2018年12月12日

佐治芳彦:崑崙山はアララト山,高天原伝説考


高天原「地上」説は,高天原を現在の日本民族を構成した人々の原郷と考える限りにおいて,当然出てくるはずのものである。
だが,それは新井白石が
「神は人なり」
「天は海なり」
と見て,歴史を人間の営みの奇跡と考えるまで,長らく忘れられていた。
新井白石以降,高天原ー祖先の神々が住みたもうた所ーといえども,天空や仮空の存在ではなく,地上の実在であって,ただその位置だけが問題となったのである。
民族学者の丘正雄によると,日本神話は
北方系のタカミムスビ神話と
南方系のイザナギイザナミ神話,それに
土着のアマテラス神話
などの組み合わせによって構成されされているという。
したがって,私たち日本人の祖先の神々のいわば原郷である高天原の原イメージは三通りあることとなる。
まず,
朝鮮半島,
中国東北部(旧満州)
シベリア東方,
モンゴル草原
が北方系の高天原であって,後の高天原天上説もやはり,この系統の神々の子孫が作り上げたものでものである。
南方系つまりイザナギ・イザナミ神話的高天原は
東南アジアから
中央アジア,
西アジア
にいたる地域である。
そしてアマテラステラス神話でいう高天原はむしろ
高「海」原
と言うべきものであって,南海の諸島からマラッカ海峡,アラフラ海,チモール海などを経てベンガル湾,インド洋,アラビア海からペルシャ湾ないし紅海にわたる大海原である。つまり古代航海民の活躍舞台だ。
高天原に対してこの日本列島を
「葦原の中ツ国」
と言う。古代,日本列島の海岸一帯がまだ開拓されず,葦が繁茂していた光景からの名称であって,高天原人(神)のネーミングである。
この葦原の中ツ国は素戔嗚尊命の後継者大国主命が補佐神・少名昆古那神や子の事代主命の協力を得て経営していた。
古代の稲作は水辺や沼沢地,つまり葦などが茂っているところで行なわれていたのだから,葦原の中ツ国は高天原から見れば開拓極めて有望な地域であった。
そこで「記紀」神話でいう「国譲り」の交渉が始まった。
もちろん中ツ国側では譲らなければならない理由などなかったのだから,高天原側からの一方的な要求ということになる。だからその根拠と言えばはっきりしない。
天照大神が
「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂国は,我が御子,正勝吾勝速度日天忍穂耳命の知らず国ぞ」
と勅してアメノオシホミミを天降らせようとしたと古事記にあるだけなのである。つまり葦原の中ツ国は自分の子が治めるべき国だと言う,一方的な宣言だけなのである。
多分この葦原の中ツ国は自分の親・イザナギ・イザナミが生んだ国である。したがって自分の子がこの中ツ国を治めるのが正当なのかというのが根拠と言えば根拠だろう。
だが記紀この部分を読めば,葦原の中ツ国に対する高天原の野望はアマテラスと言うよりは高木神ことたカミムスビノカミが主導的だったことが,はっきりしている。
ともあれアメノホシホミミはアマテラスの勅を奉じて天降ろうとして「天の浮橋」に立ったものの,
「豊葦原の千秋長葦原五百秋の瑞穂の国いたく騒ぎてあり」
と述べ降臨を中止した。おそらくは葦原の中ツ国の抵抗を察知したのであろう。
三輪山信仰の祭祀であったオオタタネコが選んだとされる「秀真伝」という「古史古伝」がある。その15章に
「西の国玄圃積国」
という地名が出てくるが,これは中国の伝説の国で
「天帝のいるところ」
ということになっている。
ところが秀真伝では天祖クニトコタチノミコトの8人の子(トホカミエヒタメの8神)がそれぞれ8つの地域の王として降臨した際に,第三皇子が芝居したのが,この玄圃積国を含む赤県州となっている。
玄圃積国という名はその地には中国で最も貴重とされている「玉」が一面に散らばっている事からきたものである。それで崑崙山だともいわれている。そこには中国の伝説的女神「西王母」が住んでいたともされている。
歴史時代には,確かに現在の地図上の崑崙山ではあるが,西王母伝説自体が,さかのぼればさかのぼる程「西」の方になる。そして結局はコーカサス山脈の仙境の女王アルテミスと同一視されるに至る。コーカサス山脈のアララト山(ノアの方舟が漂着した山)が崑崙山というわけだ。
古代に赤県州を支配していたトヨクンヌの妃となったという西王母は,はるかアララト山から嫁いできたということになる。
これはまた,西王母という名前で中国で呼ばれている神仙の女王は,コーカサス山麓の高天原から中国大陸の中ツ国へ降臨したということになるが,これはやはり中ツ国移動の一駒であろう。
中国の伝説は崑崙の「玉」にウェイトを置いたために,彼女をいわゆる地図上の崑崙山脈の女王とみなしたのかもしれない。
さて「宮下文書」の真郡州以前の本拠(中ツ国)はおそらくこのコーカサスから下ったチグリス・ユーフラテス両河地方だろうが,もしかしたらエジプトであったかもしれない。
というのも天之御中世の神皇の五代以降の諱は四代を除き全て「農」がつくし,特に五代神皇は
「神農比古」
という。中国伝説の神農氏は
「牛首人神」
の神であってこれは古代エジプトの農業神を連想させるからである。
ー日本国成立の謎,佐治芳彦,ラクダブックス,1988年

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<高天原はスバルである>
<太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきた>
・本書の「陰陽歴史論」とは、高天原の昴(スバル)系の氏族とアースガルトやアガルタの地底系氏族という
“陰と陽”の二系統の血脈の関わり、
抗争の中で歴史は動いてきたのであり、それが歴史の真相であったことからつけたものである。
・さらにこの“陰陽”の二系列は
地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られ、
後者はさらに親高天原と反高天原に分かれた。
<スバル、北極星、オリオンの三位一体>
・これまでわが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)や
キリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたり、
セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきた。
・なおヤペテ系氏族はスバルと同じ牡牛座のアルデバラン(ヒアデス星団の赤星)信仰と考えられる。
・この地底世界の実体は不明だが、
一部にはプラズマ亜空間説が出されている。
空間が歪曲して異空間へとつながっているという説明もあり地底世界というより、別次元の世界と考えられる。
・厳密にはアガルタとシャンバラを区別しなければならないようである。
つまり、ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである。
・藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、
物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。
・このヤペテ、ハム対セムの対立は天界で天の父なる神に反抗した堕天使に対して
ヤハウェ(またはミカエル)が天使の三分の二を率いて天の父なる神の側につき、
堕天使とそれに従った三分の一の天使を地底世界に落とした事に遡る。
セム系対ハム系、ヤペテ系の対立で、
後者がヤハウェ側と天使側の半分ずつに分かれたことで、三分の二対三分の一となる。
・セム系民族はエンキの北極星、北斗七星信仰、ハム系民族はエンリルのオリオン信仰であった。
・我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、
つまりバールやミトラを祭祀し、
その系列神を祭神とした物部氏の神社で、
オリオン信仰であり、ハム系の神々を祀ったものであった。
・イザナギの黄泉の国訪問譚はギリシア神話のオルペウスの話がモデルで、
途中で約束を破って振り返って見たため永久に妻を失ったエピソードなど同一のものである。
なお、イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)である。
・大伴氏と物部氏は天皇家をはさんで、
セム系とハム系の陰陽の関係にあり、
東日本を大伴氏、西日本を物部氏が支配したが、本来は対立関係にあった。
・ハムもセムもノアの子としてアースガルト、アガルタ、シャンバラという地底に起源をもつが、
北欧神話などを読むとセム系とハム系の住む領域も異なり(シャンバラはセム系の世界)、
元々は対立していたのが、セム系がハム系に服属して和解したことになっている。
・シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。
セム系は北極星、北斗七星信仰で、
ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされている。
・セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。
ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、
聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔として避難している。
・この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、
天皇家を間において対立・抗争してきたのが日本の歴史で、
しかもそれは国民の一割前後の民族の抗争であったとするのが本書である。
<天孫降臨の地は飛騨である>
・スワティカ(卍)は、もともと宇宙エネルギー発動の神聖な表現である。
・北欧神話のアースガルトがインド神話のアガルタという地底世界への信仰を有するトゥーレ協会という
一種の秘密結社で、ヒトラー自身が、その地底世界を求め探検隊をチベットに送ったり、
そこで知りえたものと思われる。
・ナチスとアガルタの結びつきについては多くの人が論じている。
有名なスウィフトの『ガリバー旅行記』もケルトによる地下世界探検譚を集めて書かれたものである。
『宇宙戦争』{ソリトンの鍵}
光悠・白峰     明窓出版   2006/5
<エイリアンが、地球で行う生体実験・・・それは、宇宙戦争の歴史のカルマの清算と修復である>
<源氏と平家―両極を動かす相似象とは>
・日本でもこれと相似象のことがけっこうあるのですよ。
その最もたるものが、源氏と平家の争いですが、
源氏はオリオンの系列で、平家はプレアデスの系列なのです。
源氏と平家の発祥は違いますが、
平家は西国が多いですね、
源氏は東国が多いでしょう。
広島の安芸の宮島には海底遺跡があったそうです。
あの辺は超古代にプレアデス星人の宇宙基地があったと言われています。
・そして、源氏の旗は白で、平家は赤。
日本の国旗は白と赤でしょう。
だから、日本民族の星の起源を遡ると、オリオン系とプレアデス系ということになります。
・この二大勢力は地球の古代の歴史上ではアトランティスとレムリアで、
日本では源氏と平家です。
神の世界でいえば、イザナギ、イザナミになるかもしれません。
すなわち、物を大事にする方、精神を大事にする方という、
両極のものが、歴史を動かしてきたのです。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1094.html





