2018年07月07日

予言者ダニエル

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ダニエル書
ダニエルしょ Book of Daniel
旧約聖書の一書。前606年ごろ,バビロン捕囚でエルサレムからバビロンにつれていかれた預言者ダニエルの記録とされる。
しかし,年代などは史実と一致せず,実際には前2世紀の中ごろ,無名の作者によって書かれたという説が有力である。
「ダニエル書」が聖書にくわえられたのは後90年ごろ,ヘブライ語正典の第3部「諸書」の中におさめられた。
第2部「預言書」にはいらなかったのは,成立時期が遅かったためと思われる。
聖書には「ダニエル書」以外にも,ダニエルにまつわる「スザンナ」「ベルと竜」「三人の若者の賛歌」の3つの物語があるが,
ユダヤ教,カトリック教会,プロテスタントにより位置付けに違いがある。
ユダヤ教とプロテスタントでは,これらの物語を外典とし,カトリックでは「ダニエル書補遺」として第二正典の中にふくめている。
「ダニエル書」の最初の6章には,ダニエルの6つの物語が列挙されている。
もっともよく知られているバビロニア王の夢を解釈した話(4章)のほか,
壁に字を書く指の幻を解釈したり(5章),
獅子の洞窟になげこまれたが難をのがれる話(6章)
などがつづく。
またダニエルの3人の友人は,金の像の崇拝をこばみ,もえさかる炉になげこまれるが,神の救いにより生還する(3章)。
後半部にはダニエルの4つの黙示がある。
ダニエルのみた幻の多くは,メソポタミアやペルシャの神話にもとづいている。
大きな困難に直面しながら真理をつらぬいたダニエルの物語は,
前2世紀ごろ,セレウコスの王アンティオコス5世の迫害をうけていたイスラエルの人々をなぐさめ,はげます目的で書かれたものと思われる。
「ダニエル書」の一部は,1947年にクムラン付近で発見された死海写本の中にもはいっている。

聖書研究デスク
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/8769/bible-desk/danieru-e.htm













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予言者ダニエルとバビロン,拙画






ユダヤ人の歴史
B.C.2000年紀,ヘブライ人 カナン(約束の地)に移住
セム系であるヘブライ人は,メソポタミアのウルからカナン(現在のイスラエル・パレスチナ付近・地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯)へ移住し,
遊牧生活をしていた。
B.C.17C,ヘブライ人 エジプトに移住
大飢饉のため,カナン地方から古代エジプト(エジプト第2中間期第15王朝-ヒクソス政権)に移住し厚遇される。
エジプトはヒクソス人により支配されていた。
ヒクソス政権を破り,再びエジプト人がエジプトを統一したエジプト新王国第18王朝になると,ファラオイアフメス1世はヘブライ人を奴隷として酷使,迫害する。
BC13C,出エジプト
エジプト新王国第19王朝ラムセス2世の時代,エジプトで迫害されていたヘブライ人を,モーセが率いてエジプトから脱出する。
神に与えられた約束の地,カナンへ向かう途中,十戒を授かったとされる。
BC12C
カナンに定着
ヘブライ人がカナンへ辿り着いた時,カナンの地はカナン人(フェニキア人),ペリシテ人が定住していた。
長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて,ヘブライ人はカナンの地に定着した。
この頃からイスラエル人を自称するようになり,ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
BC11C
カナンでイスラエル王国を建国
ダビデの時代,ペリシテ人を撃破し,近隣王国と友好同盟を結び,イスラエルをその地方の強カな勢力に作り上げ,エルサレムを王都に定め,イスラエル王国の礎いしずえを築いた。
ソロモンの時代,外国との交易を広げて経済を発展させ,官僚制度を確立する。フェニキアの技術を導入してユダヤ教のエルサレム神殿を建立する。
BC10C,イスラエル王国の分裂
ソロモンの死後,部族間の抗争により統一体制は崩れ,北と南に分裂する。
イスラエル王国(北王国)10部族が独立 首都サマリヤ
ユダ王国(南王国)首都エルサレム
以後両国は盛んに争い,この戦争によって国力が衰えていった。
BC8C
イスラエル王国(北王国)の滅亡
アッシリアのサルゴン2世によって首都サマリヤは陥落し,ヘブライ人は奴隷または追放され,メソポタミアからの異民族が移住し,北王国は滅亡する。
イスラエル王国の故地に残ったヘブライと移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれるようになり,後に,サマリア人は,混血したことや移民たちの信仰をユダヤ教に混交させたことから後に差別される存在となる。
BC8C
ユダ王国(南王国)の滅亡とバビロン捕囚
紀元前609年 メギドの戦い エジプト末期王朝時代第26王朝(ネコ2世)に敗戦し,ユダ王国はエジプトの支配下に入った。
紀元前605年 カルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れる。
紀元前597年 新バビロニアのネブカドネザル2世によりエルサレムは包囲され,ユダ王国は属国となり,ユダ王国ヨヤキン王を含め約1万人のヘブライ人は捕虜としてバビロンに連行される。(第1回バビロン捕囚)
紀元前589年 エジプトの新バビロニア侵入にユダ王国も乗じて新バビロニアに反乱を起こす。
紀元前587年 新バビロニアは再びエルサレムを包囲し,翌年ユダ王国は陥落。エルサレム神殿は破壊された。ユダ王国は属州として併合され,多くの捕虜は首都バビロンへ連行された(第二回バビロン捕囚)。
B.C.6C
ヘブライ人のエルサレム帰還
新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世により,バビロン捕囚となっていたヘブライ人は紀元前538年に解放され,一部のヘブライ人は再びエルサレムに帰還する。

