2018年11月14日

ホロスコープ:木星が射手座へと帰還

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2018年11月08日
本日11月8日はさそり座新月。
すでに真夜中の午前1時03分から新月となっており、今回のボイドタイムは8日19時43分から9日4時までです。
新月に目標設定をしたり、お願いごとをするなら今日の夜までに紙に書くと良いと思います。
そして、さそり座新月と同時に今日は大きな節目の日。
今晩、21時39分より、発展と拡大を司るラッキースター木星が13ヶ月の旅を終えてさそり座から本拠地である射手座へと帰還します。
ホームグランドに戻った木星は、ここから13ヶ月間最高のパフォーマンスを発揮します。
今晩から来年12月2日まで、蒔いた種がどんどん育って形になる大フィーバー期間です。
でも、種を蒔かなければ芽も出ないし、種の種類も千差万別。
“自分で蒔いた種は自分で刈り取る”
という言葉通り、大フィーバー期間とはいえ、向かう方向性を間違えると、とんでもない方向にも突っ走ってしまいます。
そういった意味でも、ますます二極化の時代は加速していくものだと思います。

天下泰平
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51975496.html



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2018年10月31日
「1を10、100」へと発展・拡大させるのが得意な射手座木星期
明日から早いもので11月。
今年も残り2ヶ月となり、平成終了までちょうど半年となりました。
そんな中、占星術の世界においては
「いよいよ11月がやってくる」
とザワザワしています。
その理由は、何と言っても「11月8日」に控えた「木星の射手座入り(射手座木星期の始まり)」。
メシア(救世主)の星としてユダヤで伝えられる木星は、キリスト教ではイエス・キリストそのものを象徴しており、
太古の昔から占星術の世界では、幸運・拡大・発展の太陽系最大のラッキースターとして知られています。
木星が現在、どの位置にあるかによって、地球文明の方向性、社会で起こる出来事、個人の人生の行方までも大きく左右するほど、
木星が地球と人類へもたらす影響は計り知れないものがあります。
その木星は、約1年(13ヶ月)ほどかけて12星座をぐるっと駆け巡っています。
2016年9月9日から2017年10月10日まで天秤座にた木星は、2018年11月8日まで蠍座にいて、間も無く射手座へと移行します。
天秤座木星期では
「広く、浅く」
様々な人や存在、出来事と出逢って見聞を広げ、
蠍座木星期では
「狭く、深く」
天秤座で出逢ったものの中から、自分が本気で付き合っていくもの、人、本気で取り組んでいくものを選別して絞り、
次の射手座木星期では、いよいよそれらが
「発展・拡大」
して大きく輝き出すタイミングです。
何と言っても、射手座の守護星が木星であり、射手座は木星にとってホームグランド。
12年でもっとも木星がエネルギーを発揮する期間であり、仕事や恋愛、ライフワークなどのあらゆる分野において、
この流れに乗ればどんどん前へ進み、大きく発展していきます。
ただ、木星大フィーバーの時期だからと言っても、何も目的を持たずにボーッとしていても良い方向へ行くかといえばそう簡単にはいきません。
「0から1」を生み出すのではなく「1を10、100」へと発展・拡大させるのが得意な射手座木星期。
1となる種がなければ、0はゼロのまま。
明確な目標や夢を持ち、それに向かって謙虚に日々努力して行動していれば、必ず結果に結びつくと思います。
努力というよりも
“必ずできる、達成する”
という確信力が必要かもしれませんが、ちょうど木星が射手座入りする11月8日は、蠍座新月とも重なるタイミング。
11月8日は、12年に1度のラッキー期間をどう過ごすか、どうありたいか、何を実現したいかなどを紙に書いて宇宙に届けるにはピッタリです。
でも、発展や拡大するのは、すべてプラスのこととは限らず、向かう方向性によっては、火に油状態でマイナスのことがより炎上することもあるかもしれません。
まずは、この蠍座木星期の最終コーナーとなった今、自分自身の内側をしっかり見つめ、本当の自分と向き合い、心や魂の声に沿って、11月8日以降の自分の方向性を決めていくと良いと思います。

天下泰平
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51975496.html










2018.9.26
オープンセサミ
今年から来年にかけて、革命の星:天王星が牡羊座から牡牛座へ移動します。
天王星の星座移動は約7年ごとに起きますが、牡羊座から牡牛座への移動は、約84年に一度の出来事です。

黄金の金玉を知らないか?
https://golden-tamatama.com/blog-entry-chaina-collaps-2018-2019.html







2018.09.25
占星術 ホロスコープを学ぼう!84年周期
さて、先日。
ある知り合いの占星術の先生にお会いしますた。
いつもワタスが来る来ると騒いでる経済崩壊ですが
占星術的にはいつごろが怪しいですか?
そう聞いてみますた。
こんな返事ですた。
今年から来年にかけて、革命の星:天王星が牡羊座から牡牛座へ移動します。
天王星の星座移動は約7年ごとに起きますが、牡羊座から牡牛座への移動は、約84年に一度の出来事です。
うーん。
84年に一度?
人類の80年周期説というのは聞いたことがありますが、84年周期なのか。
知らなかった。
今年から来年にかけて天皇の生前退位もある。
やはり何か巨大な変化が近づいているのか。
そして
〇月〇日。
一番怪しい日付も教えてもらいますた。
で、他にもいろいろ教しえてもらったのですが。
教えてくれたのはオープンセサミという先生です。
サアラさんのところで講師をやってた先生で知る人ぞ知る方でした。
オープンセサミとは開けゴマ!という意味ですね。
オープンセサミ先生
講演多数
ラジオ出演 放送局:FMなんじょう他
オープンセサミアストロロジーは、現代と古典の西洋占星術を基に独自の解釈と理論を統合した、自分らしく歩み自分らしく輝くための占星学です。
未来を当てることを目的とせず占星術を通して 森羅万象の仕組みや時代とエネルギーの流れを読むことを目的としています。
重要なのは何より自分自身についてを深く知っていくための学び。
日々の生活そして人生そのものと照らし合わせた楽しく実践的な学びです。
オープンセサミ(開け ごま!)は扉を開くおまじないの言葉。
ひとりひとりの中にある可能性の扉を開くというイメージで命名しました。
色々教えて貰ったのですが、ひじょーに興味深い。
以下は良く見る図。ホロスコープ図です。
http://nut.sakura.ne.jp/wheel/horo.html
ワタスはホロスコープの読み方がさっぱり分からないのですが、
先生の元には最近、意外にも男性の方が多く学びに来るそうです。
占星術は、経済や社会の趨勢。
今のビジネスが責める時か、慎重にすべきか。
パートナーは自分に合ってるか。
恋愛や結婚の占いもそうですが、むしろビジネスにも使える。
古来から政治にも占星術師が使われていた。
現代でも、ある巨大企業などは、お抱えの占星術師がいてスケジュールからなにやら決めてるという話は良く聞きます。
で、昔はこのホロスコープを人手で計算しつつ書いてたので大変だったが
最近はアプリで見れるようになって簡単になった。
それで最近はいろんな人が学びに来るようになったそうです。
占いと言うと感覚的なものと思いきや先生の話はひじょーに論理的で分かりやすい。
例えば、皆さん自分の星座は知ってると思いますが
一人の人間には、実は、太陽の星座、月の星座、水星、火星、土星。。等々
10個もの星座があります。
自分の星座と思ってるものは、代表的な太陽の星座なのですね。
太陽は外側に光を放つ象徴。
月は、感受性の象徴。
水星は、コミュニケーションの象徴。
等々。
10個の星を全部見ないとその人の特徴は分からないのです。
例えば、ワタスの友人は太陽が牡羊座、月が水瓶座、水星が牡羊座ですた。
見て貰ったら以下の特徴だそうです。
水瓶座の特徴である反骨精神に促されて、牡羊座の特徴であるアグレッシブで好奇心旺盛な行動力がある人。
水瓶座のテーマでもある社会貢献で、特定のグループと関係を持つことによって生き甲斐を感じられる人。
でも、水星が牡羊座なので、情報の取り違えや先走った言動に注意が必要。
牡羊座はストレートなコミュニケーションが好きだが、おっちょこちょいな傾向がある。
つぉぉ。当たってる。
確かに行動派で動きが速い。
でも、いつも何か重要なことを忘れたりする。
そのスカポンチン過ぎるところもひじょーに当たっていますた。
そして、皆さんは良く水星逆行の時期等々聞きますが、
一般的にトラブルが増える時期と言われます。
でも、ある人にはこういう影響で、別の人には別の作用になる。
人それぞれで、一概には言えないものとのことでした。
ホロスコープアプリを見て、その人のネイタルチャートと現在の星の位置。
アスペクトとかハウスとか。
要するに星のクロスの仕方とか方向などで占う。
ホロスコープの読み方が分かるとひじょーに面白い。
これは経済、ビジネスなど確かに未来予測に仕えると思いますた。

黄金の金玉を知らないか?
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posted by datasea at 07:37| Comment(0) | ) 占星術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