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2018年12月10日

遺跡情報,高野山/景教碑

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高野山/景教碑


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高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文





景教碑の謎  
高野山/一の橋から 奥の院参道に入ってすぐに2手に分かれている道を右の方にまっすぐ進むと青い
「弘法大師夢のお告歌碑」
が見えてきます。
この歌碑を左に進むと見えてくる漢文の碑が 
景教碑
と呼ばれる石碑です。
現在中国、西安市の博物館に保存されている
「大秦景教流行中国碑」 
のレプリカ(複製品)です。
オリジナルは西暦781年、唐の都・長安の大秦寺に建立され、1623年西安で土中より発掘されました。
碑には何が書かれているのか?
中国に伝わったキリスト教の 一派 景教の歴史が刻まれています。
約1900字の漢字と一部シリア語で、
旧約聖書にある天地創造、
アダムとイブ、
キリスト誕生
など
景教の教義と唐のへの伝来、
太宗の時代から147年間におよぶ景教の中国での発展の歴史、
60余人の宣教師名
などが書いてあります。

もっと高野山
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm
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大秦景教流行中国碑全訳 
高野山景教碑の側面に刻まれたシリア語と漢文

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景教とは
一般的には 西暦431年の宗教会議において異端の烙印を押された
キリスト教、ネストリウスの一派
がローマを追われた後、シリア、ペルシャを経て、シルクロードの各地にその教えを広め、
635年中国まで伝わった時に景教と呼ばれたと考えられています。
中国景教はその後、皇帝による保護と圧迫を繰り返し、玄宗皇帝の時代には再度盛んになり、唐末に衰退、モンゴルの興隆と共に発展。
そして元とともに衰退しました。
高野山の景教碑
高野山に景教碑のレプリカを建てたのはE.A.ゴルドン夫人という女性です。
1851年イングランドに生れ、日本の文化を愛し、様々な日本を援助する活動を行いました。 
また日本に長期間滞在し、仏教の研究をしました。 
仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えが夫人の研究テーマでした。
「大秦景教流行中国碑」の複製を高野山に建てたのも、その研究の一環で、夫人は唐で学んだ弘法大師が景教にも関係を持っていたと信じていたようです。
京都で亡くなった夫人の葬儀は京都東寺で仏式によって行なわれ、その墓は高野山、景教碑の隣に建てられました。
弘法大師と景教の関係についてインターネットをさ迷い歩き調べてみたのですが、はっきりした事実や証拠は見つかりませんでした。
しかし 背景から推測すると
大師が留学していた当時の唐の都、長安では西方から伝わった
マニ教 
ユダヤ教 
ゾロアスター教
などさなざまな宗教が伝わっていました。 
大師の滞在した寺は大泰寺にも近く、好奇心旺盛かつ求道の人、空海の事だから当然、景教を始め他宗教も研究したはずだ。 
とも想像できます。 
また 景教碑の文を起草した 
ペルシャ僧、景浄
という人物は,大師が唐でサンスクリットを学んだインド僧 
般若三蔵
が胡語で書かれた仏典の漢訳を行った時協力したことがあり,三蔵から景教について聞いていたとしても不思議ではありません。
(ただし 景浄と三蔵は翻訳をめぐって意見が合わず仲が悪かったそうですが)
大文字五山の送り火 
は景教徒の習慣を弘法大師が伝えたと主張するサイトがありました。
調べてみると確かに大文字の起源の一つに弘法大師説がありましたが景教との関係は不明です。  
京都新発見 大文字五山の送り火のナゾ 
景教碑について調べていると次々に新しい謎が生まれてきます
高野山の話題とは離れますので景教に興味のある方だけご覧下さい
続 景教碑の謎