世界の歴史まっぷ
https://www.sekainorekisi.com/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8-%E5%8F%A4%E4%BB%A3/















バビロン捕囚
バビロン捕囚(バビロンほしゅう)は,新バビロニアの王ネブカドネザル2世により,
ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され,移住させられた事件を指す。
バビロン幽囚,バビロンの幽囚ともいう。
西暦前587年または586年,ネブカドネザルはエルサレムを滅ぼした。
ラキシュやアゼカを含め,ユダの他の都市も征服した。
ネブカドネザルは,生き残った人々の大半をバビロンに強制移住させ,人々は捕囚にされる。
流刑の後,ユダヤ人はアケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世によって解放され,故国に戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許される。
ユダの捕囚民
ユダの捕囚民の大部はバビロニアにあるニップル市そばの灌漑用運河であるケバル川沿いに移住させられた(『エゼキエル書』による)。
この地域はかつてアッシリア人の要塞があったが,新バビロニア勃興時の戦いによって荒廃しており,ユダヤ人の移住先にここが選ばれたのは減少した人口を補うためであったと考えられる。一方で職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ主としてネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に従事することになった。
『エゼキエル書』などの記録から,当初ユダの捕囚民達はこのバビロニアへの強制移住は一時的なものであり,
間をおかず新バビロニアは滅亡して故国へ帰還できるという楽観論を持っていたといわれている。
これに対しエレミヤとエゼキエルはエルサレム神殿の破滅が近いことを預言し,繰り返し警告を与えたが「救いの預言者」と呼ばれた人々は楽観論を吹聴してまわり,捕囚民達は滅びの預言に耳を傾けることはなかった。
しかし,上述した如く紀元前586年にエルサレム神殿が破壊されると,ユダの捕囚民に広がっていた楽観論は粉砕された。
ユダヤ人とバビロニア文化
すぐに故国に帰れるというユダヤ人の希望は幻と消え,長期に渡ってバビロニアに居住することになったユダヤ人は現地の文化の著しい影響を受けた。
1,2世代を経るうちに,捕囚民の中にはバビロニア風の名前を持つ者が数多く現れた。
エホヤキン王の孫ゼルバベル(「バビロンの種」の意)の例に見られる如く王族の間ですらその傾向は顕著であった。
また月名にバビロニア月名が採用された。旧来のユダヤ月名は「第一月」「第二月」のように番号でもって呼称されていたが,
これが
「ニサン月(第一月)」
「イヤル月(第二月)」
のようにバビロニア名でもって呼ばれるようになった。
そして文字文化にも大きな影響が齎された。旧来の古代ヘブル文字に変わってアラム文字草書体が使用されるようになり,文学にもバビロニア文学の影響が見られるようになった。
一方でバビロンのユダヤ人たちは,バビロニアの圧倒的な社会や宗教に囲まれる葛藤の中で,それまでの民族の歩みや民族の宗教の在り方を徹底的に再考させられることになった。宗教的な繋がりを強め,失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり,神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになった。また,この時期に神ヤハウェの再理解が行われ,神ヤハウェはユダヤ民族の神であるだけでなくこの世界を創造した神であり唯一神である,と理解されるようになった。バビロニアの神話に対抗するため,旧約聖書の天地創造などの物語も,旧約聖書学で「第2イザヤ」「祭司記者」などと呼ばれている宗教者たちにより記述されていった。後のローマ帝国以降のディアスポラの中でも失われなかったイスラエル民族のアイデンティティはこうしてバビロン捕囚をきっかけとして確立されている。
オリエントの強制移住[編集]
古代オリエント社会においては,反乱の防止や職人の確保,労働力の確保を目的として強制移住が行われることは頻繁に見られるものであり,
ユダヤ人のバビロン捕囚も基本的にこれと変わるものではない。
紀元前592年に捕囚民に対して与えられた食料の供給リストがバビロンから出土しているが,このリストにはユダ王エホヤキンやユダヤ人ガディエル,セマフヤフ,シェレミヤフなどの名前とともにツロ人,ビュブロスの大工,エラム人,メディア人,ペルシア人,エジプト人,ギリシア人などの名が上げられており,広範な地域から人間が集められた事がわかる。
ユダヤ人のバビロン捕囚はこういった強制移住政策について今日最も詳細に記録が残されたものとして重要性を持つ。
バビロン捕囚の終焉
西暦前537年の初めごろ,ペルシャの王キュロス2世は,捕らわれていた者たちがエルサレムに帰還して神殿を再建することを許す布告を出した。
総督ゼルバベルと大祭司エシュアに導かれた,4万2,360人の「流刑囚の子ら」に加えて,7,537人の奴隷や歌うたいたちが約4か月の旅をした。
アイザック・リーサー訳の聖書の第6版の脚注は,その人数が婦女子を含めて約20万人に達したことを示唆している。
彼らは秋の第7の月までに自分たちの都市に定住した。