惑星ティアマトと惑星ニビルの激突

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惑星ニビル
> ティアマトとニビルの激突
太陽系の軌道に乗ったニビルであったが、その途中にはティアマトがあります。
ニビルの前に立ちはだかったティアマト対して、衛星を配備しました。
またニビルは前方に稲妻(放電現象)を配備し、燃え上がる炎で全身を満たしティアマト包み込むための網(磁場)を作ります。
更に天王星から恵みを受けた魔風、旋風、暴風を従えます。
即ち天王星から新たに加えられた衛星である。
そしてニビルより風(衛星)はティアマトより先に攻撃を仕掛けたのです。
「キングの陰謀を見破る」
ほど接近したニビルは網(磁場)を広げてティアマトを捕らえます。
ニビルの稲妻(放電現象)はティアマトの動きを緩め、恐怖したティアマトは過熱し、膨れ上がりました。
そして大きな亀裂がティアマトの地表を走りその亀裂に向けてニビルは「魔風」を吹き込みました。
この衛星によってティアマトの腹を引き裂き、内臓を切り裂き、心臓を貫いたのです。
ティアマトの命が消された後、ティアマトの衛星群がニビルの磁力と引力によって従来の引力から引き離され、
逆向きの軌道(反時計回りから時計回り)に乗せられてしまいます。
また、ティアマトの指揮官であるキングは他の衛星とは異なる運命をたどります。
ニビルは、キングの惑星となるべき「宿命」を奪い取り、ドゥッガエ(泥の塊)へと変化させました。
大気、水及び放射性部室を剥ぎ取られ文字道り「泥の塊」となったキングは、サイズも縮小され、
「鎖につながれて」
ティアマトの残骸の周りを永遠に周回することになったのです。
そしてティアマトを粉砕したニビルは太陽系の惑星となります。
ニビルは太陽系の星となってからも宇宙外へと飛び出していったが、惑星である以上ニビルは太陽系に戻ってこなければなりませんでした。
そして、遂に地球と月の創造が始まったのです。
ニビルの攻撃によってティアマトの残骸は真っ二つに割れました。
そして
「ティアマトの頭蓋(割れた上半身)」
はキングと共に誰も知らない場所に飛ばされます。
つまり、これまで惑星の存在しなかった場所へ飛ばされたのです。
そして、その弾き飛ばされたティアマトの残骸こそ地球であり、鎖でつなぎとめられたキングは月となりました。
ティアマトの残り半分は粉々に打ち砕かれ、ティアマトの割れた半分は槌打たれ、天界の手械になったのです。
そしてそれこそ火星と木星の間を取り巻くアステロイド帯となりました。

Mistery Planet
http://www.geocities.jp/mu_tyo/nibiru10-4.html







惑星ニビル情報
歴史文献にみる惑星ニビル
2000年8月
Andy Lloyd
Written by Andy Lloyd, author of 'The Dark Star' (2005) and 'Ezekiel One' (2009)
Published by Timeless Voyager Press 8th August 2000
Timeless Voyager Press
http://www.darkstar1.co.uk/ds6.htm
衛星ティアマット
古代シュメール文明には惑星ニビルの記録がある。記録によるとかつて惑星ニビルと地球の民と海の怪物ティアマット(Tiamat)の間で戦いがあったという。
シュメール記
「ティアマットは顔から稲妻を吐いていた。体からは火がでていた。男はティアマットを網にかけつかまえた。」。
聖書のヨブ記にもシュメール人の記録と同じ内容の文がある。
神が海の怪物レビアサン(Leviathan)と戦ったという記録だ。
聖書ヨブ記41: 18-21
「レビアサンの目はまるで日の出の陽の光のようにまぶしく光り、鼻からは稲妻が飛び散っていた。
まわりには強い風が吹き荒れ、口からは火を吐き、語る言葉も火であった。」。
聖書のほうはおそらく後に一神教であるヘブライ人が内容を書き換えたのだろうが、それにしてもこの2つの記録の内容は酷似している。
どちらも惑星ニビルの記録だろう。惑星ニビルは火の怪物だ。
その周囲には稲妻や火が飛び散り、後光に包まれている。
そして接近に先立っては、その衛星ティアマット(Tiamat)がまず接近する。
日食の時にできる日輪の上のコロナを見ればこの記録の意味がわかると思う。
惑星ニビルには7つの衛星がある。
記録の「風」とはつまり7つの衛星の事だろう。
衛星ティアマット(Tiamat)の大きさは地球よりも大きい。
という事は惑星ニビルの大きさはかなりのものであると予測できる。
Sitchin氏は惑星ニビルの大きさは地球と同じといっていたがこれは誤りだろう。
どうしてそう考えたのだろうか。惑星ニビルには生命体が住んでいるという。
だから地球と同じサイズだろうと考えたのだろうか。
以下、衛星ティアマットの記述。
惑星ティアマットの記述
「複数の衛星をもつ惑星ニビルと惑星ティアマットは互いに接近した。
惑星ニビルは惑星ティアマットの内部をスキャン、キングー計画(the scheme of Kingu)にのっとり惑星ティアマットに稲妻(divine lightnings、神の稲妻)を打って攻撃した。光と熱に包まれた惑星ティアマットの公転速度は下降、地表では噴火が多発、地殻に亀裂ができた。惑星ニビルはその亀裂に向かって邪悪な風(Evil Wind)という名前の衛星を打ち込んだ。邪悪な風は惑星ティアマットの心臓を切り裂いた。、惑星ニビルは惑星ティアマットを網でつかまえ、自らの衛星にした。」。
メシアと惑星ニビル
キリスト教圏外の地域には「メシアのドラゴン(Messianic Dragon)」をあがめる民族がいた。
わし座とへび座のエリアは「ドラゴンの住処(Domain of the Dragon)」と呼ばれる事もある。
わし座とへび座(the Eagle and Serpent、Aquila and Serpens)を組み合わせると空飛ぶヘビとなり、つまりメシアのドラゴンとなる。
惑星ニビルはこのエリアにみられる。またこのエリアはシリウスやオリオン座の反対のエリア。
「メシアのドラゴン」は中米インカ文明の神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)やエジプトのホルス神(Horus)のイメージとも通じる。
「メシアのドラゴン」は3400-3800年ごとに現れ、人類に破壊と進化の過程をあたえるという。
Bauval氏、Hancock氏
「太陽系が魚座の時代にはいったのはアレクサンダー大王 (Alexander the Great、356-323BC)の時代。
このころ東西の世界の境界が出来、また紀元前330年ころ東の世界にメシアが現れるとされた。
メシアはアレクサンドリア(Alexandria)に現れるという説が有力だった。そして実際にメシアがあらわれたのはその200年後のイスラエルだった。」。
紀元前11,000年に大洪水がおきたという記録がある。またSitchin氏によれば、惑星ニビルは紀元前3760年に地球に接近したというが、惑星ニビルの公転周期を3600年と考えれば計算があう。そして前回の接近は紀元前160年ごろだったはずだ。紀元前160年当時の大国といえばローマ帝国。ユダヤ人は次の惑星ニビル接近時にユダヤの王(a "King of the Jews")の再臨があると信じていたが、ローマ帝国は惑星ニビルの情報がなかったので、ユダヤの王再臨はローマ帝国の支配を逃れるためにでっちあげた寓話であると考えた。そして仮にもその寓話のユダヤの王が再臨するのなら、ユダヤの王は世界をローマ帝国以前の神権政治(the divine Kingship)の世界に逆戻りさせ、ローマ帝国の覇権をゆるがす脅威となると考えた。
古代エジプト神話
「オシリス神(Osiris)の子ホルス神(Horus)はイシス神(Isis)から生まれた。
イシス神は処女の女神(the virgin-star goddess)で、イシス神は性行為をせずにホルス神を生んだ。」。
シリウスはイシス神の星。
オリオンはホルス神の星。
当時シリウスが観測され、イシス神とホルス神が生まれると信じられた。