もっと高野山
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続 景教碑の謎   
景教碑は不思議な謎の世界に我々を誘い込んでゆく。 
まるで異次元への扉のようです 
インターネットでは  様々なサイトで 興味深い話題 が提供されています。
いくつかのサイトで提供される 話題には いわゆる トンデモ説、あるいはファンタジーと思われるものも多く注意が必要です。 
しかしこれらは本当の真実を探す一つのヒントなのかもしれません。
景教を巡る謎の世界あまりにも広く 深く 遠く 素人である管理人には何が真実なのか判定するだけの知識はありません。
ここでは、出来るだけ話題を整理して紹介すること。 
(殆ど景教リンク集になっています)
そして自分なりの 感想や空想 (妄想?) を提供できればと思っています。
景教博士と呼ばれた佐伯好朗博士が1908年に発表した
[太秦を論ず」
において 世間を驚かせる説を唱えました。  
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
です。
秦氏一族は 4〜5世紀ごろ朝鮮半島からやってきた渡来人 
5世紀半ばごろには京都に定住するようになり、平安京遷都に尽力しました。 
一説には平安京は秦氏の資金と技術によって造営されたとも言われています。
彼らは養蚕を伝え、高度な金属鋳造や土木技術を持っており 巨大墳墓の造営や治水に力を発揮したと言われています。
しかし 歴史の表舞台にはほとんど登場せず謎の一族となっています。
佐伯博士は 京都にある秦氏の寺、太秦(うずまさ)寺をめぐる ユダヤとの関連を思わせる数々の事実から 
「秦氏 ユダヤ人景教徒説」
を唱えました。  
さて古代の日本にユダヤ人が来ていたとするとどういう人たちなのか?
ということから登場するのが 旧約聖書にある 消えたイスラエルの十部族です
ユダヤ人の王国はダビデの息子ソロモンの時頂点を極めましたが、その後分裂し
サマリアを首都した「北イスラエル王国」
とエルサレムを首都にする「南ユダ王国」
を建国します。
北王国は、前722年アッシリア帝国により、滅亡し十部族はアッシリアに連行され捕囚されます。
南王国も前587年新バビロニア帝国によって滅亡し、バビロン捕囚となります。前538年ペルシャ帝国により新バビロニアは滅亡、
バビロンにいた南王国の二部族は解放され、こぞって帰還しました。 
しかし既にアッシリア帝国は滅亡していたにもかかわらず北王国の十部族は帰還せず、歴史の表舞台から消えたのでした 。 
さて この十部族のゆくえについて世界中でさまざまな探求がなされましたが、十部族の一部がシル
クロードを経由し日本に到達し日本人の先祖の一つとなったという説が  
「日ユ同祖論」
です。
しかし このようにキリスト生誕の500年も前に姿を消した十部族が4〜5世紀になって登場するという説にはかなり無理があると思います。
フィクション仕立てのストーリーで読みやすく、比較的客観的に秦氏や十部族の謎を整理しているサイトです。
秦氏のルーツについては 色々な説があります。
中央アジアの弓月国から来たとか 、
朝鮮半島の百済または新羅,
泰の始皇帝の子孫 
であるとか様々です。 
弓月(クンユエ)という国は
現在のカザフスタン南部、
アルマトイを含むバルハシ湖より南,
キルギスのあたり,
あるいはホータン
と言われています。
いずれにせよ 最終的には弓月君に率いられた120県(あがた)の泰氏が朝鮮半島から日本に渡って来た訳ですが、その背景には半島の複雑な勢力関係が有るようです
宗教に関して、
八幡神社 
稲荷神社 
など 多くの神社信仰は秦氏が持ち込んだものと言われています。
その上 多くの仏教寺の創建にも関わり、景教徒説も有るとなると,秦氏はさながら宗教の総合商社の観があります。
さて景教とはいったい何だったのか? 
一般的には 景教といえは 一般には ローマ教会から異端とされたネストリウス派がシルクロードを経由して中国まで伝道の足跡を残したと言われます。
しかし景教がネストリウス派という1つのグループの教義が中国まで伝えられたとするには多くの疑問があるようです。
シルクロードの遺跡から発見された漢訳の景教経典でも景教碑の碑文にも見られるのはかなり,本来のキリスト教とはかなり違った教義だと言われています。
景教碑には漢字と共にシリア文字が刻まれています。
シリア語とはアラム語の一方言でした
アラム語とは 古代の西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉です。
イエスもこの言葉を話していましたし、ガンダーラ地域、現在のパキスタンやインドにもアラム語の石碑が残っています。
また シリアとは 広くは現在のシリアだけではなくレバノン、ヨルダン イスラエルを含む地域です。 
それに加え,イラクイランを含むペルシャ帝国の版図でもアラム語は広く使われました。
シリア教会はイエスの死後まもなく、12使徒の時代に設立されその歴史はローマ教会より古く長い歴史の荒波を生き抜いて現在もシリア正教会として存在しています。
そして今も典礼にアラム語を使っているのです。
エフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派は シリアに逃れシリア教会と合流しました。
その後シリア教会もローマから追われ分裂や拡散の複雑な歴史をたどります。
分裂した一方の西シリア教会の拠点はアンティオキアから近東の各地を転々とし、現在のシリア正教として存続しています。
ネストリウス派の合流した東シリア教会はペルシャ領内に逃れ、ここを拠点に東への布教を継続して行っていたようです。
『大秦景教流行中国碑』
によれば,景教の宣教師 阿羅本は635年中国に到着、宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った、とあります。  
初めて訪れた異国の宣教師が国賓並みに迎えられる事は普通考えられない事です。
景教を支持する人々がすでに多数中国に存在し、中国側の支配層に、よほど周到な根回しをしていたと推測されます。 
このような事が出来るのはだれかを考えると、胡人と呼ばれていたソグド商人達が思い浮かびます。 
景教とは 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派であった。  
というのが管理人の想像です。
しかし 755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された後も 唐で盛んに活動を続けている事から考えるとこれは的外れかも知れません。
いずれにせよ 異端となってまで自分達の考えをに守ろうとしたネストリウス派の行動から考えると教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教とが 同一であるとは思えません。
景教碑が建立された後 中国においては景教は衰退しましたが、その後モンゴル帝国において再び盛んになった事が知られています。

もっと高野山
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景教碑のかたわらに建てられたゴルドン夫人の墓 


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「イエゴードン夫人の墓」と読める 







■思想,ミトラ教,
アラム語:シリア語とはアラム語の一方言でした
[景教(ミトラ教)] AD635年,中国まで伝わった時に景教と呼ばれた
[景教(ミトラ教)] AD8C,景教,中国景教として定着
[景教(ミトラ教)] AD9C,シリア教会分裂>>西シリア教会は近東各地転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教>>現在のシリア正教として存続
シリア教会:イエスの死後まもなく設立>>長い歴史の荒波を生き抜く>>現在もシリア正教会として存在
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
アラム語:アラム語とは古代西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉
アラム語:イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
シリア教会:イエスの死後まもなく,12使徒の時代にシリア教会設立
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn
[秦氏] 4〜5世紀ごろ秦氏一族が朝鮮半島からやってきた
[景教(ミトラ教)] AD3C,景教(ミトラ教):ローマ帝国下,イスラエルの月暦>>>太陽暦(エジプト太陽神崇拝,ミトラ崇拝,バベルの塔を建てたニコデモを起源)
[景教(ミトラ教)] AD325,ニカイア信条,キリスト教会は神と主イエスの教えに従わずローマ皇帝の命令に従う道を選択した
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は異端となってまで自分達の考えをに守ろうとした
[景教(ミトラ教)] キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>アジア各地で宣教
[景教(ミトラ教)] AD431, キリスト教/ネストリウス一派は宗教会議で異端の烙印>>ローマ追放>>シリアに逃れシリア教会と合流>>
[景教(ミトラ教)] AD431年のエフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派はローマ追放
[景教(ミトラ教)] AD6C,ネストリウス一派はシリアに逃れシリア教会と合流>>シリア教会もローマから追われ分裂
[景教(ミトラ教)] AD4〜5C,景教(ネストリウス派)に改宗したユダヤ人のグループ秦氏一族が2万人も大挙して日本にやってきた
[景教(ミトラ教)] AD4〜6世紀にかけて中央アジアの弓月国からきた原始キリスト教徒の秦氏による古代イスラエル,キリスト教文明
[景教(ミトラ教)] AD6C,シリア教会分裂>>分裂した一方の西シリア教会は近東各地を転々>>逃れたペルシャ領内を拠点に東への布教
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教の宣教師阿羅本は635年中国到着,宰相房玄齢らに迎えられて長安に入った 大秦景教流行中国碑
[景教(ミトラ教)] 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派 SilkRoad2215   
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:景教支持者がすでに多数中国に存在し根回しをしていた SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:胡人/ソグド商人達が根回し?? SilkRoad2215 
[景教(ミトラ教)] AD635年,景教宣教師阿羅本長安入り:初めて訪れた異国の宣教師が国賓並に迎えられる事は普通ない SilkRoad2215
[景教(ミトラ教)] AD755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された
[景教(ミトラ教)] AD9C,玄宗皇帝の時代には再度盛ん
[景教(ミトラ教)] AD9C,ソグド人安録山の反乱(安史の乱)後も景教は唐で盛んに活動
[景教(ミトラ教)] AD9C,教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海が留学していた当時の唐の都,長安では西方から伝わったマニ教,ユダヤ教,ゾロアスター教などさなざまな宗教が伝わっていた。 
[景教(ミトラ教)] AD9C,空海の滞在した寺は大泰寺にも近く,好奇心旺盛の人だから当然景教を始め他宗教も研究したはず
[景教(ミトラ教)] AD9C,唐末に衰退,モンゴルの興隆と共に発展。
[景教(ミトラ教)] AD11C,その後モンゴル帝国において再び盛んになった
[景教(ミトラ教)] AD11C,中国においては景教は衰退
[景教(ミトラ教)] AD13C,元とともに衰退
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考え
[中国景教(ミトラ教)] 江戸時代終期,E.A.ゴルドン夫人,様々な日本を援助する活動
[中国景教(ミトラ教)] AD1851時代,E.A.ゴルドン夫人という女性が高野山に景教碑のレプリカ「大秦景教流行中国碑」を建てた
[中国景教(ミトラ教)] 唐で学んだ空海が景教にも関係を持っていた E.A.ゴルドン夫人
シリア教会:その歴史はローマ教会より古い
シリア教会:今も典礼にアラム語を使う,イエスもアラム語を話していた SilkRoad2215
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),正教論議の決着,信条の制定
AD325,ニカイア公会議(宗教会議),第1回公会議でアタナシウスのニカイア信条が正統教義と認定された
AD325,ニカイア信条,キリスト教会はローマ皇帝の命令に従う道を選択し,神と主イエスの教えを改ざんすることを決定したのである tatsujinn

