに引っかき傷のようなものが存在していることから、巨大彗星ヤハウェとの接触で出来た可能性もある。そして海王星にも多数の衛星があるがその中のトリトンも海王星の他の衛星とは異なり公転方向が逆になっているばかりか公転角度が大きく傾斜している。
その表面の様子は北半球と南半球とでは全く異なっているのだ。
北半球は起伏が無いのに何故か南半球は地表が変化するほどの引っかき傷がありデコボコして荒れている。
特に最下部近くはデコボコが酷い。
これも巨大彗星ヤハウェとの接触によって出来たものだと思われ、そのままビリヤードのように弾き飛ばされ現在のような異様な公転方向と公転角度になってしまったのだろう。そして、このときに海王星の衛星が弾き飛ばされたのが冥王星と、その同一軌道上を冥王星を追いかける形で太陽を公転しているヘメラである。それに冥王星の衛星であるカロンを含めて3つとも海王星の他の衛星と似ていることから、おそらく海王星の衛星だった可能性が高いだろう。
冥王星にはカロンの他にもニクスとヒドラという衛星があるが、これは火星の衛星であるフォボスとダイモスのようにフェイトンの残骸のような歪な形をしている。
実は冥王星の大きさは直径が約2300キロで月よりも小さいことがわかったことと、冥王星の外側を公転する惑星エリスが発見され、そのエリスは冥王星よりも大きかったために冥王星は矮惑星に降格した。
冥王星の軌道は異質で楕円軌道である。
太陽系の惑星は正確には真円軌道ではなく楕円軌道なのであるが、その誤差が極めて少なく地球の離心率は0.02であるが、冥王星は0.25であり楕円軌道を描いている。その影響で海王星の軌道と一部で交差しており、1999年までは海王星の方が冥王星よりも外側を公転していた。
他の惑星は地軸の傾きは様々だが公転面は横道面とほぼ同じである。
しかし冥王星の軌道は約17度も傾いており、海王星の公転面と比較しても約15.4度傾斜している。
このことは全く斉一論では説明がつかない。
これは明らかに太陽系の調和が乱されて宇宙規模の大激変があったと思われるのである。
現在、海王星にもリングが存在することがわかっている。
これも他の大きな惑星と同様に巨大惑星ヤハウェが引き連れていた破壊された惑星フェイトンの残骸が海王星の引力に捕まったからだと思われるが、その他にも衛星が破壊された可能性も高い。どうやら、現在では小惑星帯になっている破壊された惑星フェイトンの他にも木星・土星・天王星・海王星の衛星も幾つか破壊されているようだ。それに小惑星帯の中に1つの球体をした惑星が発見された。他の小惑星帯にあるような小さく歪な形とは明らかに異なることから、破壊された惑星フェイトンの衛星だった可能性が指摘されている。その他にも太陽を公転している小惑星は12個存在していることがわかっている。そうなると大小あわせて合計する20以上の惑星が公転していることになる。だから月よりも小さな惑星である冥王星が降格したのだ。それにマダ正式には公表されていない「惑星X」と呼ばれる惑星の存在も明らかになっている。
これは惑星ヤハウェと同様に大衆に知られては困る惑星である。ナント他の惑星と比較しても異常とも思えるような垂直に公転しているのである。横道面から87.2度の角度で、冥王星よりも比べ物にならないので、斉一論による「ガス円盤が回転して太陽系が形成された」という説明では全く解明できない現実であり、太陽系に大激変が起ったことを物語っている。この惑星の公転周期は冥王星の248年よりも遥かに長いことは確かなようだが、弾き飛ばされた影響なのか、冥王星の外側から土星の内側を通る公転軌道なのである。太陽系の中でも異質な存在である、この「惑星ノクス」は今のところはハッキリと公転周期がつかめていない。それもエハン・デラヴィ氏が主張しているような約3600年周期で公転している太陽の伴星ではなく、キチンとした惑星であり大気も存在しており、主成分は窒素で少量だが酸素も存在しているようで地球に似ている惑星ということだったのだ。
だが、太陽から遠いためか全域が氷で覆われている。
しかし、その氷はメタンではなく普通の水が凍ったものだという。
衛星の数は7個で全てが火星の衛星と似た小惑星のような歪な形をしている。
一方で、ある天体が必要以上に接近したとき、その天体が地球の大きさに近いほど重力による「潮汐作用」を大きく受けることになり、地球に世界規模の地殻変動をもたらし地球上は大変な状態に陥る。
ノアの時代に、エノクのいた町が人々を乗せたまま空中高く浮遊して何処かへ消え去ったという伝承があるが、これを牧師だったスウィフトに「ラピュタ」物語の構想を思いつかせたのである。
そして「聖書外典」にはエノク自身が空中を浮遊したという記述もあり、これもプラズマ領域が関与したことが十分に考えられる。
地上から消えたエノクの町は太陽に向かったとする伝承が残されている。
その直後に「ノアの大洪水」が起きていることから、この現象も天体の超接近によって重力が変化してプラズマ領域が至る所で引き起こされたことだろう。当時、世界各地で様々な温度の自然プラズマが発生していたことは、インド北部とパキスタン南部のモヘンジョダロ一帯に散在しているガラス状地形は、摂氏数千度の超高熱プラズマで大地が焼かれたことを意味していと思う。イギリスの考古学者であるジョン・マーシャルは、古代に大規模な自然災害が発生したと考えた。だが、それをに異を唱える古代史研究家のデーヴッド・ダヴェンポートとE・ヴェンセンティは、その大災害こそが古代文明同士で核兵器による戦争が起きた跡であると発表して世界中で驚きと共に支持された。
確かに既存の核兵器の爆発による高熱現象はプラズマによるものであるが、古代においての核戦争は突飛過ぎるのである。核兵器を製造するような文明は長い歴史的積み重ねによって出来るものなのである。それを造る設備や工場や人材と様々な化学的環境が無ければならないので、イキナリ核兵器を造れるような文明が発生したとは思えない。
世界中探しても原子炉施設があった形跡すら存在していないのである。
だから、古代に核戦争が起きたことことは極めて無理がある。
要するに、これだけの超高熱を生むようなことは科学的兵器でなければ出来ないという前提の下で考え出されたものであり、超高熱を生むことは自然現象では起きるはずがないというのも現代科学が抱える傲慢さである。こうした現象が自然に発生するということを大衆に知られたくないという思惑も一部には存在したのだろう。実はモヘンジョダロが位置する緯度と近い場所に多くの天変地異が集中して起きていたのである。それは北緯28度近辺であり、世界各地で天変地異が頻発していたころに、インド北部で大発展していたモヘンジョダロが一夜にして廃墟となった。果たして、古代の地球に超高熱を発するような自然災害が起きていたのだろうか。
続く・・・

徒然ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/60583081.html








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