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ティアマト伝説
カブトガニの生まれた海・・・・・テーチス海
二億年以上の昔、地球の大陸は一つにまとまっていて、東に開いたテーチス海と呼ばれる大きな内海がありました(図1)。
石油の元になったといわれる大サンゴ礁の広がるテーチス海で、三葉虫やアンモナイト、シーラカンス、そしてカブトガニが生まれ、栄えていったのです。このテーチス海の奥、西の端が今のアメリカ東海岸の近くであり、テーチス海の出口、東の端が日本など東アジアに当たります。
カブトガニは生きている化石と呼ばれ、五億年以上前の古生代初期に三葉虫と分かれ生じましたが、二億年前の中生代三畳紀以後は、ほとんど形態を変えずに生き残ってきた貴重な動物です。恐竜などよりはるかに古い生き物なのです。二億年前ごろから起きた大陸の分離と移動に伴い、カブトガニはいやおうなしにアメリカ大陸とユーラシア大陸に分けられ、北アメリカ東海岸と東アジアの海岸に生き残りました。
カブトガニの危機はいろいろな人が、いろいろな方法で訴え、救う方法をいろいろ考えています。
ここでは、そうした事をくどく繰り返すのは避け、美しかったテーチス海の語源になったギリシャ神話の女神テーチスの話をしながら、海を愛した私たちの先祖をしのび、海を守る気持ちを育てていきましょう。
海の女神? 海の怪物? ティアマト
海の女神テーチスはギリシャ神話に登場する女神ですが、その原型がメソポタミアの神話に登場する同じ海の女神ティアマトに見られます。
メソポタミア(イラク地方)の神話は現在残っている世界の神話の中で、最も古いものです。
これからお話しする神話は今から四千年も前にできていました。
少なくとも、キリスト教の聖書やギリシャ神話はこのメソポタミアの神話の影響を強く受けています。
メソポタミアの神話によれば、天も地もない大昔、この世にあったものは水と二人の神様でした。
塩水を支配していたのが女神ティアマト、
真水を支配していたのが夫のアプスー
でした。
しかし、その頃、塩水と真水はまじりあっていて、完全な海はありませんでした。
ティアマトは生命を生んだ乙女とも呼ばれています。
ティアマトたちの孫に、天上の精霊アンシャルと地上の精霊キシャルが生まれ、この二人の子供が,後に空の神になるアヌです。
そして、アヌの子がたいへん頭の良い神エアです(図2)。
こうして、神々は増え、自分勝手なことを始め、ティアマトやアプスーの言う事を聞かなくなります。
そして、ティアマトの反対に関わらず、アプスーは乱暴な神々を滅ぼそうとしたのです。
アプスーのたくらみに気づいたエアは逆にアプスーを滅ぼしました。
このエアの子が神々の中で最も強いマルドークです。
マルドークは、眼が4つ、耳が4つで、口から炎を吐く化け物のような神です。
そして、たいそう乱暴者でした。
あるとき、風をしばったので、風が吹かなくなりました。
また、神々にもいたずらをしました。
神々はマルドークの乱暴ぶりをティアマトに言い、マルドークを除くように頼みました。
ついに、ティアマトは秩序を守るため、マルドークを滅ぼす決心をしました。
ここに、神々の戦いが始まりました。
それは、天と海の戦いのようでした。
エアは子供のマルドークを助けようとして、天の精霊アンシャルに、
「女神ティアマトが天宮を滅ぼそうとしている。」
と嘘をつき、アンシャルを味方に引き入れたのです。
エアの父に当たるアヌもマルドークの味方になりました。
いつの間にか、神々に反逆したのは、マルドークではなく、ティアマトだということになってしまったのです。
最初の戦いで、エアがティアマトに立ち向かいますが、ティアマトの作り出した竜などの十一頭の怪物に恐れおののいて敗れ、逃げ帰ってしまいます。続いて、アヌが女神ティアマトに立ち向かいますが、怒り狂ったティアマトの前に、やはり敗れてしまいます。
最後に、もしティアマトを倒したら自分が神々の王になるという約束を神々と取り交わしたマルドークが進軍します。手には雷を持ち、つむじ風の戦車で前進します。怒り、残酷、嵐、突風の四頭の怪物がその戦車を引きます。ティアマトの軍勢はその姿に恐れおののきます。
さすが、ティアマトだけはひるむことなく前進しました。
しかし、巧妙に仕掛けられた罠にかかってしまいます。
それでも、どんな武器もティアマトの体を傷つける事はできません。
そこで、マルドークの軍にいた大嵐がティアマトの顔面に強い風を吹きつけ、ティアマトの口を閉れなくします。
そこへ、マルドークが大弓を引き、矢を放ったのです。
矢はティアマトの口を通って、内臓を貫き、心臓を引き裂いてしまいました。
その血は風が吹き飛ばしてしまいました。海の女神ティアマトは敗れたのです。
マルドークはティアマトの体を二つに分け、一方を高く上げて、大空にしました。
ティアマトの体の残り半分で大海の一部をおおい、大地の土台としたのです。空と陸ができたのです。
アヌを空(大気)の神にし、そして、エアを海の神にしました。
エアは、ティアマト軍の大将軍だったキングーの血と骨を材料に、人間をつくりました。
ティアマトを倒した、あの大弓は大空にかけられました。
大空にかけられた大弓は、虹、天の川、または太陽の通る道、黄道の十二の星座になったといわれています。
こうした神々の戦いは、メソポタミアで起った権力の交代とそれに伴う戦争を反映しているのでしょうか。
世界最古といわれるメソポタミアの文明を作った人々は、はじめは海の女神ティアマトを信じていたと思われます。
しかし、異民族の侵入も多く、権力の交代も激しかったメソポタミアの地で、信仰の対象は神王マルドークに移っていったのです。
マルドークの神殿は空高く築き上げられました。
キリスト教の聖書に出てくるバベルの塔はマルドークの神殿がモデルだといわれています。
バベルの塔は神に近づきすぎたとして破壊されるのですが、その話そのままに、マルドークの神殿も今に残りません。
マルドークもまた、ティアマトと同じ道を歩み、人々の心から消えていったのです。
マルドークの信仰の後、イラン(ペルシャ)に生まれたアフラを主神とするゾロアスター教がこの地方に広まったものと思われます。
そして、ゾロアスター教もいずれイスラム教に追いやられていくのです。
ティアマトはメソポタミア(イラク地方)の海の女神ですから、その海はペルシャ湾ということになります。
ペルシャ湾は、つい最近も戦争による原油流出によって汚されてしまった事は記憶に新しいところです。
私も湾岸戦争直後に調査に行ってきましたが、ひどいものでした。
戦いに敗れたティアマトは、メソポタミアの神話に続くギリシャ神話にも登場します。
しかし、海の女神としてではなく、海の怪物としてなのです。
いけにえにされたアンドロメダ姫を襲う海の怪物の名前がティアマトなのです。
海の怪物ティアマトは、アンドロメダ姫を救った英雄ペルテウスによって石にされてしまいます。
時代の流れとはいえ、海の女神の扱いにいささかの怒りさえ覚えます。
人類最古の文明を築き、女神ティアマトを信じていたと思われる人々は、ティアマトを残し、どこへ行ってしまったのでしょうか。
ある地域の神様が、別の地域あるいは別の神話で逆の扱いを受ける事は良くあります。
ペルシャ地方のゾロアスター教の主神で、火や明るさ、そして正義の神であったアフラは、バラモン教、ヒンズー教、そして仏教で、
アスラまたはアシュラ(阿修羅)
として、むしろ邪神として扱われるようになりました。
トルコ地方のメデューサも、ギリシャ神話では怪物の扱いです。
エジプトの神話では、根源の神アトン・ラーの子供に、大気の男神シュウと、水の女神テフヌトが出てきます。
その名前の類似からも、テフヌトは、女神ティアマトとの関連が感じられます。
テフヌトとシュウの子が、天の女神ヌウトと大地の男神ゲブです。
その二人の子に、エジプト神話で有名なオシリスとか、イシスがいます。
メソポタミアと同じ中近東で生まれたキリスト教の聖書には、神エホバ(またはヤーべ)が天地を創造する話があります。
最初、この世は水でおおわれ、神の霊が水面にあったとされています。
そして、そこに光を与え、昼と夜ができ、一日目が終わります。
次の日、神は水を上の水と下の水に分け、その間におおぞらを置き、そのおおぞらを天(空)と名づけます。
二日目です。三日目に、神は下、すなわち地上の水を一か所に集め、海と陸を分けます。
そして、植物をつくります。四日目に太陽と月と星をつくり、五日目に海と空の動物、すなわち、魚と鳥をつくり、そして、六日目に陸上の動物をつくった後に、自らの手で、粘土から人間アダムとイブをつくり、七日目に休んだとされています。この神話は、水がこの世の最初にあったとする世界中いたるところにある神話と共通するタイプの神話です。
古代の人々にとって、海はそれほど広大で永遠なものと思えたのでしょう。