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遺跡情報,高野山/景教碑



文明の融合
キリスト教が誕生したのは 西洋とアジアの狭間、現在のイスラエルを中心とする土地です。
我々は現在の姿から かなり西洋的なイメージを抱いていますが、その誕生の土地の文化背景からするとかなり中東的な雰囲気を持つ宗教であったはずです。 
ギリシャ語によってローマに布教されたことにより、キリスト教はその後ヨーロッパ諸国に広がり現在に至っていますが、その間もともと持っていたオリエンタルな部分を切り捨ててきたのではないでしょうか? 
西方への広がりの他に シリア(ペルシャ)を起点とする アラム語により東アジアに広められたもう一つの布教の流れがありました。 
景教はその流れの下流として中国まで到達したのです
ギリシャ、ローマとペルシャ、西洋と東洋の2つの文明の出発点からキリスト教は広まっていったのですが,東洋には他にインド、中国と異なる大文明がありました。
これら異質の文明との衝突と交流の中で宗教も徐々に変容していったのでしょう。
キリスト教に限らず仏教もゾロアスター教も西アジアを経由して広まった宗教はシルクロードの交易を担った 
ペルシャ人 
ソグド人 
インド人 
など多くの商業活動従事者の支持を基盤としていましたが、多くの民族により支持される一方で、 多くの文化的背景の影響を受けました。
景教の教義は元のキリスト教とは かなり変化していると言われています。
仏教においても ガンダーラにおける仏像の誕生、大乗仏教の発展もこの流れによる文明の融合から生まれたものでしょうし、ミトラ神は弥勒信仰として仏教の中に取り込まれました。
シリアから現在のアフガニスタンパキスタンにいたるインド中国に隣接する地域は 古来 人と物が常に行き来する場所でした。 
700年に渡りシルクロード交易を 影で支配したといわれるソグド人もこの地域から現れました。
また この地域の多くの民族がアラム語をベースとした、あるいは関連する文字や言語を使用していました。 
激しい支配民族の変動にも影響され、この地域は宗教と文明の融合炉の役割を果たしていたのです。
  
もっと高野山
http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyou-2.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/mottto.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/index.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/
 











[LINK]
■日ユ同祖論
古都に隠された十字架
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/pdf/250Kyoto.pdf
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/pdf/252Kyoto2.pdf
聖地巡礼ファイル
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/index.html
探求三昧,日ユ同祖論への反論を展開するサイト
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/index.html
佐伯好朗博士と「日ユ同祖」論
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/jud.html
モナ丼
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun032.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/mona_home.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun059.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun043.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/bun041.htm
■秦氏
流木のWebサイト
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/index.html
木島坐天照御魂神社,
http://kamnavi.jp/mn/kinki/konosima.htm
神奈備にようこそ
http://www.kamnavi.net/index.htm
木島神社
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo40.htm
賀茂探求
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/index.htm
三柱鳥居の謎,三柱鳥居の謎全国の三柱鳥居の探求
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/pdf/3hasira.pdf
渡来人研究会,秦氏について
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/hata
モナ丼,日本にあった朝鮮王国,謎の秦王国
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/mona_home.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books120.htm
やほよろづ.COM,八幡信仰の源流
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/
http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatiman.htm
mansongeのニッポン民俗学,宇佐八幡神は新羅の神だった
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/index.html#bn
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-51.html
■大酒神社の摩多羅神について
hwbb
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_J.html
■秦王国=邪馬台国説など
秦氏の謎
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/hatashi.html
kitunoの空
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/index.html
三神たけるのお伽秦氏,秦氏原始キリスト教教徒説
http://www.kitombo.com/mikami/0618.html
http://www.kitombo.com/mikami/back.html
半月城通信,韓国と日本の関係について多方面からの情報
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http://www.han.org/a/half-moon/hm099.html
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小原克博ONLINE
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アラム語のページhtt
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イエスは何語を話したか?
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■地図
世界歴史事典データベース
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KOINONIA/新約聖書の地図
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http://www.ncm-center.co.jp/tizu/iran.htm
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http://www.ncm-center.co.jp/tizu/uzubekisutan.htm
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パキスタン(ガンダーラ)
http://www.din.or.jp/~hagi3/Literature/TheRoadToSilkroad/Images/Map3-1.gif
World Reader
http://tanakanews.com/a1120Gandhara.htm
http://tanakanews.com/
松戸オリエント協会
http://www.orient-matsudo2.com/
http://www.orient-matsudo2.com/goannai.html
ハイパーリンク世界史辞典
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/gandhara.html
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/mahayana.html
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/
マニ教
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/繝阪せ繝医Μ繧ヲ繧ケ豢セ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99
■聖書研究
オンライン聖書講座
http://www.geocities.co.jp/Milano/2523/kouza.html
クロニクルズ 地図年表
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/index.htm
eバイブル
http://ebible.echurch-jp.com/
イエスはどんな人
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/
Q資料
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/q_jesus.htm
宗教のお話
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/jejus.htm
The Text of the Gospel
http://member.nifty.ne.jp/gospels/gospels.html
http://member.nifty.ne.jp/gospels/gospels.html
聖書の呼ぶ声
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/hyosi.html
キリスト教とイスラム教
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/islam.htm
Outline of the Gnosticism
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/
グノーシ主義略説
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/gnosis0.html
Biblical Errors
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html
インターネットの世界を広げよう
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/

もっと高野山
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伊勢神宮の構造はイスラエルの神殿がモデルのようだ......
http://www.naritacity.com/journal/japan/pdf/summary.pdf
Page 1
1
第1章 日本列島に潜むユダヤの痕
伊勢神宮の謎に迫る!
今からおよそ十五年前、米国ロスアンジェルスで不動産事業を営んでいた際に、大勢のユダヤ系実業家の方々と出会う機会がありました。ベトナム戦争時はヘリコプターの技術士として現地で活躍し、米国に帰国後不動産のデベロッパーとして成功したゼブ氏とは特に親しくさせて頂き、時折夕食を共にしながらよく雑談をしたものです。そのゼブ氏がある日突然、「日本人のルーツにユダヤがあることを知っているか?ヨセフ・アイデルバーグという学者が『大和民族はユダヤ人だった』という本を書いたのだが読んでみたら?」と教えて下さったのです。日本とユダヤには本当に接点があるのだろうかと疑問に思いつつその時から歴史の街道をひたすら遡りながら、日本とユダヤのハーモニーを見出すロマンが始まったのです。
果たして日本人には神の選民と言われたユダヤの血が流れているのだろうか。そんな疑問を解明するために、1988 年東京から車で伊勢神宮にお参りに行くことにしました。以前から伊勢神宮には三種の神器が隠されているという噂や、天皇家とユダヤの関係に携わる様々な秘密が盛りだくさんあると聞いていた為、何としても訪ねてみたかったのです。まず度肝を抜かれたのが JR 伊勢駅のそばにある外宮から内宮につながる街道の両脇に立てられている無数の石灯篭に、ユダヤの紋章である「ダビデの星」が刻まれていることです(写真参照)。しかしながら何故、天皇家が参拝する伊勢神宮(管理人注:天皇家は参拝に来ません。行くのは下鴨神社です)にの街道沿いにユダヤの紋章が入っているのでしょうか?
この石灯篭は神宮奉讃会が寄贈したものであり、実際は木藤石材工業という兵庫の会社が製作にあたりました。そして依頼者側の代表として当時の神宮庁長官である故二荒氏と奉讃会会長の故森岡氏によって詳細の指定がなされたのです。しかし、何故この二人が執拗なまで台座にユダヤの紋章を彫りいれる事を望んだかは今をもってわからず、工事を請け負った木藤氏はただ言われるままに製作したそうです。このダビデの星は伊勢神宮の奥宮である「伊雑の宮」の正式な紋章でもありますが、
「イゾウ」という言葉の響きがヘブライ語で神の救いを意味する
「イザヤ」、「イズラエル」
に酷似しているため、ますますユダヤの影響を感じます
下鴨神社の関連BBS..........神社に潜む謎の勢力
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1043