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%8D%95%E5%9B%9A







死海文書の謎
死海文書は,死海の北西(現在のイスラエル)のクムラン遺跡の近くで遊牧民族の羊飼いの少年たちが洞窟の中のツボから発見したとされています。
イエス・キリストが生きていた,まさにその時代に纏められたと推定される,900の断片からなるこの文書を死海文書と言います。
死海文書は発見された場所のクムラン遺跡の地で暮らすクムラン教団の信徒が作成したという説が有力です。
クムラン教団
クムラン教団とは,ユダヤ教の一派であり,エッセネ派の人々と考えられています。
ローマ帝国に支配されていたユダヤ人は西暦66年に反乱を起こし,エッセネ派も参戦します。
しかし,ユダヤ人はローマ帝国の前に敗退し,エルサレム神殿は火が放たれて破壊されてしまいます。
その後,彼らが暮らしていた場所も追われることになり,ユダヤ人は住む場所を失い,各所に散る事になります。
そのような状況の中,クムラン教団の人々は,文書を後世に残すために,洞窟に隠したと考えられています。
今回のテーマの死海文書もその一部だと考えられます。
死海文書は6つの重要な文書を含んでいて,
「ダニエル書」と「戦いの書」は,2000年以上後の今を予言しているとされています。

都市伝説まとめ大辞典
http://urbanlegend-jp.com/blog/daniels-book/














確かに,人類のためにご計画を遂行されるために,神は正確に時に従って行動されていることがわかる。
◆ 洪水の時
◆ 出エジプトの時
◆ キリストがこの地上に来られる時
◆ キリストのバプテスマの時
◆ キリストの十字架の時
◆ キリストの復活の時
◆ キリストが昇天の時
◆ 聖霊が降下した時
◆ 「終わりの時」の始まる時
◆ さばきの時が始まる時
◆ キリストの再臨の時―神だけが正確の日時を知っているが,….。
ミラーは,次のように言っている。
「もう1つ真にわたしの心に感動を与えた証拠は,聖書の年代であった。
・・・・過去において成就した預言のできごとは,しばしば定められた期間内に成就したということを,わたしは見いだした。
洪水までには,120年(創世記 6:3)。
洪水に先だつ7日間,
そして,預言された?が40日間(同 7:4)。
アブラハムの子孫の400年の寄留(同 15:13)。給仕役の長と料理役の長の夢のなかの3日(同40:12-20)。
パロの夢の7 年(同 41:28-54)。
荒野の40年 (民数記 14:4 3 ),
3年半のききん (列王紀上 17 : 1 )〔ルカ 4:25参照〕,
・・・・70年の捕囚(エレミヤ25:11),
ネブカデネザルの7つの時(ダニエル 4:13-16),
ユダヤ人のために定められた7 週と62 週と1 週から成る70 週( 同9:24-27)。
―時に区切られたできごとは,みな,かつては預言に過ぎなかったが,その預言どおりに成就したのである。」大争闘下9
ハバククは,神の時間表は遅れるように見えることがあるが,決してそういうことはなく,「定められた時」があることを明確にしている:
「この幻はなお定められた時を待ち,終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」ハバクク2:3