伊藤富夫研究室: カブトガニの話・・・世界のカブトガニ
http://www.geocities.jp/tomioitow/sub1.html


















太陽系種族の物語!
2016/7/16(土) 午後 2:39
♡古代史・神話♡ 練習用
太陽系種族の物語!
太陽系創造神話[エヌマエリッシュ]によれば、太陽系における生命の母はティアマトです。太陽系内惑星の創造に関しては、必ず双子で創造されます。そして、生まれたての惑星は、親惑星の火山成分とほぼ同じで、熱く燃えながら飛び出し、まだ大気も海も無く、火山の噴火する岩石惑星です。
ティアマトは噴火により大気と少しの海が形成された。おそらく、この海に原始生命体が発生したのでしょう。ティアマトとほぼ同時に創造されたフェイトン、次に創造された火星、当然地球もまた生命の種子をティアマトから受け継いでいます。この生命の種子は、地球・火星・フェイトンと比較すれば、木星クラスの強い重力のもとでティアマトに誕生した。それ故、地球・火星・フェイトンの重力下では、ティアマト由来の生命体は弱い重力の基で巨大化してしまうのです。
ティアマト星系に最初に、次に火星とフェイトンに生命が誕生した。ニビルによりティアマトとフェイトンが粉砕された時、すでにフェイトンには恐竜が生息していた。古代太陽系での生命の進化の度合いが全惑星で同程度だとすれば、火星はフェイトンと同じく爬虫類が生息していたと考えても間違いはない。そしてフェイトンに住む知的生命体は、ニビル災禍を逃れ生命が生存できる一番近い惑星=古代火星に避難したとするのが常識的でしょう。
古代火星に文明を築いた後、火星の老化に伴い、新天地への移住を計画した。第一のグループはニビル星系への移住を計画し、外宇宙へと旅立った(おそらく、紀元前1万2千年以上前のことでしょう?)。ニビル星系に移住した古代火星人は、二ビル星での南北王朝の過酷な戦いを繰り返した。別のグループは、戦乱の続くニビル星から離れ地球に移住した。地球に移住したグループは、平和を愛するものたちで、地球の猿人の遺伝子を自らに取り込み、地球への適応を図った。
一方でニビル星系での永遠とも思える戦乱から逃れ、ニビル星から古代火星を経由し、地球への移住計画が練られていた。このことを知り、地球の遺伝子を持つニビル星人は、ニビル星での戦乱の解決を図るべく、ニビル星系へと移住した。
ついに、ニビル星系での戦乱は終わり、南北王朝の王と女王の婚姻によって統一された(神武東征時の平和裏の統合、出雲王朝や吉備王朝との統一と同じです。)。第十代アヌの時代に、ニビル星の大気の崩壊を食い止めるべく、地球に金を求めて飛来。地球での安定した文明基盤のための労働力として、二種類の地球人類を創造する。
一つはネアンデルタール人=イギギである。イギギも人類として火星並びに地球に移住、定着したと聞いています。もう一つは、ニビル星人とネアンデルタール人のハイブリッドである現生人類である。
さて、異星人を名乗る種族と、上記に説明した太陽系種族との関係を推断してみましょう。
最初に知っておくこととして、地球に飛来している異星人(琴座星人、ニビル星人、プレアデス星人、オリオン星人、シリウス星人、火星人)の母星は、各異星人の呼び名の星々ではではありません。あくまでも、同じ生命哲学を共有する者達のグループ名として、琴座、プレアデス、シリウス、オリオン、プレアデス、火星と名乗っているのです。つまり自民党、民主党などと同じ意味合いでなのです。呼び名=星座と勘違いすることで、異星人に対する大変な誤解が生じています。
リサ・ロイヤルの[プリズム・オブ・リラ]の情報を先生にお知らせしたところ、先生から下記のことを教えて頂いています。ほぼ、プリズム・オブ・リラと同じような返答でした。ただし、本書にはニビル星人に関する記述が無く、古代シュメル古文書との整合性がとれず、貴重な情報であるにもかかわらず、より混乱をもたらしている一面があります。
「オリジナルな文明は、
  琴座 ⇒ プレアデス星 ⇒ ニビル星 ⇒ 地球へと
伝えられ、それを伝えるに必要な高等な知性を持った生命体、即ち人間は必要に応じて、各母体惑星からDNAの移植により創造されたものだと。」
詳細は省いて、結論だけをまとめると、下記の通りです。
琴座A,B  = ティアマトとその衛星のフェイトン
琴座星人   = フェイトン星人
プレアデス  = 古代火星
プレアデス星人= フェイトンから古代火星へ移住した人々。その一部が古代地球へ移住。
ニビル星人  = フェイトンからニビル星に移住した人々。
シリウス星人 = ニビル星のアヌ王家以外の種族。王国を否定し、共和制へ移行。
オリオン星人 = 火星人類 及び プレアデス末期の巨人族
最後に、惑星間で繰り返される衝突が惑星を激変させ、その度に知的生命体は母星を逃れ第二の母星へと移住し、環境に最適な惑星人類を創造してきた。その後、新生人類による戦乱に次ぐ戦乱もまた勃発している。現在の地球の戦乱の様相は、太陽系種族の総決算ともいえるものではないのでしょうか。つまり、同じ科学と哲学を共有するが、人生観・生き方における違いからこれら太陽系種族の騒乱が繰り返されてきたのです。
金星系大サタン・サナンダの提唱する生命哲学では、必要悪の立場に立ち、現世を力強く生き抜く必要は無いとし、霊体から肉体への転生輪廻を提唱している。そして、霊体の転生輪廻を支配する一部の者達が全体を支配しており、現実は独裁体制でしかない。そもそも、霊体は人類だろうが異星人だろうが、生まれたときから人体に生体磁場として記憶されながら成長し、臓器の一部として働き出すのだ。死後、疑似細胞を形成し、肉体を放れ霊体となる。霊体もまた物質でできており、すべては物質世界しかない。だから転生輪廻はあり得ない。だから、転生輪廻は、現実世界をより良くしようという人類の意思を消滅させ、有りもしない来世に期待を掛けるという愚かな人々を量産し、己の見にくい権力欲を隠蔽し、悪の帝国の支配を永遠のものにしようとしているのです。
人間の肉体を持った一生は一度限りで、有意義に人生を過ごさなければ、人格は成長しない。死後、霊体になったとしても、貧弱の意識では生前の記憶の大半を失い、地縛霊のように迷妄の壁に閉じ込められてしまう。もしくは、類は友を呼ぶので悪霊の巣窟に閉じ込められてしまいます。しかも、霊体の人生も有限なのですから、生ある人生を有意義に過ごさなければ、霊体の人生とはいいえ価値あるものとはならないのです。
付け加えると、異星人はすべて人類と同じ姿形をしている。恐怖映画に出てくる宇宙人、決爬虫類人、グレーなどは知的生命体ではない。遺伝子操作による産物に近く、バイオアンドロイドなんです。
コーヒーでも飲みながら考えじっくり考えてきた!ましょう!

麗奈の日だまりVol-1 Dream and Vision
http://blogs.yahoo.co.jp/ayanoreina/13793485.html





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2018年11月08日

洪水伝説と鳩・燕・烏の三つ鳥居

洪水伝説と鳩・燕・烏の三つ鳥居
ノアの洪水伝説の原型であるシュメール・アッカドの
『ギルガメシュ叙事詩』
は、アッシリア語版・古バビロニア語版・ヒッタイト語版・フルリ語版なども発見されている。
『ギルガメシュ叙事詩』の〔第十一の書板〕で、ギルガメシュは永遠の生命を得たというウトナピシュテムに出会い、
ウトナピシュテムの口から大洪水の物語が語られる。
ウトナピシュテムはシュメールの都市国家のシュルバックに住んでいたが、シュメールの神々は洪水によって町を滅ぼすことを決定した。
エア神(エンキ神)はウトナピシュテムに方舟を造って一族や動物たちとともに乗り込むように命じ、その通りに事は運ばれる。大洪水は六日六晩荒れ狂い、方舟はニシル山に漂着した。ウトナピシュテムは鳩・燕・大烏を順に放して、大烏が帰ってこなかったことから、水が引いたことを知って、方舟から出て神々に感謝した。神々の間でエア神がウトナピシュテム一族を助けたことについて、言い争いがあったが、
結局ウトナピシュテム一族に永遠の生命が与えられて、遠方の河口に住むことが許された。
ウトナピシュテム伝説は、
シュメール語版のジウスドラ、
アッカド語版のアトラハーシス(最高の賢者)、
『旧約聖書』のノア、
ギリシャ神話のデウカリオン、
インド神話のマヌ
などの伝説と同一のものである。 
ノアの伝説では、アララト山に漂着してから最初に烏を放ち、後で鳩を放しているが、
ウトナピシュテム伝説ではニシル山に漂着して、最初に鳩を放ち、次に燕を放ち、最後に放した大烏が戻ってこなかったことになっている。
この三羽の鳥が、秦氏の根拠地の一つである京都の太秦の
木嶋坐天照御祖神社の三つ鳥居
の由来でもある。
秦族は『旧約聖書』の手本となったウトナピシュテム伝説を知っていたのだ。
秦氏は八幡神の象徴として鳩を、賀茂大社の象徴として八咫烏(大烏)を伝説としたのは、ノア伝説の鳩と烏を示すためであったが、
三つ鳥居は元糺の池に立っていて、三つ鳥居の中央の真下にニシル山を模した石積みの山があって、大洪水で辺り一面水没した所に、
ニシル山
だけが姿を表していることを示唆していて、
木嶋坐(コノシマニマス)=此の嶋
におわすのことで、元糺の池の石積みの山を示し「嶋」の漢字で三角形の鳥居を示している。
さらに、ウトナピシュテム伝説の
鳩・燕・大烏
の三羽の鳥は、それぞれシュメールに関係した民族を象徴する暗号であったからたまらない。
烏は中国の夏王朝の禹王の一族のことで、
ウトナピシュテム=禹王
のことである。禹王も洪水を治めて荒廃した土地に人間が住めるようにした人物である。
ウトナピシュテムの名の
ウト
はシュメールの太陽神のウトゥのことで、世界的にも烏は太陽に住む三本足の烏とされて、太陽神の象徴であり、
禹王の一族とは
烏桓族・烏孫族・契丹族・扶余族
などがいた。
烏・燕・鳩を象徴する民族
禹王の一族の契丹族は、後章で説明する『契丹古伝』を残している。
さらに契丹族が遼国を建てて『遼史』を編纂して残しているが、契丹族の祖王のことを
葛禹図可汗(遼史では葛烏兎可汗)
と記していて、禹王=烏王であることがわかる。
そして契丹はキタイと読み、イスラエル十部族をアッシリアから救出したスキタイ騎馬民族の末裔であることを匂わしている。
また烏桓族・ウイグル族の末裔が平家となった。
ウトナピシュテム伝説の燕は、夏王朝の後を継いだ殷王朝の祖の契(セツ)の出生譚の燕のタマゴを母親が飲み込んで生まれたことに関連している。
五帝の一人のコクの子であり、母は有戎氏の娘であるが、契は帝舜の時代に治水を命じられた夏の禹王を助けて、黄河の修理に成功した人物であり、
契も洪水伝説に関係している。
契丹や殷の祖の契の名の「契」は契約の櫃の

であり、この漢字は神々の主の
マルドゥークの魔力ある怪剣(大刀)
を示すものであり、契丹族の祖王の名の葛禹図可汗の「可汗」は鏡の意味であると同時に、契約の櫃を担ぐ資格のあるアロンの直系のレビの尊称だった。
契を祖とする殷族は周王朝に取って代わられるが、殷族は烏を象徴する契丹族や烏桓族や扶余族などに逃込んで、烏を象徴する部族に吸収されてしまう。
殷の後に建った周王朝の祖の后稷(棄)は、母の姜原が巨人の足跡に感じて身ごもり、生まれてすぐに棄てられたが、
馬や牛が踏まないでよけて通ったので、氷の上に棄てたところ、鳥が飛んできて暖めたという伝説がある。
巨人の足跡とは磐古巨人の足跡のことを示している。
夏王朝は姜姓であり、殷王朝は子姓であり、周王朝は姫姓である。
姜姓は炎帝の子孫で、姫姓は黄帝の子孫とされている。
もともと姜氏と姫氏は婚姻関係を結ぶ親族関係の氏族であったが、周王朝の植民国家の杞は夏王朝の子孫、宋は殷王朝の子孫に建てさせているし、
太公望呂尚も夏王朝の姜姓であり、イスラエル風の斉国を建てている。
しかも周王朝の祖の母の姓が、夏王朝の姜姓であることは、周王朝もウトナピシュテム(禹王)の子孫にあたることを示している。
問題は周王朝の文王の子の召公に「燕」を建てさせたことである。
明らかに殷王室の祖の契の燕のタマゴの出生譚と関係しているものだ。
文王と殷王室の娘との子が召公だった可能性があるが、燕を象徴する民族は、明らかに殷王朝であったと言える。
そして、鳩を象徴する民族は八幡宮を氏神としていたヒッタイト騎馬民族の秦氏(秦帝国の部族)とその子孫の源氏や、
大和漢直(阿知使主を祖とする)となった。
宇佐氏系図と三輪氏系図の符合とカラクリ
宇佐八幡宮の宇佐氏の系図は、
タカミムスビ神の子の天三降命の子の宇佐津彦(玉依彦)と宇佐津姫(玉依姫)
が宇佐氏の祖であり、大中臣氏の祖である天種子命と玉依姫の子が宇佐津臣命で、玉依彦の子孫が宇佐公を賜った武雄(法蓮)だった。
下賀茂大社の祭神の建角身の子にも玉依彦と玉依姫がいた。
こちらはカミムスビ神の子の天神玉命の子の建角身命の子が玉依彦と玉依姫であり、
玉依姫が賀茂川で川遊びをしていた時に流れて来た丹塗り矢を持ち帰り、床近くに置いていたところ、身籠もり、上賀茂大社の祭神の別雷神を生む。
そう『古事記』の神武記の三輪山の大物主神が丹塗り矢に化して、セヤダタラ姫が床近くに置いていて、神武天皇の皇后となった
イスケヨリ姫
を生んだという『古事記』の神武記の記述に似ていて、明らかに賀茂の伝説は三輪とつながる。
別雷神の父親は火雷神とも日枝の山王(大山咋神)とも言われているが、宇佐氏系図の玉依姫の夫の天種子が本当である。
建角身は天三降命のことで、天種子は建御雷神(天児屋命)の子である。
三輪山の大物主神の子の天日方奇日方命の子の飯肩巣見命の子が建甕槌命であり、建甕槌命の子が大田多根子である。
大田多根子から大田を取ると「多根子」となり
「種子=タネコ=多根子」
となる。ようするに天尾羽張神の子の建御雷神の子の天種子は、飯肩巣見命の子の建甕槌命の子の大田多根子のことになる。
天尾羽張神は飯肩巣見命の別名であった。
肩から羽根が生えていた天使を形容して言(飯)ったわけだ。 
このことから、賀茂建角身の娘の玉依姫の夫は建御雷神(建甕槌命)の子の中臣氏の祖の
天種子(三輪氏の祖の大田多根子)
と言うことになる。賀茂大社を大二目命が創建したのも、大姓が三輪族の大田多根子の大氏を名乗ったことにも起因していて、
中臣氏を大中臣と呼んだのも大姓を示し、中臣の「臣」は出雲系の「富氏」の「富」の漢字転換であった。
『古事記』では大田多根子は、「意富多多泥古」と書かれ、
「大氏=太氏」と「富氏=臣氏」
が出雲系民族(三輪系民族)であることを示し、中臣氏が出雲系民族だったことを物語っている。
さて、宇佐氏系図によると、天種子命と玉依姫の子の名は宇佐津臣命しか書かれていない。
宇佐津臣命の祖父は建御雷神(建甕槌命)と天三降命(建角身命)であるから、建御雷神(建甕槌命)の名を取って、賀茂大社で
別雷神
と呼ばれたことになる。
また、大田多根子が神君鴨の祖と言われた理由もわかる。
さらに、三輪山の大物主神の「物」は物部氏の「物」であり、大和大物主奇甕玉命の「奇甕玉命」と物部氏の氏神の石上神宮の天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命が同一神を示していることから、物部氏も出雲系民族であったことを物語っている。
当然、天火明命を祖とする海部氏も出雲系民族だったことになる。
宇佐八幡宮につながる豪族
宇佐神宮を氏神とする宇佐氏は、三輪氏(大神氏、大氏、太氏)や中臣氏や物部氏につながっていたし、
宇佐氏の祖は賀茂大社の祭神の建角身命でもあった。
娘の玉依姫の夫が三輪山の大物主神の子孫の大田多根子であったことから、大神比義が宇佐八幡宮に関係して来ることになった。
大田多根子は神君鴨の祖とされ、賀茂別雷神の実の父親であった。
宇佐氏と賀茂氏は同族であったから、八幡宮が鳩を象徴し、賀茂大社が八咫烏を象徴したのは、ノアの洪水伝説を両社で示すためだった。
不思議なのは辛嶋氏が何故宇佐八幡宮に関連したのか?である。
辛嶋氏はスサノオの子の五十猛命を祖とする海人族で、元来は鉱業技術者であった。
『新撰姓氏録』では百済人の後裔とされ、秦氏の支配下にあったとされている。
宇佐地方は秦氏が多く居住していて、秦氏と姻戚関係が深い大神氏も豊後地方に居住していた。
宇佐郡の郡司の家柄であった辛嶋氏が、秦氏の支配下にあったとされているのは曲解で、秦氏の中でも支配層の氏族であったと思われるのだ。
宇佐八幡宮の初期の頃の宮司や禰宜の名に辛嶋勝某が多いのは、勝(スグリ)姓を持つことが許された秦族の特別な支配者であったことを物語っている。村主と書いてスグリと読むように、支配される者の姓名には使われない。辛嶋の姓は明らかに新羅と加羅を示していた。
辛嶋氏は高度の文明と文化を所有し、大陸の先進文明を伝えた。銅の精錬・海運・暦法・呪術のプロ集団でもあったから、東大寺の大仏建立の立役者でもあった。辛嶋氏は五十猛を祖神としていたが、木(紀)氏も同じであった。
竹内宿禰の子に波多宿禰と木角宿禰があったが、
波多宿禰の子孫が辛嶋氏であり、
木角宿禰の子孫が木氏(紀氏)であり、
木氏は百済八大姓の一つ
でもあった。木氏は宇佐地方から瀬戸内海全域と紀伊半島までの海域の航行権を掌握していた海洋民族であり、造船技術のプロ集団だった。
木氏も宇佐津彦・宇佐津姫と同じように、名草彦・名草姫を氏神としていた。
木氏の神職者が
「在常」・「有宇」・「有何」
などの「在」・「有」を名乗ったのは、出雲の神魂神社の神紋の亀甲紋の中に「有」の漢字が書かれていることと同じで
「有りて、在るもの」
と名乗ったイスラエルの神のヤハウエ神を物語っているのだ。
木氏も八幡信仰をした氏族で、辛嶋氏と結びついていたし、木氏は百済の木羅斤資を祖とする新羅系帰化人だった。
百済の政治家の木羅斤資の「木斤羅」が「新羅」になり、子の満致は蘇我満智だ。
宇佐地方に隣接する筑紫地方では、宗像氏がスサノオ神の娘の三女神を祀り、宇佐八幡宮の比売大神は
三女神(タキツ姫・イチキシマ姫・タキリ姫)
を祀っている。
比売大神は本来は玉依姫と豊玉姫とされるが、比売許曽神社のアカル姫とも言われていて、天日矛やツヌガアラシト伝説につながっている。
さらに宗像は、出雲から諏訪に出た建御名方富命の名に通じ、八幡神が建御名方だという説もある。
建南方とすれば金山彦を祀る南宮大社につながり、金属精錬の神の八幡神にもつながることになる。
さらに八幡信仰には、海洋民族の安曇族も関係し、騎馬民族の王仁氏(和邇氏)も応神天皇との関係でかかわっている。
飛騨の位山八幡宮の創始は和邇氏の将軍の建振熊命によってなされた。
秦氏と小野氏の密約
小野妹子は遣隋使として隋に赴き、隋国では蘇因高の名を名乗った。
小野氏は猿田彦とウズメの子孫の猿女の君の家系であり、京都の
祇園社(八坂神社)
を氏神とする氏族である。
隋国から無事に帰った妹子は、京都の岩倉地区に三宅八幡宮を創建した。
三宅八幡宮の建てられた地と、上賀茂大社と下鴨大社の建っている地を結ぶと、見事に測ったように正三角形になっている。 
祇園社は牛頭天王スサノオを祀り、小野氏はスサノオを祖神とする氏族であり、スサノオの子の五十猛を祖神とした辛嶋氏と同族ということになる。
妹子が隋からの無事の帰還を感謝して、三宅八幡宮を創建したとされている背景には、スサノオの子のウガの
御魂(八坂神)
を氏神として伏見稲荷大社に祀った秦氏の影響があったと思われるのだ。 
秦氏の京都の本拠地の太秦にある木嶋坐天照御祖神社の三つ鳥居の正三角形に符合するように、
上下賀茂大社の二羽の鴨と
三宅八幡宮の狛犬
となっている鳩で、三つ鳥居を示している。
妹子が遣隋使として赴いた時代は、聖徳太子のブレーンであった秦河勝の権力の最盛期でもあった。
河勝の後ろ楯があって、妹子は遣隋使となり、河勝や賀茂大社の神官などから秘密を教えられ、三つ鳥居に符合する三宅八幡宮を建立することになった。それは妹子一人の財力では出来なかったはずで、秦族と賀茂族とが協力したのである。
何故なら、下賀茂大社の祭神の八咫烏と三宅八幡宮の変わった狛犬の鳩で、ノアの洪水伝説の烏と鳩を示す目論見があったし、三つ鳥居が見取り図であって、三つ鳥居の中央真下にある石積みの山が、三社の中央に位置する西山であることを示すためにも、必要不可欠なことだった。
小野氏が氏神とした祇園社は、蘇民将来の護符で有名な神社だ。妹子が隋国で蘇因高と名乗ったのは、小野氏が元々蘇民であったことを物語っていて、
蘇民とはシュメール系イスラエル人であることを示しているし、
因高の「因」はインドラ神桓因を示し
「高」は高句麗王姓の太陽
を示す漢字であった。
ようするに小野妹子はシュメール系イスラエル人で、祇園精舎のあったインドと扶余族の建てた高句麗を経由して帰化した氏族であったことを、
蘇因高の名で象徴していたことになる。
古代の姓氏名は、出自を物語っていた。
木氏の神官が「有」・「在」を名乗ったのも同様である。
高句麗も百済も扶余族の建国した国であり、百済から加羅、新羅を経由して帰化した辛嶋氏・木氏・蘇我氏も扶余族であり、小野氏と同族であった。
そうでなくては、わざわざ『日本書紀』に小野妹子が隋で蘇因高と名乗ったことを書く必要がない。 
さて、山幸彦伝説に見える龍宮信仰は、新羅の人々の信仰でもあった。
元々東海にある海の女神の国に対する沃沮のオロチ族の伝承から来たもので、
オロチ族が金属精錬技術を持っていて、扶余族の一員となったことも関係しているが、このことは後章で述べよう。
秦氏と安倍氏の密命
秦氏は京都の太秦を本拠地にしていた。秦氏は氏神として広隆寺境内に大酒神社(大辟神社)を祀った。
中国の景教徒は、イスラエル王国のダビデ王のことを
「大辟」
と記したし、中国ではローマ帝国のことを
「大秦」
と呼んだ。
中国で、大秦はウズマサとは呼ばず、日本で太秦をウズマサと読ませたのは、
「織物をウズ高くマサるほど積んで、天皇に献上した」
ことが語源となっていることが、『日本書紀』の雄略記で秦酒公が各種多数の秦族の村主(スグリ・勝)を雄略天皇から賜ったことの御礼として、絹織物を沢山献上したことで、天皇から太秦の名を酒公が賜ることになったことが書かれている。
太秦の「太」は、出雲族の太氏の姓氏名であり、秦氏の「秦」は出雲では波多郷と呼ばれる地があって「波多」のことだ。ようするに出雲の太氏と波多氏の合体名が太秦になったことになる。
秦河勝は三輪山を水源とする川に瓶に乗って流されて来たという伝説があって、出雲系氏族の三輪氏や大神氏や大氏とも関係が深かった。
太秦の語源が出雲や三輪山にも関係があることは見て取れる。
大酒神社(大辟神社)の「大」も大氏を示し、
「大」
が五芒星ペンタグラム☆を示していて、大辟の
「辟」
がヘキサグラムの「ヘキ」と発音する漢字であることも重要になっている。
大酒神社のあった広隆寺の太子殿では、太子講の人々が掲げた五芒星☆の額が有って、
大辟神社の「大」が五芒星☆を示していることを物語っている。
また賀茂保憲の弟子であった安倍晴明も
セーマン(五芒星☆)
を用いていた。
セーマンは黒色で描く五芒星と赤色で描く五芒星があって、赤色のセーマンは逆さまに用いていたから、
二つのセーマンを合体させると十芒星デカグラムとなることを示している。 
安倍氏の祖は孝元天皇の子の大彦で、その名の
「大」
が五芒星を示している。
大彦の腹違いの弟は彦太忍信命で、竹内宿禰の祖父であり、竹内宿禰の子が
波多宿禰・木角宿禰・蘇我石川宿禰・葛城襲津彦
などであったが、彦太忍信命の名の「太信」の逆の「信太」は、安倍晴明の母の葛の葉の信太の森につながる。
彦太忍信命を祖とするのが、秦氏・木氏・蘇我氏・葛城氏・平群氏・許勢氏であり、古代名族を輩出しているが、
すべて帰化人なのだ。
当然のことだが、大彦を祖とする安倍氏も帰化人だったわけだ。
安倍晴明のライバルとされた芦屋道満も秦氏であり、晴明も道満も陰陽道という名に隠れて、ユダヤの秘儀を継承していた。
晴明の目指したものは
『金烏玉兎集』
という虎の巻の実体を知ることであり、彼はその奥義をつかみ、黒色の五芒星と赤色の五芒星を目印にして、後世に残した。
さらに平安京で、
大文字山・左大文字山・妙法・船形・鳥居形
の五山の送り火をすることによって、ユダヤ民族の宝が大文字の描かれた二つの山の和に関係していることを示し、
それが妙法蓮華鏡であることを暗示したのである。
大文字焼きの縁起帳に、最初は人型の五芒星で執り行ったことが書かれている。
太秦の語源とニッポンの言霊の語源
古バビロニア(紀元前1,900−1,700)の神話に、人間の創造に関する粘土板がある。
天には天神アン、
大気の神エンリル、
太陽神ウトゥ、
大地と水神エンキ
がおり、神々の会議であるアヌンナキで議論が続いた。
大気の神エンリルが
「天と地が造られ、チグリス川とユーフラテス川の堤防も作られた。次は何を造ろうか」
アヌンナキに集まった神々は、それに答えて言った
「ウズムア(ニップールの聖堂)で二柱のラムガ神から人間を造ることにしましょう。
神々の下働きとして、いろいろな労働をしてくれるように。
神々の住まいを建て、運河を作り、畑を耕し、国土を豊かにしてくれるように。
女神アルルがその計画を完成させるであろう」
というものだ。
アヌンナキは七人の神々の会議のことである。
『古事記』の最初に書かれる独り神は、天御中主神から豊雲野神までの七神であり、アヌンナキの七神に相当する。
イザナギ、イザナミの二神の国生みは、天神の助言で成功する。
天神とは天御中主神から豊雲野神までの七神のことだ。
ニップールの聖堂に祀られていたのはエンリルであり、聖堂の中心はエ・クル(山の住まい)と呼ばれていた。
ニップールの聖堂はウズムアと呼ばれ、このウズムアが秦氏の根拠地や頭領の名の太秦=ウズムァサになった。
先述した宇佐八幡宮の「ウサ」は「ウシャ」のことで、ヒッタイトの神殿(社)の意味であり、
ウズムァサの「サ」も「シャ」であり、「社」のことであるから、
ウズムァサは
聖堂社
の意味になり、ウズムァサの頭文字と後尾文字が「ウサ」であることも、ウズムァサである太秦が、神を祀る聖堂の社であることを物語っている。
神が山に住むという観念が我が国にあるのは、ウズムアの中心がエ・クルと言われ、神の住む山の意味の須弥山思想が深く係わっていることになる。
さらに、日本という漢字を「ニッポン」と呼ばせる由縁は、
シュメールの都市国家のニップール
にある。
ニップールを何度も唱えると、ニッポンと聞こえて来る。
ニップールは別名をヤマトバァルと呼ばれていた。もうこうなると疑う余地もない。
源氏の名門氏族に宇都宮氏がいた。
ウズ(宇都)ムア(宮)
である。さらに宇都宮の宇都は、出雲の大国主神の別名の宇都志国玉につながり、ウズムアがイズモに変化した。
ヘブル語は母音の発音は無いに等しく、あいまいであったから、ウズムアからイズモに変化してもおかしくない。
「ウズムァタイシャ」と言うと「出雲大社」
と聞こえるのである。
ウズムアとは聖堂(大社)のことだから、出雲と言う言霊自体が大社を意味していたことになる。
ニップールの別名のヤマトバァルの「バァル」は、エンリルの変化のバァル神のことで、数字記号は五十で、
五十鈴宮(伊勢神宮)
につながり、神紋は六芒星と十六菊花紋だった。
謎 の 契 丹 古 伝
『契丹古伝』の平(タイラ)と平家
日露戦争中、鴨緑江軍兵として従軍して『契丹古伝』を入手した浜名寛佑が『日韓正宗遡源』という名で、大正十五年に出版したのが『契丹古伝』が知られる始めとなった。契丹族の太祖の耶律阿保機(紀元876−926)の重臣の耶律羽之が撰した史書で、契丹はキタイと読み、古代のスキタイ騎馬民族の流れを匂わしている。 
四世紀末から九世紀にかけて栄えていたウイグル人が、キルギス人の侵入によって亡命して来たのを迎え入れ、それまでいた契丹諸部族とウイグル人を統合したのが阿保機である。彼はウイグル族の名門の肅氏から妃を娶った。妃の姓は平(タイラ)名は月理奈と言う。
タイラ(平)は古代インドでも族長を示す言葉であり、古代インドとウイグル族の言葉が同じであったことが伺える。我が国の桓武天皇を祖とする平家のタイラにもつながり、桓武天皇の「桓」は帝釈天インドラの桓因につながり、古代中国の遼西地方の北方に住んでいた烏桓族を示している。
桓武天皇が造らせた平安京の内裏の近くに烏丸(カラスマ)通りがある。烏桓は烏丸とも書かれ、平家にも烏丸姓があった。明らかに桓武天皇は烏桓族の族長タイラ(平)だったことになる。
そして平安京には、烏桓(烏丸)の名につながる八咫烏(建角身命)を祀る下鴨大社が中央に陣取っていた。
鴨大社の「鴨」は、『契丹古伝』を入手した鴨緑江の「鴨」につながっている。
このことから『契丹古伝』が我が国に関連している古伝であることがわかる。
浜名寛佑は難解な『契丹古伝』を解読して、日本と朝鮮が同祖であることに気がつき、
『日韓正宗遡源』
という名で発表したわけで、当時としては画期的なものだったが、原本は無く、八幡書店刊の『契丹古伝』だけが現存する唯一のものになる。
本書では以後『契丹古伝』のことを『古伝』と略記する。
さて、契丹族は3世紀頃にモンゴル東部で栄えていた東胡の一種で、烏桓族・鮮卑族・扶余族(貊族)・女真族などが東胡である。
『古伝』によると、契丹族は東大神族(シウカラ族)の一部族で、東大神族には
阿芸(日本)・央委(朝鮮の祖民)・陽委・漢委・伯弭(貊)・潘弭(貊=扶余)・淮委(殷代の大候国)
の七族がいたとされている。
また貊夷・犬戎・姜戎・驪戎も同族であり、貊(伯弭・潘弭・貊夷)から秦に入った者と匈奴になった者がいたとされ、
異種の沃沮のヤオロチ族がスサナミコに帰順したとされている。