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/













PS:古代日本とイスラエル10部族の謎というURLがあります。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm

その中で.......
『とはいえ、なぜイスラエル神殿に菊の紋が刻まれているのか――その理由や起源は、よくわかっていません。
ただこのデザインは、エジプトやペルシャ、その他の中東の諸地域において、宗教の中心地や、重要人物の棺の紋様として広く使用されていました。
菊の紋について、次の3つの考えがあげられています。
1つはイスラエルの菊の紋は、菊の花のデザインであろう、ということ。
2つ目は、それは太陽をデザインしたものかもしれないこと。
3つ目は、全く意味のない単なる美しいデザインかもしれない、
ということです。
いずれにしても菊の紋は、イスラエルにおいて、比較的広く使用されていたシンボルでした。
そこで、もし古代イスラエル人が日本に渡来したのだとすれば、
彼らが持ち込んだ菊の紋が皇室の紋として採用されたのではないか、
という考えが浮かんでくるわけです。
 
一方、日本の伊勢神宮の灯籠に、私たちは
「ダビデの星」
を見ることができます。
「ダビデの星」とそっくりのマーク(カゴメ紋)が、皇太神宮の参道わきの石灯籠に刻まれているのです
(ダビデの星は、奥宮の「伊雑の宮」の紋でもあり、古代からのものであるという)。
「ダビデの星」とは、言うまでもなく、古代イスラエルの王ダビデの紋です。
それは現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとしても使用されており、ユダヤ人の印なのです。』
上の説明,つまり任意団体の
「伊勢三宮奉賛献灯会」
が、1955年当時、献灯目的で、これらの六芒星の石灯篭を設置されたことを知らないと大変な誤解を招くことになります。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/66543147.html

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/






























鳥居の聖人
2013-12-03 10:35:54
写真は、伊勢神宮の伊雑宮(イザワのみや)の鳥居の写真です。
入り口の大鳥居を内側の神域から写したものです。
私は約30年間も毎年のように伊雑宮への参拝をしておりますが、鳥居にスポットライトのような光が当たり、
木材の染みがコマ送りの動画のように訴え掛ける現象に出会ったのは初めてです。
太陽の位置からして、まだ西日の時間でも無いにも関わらず、木漏れ日が当たっていたのでしょうが、
コマ送りの動画の物語を私が認識して写真に撮影し終えますと、このスポットライトは消えてしまいました。
まさに見せられました。
同行者も鳥居に太陽光が反射しているのは目視が出来ました。
この時の鳥居の発光現象は、時間帯により誰でも見られるのでしょうが、私の脳裏にはハッキリとした動画でした。
まるで西洋の教会の壁画に在りますフレスコ画や、(壁に漆喰を下地に顔料で描きます)ステンドグラス画を思わせるような図柄でした。
私は、写真の鳥居の右側から2つめの染みが、
紀元前8世紀の古代ユダヤの大預言者・イザヤ
だと感得しました。
まるで天を仰ぎ見るように、左斜め上を見上げています。
そして、その視線の先の更に左側には、ユダヤ民族の起源となる大聖人・モーゼの横顔が、右側のイザヤの方に向かって話しかけています。
モーゼの染みの部分だけが、ひときわ大きく発光していました。
預言者イザヤは、旧約聖書にありますイザヤ書66章の預言を残しています。
その預言の中には、東方に存在する「海の島々」(伊勢志摩のこと)と、聖なる山々が存在することが記述されており、
そこに人類の救いが存在することが示唆されているでしょう。
旧約聖書のイザヤ書を解読することで、日本の大いなる秘密が解き明かされると思います。
伊雑宮の神紋は、籠目紋(かごめもん)です。
これはユダヤの象徴であるダビテの紋章と同じです。
そして、伊雑宮(イザワのみや)の名称の起源は古過ぎてハッキリしませんが、私には
「イザヤの御宮」
だと響きます。
イザワのみや=イザヤの御宮、
だと感じます。
旧約聖書のイザヤ書に、
東方の「海の中の島々」
の記述を読み取れますので、大預言者イザヤは伊雑宮に来たと夢想します。
以上の話は、伊勢神宮の正式な歴史とは一切関係がありません。
あくまでも、私の想像の物語です。
言えますことは、伊雑宮は本当に聖なる場所だということでした。
信じるか、信じないかは自己判断です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢白山道 
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/ea049a8773c5420a67bc9e5a0ecc6d84

かごめかごめを研究する会
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2018年12月08日

[古代文献] 東方ミトラ教,ミトラ教とキリスト教の酷似


■■■第4章:神智学・人智学運動は東方ミトラ教の再興であった
前出のミトラ教研究家の東條真人氏によれば、マダム・ブラバッキーの創始した「神智学協会」の教義は、バビロニア=ストア学派直系の教えであり、古代ミトラ教の神学を伝えるものだという。「人智学協会」を創始したシュタイナーに関しても同じで、彼の教義もミトラ教がオリジナルだという。
参考までに、東條真人氏の見解をコンパクトに整理して、以下に載せておくことにする。
───────────────────────
日本人のほとんどの人は、ミトラ教やシーア派の神学の高級な部分に触れたことがないため、シュタイナーやブラバッキーの神智学が、とても新鮮に見えるようである。しかし妙に科学的に解説しているという部分を取り去ると、ミトラ教の神学で既に確立していることばかりで、目新しいものは何もないのである。時代を7つに区切る発想法、世界教師論、7光線の瞑想法、秘教占星学など、どれも彼らのオリジナルではなく、ミトラ教がオリジナルである。シュタイナーのキリスト論は、ほとんど全てを東方ミトラ教の教義に基づいている。ロゴスや聖霊に関するシュタイナーの解釈は、マニの教義の受け売りである。
ミトラ教のオリジナルを本当の意味で発展させたのはシーア派である。
シュタイナーは、『輪廻転生とカルマ』の「人智学運動のカルマ1」の中で、人智学運動に携わる人は、かつて中部ヨーロッパと南ヨーロッパにいた秘教的キリスト教徒だと述べている。キリスト教やミトラ教の歴史に疎い人は、“ああ、そういうキリスト教徒もいたんだ”くらいで通り過ぎてしまうだろうが、この記述はそういう軽い記述ではない。
シュタイナーがいう「秘教的キリスト教」とは、東方ミトラ教の一派「パウロ派」「ボゴミール派」「カタリ派」のことである。シュタイナーは、ソフトな表現ながら極めてはっきりと人智学運動は東方ミトラ教の再興であることを明言しているのである。このような考えを持つシュタイナーが大マニを高く評価するのは当然のことと言えよう。このような系譜論をはっきりと捉えることにより、“東の智慧と西の智慧はイエスの中で結びついた”というシュタイナーの言葉は、とても具体的なものになるのである。
アリス・ベイリーの著作もミトラの秘儀のひとつメタトロン神秘主義やハランのミトラ教団(サビアン教団)の教義を下地にしている。また、表にはっきりと明示していないが、カバラが重要なベースになっている。ベイリーの著作を読めば分かるが、ベイリーに知識を与えたというジュアル・クールは、チベットの大師という表看板とは裏腹に、チベット仏教についてはほとんど何も知らず、むしろ「ズルワーン神学」やカバラにやけに詳しいのである。
ブラバッキーにミトラ教の神学の伝統を教えたのは、イラン人ベフラムシャー・シュロスである。シュロフからもらった秘教占星学に関する知識をもとに、7光線占星学の解説書が書かれたのである。そもそも古代において、惑星の秘儀を持っていたのは、ミトラ教だけである。その他にも秘儀があったが、それらは惑星には一切関係していない。
また、スーフィズム(イスラム神秘主義)を欧米に最初に紹介したのはグルジェフであるが、グルジェフのスーフィズムは「ナクシュバンディー教団」の教えの一部である。しかし、グルジェフはイスラム色を払拭して西洋にスーフィズムを紹介したので、グルジェフの教えがスーフィズムを基礎にしていることを知らない人もいる。
スーフィズムの教義とブラバッキーやアリス・ベイリーの教義は、用語に違いがあるだけで、本質、定式化、組織化手法などは同じである。ブラバッキーを仏教の焼き直しだというのは的外れな批判である。ブラバッキーの著書『神智学の鍵』に書かれているように、現代神智学は、プロティノスの定式化を現代に継承したものである。
ブラバッキー自身は自らの教義を「東方神智学」と呼んでいる。
スーフィズムも「東方神智学」と呼ばれている。
アリス・ベイリーは『未完の自叙伝』の中で、
「サンスクリット語や仏教用語の濫用が、神智学の正しいスムーズな普及の障害になった」
と記している。
シュタイナー、
ブラバッキー、
アリス・ベイリー
の著作は、それまでの西洋にない知識を西洋世界に広め、東方ミトラ教を再興した点では偉大な功績があった。
もともと現代神智学は、欧米による東洋再発見という歴史的流れの中で生まれたものである。
そのため、インド的な発想にかなり傾斜している。
これは仕方のないことである。
なぜなら、ブラバッキーが現代神智学の基礎を築いた19世紀末から20世紀初頭には、ミトラ教やイスラムのことは、ほとんど欧米には知られていなかったからである。これらに関する研究が盛んになったのは、欧米でも戦後になってからなのである。
本格的に秘教を学ぼうとする者は、彼らの著作は真の秘教に至るための中継点に過ぎないと認識して、彼らがどこから知識を持ってきたのかを探り、幅広く秘教の伝統を学んでいくことが大切である。
現在欧米では、アカデミズムの影響が広がって、西欧神秘主義の虚構に満ちた歴史が見直され、スーフィズムなど東方ミトラ教の影響力が再認識されつつある。
では、結局、ブラバッキーと、シュタイナーと、アリス・ベイリーとは何者だったのか? 
結論から言うと、この3人は非西洋の宗教的伝統を、欧米に紹介したにすぎないのである。
シュタイナーも非西洋なのか? 
という人がいるかもしれないが、シュタイナーのキリスト論は、ほとんど全てが東方ミトラ教の教義に基づいている
(例えば、ロゴスや聖霊に関する解釈は、シュタイナーのオリジナルではなくて、マニの教義の受け売りである)
ので、西洋=キリスト教文化と考えるなら、シュタイナーのキリスト論は、非西洋といっていいだろう。
この3人は、非西洋、つまり、
仏教、
スーフィズム、
東方ミトラ教
といったアジアの宗教思想や、カバラなどのごった煮のパッケージを独自ブランドでぶち上げて、その権威化を図ったのである。
それが1900年頃のことである。
※ 以上、東條真人氏の見解である。なかなか鋭い指摘だと思われる。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html















 

 

■■■第5章:ミトラ教と日本のつながり
●「ミトラ教」は、
「ミトラス教」(古代ローマ帝国)、
「明教」(中国)、
「マニ教」(摩尼教/中央アジア・中国)、
「ズルワーン教」(ペルシア)、
「ボゴミール派」(東欧)、
「カタリ派」(フランス)
などとも呼ばれる。
ボゴミール派やカタリ派をキリスト教の一部とみなし、その異端とする考え方は古い見方で、最近の宗教学では修正され、
もともと思想も系譜も異なる東方オリエント系の宗教のキリスト教世界への伝播と考えられるようになってきている。
●「ミトラ神」は、キリスト教徒にとっては「キリスト」そのもので、ユダヤ教徒にとっては「大天使メタトロン」であり、
イスラム教徒によっては「イマム・マーディ」、ヒンドゥー教徒によっては
「カルキ神」、または
「クリシャナ」
の再臨とされている。
神智学では、ミトラ神のことを「ブラフマー」あるいは「ロゴス」と呼び、その地球上での姿を「世界教師」と呼んでいる。
「ミトラ」という名前は、サンスクリット語で「マイトレーヤ」と転訛し、インドやチベットなどではマイトレーヤと呼ばれている。
一方、イラン系ミトラ=ミスラがミフルと転訛。続いて
ミクル→ミルクル→ミルク
となり、最終的に
「ミロク」
と呼ばれる。
このミロクが漢字に翻訳されて
「弥勒」
となり、マイトレーヤの訳語となる。
これが「弥勒菩薩」である。弥勒菩薩は仏教におけるメシアである。
このように、世界中の主要な宗教の中にミトラ神の像が組み込まれている。
●ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。
日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。
当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。
彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。
なかでも、最大の力を誇っていたのが
「漢氏(あやし)」
なる一族だった。
漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。
それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。
この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
●12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び
「朱子学」
を興した(12世紀)。
さらに王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。
東方ミトラ教は別名を
「明教」
というが、中国では明(1368〜1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。
日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが
「古学」
を起こし、荻生徂徠が
「徂徠学」
を起こし、本居宣長らが
「国学」
を起こした。
●「神智学」はマダム・ブラバッキーやルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。
東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。
国学=日本版神智学
と考えたほうが正解である。
なお、20世紀初頭、インドの巨星タゴールの詩集をいち早く翻訳した功労でも知られる三浦関造氏が、ブラバッキーの
『霊智学解説』
を翻訳出版したが、この本が日本における神智学資料の草分け的存在になり、現在、三浦関造氏は日本神智学の祖とされている。

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■■■おまけ情報:キリスト教とミトラ教の共通点
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。
そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。
これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。
これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。
ミトラは12星座に囲まれる。
ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に
「ミトラの友」
であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのが
イエスの肉=パンと
イエスの血=ワイン
であるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。
説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミ
トラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。
ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。
『ヨハネの黙示録』
によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。
ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。
『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は
「パテル・パトルム」(父の中の父)
と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行われた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行った。
●イエスは創造主なる御父がいる。
『アヴェスタ』
においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。
ミトラは光明神であり、太陽神でもある。
このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。
結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? 
これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。
なお、「ミトラ神学」についてはまだ研究中なので、まとまり次第、テキストを追加していきたい。
(1998年3月)