セブンスデー・アドベンチストは,1260日,2300日の預言のタイムラインの始めと終わりについては動じない確信を持っている。
しかし,1798年,1844年から160年も再臨近し,世の終わりは近しと説き続けて,もはや160年も過ぎた。
キリスト再臨の切迫感は徐々に喪失し,地上歴史約6千年も説かなくなった。
時はまだ延びるのだろうか?神の定められた時は思った以上に迫っているのだろうか?
過去において,神は定められた時に従って行動してこられた。キリストは「時満ちるに及んで」受肉された。
「神はモーセにご自分の民を救出する時が近づいていることを告げられた。」(ST,1-13 1881)
今日,私は,神は間もなくご自分の民の永久的な救出,解放についてその時を告げられると信じる。
今日またもや時に関する研究が盛んになっているからである。勿論,「その日,その時は誰も知らない」という強力な議論が持ち出されるであろう。キリスト再臨の日時は「天からの神の声」で発表される時までは分からないが,ダニエル,黙示録の近年の研究では,日曜休業令が発布されると非常にその時が近いこと,どれほど近いかを知ることができるのである。
「ダニエルの預言にメシヤ来臨の時期が示されたが,だれもがそのことばを正しく解釈したわけではなかった。
1世紀また1世紀と過ぎて行き,預言者たちの声はやんだ。圧制者の手はイスラエルに重く,多くの者は『日は延び,すべての幻はむなしくなった』といまにも叫ぶばかりであった(エゼキエル 12:2 2 )。だが定められた広大な軌道にある星のように,神の目的は急ぐことも遅れることもない。大いなる暗黒とけむるかまどの象徴を通して,神はアブラハムに,イスラエルがエジプトで奴隷生活を送ることを示し,その滞在期間は400年であると宣言された。『その後かれらは多くの財産を携えて出てくるでしょう』と神は言われた(創世記 15:1 4 )。このことばに対して,パロが誇りとする帝国は,全力をあげて戦ったがむだだった。神の約束に定められていた『その日に,主の全軍はエジプトの国を出た』(出エジプト 12:4 1 )。同じように,天の会議では,キリスト来臨の時が決定されていた。時という大時計がその時間をさし示すと,イエスはベツレヘムにお生れになった。」1希望22
「イエスは,この世の両親との関係を無視されたのではなかった。彼は両親といっしょにエルサレムから帰って,骨折って働く彼らの生活を手伝われた。イエスはご自分の使命の奥義を自分自身の心にかくし,ご自分の働きを始めるべき定まった時.....のくるのをおとなしく待たれた。ご自分
が神のみ子であることをみとめてから18年の間,イエスはナザレの家庭につながるご自分のきずなをみとめ,息子として,兄弟として,友人として,市民として,その義務をつくされた。」1希望77,78
イエスは時を知って行動された:
イエスは天の大時計がちょうどその時を示した時に,お生まれになっただけでなく,
公生涯を開始なさるためにメシヤとして立たれた時も,天父の時に従ったのであった。その公生涯に3つの面が覗える。
1.「わたしの時はまだ来ていない」ヨハネ2:4,7:6,8,30,8:20
2.「時は近づいた」マタイ26:18、45
3.「時は来た」ヨハネ13:1,17:1,マタイ26:45