瑞草会
http://www.geocities.jp/zuisoukai/kimonsintou.html
http://www.geocities.jp/zuisoukai/




妙法蓮華とマナの壺の正体
漢字の楷書の正字のことを真字(マナ)と言うが、鑑真の名に字を加えると
「鑑真字」
となり「真字鑑(マナカガミ)=真字鏡」となる。
マナと言えばユダヤの三種の神器の一つであり、出エジプト後のモーセ一行の飢餓を救った食べ物を入れた壺のことだが、
マナの壺のマナは「何だろう?」という謎かけの意味の言葉とされているのだ。
古代インドでは、黄金の単位がマナであったし、日本では漢字の楷書の正字をマナと呼んだ。ユダヤではマナの壺の食べ物のマナ(何だろう)は、大勢の人々が食べても翌日には供給されているという不思議な食べ物だった。
日本でも真魚鰹の「真魚(マナ)」は食べ物である魚を示している。
日本のまな板の「マナ」も食べ物に関する名であり「学(マナ)ぶ」は「真字(マナ)ぶ」のことで、漢字の楷書の字を学ぶことが語源であり「字」の漢字から「学(學)」の漢字が出来ている。
さらに物部氏の祖の海部氏の祀る丹後一宮の籠神社の奥宮には真名井神社があり、「真名(マナ)」という言葉が神に関係している。真名井の「真」は鑑真の「真」であり、真字(マナ)の「真」でもあって「真名=真字」である可能性が高い。
さらにだ、日本語にはマナコ(眼)という言葉があって、ユダヤのマナの壺の「マナ」に符合する言葉が真魚・俎板・真字・学・真名・眼と六つもあるということは尋常ではない。
「学」は「真字」が語源であったから除外すると、
真魚・俎板・真字・真名・眼
の漢字に共通するのが「目」となる。
「目」は天照大神と月読神がイザナギ神の目から生まれたことに関係し、
観音の原名の金星神イナンナの象徴の六芒星は籠目と言われ、
籠神社の「籠」と真名井神社の真の漢字の中の「目」の合体も籠目であった「目」の漢字もマナコと読み、
真魚・俎板・真字・真名・眼
のマナに関係する言葉が、すべて天照大神と月読神がイザナギ神の「目(マナコ)」から生まれた神話に関連していることがわかる。
妙法蓮華の妙は、明けの明星の金星の「明」のことであって
「明」
は天照大神と月読神の「日・月」を示している。
天照大神と月読神は「目(マナコ)=眼」から生まれた。
マナの壺の「壺」は「コ」と音読みする。
マナの壺は契約の櫃に納められていた。
「櫃」に納められた「匚」の中身の「貴」の漢字も、中央に「目」が隠されていた。
マナ壺は日本では「眼(マナコ)」という暗号となって、封印された。
「眼」の漢字は天照大神の生まれた左目(籠目)を示すように左に目があり、右には艮の金神を示す「艮」の漢字がある。
真実の艮の金神とはマルドゥークが授けられた神々の支配のシンボルのシムトゥのことであり、月神シンと太陽神ウトゥを象徴する鏡であった。
これが真字鑑(マナカガミ)であり、漢字の楷書を生む亀鑑と呼ばれる物で、天照大神を象徴する八咫の鏡であったし、釈迦の説いた妙法蓮華鏡でもあった。
八幡神の正体と太秦の語源
八幡神信仰と弥勒信仰
八幡信仰の総本山の宇佐八幡宮(宇佐神宮)の一之御殿の八幡大神が祀られたのは、紀元725年(神亀2年)であり、二之御殿の比売大神が祀られたのは八年後の天平5年であった。
八幡信仰は御許山を神奈備山とし、御許山には奥宮の大元神社がある。八幡神は紀元571年に大神比義が、菱形池ほとりの笹の上で光りを発する三才の童子を観得したことに始まるとされているが、
元来は下賀茂神社の祭神の
建角身命
の子の
玉依彦(宇佐津彦)と玉依姫(宇佐津姫)
を祖とする宇佐氏の石信仰が始まりであった。
御許山の三つの巨石を聖石として崇拝していた宇佐氏の信仰と新羅系帰化人の辛嶋氏の鉱業神を主神としていた信仰の融合によって始まった。 
比義伝説の、三才の童子が
「我は誉田天皇(応神天皇)、広幡八幡麻呂なり」
と告げ、金色の鷹となったり、金色の鳩になったりして止まった地に、鷹居瀬社を建てられたのが708年(和銅元年)で、現在地に遷座されたのが、一之御殿の創建の時になる。
宇佐八幡宮の現在地への創建は、宇佐氏一族の僧の法蓮によってなされ、法蓮は八幡宮の神宮寺となった弥勒寺の別当職ともなった。
弥勒寺の創立は虚空蔵寺と法鏡寺とが合体したことに始まり、金堂は大神氏、講堂は宇佐氏が統括した。
天平9年(727年)弥勒寺は神宮寺となり、翌年には国分寺となった。
三輪山の三輪氏の出身の大神比義が、八幡神と応神天皇を同一神としたことで、奈良朝中期からは
八幡神=応神天皇
の説が一般化することになるが、それ以前の八幡神は宇佐氏の崇拝する
神奈備山(御許山=馬城峰)
の石神崇拝であり、辛嶋氏の鉱業神の崇拝が主力であったし、辛嶋の「辛」は「加羅」を示していた。
宇佐地方は仏教の伝来が早く、神仏混合も奈良朝以前に始まっていたと言われている。
『法華経』の妙法蓮華から法蓮の僧侶名が作られ、八幡神の菩薩名の護国霊験威力神通大自在王菩薩も、『法華経」の一節の「神通自在」から取ったものだった。
弥勒寺の前身であった虚空蔵寺の名は、『古事記』の山幸彦の別名の虚空津彦の由縁となり、
法鏡寺の名が『妙法蓮華経』の「法経」を「法鏡」であることを示唆していた。
ようするに『妙法蓮華経』とは
「明法蓮華鏡」
であり「明宝蓮華鏡」という太陽と月を象徴する花模様の鏡のことになる。
弥勒寺の名の弥勒はアッカド・バビロニア神話の主神マルドゥークのことであり、
マルドゥークの持っていた神々の支配のシンボルのシムトゥが明宝蓮華鏡であった。
虚空蔵菩薩は摩尼宝珠(如意宝珠)を仏格化した仏であり、如意宝珠とは妙法蓮華鏡のことである。
山幸彦は海神ワタツミから塩盈珠と塩乾珠を授けられた。
これが如意宝珠であり、妙法蓮華鏡だったことになる。
シュメールとヒッタイトの八幡神
著者の住む飛騨宮村に位山と呼ばれる聖山がある。
万葉集でむらさき山と歌われ、標高1,500mほどの秀麗な山である。
山の容姿がピラミッド型をしていることもあって、日本のピラミッドの一つとも言われている。
頂上には天の石戸と呼ばれる巨石があり、飛騨一宮の水無神社の奥宮となっている。
頂上まで続く登山道には多くの巨石群が連立していて、シュメールやケルトの遺物と考えられていて
『竹内文献』の富山の
皇祖皇太神宮
の大元宮があった所とも言われている。
位山の麓にあたる渡瀬地区に大森神社というひなびた神社がある。
元一宮である。大森神社という名称は出雲の神奈備山の麓に必ずある神社の名称で、出雲では王守神社・王森神社とも書いている。
位山は出雲系民族が富山の神通川沿いに上って来て、神通川の源流である位山を神奈備山としたものと考えられる。
その証拠に水無神社の祭神は出雲のスサノオ神の子の大歳神の娘の御歳神となっている。
位山の巨石群から「 」と「井」と「 」のペトログラフが発見され、「 」と「井」はシュメールの太陽神を象徴する図形文字で、
「井」は齊部(忌部)文字記号で数字の五を表す図形でもあり、
「 」は牛神(牛頭天王)を象徴するとともに、やはり太陽神を表す図形文字であり、
「井」は真名井の井である。
位山の南20kmほどの所に位山八幡宮(岐阜県益田郡萩原町山之口)がある。
ここも神体山がピラミッド型をしていて、巨石群が連立している。
古代ではおそらくピラミッド型の山容の山を位山と名づけ、神奈備山としたのだろう。
この近くの郷土史家に聞いたところ、山之口の住民の言い伝えでは、位山八幡神社の「八幡」の語源は「ハティム・アン」であると言う。
「ハティム」の「ハティ」は「ハッティ」と言われたシュメール時代にシュメールの都市国家群の西北に隣接して国家を構えていたヒッタイト王国の民族の原名である。
ハティの英語読みがヒッタイトで、ヒッタイト王国は鉄の発明と騎馬民族で有名であり、『旧約聖書』の「ヘテ人」の国であり、エジプトでは「ヘタ人」と呼ばれた。
古代イスラエル王国のソロモン王の母がヘテ人のバテ・シヴァであったから、ソロモン王にはヒッタイト騎馬民族の血が流れていたことになる。
ソロモンの名がモンゴル語では「ツォロモン」となって、明けの明星の金星を指す言葉に転用されている。
ソロモン王は金星と太陽を象徴する六芒星をソロモンの封印として使用していた。
このことが騎馬民族によって、モンゴル地方に伝わった。
さらにハティム・アンの「ム」はアッカドのナラム・シン王の「ム」と同じで「の」「と」の意味の接尾語であり「ナラ」は光り輝く太陽を示し、日本の奈良になった。
ヒッタイト人とフルリ人
ユダヤ教やキリスト教の神(全能者=シャダイ)は、シュメールの天空神アンの別名の山に住むエル(エル・ハル・シャダイ)のことである。
この「アン」が、安倍氏や平安京や天の安河の「安」になるが、イスラエルとエルサレムの「エル」がエル神(アン神)のことで、エルサレムが平安の意味であることにもつながるのだ。
天空神アンはアンシャル(天霊)とキシャル(地霊)から生まれている。天霊と地霊はアプスー(真水)とティアマト(塩水)から生まれている。
このティアマトはアッカド神話のエヌマ・エリシュ(神々の戦争)で子孫であるマルドゥークに捕らえられ、魔力ある怪剣で身体を二つに切られ、一方は天空になり、一方は下界の水に被せて大地にされた。これが天地開闢である。
ところが、ヒッタイト神話のクマルビ神話では、ヒッタイトの先住民のフルリ人の神のクマルビの精子を受けて、石から生まれた怪物のウルリクムミがどんどん大きくなり、背丈が天上界まで達し、イシュタル女神が誘惑したが成功しなかったが、
智恵の神のエア(エンキ)がマルドゥークの怪剣で、ウルリクムミの巨大な足を切って打ち倒したという。
この二つの神話のティアマトとウルリクムミが合体して、インドのプルシャ神話・中国道教の磐古神話・北欧のユミル神話になった。
ヒッタイト王国の先住民族のフルリ人は、『旧約聖書』でホリ人と記されている。
フルリ人はノアの方舟がアララト山に漂着したとされるアララト山麓のウラルトゥ地方(アルメニア地方)に住んでいた。
アララトがウラルトゥの語源である。
アララト(ウラルトゥ)は高地(高いところ)の意味で、
位山の一位の木(アララギ)から作った笏を応神天皇以来代々の天皇の即位に献上する習わしがあるのは、
天皇家がアララト山に漂着したノアの子孫のイスラエル王家であることを記憶するためである。
アララト(高い山)とアララギ(高い木)のアララの符合がこれを的確に物語っている。
ヒッタイト神話の石の怪物のウルリクムミは、万物が生まれたとされるエルサレムの地下にある聖なる岩と重なり、
ゲルマンの巨人ユミル・インドの巨人プルシャ・中国の巨人磐古となって、あげくの果てに我が国の神道の一大勢力であった物部氏の氏神の石上神宮の石神となった。 
石上神宮の楼門上に掲げられた額の
「萬古猷新」
の文字は「萬古名を新たましむ」と読むが、これは
「磐古猷(猶)神」
のことで
「磐古は猶太(ユダヤ)の神」
であることを「萬古」という新しい名に変えたことを示しているのである。
「猷」の漢字の意味は「はかりごと」がしてあることを示し「猷」の同音漢字の「猶」を充てれば、猶太(ユダヤ)となることを想定して書かれていたのだ。
フルリ人とホリ人
フルリ人の石の怪物ウルリクムミがフルの御魂を祀る石上神宮の萬古神(磐古神)になった。
饒速日命の別名のフルはフルリ人を示していることになる。
丹後一宮の籠神社の宮司を務める海部氏の系図によれば、天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命の別名が
ホホデミノミコト
でもあるから、山幸彦のホオリノミコトと同一神となる。
ホオリがフルリ人を『旧約聖書』でホリ人と記した民族名を示し、アララト山麓の高地に住んでいたホリ人のことを山幸彦としたわけだ。
フルの御魂と大物主神は同一神であったし、饒速日命の正式名に天照が充てられていることから、
饒速日命=フルの御魂=大物主=天照大神
という等式になり、天照大神を象徴する八咫鏡はフルの御魂の別名の天下万物聚類化生大元乃神宝に相当することになり、
その正体は大和大物主奇甕玉命と呼ばれる物で、大和大物とは、
「大+大」=「☆十☆」=十芒星
デカグラムの図形の描かれた物であり、奇甕玉と呼ぶ玉であった。
これは大大和国玉命(大倭国魂命)と呼ばれる物とも同じ物で、十芒星の描かれた玉であったが、
大大和=大和大=大山和(山和大)=☆
の描かれた三角形△の和を示し、
△+▽=六芒星
となり、六芒星の中に十芒星が描かれた玉が
大和大物主奇甕玉命(大大和国玉命)
であり、天下万物聚類化生大元神宝だった。
マルドゥークは神々の支配のシンボルのシムトゥと魔力ある怪剣を持っていた。
そして日本神道の最高の祭主である天皇家では、支配のシンボルの八咫の鏡と草薙の剣を三種の神器の二種としているし、
日本神道の大元である物部氏の祀る石上神宮には天下万物聚類化生大元乃神宝があり、霊力ある神剣フツの御魂があった。
シムトゥと神道は同じであり、シムトゥが
八咫鏡(天下万物聚類化生大元乃神宝)
であり、魔力ある怪剣が草薙の剣や神剣フツに相当することになる。
フツの御魂とフツシ御魂という石上神宮の剣神は、スサノオ神の父の名のフツとスサノオの別名のフツシを示し、
フツシとはフツの子の意味になる。
フルリ人の都市国家のヌーズーの近くにスーサという都市国家があったが、スーサの王をスサノオと呼んだことが定説になっているのも、当然のことなのだ。
マルドゥークは国土の中心に聖殿を造りバビロンと名づけた。これは
バーブ・エル(イル)
のことで、
天神アン(エル)の門
の意味であり、バビロンのイシュタル門には、天神エルと風神のエンリル(ハル神・バァル神)の紋章の十六菊花紋があった。
アッカドのナラム・シン王の戦勝碑(フランスのルーブル博物館蔵)にも太陽を象徴する十六菊花紋が彫り込まれていた。日本の皇室の紋章はシュメールのアッシュールナシルバル二世像の腕輪の紋章とアッカドのナラム・シン王の戦勝碑の紋章の十六菊花紋につながっていて、日本の皇室がシュメール・アッカド・バビロニアと確実につながりがあることを示している。
そして物部氏は『源平盛衰記』や『新撰姓氏録』では古代のインドのマガダ国から来たことになっている。
これはイスラエル王国の滅亡とともにシュメールの王族がインドに亡命したことを物語っている。
ヒッタイト王国の首都 ハットウサ
紀元前2000,年頃黒海の南、チグリス・ユーフラテス河の北西部のアララト山の南西部のアナトリア地方にヒッタイト民族が侵入して、
ルウィ人やバラ人というインド・ゲルマン民族語系の原語を話す先住民族を征服して、ヒッタイト古王国を建てて、
王都をハットウサに定めたのが紀元前1750年頃であった。
紀元前1400年頃にはヒッタイト帝国と言われるまでの隆盛を極めたのだが、
紀元前700年頃にはアッシリアの侵攻によって歴史の表舞台から姿を消した。
丁度イスラエル十部族の北王国もこの頃アッシリアによって滅亡し、イスラエル十部族がスキタイ騎馬民族によって忽然と姿をくらました時代に相当するから、スキタイ騎馬民族の中にヒッタイト騎馬民族が吸収されていた可能性もある。
ハットウサ(現在のボガズキョィ)で発見されたボガズキョィ文書版(一万枚の粘土板は、シュメール語・アッカド語・ヒッタイト語・ルウィ語・バラ語・ハッティ語・フルリ語の七種の言語が書かれていたことから、ヒッタイト帝国は七種類の言語を話す民族の居住する複合国家であったことが判明した。
しかし、ヒッタイト語とハッティ語という二つの言語が発見された以上、ヒッタイト人とハッティ人が同一民族ではないという危惧も抱くが、ヒッタイトはハッティの英語読みで、『旧約聖書』のヘテ人のことで、エジプトではヘタ人と呼ばれた民族のことだから、アナトリア地方に侵入したヒッタイト民族も先住のハッティ人も同一民族だったと言える。
おそらくアナトリア地方に侵入したヒッタイト民族は、先発のハッティ人の誘導のもとで進出が行われた可能性が高く、それまでルウィ人やバラ人やフルリ人などと長年過ごした先住のハッティ人の言語は、後に侵入して来るハッティ人の言語と違っていても、なんら不思議はない。
同一民族でも、住む所が離れていて、他民族と共存していれば、言語に違いが生ずるからだ。
さて、ヒッタイト王国の都のハットウサには、ヒッタイト王国の神を祀る神殿があった。
現在でも神殿の遺構が残っているが、ハットウサの「ハット」は「ハッティ」のことで、「ウサ」は「ウシャ」のことで「神殿(社)」の意味だった。
このことから、我が国の秦族の本拠地の宇佐八幡宮の語源がウシャ・ハティム・アンであり、
その意味はヒッタイトの天神アンの社であったことがわかる。
さらに秦氏の「秦」を「シン」と読むのは、月神シンの信奉民族であったことを示し「ハタ」と読むのは、ヒッタイトの原名のハッティが「ハティ・ハット・ヘテ・ヘタ」と呼ばれ、これが「ハタ」に変化したと考えられ、韓国語のパタ(海)を語源とするより自然である。
秦氏は八幡神の象徴として鳩を、賀茂大社の象徴として八咫烏を伝説にしているが、鳩も烏もノアの方舟から飛び立った鳥だった。

瑞草会
http://www.geocities.jp/zuisoukai/myouhouhittaito.html
http://www.geocities.jp/zuisoukai/kimonsintou.html
http://www.geocities.jp/zuisoukai/




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