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[古代文献] ミトラ教の歴史


No.A7F_mitra
作成 1998.3
ミトラ教と神智学
■■■第1章:ローマ帝国内で威勢を誇った幻の世界宗教ミトラ教
●ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。
なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、
ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。
ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。
イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。
●世に近親憎悪という言葉があるごとく、まさしく初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧した。
あまりにも両者は似ているため、あるキリスト教徒は、ミトラ教を指して「悪魔がキリスト教を模倣してつくった宗教だ」とまで主張するほどだ。
そればかりではない。
フランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、その著書『マルクス・アウレリウス伝』で次のように述べている。
「もしキリスト教がなんらかの致命的な病によって、その成長を止められていたならば、恐らく世界中がミトラ教になっていただろう。」
エルネスト・ルナンのこの言葉から、キリスト教成立当時、いかにミトラ教が隆盛を誇っていたかが推測できる。
実際に、ミトラ教の勢力範囲は、
ローマ・ペルシアの地はもちろん、
北はイングランド、
東はイスラエル・シリア、
南はアフリカのサハラ砂漠
にまで及んでいたことが、残された遺跡などから確認されている。
●ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。
ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからイラン・インド両民衆の間に絶大な人気を誇ってきたのであった。
紀元前7世紀頃に実施されたゾロアスターの宗教改革によって、一時期、ミトラ信仰の熱は下火になったが、ゾロアスターが世を去ると、彼の後継者たちは民衆のミトラ人気に抗えず、すぐさまミトラ神をゾロアスター教に取り込んだ。
とはいえ、この時点ではまだミトラ神の階級は「最高神アフラ・マズダ」の神格からすれば、第2位であったが、後には最高神アフラ・マズダと同格にまで引き上げられた。
そして最終的には、アフラ=ミトラとしてこの唯一神と習合し、冥府で死者を裁く審判者の役割を獲得したのである。
●ミトラ神は歴代のペルシア王朝において国家の守護神として厚く尊崇されてきた。
また一方では、1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、
紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの
「太陽神ヘリオス」
と同一視した新たな信仰が生み出される。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
このバビロニア=ストア学派は、バビロニアの宗教思想をギリシアやローマへ導入する窓口で、紀元前4世紀から3世紀まで約700年間活動した。
●既に触れたように、ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇った。
各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者がいた。
しかしこれは別に驚くほどの現象ではない。
もともとミラト信仰はアーリア民族の神話(正典『アヴェスタ』)をベースにしたものであり、ペルシア帝国と同じアーリア系国家であるローマ帝国内でも絶大な人気を誇るのは自然な成り行きであったのだ。
しかし、現実の歴史は、キリスト教による世界独占の方向に進んだ。
ミトラ教の敗北は、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を受容した時点(ミラノ勅令)で、ほぼ決定したのである。
●なお、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の時代に、ミトラ教には失地を回復するチャンスがあった。
ギリシア哲学に傾倒し、教養ある賢帝だったといわれるユリアヌス帝は、キリスト教を捨ててミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力したのである。
だが、このユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行われていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立されたのである。

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■■■第2章:ローマ帝国以外でのミトラ教の動き 〜東方ミトラ教の活躍
●ミトラ教は徹底的に弾圧され、ローマ帝国内から駆逐された。
しかしこれがローマ帝国崩壊への決定的な引き金となり、ローマ帝国は東西に分裂する。
ミトラ教は一般にこの時点で地上から消滅してしまったと考える人が少なくないが、その認識は正しくないといえる。
ミトラ教全体の歴史に関しては、東條真人氏の著書
『ミトラ神学 ─ 古代ミトラ教から現代神智学へ』(国書刊行会)
に大変詳しく載っている。興味のある方はぜひ一読して欲しい。とりあえず、ローマ帝国以外でのミトラ教の動きについて、以下に簡単に紹介しておこう。
●ヘレニズム時代、ヘレニズム政策のもとで、出身民族を問わないミトラ派が勢力を強めていた。
アレクサンダー大王の東方遠征で、もとアケメネス朝ペルシア帝国だった広大な地域には、セレウコス朝シリアやパルティア王国が作られた。
この2つの王国は、ともにヘレニズム的な国際主義を国策としたので、ミトラ信仰とミトラ派の「ズルワーン神学」が大いに興隆し、この2つの王国では「ズルワーン神学」が国学となり、国王はミトラ神の化身であるとされた。そして、ギリシア神話との対応関係が研究され、これまでのものに新たな概念が付け加えられた。
このギリシア神話と融合した神話は、西アジア一帯に広まり、大変な人気を博した。この人気を背景に、「ズルワーン神学」の周辺部の知識がギリシア人によって西に伝えられ、「占星術」として知られるようになったのである。
●トルコ北部とクリミア半島には「ポントゥス王国」ができた。これはクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めたのであった。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝する
ミトラ教国家「バクトリア」
が誕生した。バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
●ちなみに、厳密にはピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派というのは、純粋なギリシア哲学ではない。
彼らはカルデアの神官から「ズルワーン神学」を学び、それをギリシアに広めたのである。
プラトン一族のもとには、ミトラ教のカルデアの神官がひっきりなしに来訪していた。
また、新プラトン学派という呼称は、19世紀にドイツの学者が便宜上つけた名称で、当人たちは「カルデア神学の師」と自称していたのである。
この件について、ミトラ教研究家の東條真人氏は次のように語る。
「日本は、明治維新以後、欧米から知識を輸入し、その他の地域からはほとんど何も輸入しなかったため、
欧米の勝手な歴史観を鵜呑みにしてしまった。
その典型が
『ギリシア哲学はヨーロッパが継承した』
という欧米人のプロパガンダである。
これは宗教・神智学に限って言えば完全なウソである。
ピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派という一連の流れは、ミトラ教を介して、
シーア派とスーフィズム(イスラム神秘主義)に継承されたというのが真実である。 
〈中略〉 
現代イラン(シーア派)の神智学や政治神学もプラトン直系である。
こういう事実を素直に認めないといけない。
ホメイニ師の政治神学は、プラトンの『国家』を発展させたものである。
欧米人はムシのいい一面があって、自分たちだけがギリシア文化の継承者だというイメージを世界に植え付けようとしているのである。
こういうイメージ操作を打ち破って欲しい。」
●こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から「西方ミトラ教」が生まれ、それがさらに発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていくが、全てが一夜にしてイスラム化したわけではない。12世紀まで東方ミトラ教の本部はバグダッドにあったし、イラン本土では16世紀までイスラム教徒は60%で、残りはマズダー教徒や東方ミトラ教徒であった。
こういう並存状態の中で、ミトラ神学はイスラム神学の中に移されていった。それには様々な形態があった。イスラム神学者や神秘主義の師たちがこれらを学んで、それをイスラムの中に取り入れる場合もあれば、マズダー教徒やミトラ教徒の集団が「スーフィー教団」と呼ばれるイスラム神秘主義の団体に変わっていくという場合もあった。
やがて、ミトラ神学を理論的支柱としながら、外面的には「マフディー信仰」という形態をとっている宗派が形成されていく。それがシーア派とイスマーイール派である。この両派の柱となる理論は「宇宙の中軸」理論と呼ばれているが、これはミトラ神学を継承発展させたものである。
このイスラムの神学は「東方神智学」と呼ばれている。
●ミトラ教は時代によって5つに区分することができる。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

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ゾロアスター


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光輪を持つゾロアスター教のシンボル


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ミトラ密儀が行われた洞窟,奥に岩から生まれるミトラ神の立姿


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ユリアヌス帝,キリスト教を捨ててミトラ教に帰依,ミトラ教の復興に尽力


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広隆寺の弥勒菩薩像,国宝第一号に指定されている





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[古代文献] 明治期,人智学/神智学勃興,ミトラ教の認知ひろがる

■■■第3章:神智学協会と人智学協会
■■「神智学」とマダム・ブラバッキー
●現代神智学の祖はロシア人のマダム・ブラバッキーである。
本名はヘレナ・ペトロヴナ・ブラバッキーで、1831年にロシアのエカテリノスロフに生まれ、前半生は放浪の生活を送った。
自伝によれば、世界を旅して秘教を学び、エジプト、中東、ジャワ、日本にまで足を伸ばし、インドのラダックからチベット入りを試みたという。
そして1851年にロンドンのハイドパークで初めてマスター(霊的師匠)に出会ったともいう。
マダム・ブラバッキー。
1975年に 「神智学協会」を設立。
●1873年に渡米して心霊研究家となり、1875年にオルコット大佐とともに「神智学協会」を設立。
そして1877年に1000ページを越す大著『ベールを脱いだイシス』を完成させ出版。
これは古代宗教から東洋思想、西洋的秘教から現代科学までを縦横無尽に並べ、上巻で科学の誤謬を、下巻でキリスト教の誤謬を論じたものであった。そして題名から分かる通り、西洋オカルティズムの故地としてのエジプトを指向していた。
●翌年1878年に、マダム・ブラバッキーはインドに渡った。
インド行きは思想面にも転換点を与えた。東洋的秘教用語を積極的に取り入れるようになり、ヒマラヤのマスターの存在を説くようになった。
また新たに輪廻転生説やカルマ説を認めただけでなく、根源人種論が加わった。
これは7つの循環期、7つの根源人種といった段階を経て人類が霊的に上昇していくという霊的進化論である。
それが最初に開陳されたのがA・P・シネットの
『エソテリック・ブッディズム』(1883年)
であり、驚くべき物量で展開されたのが、マダム・ブラバッキーの主著とされている
『シークレット・ドクトリン』(1888年)
である。
●「神智学協会」は1882年に、インド・マドラス郊外のアディヤールに本部を移し、その2年後にマダム・ブラバッキーとオルコット大佐はヨーロッパを訪問。多くの著名人から歓迎され各国に支部を建てている。しかし、この欧州訪問中、アディヤールの本部は大騒動になっていた。エジプト時代の旧友で本部の職員だったエマ・クローンが、解雇された腹いせに、インドのあるキリスト教系新聞にマハトマの手紙の「真相」を暴露してしまったのである。
「神智学協会」は注目を集めていた団体だけに、このニュースはすぐにイギリスにも伝わり、この調査に当たったリチャード・ホジスンの提出した報告書は、マダム・ブラバッキーにとって致命的な内容だった。
●この報告書のために、彼女は追われるようにインドを逃げ出し、ヨーロッパを転々とした。
1887年にロンドンに到着すると、彼女をあくまでも東方から来た導師と仰ぐ信奉者が、欧州やアメリカから集まり、ロンドンに
「ブラバッキー・ロッジ」
が開設された。そして機関紙『ルツィフェル』を創刊し、
『シークレット・ドクトリン』『神智学の鍵』(1889年)
の出版とむしろ精力的な活動を続けるようになる。
1891年、彼女は多くの謎を携えたままロンドンで亡くなった。

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■■「人智学」とルドルフ・シュタイナー
●日本でも「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーは「人智学」の創始者である。
その著作や講演録は、実に400巻に及ぶ膨大なものである。
ルドルフ・シュタイナー。
1912年に「人智学協会」を設立。
●シュタイナーは1861年に、現在のハンガリーとクロアチアの国境沿いにあるクラリエヴェクに生まれた。
1879年にウィーン工科大学に入学し、物理学を中心とした自然科学を専攻しながら、同時にドイツ最大の詩人ゲーテの研究にも手を染め、卒業後の彼は、まずゲーテ研究家として世に出ることとなった。1891年にロシュトック大学で哲学博士号を取得。1893年には、ゲーテ科学論文集を編集している。
●シュタイナーは、マダム・ブラバッキーが創始した「神智学」に深い関心を抱くようになり、神智学協会内部での定期的な講演会を持つようになる。そして1902年に神智学協会ドイツ支部が創設されると、多くのメンバーの推薦でシュタイナーはその事務総長に就任。
彼は機関紙『ルツィフェル』誌上で、続々と重要な論文を発表していくことになる。
だが1912年、マダム・ブラバッキーの後継者アニー・ベサントと意見が衝突して、シュタイナーは神智学協会から離反することになる。
同年末、彼が自ら主宰する「人智学協会」を設立すると、ドイツの神智学者のほとんどは彼に従った。
●マダム・ブラバッキーのような純粋な霊媒とは異なり、自然科学者の目と哲学者の論理的思考能力、それに芸術家の文章構築力を備えた見霊能力者であったシュタイナーは、これからの神秘学は、学問として成立しうるものでなくてはならないと考えていた。そのためには、従来の神智学協会における「マハトマ」のような神秘的存在は、まず第一に遠ざけねばならないと考えた。
なぜならば、そうした存在は教祖にしか把握できず、それゆえに教祖の仲介なくしては、それと接触するのは事実上不可能だからである。
万人が自ら、彼のいう「超越的認識」を獲得できてこそ、人智学はひとつの学問たりうる。
「いかなる人もここに述べられている霊学的認識内容を自分で獲得できる」
──この高らかな宣言こそ、人智学が従来の神秘主義と決定的な一線を画したことを示す凱歌であった。
●シュタイナーは死後の世界の実在や、輪廻転生、カルマ、存在界の三区分(物質界・生命界・霊界)、生命の霊的進化などの観念を総合し、独自の壮大かつ緻密な宇宙観を組み立てた。そこには当然、彼が神智学から受け継いだ伝統的な東西の秘教の教義というバックボーンがある。だがその多様な霊的知識を、彼は整合性と合理性に裏打ちされた大系にまで高めたのである。
●彼は、物質偏重に傾きすぎた今日の文明のあり方を正すために、今こそ古代以来の秘教的・霊的知識を総合し、これを万人に公開せねばならない、と考えていた。そしてそのためには、近代的認識批判の立場にとっても受けいれられる言葉によって、それを語ることを必要とし、自らそれを実践してみせたのである。
教育においては、「シュタイナー学校」と呼ばれる独自の全人教育システムを考案し、社会芸術としての教育を提唱。
社会運動の分野では、社会を
法律(国家)・経済・精神(文化)
の3つの領域に文節化する「社会三分節化運動」を唱導した。
また、今から70年も前に農薬や人工添加物の害を説き、土壌を破壊しない肥料を開発するなど、時代を先取りした農法を理論化し実践した。
そして芸術面では、自ら画家・彫刻家として多数の作品を制作したほか、人間の肉体と心によって霊の存在を可視的に表現する未来芸術「オイリュトミー」を創始している。
●1925年にシュタイナーは世を去った。(彼はナチスによる迫害の対象となり、晩年は苦しい社会的生活を強いられていた)。

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マダム・ブラバッキー,1975年に神智学協会を設立。


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ルドルフ・シュタイナー,1912年に人智学協会を設立。


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2018年12月02日

世見:温暖化対策


<世見>
2018/10/4 温暖化対策
北極海の海氷が、20世紀後半から減少し続けているのが止まらない。
海氷がなくなると困ったことが起きる。
今まで海氷が反射して太陽光線を吸収していたのが、海氷がなくなったために海水面から熱や水蒸気が放出されて、北極域は更に温暖化が進みます。
「日本列島3個分の海氷が姿を消す」
まさかと思いますが、1〜2年でこの傾向が見られるといいます。
地球上にどれくらいの氷があるのだろうか。
氷に眠るお宝は、争い事にはならないのだろうか。
次々に心配事が心に広がります。
ホッキョクグマが地球から姿を消す日、私達は、自然界の脅威をどれだけ多く目にするのでしょう。
日本はあまり偉そうなことは言えない。
温暖化に付いて日本のCO2排出量は少なくないからです。
「それじゃあ 私は何をすればいいの」と自分に問い掛けても、これだという答えを出せません。
省エネ家電の買い替えは出来ます。
買い物袋を利用するようにします。
日々の生活の中で、無駄な電気や資源の利用を減らします。
ベランダには、花々と小さな木を植えています。
ゴミも出来るだけ減らすようにしています。
水道の送水に利用されるエネルギーを減らすために、無駄な水は使いません。
でもね。一人一人が温暖化に立ち向かう気持ちを持つだけで、今年の猛暑のような体験が減るかもしれません。
温暖化は私達の日々の生活の中にあるとしたら、地球家族の一員として心がけないと、地球に申し訳なく思います。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.あほうどりのひとりごと.com/article/462008517.html
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