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1223.html













紀元前2000紀,ヘブライ人 カナン(約束の地)に移住
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紀元前2000紀,ヘブライ人 カナン(約束の地)で遊牧生活
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BC17C,ヘブライ人,エジプトに移住
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古代エジプト:エジプト新王国第18王朝になると,ファラオはヘブライ人を奴隷として酷使,迫害
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BC13C,出エジプト,エジプトで迫害されていたヘブライ人をモーセが率いてエジプトから脱出
神に与えられた約束の地,カナンへ向かう途中,モーセが十戒を授かった
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BC12C,ヘブライ人,カナンに定着
ヘブライ人,この頃からイスラエル人を自称する
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BC11C,ヘブライ人/イスラエル人,カナンでイスラエル王国を建国
イスラエル王国:BC11C,ダビデの時代
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3000年前,ダビデ王の下,ユダヤ民族国家イスラエルは黄金時代
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古代イスラエル王国/ソロモン王の死(BC928年)
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ソロモン王の死後,北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)に分裂
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ソロモンの死後、部族間の抗争により統一体制は崩れ北と南に分裂
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BC10C,イスラエル王国の分裂
イスラエル王国(北王国)10部族が独立 首都サマリヤ
ユダ王国(南王国)首都エルサレム
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分裂以後,北南王国は盛んに争い,戦争によって国力が衰えていった
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北イスラエル王国はBC722年にアッシリア帝国に滅ぼされた
イスラエル王国(北王国)の滅亡,10支族は以後行方不明(失われたイスラエル10支族)
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約2700年前,中東で暮らしていたユダヤ人:失われたイスラエル10支族
[日本の建国は北イスラエル王国の10支族が国を追われ東に向かいアジア各地に散ってから約60年後 ]
[神武天皇。西暦紀元前660年2月大和を平定]
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紀元前612年,アッシリアの都メデスの陥落
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紀元前609年,メギドの戦い :ユダ王国はエジプト末期王朝時代第26王朝に敗戦,エジプトの支配下に入った
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紀元前597年,新バビロニアのネブカドネザル2世によりエルサレムは包囲される
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紀元前587年,新バビロニアは再びエルサレムを包囲,翌年ユダ王国は陥落
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ユダ王国は新バビロニアの属国となり,ユダ王国ヨヤキン王を含め約1万人のヘブライ人は捕虜としてバビロンに連行される[第1回バビロン捕囚]
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第二回バビロン捕囚:ユダ王国は属州として併合され,多くの捕虜は首都バビロンへ連行された
■ユダ捕囚民のダニエルはバビロニア王の下僕となる
ダニエル幻視,ネブカドネザル王が見た夢を言い当て解釈
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西暦前587年,ネブカドネザルはエルサレムを滅ぼした
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BC000000586,0000 紀元前586年にエルサレム神殿が破壊される
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■バビロニア王ネブカドネツァルの子ベルシャツァル王の治世元年にダニエルは幻を見る
ダニエルは「終わりの時」を幻視
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西暦前537年の初めごろ,ペルシャ帝国がバビロンを征服
[第2の国:メデイアペルシャ ダニエル書]
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バビロン捕囚の終焉 :ペルシャ王キュロス2世は,捕囚民がエルサレムに帰還し神殿を再建することを許す布告
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ユダヤはシオンの地に戻ることを許されイスラエルを再建
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[第3の国:ギリシャ帝国 ダニエル書]
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posted by datasea at 18:47| Comment(1) | ◉ 黙示録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする